リュディとの再会
白い肌に肩までの黒い髪、大きな緑の瞳をしたかわいい少女の顔が見えた。
リュディだ。やっぱりここにいた!
しゃがんだから現れたのか、しゃがむことでそれまで見えなかったものが見えたのか。
この際どちらでもいい。とにかく、リュディがすぐそこに現れてくれたのだ。その視線は、間違いなくライトスへ向けられている。
「リュディ、だよね?」
ライトスが尋ねると、小さな頭が前に揺れる。
思った通りに十年前のままだ。いや、ほんのわずか成長しただろうか。自分の目もあの頃とは違うから、感じ方の違いでそう思えるだけとも言える。
実際がどうであれ、リュディのかわいらしさは変わっていない。それだけで十分、感激ものだ。
初めて会った時も思ったけど、やっぱりかわいいなぁ。時間が経って思い出が美化されてるんじゃないかと思うこともあったけど、今もかわいいままだ。
世の中には、リュディのような幼い少女に対して異常に興味を持つ人間もいるようだが、ライトスの場合はひとえに「リュディ」が好きなのである。
彼にとっては初恋の君なのだから。
「俺、ライトスだよ。わかるかな。俺が七歳の時、ここに来てきみと会ったんだよ。俺のこと、覚えてる?」
答えてくれるだろうかと思いながら、ライトスは尋ねた。
「……うん、おぼえてる」
意外とも言うべき答えが返ってきた。
普通なら、質問に対して答えがあってもおかしくはない。だが、相手は人見知りするらしい妖精だ。これまでの様子からして、覚えていたとしても小さく頷くか、無言のまま見詰めてくるだけかと思っていたのだ。
下手すると、あの日のようにその場から逃げ出すのでは、とまで考えたりしたのだが、リュディは小さな声だがちゃんと言葉で答えてくれた。
うわ……何かすっごく感動した。たった一言なのに。
これだけで、ライトスは今日ここへ来た価値がある、と本気で思う。魔力の向上うんぬんは、申し訳ないが二の次だ。
あの日は名前だけしか聞けなかった。なので、声についてはかなり記憶があいまいだ。でも、今と同じ声を聞いたように思う。小さな子どもの、どこか舌足らずな言い方で高い声。
ああ、声もこんなにかわいかったんだなぁ。
「この前はごめんね。父さんが急に出て来たから、驚いただろ? あの時は俺が勝手にこの世界へ入って来たから、父さんも焦ってたんだ。魔法使いじゃない人間がここへ来るのは少し危ないから」
ライトスの言葉に、リュディは少し戸惑った様子で首を傾げる。
「今はもう大丈夫だよ。俺、あれから勉強してちゃんと一人前の魔法使いになったんだ。妖精界への招待状もちゃんと受け取って、自分でここへ来たから。リュディともう一度、ゆっくり話がしたかったんだ」
自分の状況と気持ちを伝えるが、リュディの表情を見ているとどこまで伝わっているのかちょっと不安になってくる。理解してくれているのだろうか。
それでも、こちらの話は聞いてくれているようなので、とりあえずライトスはそれでよしとしておいた。まずはお互いをしっかり認識するところからだ。
「ライ……トス……」
「ん? 何だい」
小さな赤いくちびるから、自分の名前が紡がれる。これまでに感じたことのない喜びが身体を駆け巡った。
会いたかった相手から名前を呼ばれるのは、こんなに嬉しいことなんだろうか。リュディがどうしようもなく愛しくて、駆け寄って抱き締めたくなる。
本当にそんなことをしたらリュディはもちろん、他の妖精達からも怒りを買ってしまうかも知れないので、ライトスはその衝動をどうにか抑えた。
他の妖精は小さいから女の子が持つ着せ替え人形みたいにも思え、抱き締めたくなるまでには至らない。それ以前に、妖精に対して愛しいという感情は起きないのだ。
しかし、リュディはその気になればぎゅっとできそうな身体の大きさだから、なおさらライトスは抱き締めたくなってしまうのかも知れない。
もっとも、ライトスはしゃがんでいるのですぐには駆け寄れないし、リュディは木の陰からこちらを見ているだけで動かないので、とても距離を縮められそうにないが。
「どうして、おおきくなったの?」
「え……」
リュディに名前を呼ばれたことで少し舞い上がりかけていたが、その質問にライトスは面食らう。
「どうしてって……えーと、人間は子どもから大人になると大きくなるんだ。個人差はあるけどね」
リュディはまた戸惑った様子で首を傾げた。どうやら自分が聞きたかった答えではないらしい。
「あ、それはわかるか。えっと……あ、時間の流れ方が違うってことは知らないのかな。どう違うかってことは、俺もよく知らないんだけどね。ここと俺達の世界では時間の流れ方が違うから、妖精から見れば人間はすぐに歳を取るんだ。それで俺も歳を取った……というか、大きくなったんだよ」
説明を聞いてリュディは首を傾げることはなかったものの、その表情を見ている限り、ライトスの言葉をあまり理解できてない様子だ。やはり幼い容姿だと、妖精でも見た目通りにそれなりの理解力なのか。
普段顔を合わせる妖精達とは、大人同士のように会話ができる。それが当たり前だと勝手に思っていたが、生まれて間もない……とまではいかなくても、それに近いということならそううまくいかないのだろう。
難しい言葉を使ったつもりはなかったが、それでもわかりにくかったのか。だったら、どう説明すればいいのだろう。
そもそも、ライトス自身がリュディの質問の意味を理解しかねていた。
どうして大きくなったのと言われても、一言で説明するなら自然の摂理としか言いようがない。もし「どうやって」という意味だったとしても、やはり自然だから、ということになってしまう。子どもから大人になれば、生物は大きくなるものだ、と。
悩んでいたライトスがふと何かの気配を感じて横を見ると、扉が現れていた。
誰に言われなくても理解する。帰るための光の扉だ。以前来た時も、バートルに捕まって少ししたら、こんな感じで扉が現れていたのを思い出す。
そう言えば、来た時はこの世界に気を取られ、扉がいつ消えたかなんて気にしていなかった。
「え、もう……?」
ここへ来てから、まだそんなに時間が経ってない気がする。少しうろうろしたものの、人間のパーティで言うならウェルカムドリンクを飲んで招待客達と少し話を始めたくらい……のような。
とにかく、まだ自分の中ではこれからが本番だと言うのに。驚きと落胆がライトスの上に落ちてくる。
だが、来る前にバートルから言われていたのだ。最初は短いぞ、と。
ライトスは実質「二回目」だが、それは例外。魔法使いであっても最初は身体を慣らすだけの意味もあって早く帰されるのだ。
子どもの時のライトスみたいなことにはならないにしても、妖精界を漂う魔力は人間に強い影響を及ぼす。だから、おかしな作用を起こさない前に帰されるのだ。
聞いていたからこの状況をわかってはいるが、やはりがっかりする気持ちは隠せない。
ライトスは小さくため息をついた。扉が現れた以上、帰らなくてはならない。
「やっとリュディに会えたと思ったのに、もう帰る時間になったみたいだ。ごめんね。きみにすれば、前回も今回もすごく慌ただしい時間になっちゃってるよね」
会えたばかりなのに。実りのある会話を全くしていない。いや、これからしようと思ったのにできなかった。
リュディの口から聞いたのは、三言だけではなかったか。質問の答えと呼びかけと質問。
こちらからリュディについては何一つ聞けていない。やはり暮らす世界が違う相手と話すことは難しいのだ。
「また来年、呼んでもらえたらきみに会いに来るよ。たぶん、リュディにとってはすぐだと思うから」
ライトスの言葉に、リュディが悲しそうな表情を浮かべる。はっきり言葉にしなくても、もう帰ってしまうのか、と彼女が言いたがっている……と思っていいだろうか。
少なくとも、また来るの? といった嫌悪の表情ではない。
そんな場合ではないが、リュディの表情を見てライトスは心の中で喜んだ。自分が好意を持っている相手に、淋しいと思ってもらえるだけでも十分嬉しい。会話に実りはなくても、この再会に間違いなく実りはあったと思えた。
リュディの中で、ライトスの存在は確実になったはずだから。
「じゃあね、リュディ」
リュディに視線を合わせるためにしゃがんでいたライトスは、立ち上がって扉の方へ向かう。扉を開いてその向こうへ、つまり自分の部屋へ足を踏み入れてもう一度リュディの顔を見ようと振り返った。
「あれ?」
さっきまでそこにいたはずのリュディがいない。影も形もなかった。
完全に木の陰に隠れたのだろうか。妖精に見送れとは言えないが、客は帰ったからとあっさり消えられるのも少し淋しい。最後にもう一度手を振りたかったのだが。
それとも、こうして人間界へ戻ると、妖精界は見えても妖精の姿がわからなくなるのだろうか。もう一度妖精界へ足を踏み入れたくなったが、それはしない方がよさそうだ。
あれこれ思いながら、ライトスは静かに扉を閉めた。行く時に光っていた自室の扉はゆっくりと暗くなり、いつものように木の扉としてそこにある。
改めて開けてみても、部屋の外にあるのは当然ながら家の廊下があるだけ。それを見ると、自分の世界へ戻って来たんだな、と確認させられた。
無事に戻れてほっとするような、とても残念なような。
「ふう……」
妖精界にいた時間はそんなに長くなかったという自覚はあるが、こうして戻って来ると本当に一瞬だったように思える。
それでも、会いたいと思っていたリュディに会えただけで、今回のパーティは十分に意味のあるものとなった。果てしなく広いであろうあの世界で、会いたい相手と会えて話ができたことは、もう奇跡と言っていいかも知れない。呼び出したことのない妖精だから、なおさらだ。
日記でもつけておくか。
毎日の習慣にはしていないが、こういったイベントの時などはノートに書き付けるようにしている。今日のことは絶対に書き残しておくべき出来事だ。
そう思いながら、部屋の中の方を向いたライトスは、何かの視線と気配を感じた。
「ええっ?」
思わず後ずさり、閉めたばかりの扉に当たる。まだ明かりをつけていないので部屋は暗いが、窓からわずかながら月明かりが差し込んでいるので真っ暗ではない。
そのぼんやりした部屋の中に、小さな影があった。ライトスの腰辺りにてっぺんが届くか、というくらいの小さな人影が。
その影の形にまさかと思いながら、部屋を明るくする。
「リュディ……」
間違えようもない。ライトスにとって、本当に特別の存在なのだから。
ライトスの部屋にいたのは、確かにさっきまで妖精界で話をしていたリュディだった。