調達
朝になっても、やはりリュディはいた。机の上の箱ベッドの中で、まだ気持ちよさそうに眠っている。
一晩経っても、状況は何も変わっていないのだ。リュディがいてくれて嬉しいような、困るような……複雑な気分だ。
薬で妖精を小さくしてしまった。
……なんてことを父に報告するのはやはりちゅうちょしてしまい、かと言って黙ったままでいる訳にもいかず……。ライトスはリュディが元の大きさに戻ってから話をしようと決めた。昨夜から情けない程にぶれまくりだ。
捨て犬か捨てねこをこっそり拾い、親に内緒で育てている気分になってくる。
リュディはまだ眠っていたので、今のうちに朝食を済ませようとキッチンへ向かう。
「おう、ライトス。妖精のパーティはどうだった?」
朝の挨拶もそこそこに、バートルが尋ねてくる。
「え……あ、うん、やっぱりちょっと緊張したかな。本当にすぐ帰されたような感じだったし」
言われるまで、妖精のパーティのことなんて完全に忘れていた。妖精に申し訳ない。
魔法使いにとっての一大イベント、しかも初めてなのだからなおさら心に残るはずだが、ライトスにすればリュディの存在ですっかりかすんでいたのだ。
嘘の感想ではないものの、こうもすぐに返せた自分にちょっと驚く。
「そうか。回数を重ねられれば、向こうにいられる時間も長くなる。また招待してもらえるよう、妖精達に嫌われないようにするんだな」
「う、うん……」
深く突っ込んで聞かれなかったので、その点はほっとする。
嫌われないように……リュディは怒ってないようだが(それ以前に、現状をちゃんと把握しているかも怪しい)あの状態を見て他の妖精が怒らないだろうか。
「あ、向こうでパルレに会ったよ。父さんが来られなくて残念そうだった」
「そうか。ライトスは顔なじみの妖精と会えたのか?」
「えっと……うん、まぁ」
顔なじみの中に、リュディは含めてもいいものだろうか。少なくとも、初対面ではないのだが、微妙なところだ。
「父さん、具合はどうなのさ」
ライトスはさりげなく話題を変えた。このまま妖精界の話を続けていたら、どこかでボロが出てしまいそうだ。
「ああ、もう大丈夫だ。今すぐ魔物退治の仕事が入ったところで、お前達の指導に回る立場だからな。そう大して体力も使わないから、問題はない」
「そう……よかった。俺、今日はあの薬の続きをするよ」
「薬? ああ、身体を小さくする薬か。熱意があるのはいいが、害のあるような物は作るんじゃないぞ」
息子がこういう薬を研究していることは、バートルも知っている。うまくいくのかと心配する反面、実用的になるよう応援してくれてもいた。
「わかってるよ。そっちの方は一応完成した。これから中和剤の方をするんだ」
「そうか。小さくなる方はともかく、中和剤はちゃんと確実に効果のある物を作ってくれよ。小さくなったままじゃ、困るからな」
うん、まさに今、すっげぇ困ってるよ。とりあえず、小さくなる薬は成功したみたいだけど。
ということは言えないので、笑ってごまかしておく。
さっさと朝食を済ませ、ライトスは入り用の物を買って来る、と言って家を出た。
まずはリュディのリクエストだ。
時間が早いこともあり、お菓子の店はまだ開店していない。なので、すでに営業しているパン屋でみつくろう。リュディが食べたがっていたチョコクッキーだ。
ミルクはわかるんだけど、妖精ってチョコが好きだったっけ? 種族によって、好みが色々あるとか。リュディは妖精界に棲んでる訳じゃないようだし、どこかで食べて気に入ったのかな。何が食べたいって聞いて、一番に出て来たもんなぁ。買ったのはチョコチップクッキーだけど、これで喜んでくれるかな。生地がチョコ味か、クッキーにチョコがかかってるのか、チョコクッキーって一言で言っても色々あったし……。次はちゃんと好みを聞かないと。
パン屋を出た後、ライトスはおもちゃ屋へ向かった。
子どもの時はよくここでおもちゃを買ってもらったので、店主とも顔なじみだ。まだ開店の時間ではないが、彼がいつも店の前を掃除していることをライトスは知っていた。
「おっちゃん、おはよう」
「おう、ライトス、おはよう」
ライトスが小さかった頃に比べ、すっかり頭が涼しげになった店主はにこにこと挨拶を返す。
「あのさ、無理言って悪いんだけど、店に入らせてもらえない?」
世間話をする時間も惜しいので、ライトスはすぐに本題に入った。
「それは構わないが……何か急ぎで欲しい物でもあるのか?」
「うん、人形の服」
ライトスの言葉に、店主は目を丸くする。
「は? お前、まさか今になって人形遊びなんて始めたのか」
「ち、違うよっ」
とんでもない誤解に、ライトスは慌てて首と手を振る。開店時間前に来たのは人に見られたくないから、とでも思われたのか。確かにあまり見られたくはないが、理由が全然違う。
「俺が必要なんじゃなくて……」
妖精に必要、なんて普通の人に言っても、首を傾げられるだけだ。
そう、ライトスはリュディに着せるための服を買いに来たのである。
妖精の存在は知っていても、魔法使い以外で妖精の姿が見える人はごく一部。ほとんどの人は、話を聞いて想像するだけだ。
そんな彼らに、妖精が人形の服を着るなんて理解しにくいだろう。はっきり言えば、ライトスだって聞いたことがない。
リュディにいつまでもハンカチを巻き付けさせておく訳にはいかないだろう。それに、いつはだけてしまうかと思うと、ライトスは気が気でなかった。
人形のものでも、服という形を成していれば、いきなりはだけたりすることはないはず。妖精が着ている衣装の素材なんてわからないし、一時的にリュディにはこれでがまんしてもらうしかなかった。
中和剤で元に戻った時は……またシーツでしばらくしのぐしかない。
その時はバートルに事情を話すことになるし、同時にレイシアにも話して服を見繕ってもらうことができるだろう。今よりは何とかしようがあるはず。
「えっと、出先で女の子の人形の服を汚したんだ。それの代わりを渡したいから」
「ああ、なるほど。人形でも女性の服を汚してそのままなんて、そんな礼儀知らずなことはできないな」
とっさに出た作り話だったが、店主は納得してくれた。無事に店内へ入らせてもらい、ほっとする。
「それで、その子の人形の大きさはどれくらいなんだ?」
「大きさ?」
質問の意味がわからず、ライトスは聞き返した。
「人間の赤ん坊くらいの人形もあれば、手の平に隠れるような小さい人形もあるぞ」
「そ、そんなにあるんだ……」
人形なんてどれも同じだと思っていた。こんなことになるまで人形になんてまるで興味もなかったのだから、じっくり見た記憶もほとんどない。
「俺の足くらいの大きさ……より、もう少し小さいかな。だから、これくらい」
ライトスは手で大まかな幅を作り、店主に見せた。しっかり測った訳ではないが、そんなに大きな誤差はないはずだ。
「ああ、それじゃ、よくある着せ替え人形のサイズだな」
店主は数枚の小さなドレスを出してくれた。それを見たライトスは目が点になる。
「え……人形なのに、こんな細かい細工のドレスなんかあるんだ」
ビーズが縫い付けられていたり、凝った刺繍があったりと、人間のドレスをそのまま小さくしたんじゃないかと思われるようなものばかりだ。布の素材なんて見分けられないライトスでも、きっと上等だろうなと思うような布で作られている。
「もちろん。かわいいもの、きれいなものが女は好きだからな。自分の大切な人形にもそういうものを求めるのさ」
「へぇ、そんなもんなんだ。あ、今はドレスより普段着っぽいのがいいんだけど」
リュディがドレスを着たら……きっと、いや、絶対に似合うと思う。ただ、妖精がそういう服を着て、喜ぶのだろうか。
普段着もドレスも妖精に関係ないとは思うのだが、どちらにしろあまり派手な物はその分値が張る。なので、ライトスとしても気楽に買えない。
「普段着? まあ、あるにはあるが、お詫びのつもりで渡すんだろう? あまり地味だと、ケチなしょぼい男だと思われるぞ」
半分は一理あるし、半分は商売のため……と思われる店主の言葉。
「そうは言われても、俺だってそんなに羽振りよくはできないしさ。それに、こういうのって好みがあるだろうし。あまり高い物を渡したら、相手も逆に気を遣うだろ」
そうごまかし、形は普段着っぽいもので色は赤系とピンク系の二セットを購入した。薬の完成がいつになるかわからないので、ライトスとしては予備の着替えのつもりだ。店主はお詫びだから二セットにした、と思っているらしい。
礼を言って店を出ると、急いで家へ帰る。両親が近くにいないことを確認して、ライトスはささっと部屋へ入った。
自分の部屋へ入るのにノックしているのを見られたら、特にバートルが見たりしたら不審がってしまう。普段は穏やかな雰囲気のくせに、そういう観察眼はさすがと言おうか鋭いのだ。ごまかせる自信はない。
そうならないためには、最初から見付からないようにするのが最善の策である。
部屋に入ると、リュディはついさっき起きたらしく、ぼんやりと辺りを見回していた。
「おはよう、リュディ」
「……おはよ」
少し寝ぼけたような顔だが、ライトスを見て驚いたりする様子はない。ここで悲鳴を上げられでもしたら確実にアウトだが、その心配はなさそうだ。
「リュディ、きみにと思って買って来たんだ。そうやってずっとハンカチを巻いたままって訳にもいかないだろ。気に入ってくれるといいんだけど」
袋から買ったばかりの人形の服を取り出し、リュディに見せる。途端に、リュディの目が輝いた。
彼女なら喜ぶのでは、と予想していたが、ライトスが思っていた以上にリュディは嬉しそうだ。その顔もやっぱりかわいい。昨夜から何度「かわいい」と思ったことか。
「着ていいの?」
「うん。サイズがリュディに合うといいんだけどね」
と言うか、合ってもらわないとライトスも困るのだ。サイズが合わないから別のを、とまたおもちゃ屋へ行くのは気が引けるし、ほどいて縫い直すなんてできない。
まさかレイシアに頼んだら、それこそ何をするつもりなのかと疑われる。下手したら、さっきのおもちゃ屋の店主のように、この歳になって息子が人形遊びに目覚めた、なんて誤解されかねない。
もしもライトスが女性であれば、もしくは女性へプレゼントすることに慣れていれば、一緒にリボンや何かのアクセサリーも一緒に買っていただろう。
だが、実際は服を買うだけで、財布ではなく気持ちがぎりぎり。帰って来てから靴や靴下、さらに下着がないことに気付いたくらいだ。
気付いたとしても、妖精がどんな下着を着けてるかなんて、聞いたことがない。あったとしても、同じものを用意するなんてたぶん無理だ。
リュディには悪いが、当分はその服だけで、足下は裸足でいてもらわなければならない。あちこち歩かせるつもりはないので、そんなに支障はないはずだ。
靴と言えば、昨夜リュディが大きくなって服は破れたが、靴は残っている。人間がはくような木靴だ。それもどちらかと言えば粗末なもの。人間界で入手したのだろうか。妖精が木靴をはいているのを見たことはないのだが。
「ねぇねぇ、ライトス。あかいのとピンクのと、どっちがいいかなぁ」
そんなことを聞いてくる辺り、普通の女の子と変わらない。妖精も人間も似たようなものなのだろうか。
「うーん、そうだな。どっちもリュディに似合……わっ」
チョコクッキーを取り出そうと視線を外し、尋ねられて再びリュディの方を見たライトスは、思わずクッキーの袋を宙に放り出してしまった。
巻いていたハンカチを取り、リュディは一糸まとわぬ姿で服を選んでいたのだ。ライトスは慌てて後ろを向く。
こういうことがないように、服を買って来たのに……。
いくら小さくても、ほぼ大人の女性の身体には違いない。
すっかり油断していたこともあって、ライトスの心臓は魔物に遭遇した時よりも早打ちしていた。顔が熱い。
「……にあわない?」
「ち、違うよっ。どっちもリュディに似合うだろうと思って買って来たんだから」
後ろからがっかりしたようなリュディの声に、ライトスは慌てて否定する。半分は自分の平安のためでもあるが、リュディを喜ばせたいがために買って来たのだ。
「えっと、赤い方はどうかな。リュディの黒髪にとても似合うと思うよ」
「ほんと? ……ねぇ、ライトス。どうしてあっちむいてるの?」
これまでずっとこちらを見ながら話していたのに、背を向けたままのライトスがリュディには不思議らしい。
「お、男が女の子の着替えなんて見るものじゃないから」
それが妖精にも適用されるかなんて、どうでもいい。リュディは「ふぅん」などと言って、それ以上は突っ込んでこなかったので、ライトスもほっとした。
姉か妹がいれば、もう少し女の子の扱いもましなものになったのだろうが、残念ながらライトスは一人っ子である。
とにかく、昨夜のようにいきなり泣き出されないように、と願うばかりだ。
妖精との交流って、こんなに難しかったっけ? 今までは何の問題もなくできてたような気がするんだけど。特に悩んだことはなかったけどなぁ。
「ライトス、これでいい?」
リュディの声に、ライトスは恐る恐る振り返る。さすがにさっきのような状態ではないだろうと思いながら、それでも万が一のことを考えて慎重に。
「あ……」
赤い襟と袖口に、ふんわりした長袖の白いブラウス。赤いフレアスカートは白のレースが裾に縁取りされて。ドレス程の華やかさはなくても、これなら文句は出ないだろうと選んだ服だったが、実際にリュディが着ると想像以上に似合っている。
「すっごくかわいいよ、リュディ。こんなにかわいい女の子、見たことない」
ライトスにとっては真実だ。もっと賞賛したいのだが、かわいい以外の言葉が出て来ない。自分の語彙力のなさに、ライトスは心の中で歯がみする。
「ごめんね、リュディ。かわいいって以外に言葉が出て来ないよ。もっと色々ほめたいのに」
だが、リュディの方はかわいいと言ってもらえたことで満足したらしく、嬉しそうに笑った。
くそっ……どうしてこんなに小さいんだろう。人間サイズなら、リュディのかわいい姿がもっとよく見られるのに……って、俺のせいか。
あんな薬を机に置いていたことが、とにかく悔やまれる。あれさえなければ、両親に隠れてこそこそする必要もなく、リュディの姿ももっと拡大(?)した状態ではっきり見られたのに。
とにかく、今は過ぎたことをあれこれ悔やんでも仕方がない。今はこの状態を少しでも早くリセットさせるために動かなければ。