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これで完結です。
「アイリーン、ざまあないな」
目の前のソファで偉そうにカップを傾けているのは、爽やかなイケメン。
学生時代の友人にして、隣国のカイル・ハーディ。
私が通っていた学園に、彼が留学生としてやって来て、親しくなった。
隣国は、数十年前に王政から共和制に移行した。貴族階級は残ったが、知識と財力を身につけた有能な平民が、政治経済の中核を担うようになっている。
カイルは平民だが、卒業後は実家の商会に入ると言っていた。
その彼が、何故このタイミングで、ここに居るのだろうのか。
何故、父が彼を客間に通し、私と、それから義母と義妹、元婚約者まで、ここに集めたのだろう。
これは、どういう状況なの?
「アイリーンが、伯爵家の継承権を喪失して婚約を破棄されたと聞いて、飛んできたんだ。ついでに、アイリーンがお世話になった伯爵家の方々とも、お会いしておきたくてね」
眩しい微笑みは、相変わらず胡散臭い。
「病気だということだったが、元気そうじゃないか?」
「至って元気よ。私が病気だなんて話を信じるなんて、王家も杜撰な仕事をするわよね」
「うん。陛下にも事情があるんだと思うよ。何かこう、不思議な力が働いたんじゃないかな」
「ジョセフが次期伯爵というのも、おかしな話よね?彼の継承順位は、それほど高くはなかった筈なのに」
「あー、それはね。彼より上位の継承者候補が、みんな辞退しちゃったそうだ」
「それも、不思議な力が働いたとか?」
うんうんと、にこやかに微笑む男を睨みつけるが、堪えた様子はない。
「何で、そんなに我が国の内情に詳しいのよ?」
「言ってなかったっけ?僕の祖母がこちらの王室の出身でね。先の革命で平民になったけれど、その伝手で、王宮でいろいろと商売させて頂いてるんだよ」
「知らなかったわ」
「知っていたら、あの時、僕の求婚を受け入れてくれた?」
「まさか……」
胸が締め付けられるように苦しくなった。
一年前に、カイルからプロポーズされた。
だけど、あの時、私はまだ、自分の義務を第一に考えていた。
一時の感情で、これまでの努力を投げ出すのは、伯爵家の跡継ぎとして相応しくないと、そう思っていた。
私だって諦めたのだから、ジョセフもエメリンを諦めてくれるものと思い込んでいたのは、本当にざまあない。
「義姉様は、ジョセフという婚約者がありながら、他の男性と親しくしていらっしゃったのですか?」
エメリンが口を挟んだ。
「それは違うよ」
カイルがエメリンに、うっとりと微笑みかけ、エメリンは真っ赤に頬を染めた。
「僕が一方的に、彼女に惹かれたんだ。だけど、アイリーンは、伯爵家を継ぐことを選んだ。婚約者と一緒に領地を守っていくんだって、きっぱりと断られてしまったんだよ」
「それから僕も仕事を始めてね。この一年は、本当に大変だったんだ」
カイルが大きくため息をつく。その姿も色っぽくて、義母と義妹が頬を染めたのには、少しむっとした。
「まず、父を説得して、好きな相手との結婚の許可を貰ったんだ。商会の売り上げを倍増させることが条件だったんだけど、何とかクリアした。
次に、ここの陛下に、ちょっとしたお願いをしたんだけれど、祖母から聞いた昔話をしたら、すぐに了承してくれてね。その合間には、伯爵家の継承権を持つ貴族達に会って、恫喝には至らない説得をして……。
いろいろと目途がついたところで、君のお父上にお会いして、お互いの希望について確認し合ったんだ」
「つまり、貴方は、私の人生をひっくり返すべく、頑張っていたと?」
「まぁ、簡単にまとめると、そうなるかな」
カイルのあんまりな言動に、他の皆が引いているのを感じた。
「私は、貴方のせいで、伯爵家の跡継ぎにも選ばれなかったし、元婚約者からも選ばれなかったわ」
「だから、お姉さまを選んだ、この人と結婚するというのですか?」
「違うよ。僕は、アイリーンの枷を外したかっただけだ。彼女は、伯爵家を継ぐことしか考えていなかったけれど、アイリーンの能力をそんな事に使うのは、勿体なさすぎる。だから、全てをリセットして、その上で、彼女に選んで欲しかった」
カイルは、これまでとは違った、ためらいがちな微笑みを浮かべた。
「アイリーン。僕と共に生きてくれないか?」
「え、ええぇ」
思わず変な声で頷いてしまったけれど、これはプロポーズの言葉なの?
「お姉様、無理にこんな方と結婚しなくても。私達と一緒に暮らしていきましょうよ」
「アイリーン。君が望むなら、ここで私の仕事を手伝ってくれてもいいんだぞ」
エメリンが、初めて優しい言葉をかけてくれたのは、単純に嬉しい。
だけど、ジョセフ。貴方は、自分の仕事を減らしたいだけでしょうに。
「大丈夫よ。カイルのこの性格は、良くわかっているの。その上で、受け入れると覚悟を決めたのよ」
エメリンが小さく「覚悟って」と呟いたが、聞こえないふりをした。
「アイリーン。お前がどう思っているか知らないが、お前は私の大切な娘だ。幸せになって欲しい」
「お父様!?」
父が、私に手を差し伸べた。思ってもみない言葉に、思わず胸が熱くなる。
「だが、同時にエメリンも、大切な娘であることに変わりはない」
「お父様?」
「これは、お前にもエメリンにも、悪い話じゃなかった。お前は、領地を守る義務から解放されて、お前を愛してくれる男性と一緒になることができる。エメリンはジョセフと一緒になって伯爵家を継げる。2人とも、幸せになって欲しい」
「それはそうかもしれませんが……」
「それに何より、私がこの男に逆らえるわけがないじゃないか」
「貴方は、ご自分が一番大切ですものね」
義母の呟きが、全てを語っていた。
「お父様。何と言えばいいのか、もはやわかりません」
でも、幸せになります。
精一杯、幸せに生きてやります。
「君が望むのだったら、伯爵家を、君に取り戻してあげることもできるよ」
悪魔のような囁きが聞こえたけれど、私はほほ笑んで首を振った。
「大丈夫。伯爵家になんて、未練はない」
そう。幸せな人生は、これから自分で切り開いていくわ。
貴方と一緒に。