やんごとなき方の声明(しょうみょう)
芥川の今昔物語に出てくる脂ぎった顔でありながら覚めた眼差しの男をイメージし、書きました。
やんごとなき方のおこぼれにより糊口をしのいでいるらしい。
むろんそのような振る舞いが日毎になされているなどその方がしる由はない。始めた頃は、それを生業にするものなど他に誰もいなかった。いまは数名そのようなものがいるらしい。本当かどうかは測りかねる。袖の下を求める際に中がそのように嘯くだけやのことかもしれん。「お前さまだけには特別に3割の分としているのだ。ほかのものは皆な5割だよ。なにしろ、お前様は、これを始めた仲間であるからなぁ、大事にせねば」と、己れが思う3割の金がその細長い掌に積まれるまでは嘯き続ける。そうして5割どころか材料を引いた儲けのあらかたを巻き上げていくのだ。これから暫くの糧とたまには酒でも飲ませねばと、中の算盤からはじかれた分だけが手元に残る。
老若男女ともども、やんごとなき方の声明はよく売れるという。実を聞くことなど叶わぬ身であっては、金で包んだそれを後生大事と懐に入れて、これより先の夕べによもや見舞われ荼毘にふされるようなことがあったら、一緒にと決めている。
あのお方の声明は坊主のおつとめよろしく朝早くに流れてくる。日の出の光明に乗って東から西への流れが捕まえやすいので、御所の西詰の防火櫓に登り、隠しに入れていた箔に拵えた金を流されぬように空いた方の掌に添えながら箸でぽいぽいつまんでいく。相手が見えるものでもないのと風に金箔を取られないようにするのに少しこつがいったが、中が言うように同業者が増えたのであれば、己ればかりが授かった技能ではないらいい。時の経過でいろいろはあるが、まだしばらくはこれで女房に米びつの小言を言われずに済むし、時には酒ばかりでない処に上がって夜更けまで籠る楽しみも続きそうだ。ぽぉーと馴染みの女の顔が浮かんで疼く前に一仕事終わらせねばと、拾った声明がまだ温かなうちに金箔を重ねていく。長い節は手間がかかるが、「牛頭」などのカツンとした小石のような節は片手で握りをこさえる要領でくるくる巻けだけなので数をたくさん卸すには都合がいい。
「お前さまは仲間であるから良いことを教えてやろう。あのお方のお好みは黄金でなく白銀である。唱える相手の仏も口に入る匙も箸もすべからく白銀である。お前様が直のお姿を垣間見るなど畏れ多いことはありようもないが、なによりあのお姿から放たれる光明は白光であるぞ」と、掌をかさかさ揺らす。金から銀をひいた匁の数だけ分が増えるだろうと裏の声が鳴っている。
ー ばちが当たったのだ、ばちが。
何度その言葉を己れにぶつけたことか。捕らえられたときも牢に入れられたときも、御沙汰を承ったときも、そしてこうして首をはねられ梟首の身となったいまでも。
これも刑の勘定に入れているのか、晒されているいまもこの世の言葉が理ごと付いて廻ってくる。眼は閉じられたままなのでひそひそ語るものたちの顔は見えぬが、一見でも見えたことのあるものの声は、見えなくなったぶん声を発する内なる顔がすっくと立ち上がり浮かんでくる。
女房は3度きた。いちどは確かめに、二度目は悪態をこぼしに、三度目はおさらばを告げに。もともとあまり縁を感じない女だったが、こうしてみると己れと他人をきっちりわきまえる種類の女であったのだと、いまはない腹の奥で結んだ。それに引き換え、彼奴は憚って立ち止まることこそないが、こちらに憐憫を向けて呉れる。このような目に至った幾らかが己れにあるものと回向を手向ける声が薄墨のように聞こえる。この期に及んでもまだ白銀で包んだまがい物を後生大事と肌身はなずにいるのは滑稽のはずだが、こうして首ひとつとなった身であっても馴染んだ肌が懐かし感じられ、浮かんでくるのは憐ればかりだ。
それにしても、中は始めから嵌めるつもりだったのだろうか。あのあと、後ろ手に縛られた顔をみて、彼奴はこういった。「おれは白銀などと言った覚えはないぞ。白金と云うたのだ。それをお前が欲にくらんでまがい物であの方の声明を包んで売りさばき、ようよう目を瞑ることも出来ずにお咎めの指図が廻る運びとなったのだ。あのお方のお姿には白光が放たれておるのだぞ。黄金よりも貴き白金でこそあれ、それより格下の白銀であろうはずがあるまい」金づるでなくなった首だけの者に、お前さまなどと様を付けた猫なで声なぞ一個も出てはこない。中の姿はますます遠くなり、嘯きながら袖の下を欲しがる華奢な掌も小さく消えている。いまごろはきっと御所のやんごとなき方の御簾の奥まで隠れて次の謀を巡らしているに相違ない。そう巡らすと、「遠くなった」と漏らしたそばから淫靡で湿った匂いが立ってきた。
はじめて見みえたときは、「お前、窮しておるな。その顔は今にも大川に飛び込んで楽になりたいと書いておるわ。やめとけやめとけ、飛び込むなど川が干さぬ限りいつでも出来ること、それよりもいい話がある。付き合う気はないか。ほうれ、そこで一献傾けながら・・・・」と言いながら、女の着古した腰巻きで仕立て直したような朱色が手を引く暖簾を潜った。今度もきっと、誘いこむ文句は似たような手蔓を使うのだろう。
そんな縁をほじほじする顔を見つけたら、にやにやしながらきっとこう続けるのだろう。「お前ら下賤のものはすぐにわきまえを忘れてしまう。やり方を教え、算段を付け、2度3度の指南を施したあと、ひとりで回せるようになると、すべてを己れひとりで会得したような顔をする。わたしの顔をみても、裸の脛ばかり眺め、袖の下を取りに来た下役人を見るような顔をする。仕方ないから、こうして「お前さま、お前さま」などと舌撫で声でおべっか使い、ほとぼりを何処で断つかと算段し始めても、こちらの魂胆を見通せずにいる。危ういのう、一本しかない細い軌道なのだ、すぐに外れてしまうわい。わたしが外したのではない、お前さまが外れたのだ」と。