出動要請
「リュディ、今からきみを元の大きさに戻すための薬を作るからね。それができたら、きみのお父さんを捜すよ。時間はかかってしまうけど、待っててね」
「うん」
帰れるため、とあってか、リュディは素直に頷いた。
ライトスは、出窓の所へリュディを連れて行く。彼女の前に紙を一枚敷き、チョコクッキーをリュディが食べやすい大きさに割って置いた。また彼女の目が輝く。本当に好きらしい。
チョコチップクッキーが当たり、ということもわかり、ライトスは「よしっ」と心の中で拳を握る。
「たべていいの?」
「いいよ。だけど、食べ過ぎてお腹を壊さないようにね」
昨夜はビスケットで、今朝はチョコクッキー。人間であれ、妖精であれ、これが健康的な食生活とはとても思えないが、中和剤ができるまでだ。
リュディの食事については、ちゃんとした姿に戻ってから考えることにする。そこまではライトスも頭が回らない。そもそも、妖精の健康的な食事とは何がいいのだろう。
部屋へ戻る前に持ち出したミルクを、昨夜と同じように瓶のふたに入れてリュディの前に置き、ライトスは薬を調合するのに必要な物を机の上に揃えた。
成分については、小さくなる薬とほぼ同時進行で調べている。なので、あとは材料を調合し、形成するだけのところまできていた。もっとも、調合のさじ加減が難しいので気が抜けない。
さあ、となってライトスが材料を入れた瓶のふたを開けようとした時。
強い調子でドアがノックされた。突然だったことと、少々後ろめたい部分があるせいで心臓が跳ねる。瓶が滑り落ちそうになった。
「すまない、ライトス」
バートルの声だ。いつもなら「入って」と応えるところだが、今は入られると困る。扉を開ければそこから窓が見え、窓が見えればそこにいるリュディが見えてしまうのだ。
「あ、ちょっ、ちょっと待って。薬が飛ぶと困るから」
とっさに思い付いた言い訳をしながらライトスは慌てて立ち上がり、自分で扉を開けた。バートルから窓が死角になる位置に立つ。
「な、何?」
「作業をしてるところをすまないが、魔物退治の仕事が入った。出られるか?」
「あ……わかった。準備するよ」
正直なところ、中和剤の調合も急ぐのだが、魔物を放っておけばどれだけの人間に被害が及ぶかわからない。魔法が使えない余程の理由がなければ、こうした依頼を魔法使いが蹴ることなどできないのだ。
バートルに返事したものの、ライトスは出かける準備をしながらリュディをどうしようかと頭を悩ませる。
すぐに戻って来られるだろうか。行き先も魔物のレベルも聞いていない。聞いたところで、何日かかるかを確定させるなんて無理だ。魔物相手に予定は立てられない。
かと言って、母にリュディの世話を頼める訳もなく……。どういうことだという話になったら、魔物退治どころではない。
「ライトス、どこかいっちゃうの?」
バートルとの短い会話だったが、それを聞いていたリュディは事情を察したらしい。少なくとも、今からライトスが出かけるということは。
「うん、魔物退治に行かなきゃいけなくなったんだ」
「いっしょにいくっ」
魔物退治が何たるかを理解しているのか、いないのか。リュディはこれまでになく自己主張する。
だが、妖精が魔物退治に同行するなんてあまり聞かない。現場で力を貸してもらうために呼び出すのが普通だ。
「リュディ……今から行く所はすっごく危ないかも知れないんだよ。そんな所へきみを連れて行くなんて」
「やだっ。るすばん、やだっ」
拳を握り、首を大きく振るリュディ。これ以上ない拒否だ。
「でもね」
どれだけ退屈であっても、この部屋にいる方が絶対に安全だ。誰かが入って来て、彼女を傷付けたりすることはまずありえない。
レイシアに妖精が見えるかどうかを聞いたことはないが、見えたとしても魔法使いの妻であり、母である。リュディを捕まえてどうこうする、なんてことはしない。
鳥がさらうということはありそうだが、それは窓を閉めておけば済む。
「やだっ、ライトスまでいっちゃうの、ぜったいにやだ!」
父親に置いて行かれた時の恐怖や淋しさが襲って来たのか、リュディは泣き出した。その様子は完全に幼児だ。
「な、泣かないで、リュディ。わかった。わかったから」
「……」
ライトスの言葉に、リュディが涙でぐしょぐしょの顔を上げた。ついそう口にしてしまい、しまったと思ったがもうなかったことにできない。連れて行くと言ってしまったようなものだ。
それに、涙でうるんだ大きな目を向けられたら、留守番をしていろと強く言えない。
時間はないのだ。ゆっくりリュディを説得していられないし、ライトスは彼女を連れて行こうと腹をくくった。何があっても守るしかない。
「リュディ、きみをポケットに入れるけど、俺がいいって言うまで絶対に顔を出しちゃダメだよ。約束できる?」
「うん!」
置いて行かれないとわかり、機嫌がよくなった。おかげで返事はいいが、ライトスには不安が残る。
それでも、出かける準備をすると、リュディを上着のポケットに入れた。そんなに大きなポケットではないが、人形サイズのリュディならどうにか入れる。
「声も出しちゃダメだよ。もし魔物に見付かったら、襲われるかも知れないからね」
「うん」
初めて魔物退治に向かう時より緊張しながら、ライトスは部屋を出た。
☆☆☆
バートルや先輩魔法使いのディアドと共に、ライトスは今回の目的地であるテットの村へ向かった。
村長に話を聞くと、半月程前から近くの森で角が生えた狼のような魔物が現れた、ということらしい。森の中だから、ということで最初は様子を見ていたのだが、つい最近は村の近くへも現れるようになったという。
村の男達がスキやクワなど、武器になりそうな物でどうにか追い払ったものの、このまま放っておいてはいつか犠牲者が出てしまうだろう。血の味を覚えた魔物はもう止まらなくなる。
これでは安心して暮らせない、ということで退治の依頼を出したのだ。
早速、三人は魔物が現れたという森へ向かう。
「おい、ライトス、大丈夫か?」
「え、何が?」
森の中を歩いていると、いきなりディアドに聞かれた。大丈夫かと言われても、何が大丈夫なのかよくわからない。
「お前、今日は落ち着きがないように見えるぞ」
「え……気のせいだろ」
ポケットの中が気になるが、バートルとディアドがいるのでリュディに話しかけることができない。布だからポケットで窒息することはないにしても、ずっと突っ込んだままで大丈夫かと心配になる。
そんなポケットを気にするライトスの様子が、ディアドには「落ち着きがない」というように見られたらしい。
こんな所でばらす訳にもいかないので、ライトスはしらばっくれた。
「今日が初めての仕事って訳じゃないんだしさ」
「それはそうだけど……。何か具合が悪いなら、早く言えよ」
「うん……わかった」
わかったからと言って、ここでリュディの存在を明かすことはできない。
村人が魔物を見かけたという辺りまで来ると、それらしい足跡が見付かる。まだ新しいように思われ、三人の間に緊張が走った。
現れたのは一匹だと聞いている。足跡も一匹分だ。しかし、どこに仲間が潜んでいるかもわからないので、気は抜けない。狼のような、という話だから、本当の狼のように群れで行動する可能性があるからだ。
しばらくその足跡を追ったが、先を歩いていたディアドが止まる。
「近くにいるぜ」
「そのようだ」
二人の言葉に、ライトスも空気が張り詰めるのを感じた。
その直後。
ぱきっと地面に落ちた枝を踏み割る音がして、前方に黒い毛の獣が姿を現す。その身体は狼にも見えたが、耳の横から羊のような湾曲した角があった。村人の話通りだ。
「お前か、人間に余計な好奇心を持ちやがったのは」
「あれ、話に聞いてたより小さいようにも見えるけど」
村人の話では、子牛くらいはありそうな感じだったのだが。目の前にいる魔物は、普通の狼とそう変わらないように思えた。
「村人は我々のように魔物を見慣れている訳ではないからな。恐怖で相手が大きく見えるのはよくあることだ」
魔法使いの姿を見て、魔物は牙を剥き出しながら低いうなり声を上げる。それを見て、ライトス達も構えた。
だが、次の瞬間には身をひるがえして走り出す。魔法使い三人を相手にするのは分が悪いと思ったのか。もしくは、どこかへ誘い込む気でいるのか。
ライトス達にしても、このまま逃がす訳にはいかない。
ディアドが重力強化の魔法をかけようとするが、その前に素早く移動してしまうのでうまくかからない。姿が狼なだけに、人間よりも走るスピードはずっと上だ。
「だったら、これはどうだ」
ライトスが壁を出す呪文を唱えた。普段なら、魔物の攻撃から身を守るためのものだが、逃げる魔物の前に出せば自分から当たって倒れるという間接的な攻撃ができる。
ライトスの狙い通り、魔物は己の進行方向に現れた半透明の壁に当たって跳ね返った。獣のような悲鳴が響く。
うまくいったと思ったが、体勢を立て直した直後に魔物の数が急に増えた。ざっと見たところ、十匹はいるだろうか。
「くそっ、分身を出しやがった。どれが本体だっ」
壁に当たって地面に転がったところを、ディアドが重力強化で動きを封じようとしたのだが、目標物が分散してしまう。
魔法使いが戸惑ったところで、魔物は一斉に逃げ出した。
「ディアド、一番前を走る奴だ」
同じように見えて、走るスピードは少し違う。分身はわざとゆっくり走り、魔法使いの気を引く役をしているのだ。その間に本体がさらに先へ逃げようとする。
バートルが言いながら足止めしようとしたが、魔物のスピードが速くて一歩及ばない。ディアドが風の刃を放つが、わずかに魔物の背中をかすめるだけ。
さらに魔物を追い掛けるが、足止め役の分身が何体か回れ右をしてこちらに襲いかかってくる。
分身とは言っても、魔力をまとった影だ。まともに襲われれば、魔物のレベルによってはケガをしたり混乱状態にされてしまう。
影の一体が、ライトスに向かって飛びかかった。ライトスは小さな竜巻を起こして影を跳ね返す。地面に落ちた衝撃で影は霧散した。
「ライトス!」
二人の声が重なる。
「俺はいいから、追って!」
見た目は本体と同じだが、これはまともな魔物じゃない。今のでわかった。これはちょっとしたショックで簡単に消える程度のレベルだ。絶対的な優位ではないが、影の相手なら一人でも何とかできる。
「先に行ってるぞ」
「ドジるなよ」
ここで本体を取り逃がすことはできない。
そう判断したバートルとディアドは、本体の魔物が逃げた方へと走る。行かせまいとする影のいくつかは、あっさりと二人に消された。
ライトスは二人の仲間が去るのを確認すると、少し大きめの竜巻を起こした。ライトスに牙を剥いた魔物の分身は、風に巻き込まれて一気に霧散する。
他に残った影にも風の力を叩き付けた。本体の足止めのための存在なので、ちょこまか動いてうっとうしい。
だが、元々がそんなに強いものではないので、予想通りライトス一人でもどうにか片付けることができた。
「早く父さん達を追わないと」
軽く息を吐き、周囲を見回して分身が全て消えたことを確認したライトスは、もう一度周りを見回してからポケットに向かって声をかけた。
「リュディ、大丈夫?」
「うん」
ポケットの口を開けて中を見ると、リュディはひざを抱えるようにして座っていた。
「退治する魔物が見付かったから、もうすぐ終わると思うんだ。あと少しだけ辛抱して。俺がいいって言うまで、声は出しちゃダメだよ」
「わかった」
とりあえずリュディが元気そうなので、ほっとした。ポケットに入ったことなどないが、落ち着かないには違いない。リュディの具合が悪くならないうちに仕事を終えなくては。
ライトスは急いで二人が走って行った方へと向かう。もう姿は見えないが、方向はだいたいわかるのでその動きに迷いはなかった。