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妖精界

「……え?」

 普通に扉を通り抜ければ、本当なら廊下へ出るはず。だが、ライトスは屋外に立っていた。

 間違いなく、ここは昼間で外。屋根などで遮られることもなく、暖かな光が降り注いでいた。話を聞いていてある程度の予想はしていたものの、やはりこの状況には驚いてしまう。

 ライトスは周囲を慌ただしく見回した。ここは明らかに家の周囲ではなく、時間も違う。

 あ、あれって……。

 以前、父が呼び出したところを見たことはあるが、その時と同じような背中に透明な羽のある小さな生き物が飛び交っている。あれは間違いなく妖精だ。

 それを見て、驚きは歓喜に変わる。

 ぼく、妖精界へ来たんだ!

 見たところ、これと言って特別な風景ではない。目の前には広々とした草原が広がり、花が咲き乱れ、その向こうには大きな湖が見える。振り返れば遠くに雪を戴く山がそびえ、そのふもとには森が広がる。

 見える植物も木々も、ライトスは名前も形も知らないがどこにでもありそうなものばかり。もちろん、知っている植物もたくさんある。空を飛ぶ鳥達も、変わった鳴き声ではないし、頭が二つあるというのでもない。

 どこからか、熟した果物のような甘い香りが流れてくる。

 言ってみれば、人間界にもありそうな大自然が広がっているだけ。人間界にもありそうな景色、とバートルが言っていたが、本当にその通りだった。こんな美しい景色をライトスは見たことがないが、人間界にあっても不自然ではない。

 しかし、妖精達の数は……恐らく人間界では見ることができない程だ。

 あちこちで妖精達の背中の羽がきらきらと光り、遠目だと宝石でも降っているのではと思わせる。

 あちらの方で飛んでいる妖精は羽虫のようにも見えるが、本当の大きさはきっとすぐそこに見えている妖精達と似たようなものだろう。地面を歩いている妖精もいるが、サイズの差こそあっても人間よりずっと小さく、きゃしゃだ。

 人間界で、こんなに妖精が集まっている場所があるとは思えない。もしここが人間界だとしたら、余程の穴場と言えるだろう。

 しばし妖精界の景色にみとれていたライトスだが、我に返ってもう一度周囲を見回す。

 すぐにバートルの姿を見付けた。だが、父はこちらに背中を向けて妖精の誰かと話しているらしく、後をつけて来た息子には気付いていない。

 よし、今のうちに。

 その隙にと、ライトスはその場から走り出した。せっかく来たのだ、すぐに連れ帰られてはつまらない。

 幸い、走り出したライトスにもバートルは気付いていなかった。

 所々で、大人の姿を見かける。バートルと同じように、妖精界へ来た魔法使いだろう。肌や髪の色が見慣れない人もいるが、きっとよその国の人だ。本当に色々な所から来ているのだとわかる。

 見習いの魔法使いが妖精のパーティへ来ることはないと聞いているので、ライトスのような幼い子どもの姿はないようだ。彼らはライトスには気付いてないのか、単に無関心なのか。今はどちらでもいい。

 腰まであるまっすぐな金髪の大人が、こちらを見ていることに気付いた。少し離れているので男性か女性かわからないが、とてもきれいな人だ。

 ライトスがそちらを向いたことで目が合っているはずだが、向こうから声をかけてくる素振りはなかった。ライトスは見とがめられる前にその場から離れる。

 人目を避けようと動くうち、ライトスは草原が広がる所から大きな木がぽつぽつと立ち並ぶ所へ来ていた。見た限り、どこにでもありそうな木だが、これにも実は魔法の力があったりするのだろうか。この辺りには魔法使いもいないようだ。

「ん?」

 ふいにライトスは、こちらに向けられる視線を感じた。木の陰からのようだ。ライトスがそちらを向くと、やはり誰かがこちらを見ている。

 魔法使いではなかった。それなら妖精なのだろうが、今まで見た妖精達より少し大きい。

 ライトスがこれまで見た妖精は数こそ少ないが、みんな身長が大人の顔の大きさとそう大差なかった。ここで見た妖精達も、姿は大人でも身長はその程度の大きさばかりだ。

 一方で目の前にいる妖精はライトスより小さいが、それは身体のサイズだけでなく、見た目年齢も少し下のように思われた。

 つまり、人間サイズでライトスより年下の子どもである。

 わ……かわいい……。

 木の陰からこっそりとこちらを見ているのは、少女だった。肩まである真っ直ぐな黒髪に、丸く大きな緑色の瞳。真っ白な肌は陶器みたいだ。

 大地の妖精だろうか。それとも、緑の妖精かも知れない。今のライトスにあるのは、父から聞いた付け焼き刃の情報と絵本からの知識だけ。なので、彼女がどういう種族の妖精かは判断できなかった。

 正面から見たところ、羽はないようだ。でも、飛ばない妖精もいると聞いた気がするし、さっきも歩いている妖精を見た。飛ぶ妖精よりは明らかに身体が大きいから、きっとそういう種族なのだろうと勝手に推測しておく。

 そんな羽の有無なんかよりも、ライトスにとっては少女のかわいらしさの方がずっと重要だ。

 今まで見た妖精達もみんな美しかったが、人間で言えば十代半ば以上の姿に見える妖精ばかりだった。なので、ライトスにとっては歳の離れたお姉さん的な感覚だったのだ。

 大人ならその美しさに心惹かれるのだろうが、子どもにその美しさはまだ理解しきれない。

 でも、そこにいる少女は、子どもながらに惹かれてしまう、幼いなりの美しさがあった。

 もっとも、ライトスに美しいという単語は思い浮かばず、ただひたすらかわいいと思うばかりである。ルットの街にもかわいい女の子はもちろんいるが、この少女のかわいさはダントツ。

 ライトスの個人的好み、という部分もあるが、実際に少女はかわいかった。どこかはかなげにも見え、それが少女の美しさを引き立てているようにも思われる。

 ぼくより年下に見えるけど……妖精はすごく長生きで、だから子どもに見えても父さんより年上だったりするって聞いたっけ。本当かな。どう見ても四つか五つくらいの女の子にしか見えないんだけど。

「こんにちは」

 ライトスは思い切って少女に声をかけてみた。

 自分は魔法使いではないし、招待状をもらっていない。つまり、妖精のパーティに招かれざる客だ、という自覚がある。なので、こちらの世界へ足は踏み入れたものの、ライトスはこの世界の物に手を付けたり、妖精に声をかけたりするつもりはなかった。

 でも、目の前にいる少女とどうしても話がしたいという欲求にかられ、黙っていられなかったのだ。

 木の陰からこちらを覗いていた少女は、ライトスに声をかけられたせいか、びくっと肩を揺らす。

「あ、ごめんね。おどろかせるつもりはなかったんだ。ぼくはライトス。よかったらきみの名前、聞かせてくれない?」

 ゆーっくりと少女の方へ近付きながら、ライトスは相手を怖がらせないよう、穏やかな口調で尋ねる。

「……」

 少女はライトスの方をじっと見ている。子どもとは言え、人間に警戒しているのだろうか。

 全ての妖精が社交的で友好的ではない、ということはバートルから聞いている。妖精にだって、警戒心が強かったり引っ込み思案な性格があるのだろう。

「えっと……ここにいるのが変だって思ってる? うん、本当は父さんが招待状を受け取ってるんだ。ぼく、まだ魔法使いでも何でもないんだけど、どうしてもここへ来てみたくて、こっそり入り込んだんだ。もしかして、そのことを怒ってたりするのかな」

 少女は小さく首を横に振る。その表情は怒ると言うより、戸惑っている感じだ。

「……リュディ」

「え? あ、リュディがきみの名前?」

 小さな声で少女が言い、ライトスが聞き返すと小さな頭が前後に揺れた。ちゃんと答えてもらったことで、ライトスの顔に笑みが浮かぶ。妖精界へ来るまでのどきどきとは違うどきどきで、テンションが上がった。

 名前を教えてもらっただけなのに、どうしてこんなに嬉しいのかな。

「かわいい名前だね。きみにとっても合ってるよ」

 言いながら、ライトスが一歩踏み出した。もっとリュディに近付き、彼女のそばで話したかったのだ。

 しかし、それを見たリュディは、突然その場から走り出した。

「あ、リュディ! 待って」

 そんなに大きく踏み出したつもりはなかった。ゆっくり動いたつもりだったのに。それでも、リュディを驚かせてしまったのだろうか。

 ライトスはその後ろ姿を追い掛けようとしたが、いきなり腕を掴まれて動きが止められる。彼女が緑の妖精なら、草か枝でも伸びて来たのかと思って振り返ると……そこにはバートルがいた。

「ライトス! どうしてお前がここにいるんだっ」

 どうやらリュディが逃げ出したのは、バートルがライトスに近付いて来たのを見たからのようだ。ライトスはリュディの方に集中していたので、背後の気配など全く気付いていなかった。

 いや、今はそれよりも。

 思いの外、早く見付かってしまった。バートルがいるあの草原から多少なりとも離れたので、もう少しくらいなら時間が稼げると思っていたのだ。大人と子どもでは距離感が違うことに、この時のライトスは思いもよらない。

「子どもがいたと話している妖精がいたからまさかと思ったが……。お前、父さんが気付かずに戻っていたら、どうやって帰るつもりだったんだ」

「あ……」

 言われるまで、ライトスはそんなことを全く考えなかった。行くことばかりを考え、帰り方を聞いた覚えがないことに、遅ればせながら気付く。

 招待状を受け取り、世界をつないだ扉から妖精界へ行く。

 それは何度も聞いて知っているが、どうやって帰るのか。

 使った扉をまた使えば、とも思うが、ライトスがこちらの世界へ来て周囲を見回していた時、通って来た扉は……消えていたような気がする。

 あの時は妖精界へ来たのだ、という興奮でそんなことはまるで気にしていなかったが、扉が消えてしまっては自分の世界へ戻れない。この二つの世界をつなぐのはあの扉だけなのに。

 他の魔法使いが使った扉を使えば帰れるかも知れないが、とんでもなく遠い国に出てしまうこともありえる。

 父に叱られ、とんでもないことになるところだったのだと知って、ライトスは今更ながらに青くなった。

「あなたの子だったの、バートル」

 その声で、ライトスは父の肩付近を飛ぶ妖精に気付いた。

 青みがかった銀色の真っ直ぐな長い髪と、薄い青の瞳をした妖精。

 バートルの名前を知っているので、顔見知りの妖精といったところか。ライトスはちゃんと顔を覚えていなかったが、バートルが呼び出した時に見た妖精かも知れない。

 どちらにしろ、しっかりとお互いの顔を見るのは初めてだ。

「ああ。すまない、パルレ。私の不注意だ。こっそり潜り込んだらしい」

 気が付くと、ライトスは荷物のようにバートルの小脇に抱えられていた。もう逃げる気はこれっぽっちもないのだが、そう言ったところで解放してはもらえなさそうだ。

「ふふ、いたずらっ子ね」

 バートルがパルレと呼んだ妖精は、ライトスの目の前に飛んで来た。ライトスが手を伸ばせば届く所まで近付いたパルレは、捕まえられるかも、といった恐れは全く持っていないようだ。

 逆に、あまりに近い所で妖精を見ることになったライトスの方がどきどきしてしまう。

「もうこんなことしちゃ、ダメよ。あなたは害がなさそうだから世界も受け入れたみたいだけれど、もし危険だと世界が判断していたら大変なことになっていたわ。入ろうとした扉から跳ね返されて、倒れた時に打ち所が悪ければ大けがか……死んでたかも」

 人間で言えば、二十歳前後といったところだろうか。サイズが小さいのはともかく、美人のお姉さんに笑顔であっさりとそんな怖いことを言われ、ライトスはさらに青くなる。

「こちらの世界へ来たければ、魔法使いになりなさい。そうすれば……んー、もしかしたら招待状が届くかも知れないわ」

 父と同じようなことをパルレは言うが、妖精の口から言われると重くのしかかる。この世界へ来るには、やはりそれが絶対なのだ。

「ちょうど帰る時間が来たようだ」

 どうしてそんなことがわかるのだろうとライトスが思っていると、今までなかった扉がすぐそばに現れていた。行く時に通ったのと同じ、光の扉だ。

 いつの間に、どこから出て来たのだろう。来た時の扉は、草原にあったのに。

 これは父の扉だ。父のための扉。父がここにいるから、ここに現れた。父が草原にいたままなら、扉も草原に現れていただろう。この扉を使って父は帰り、ここであの少女と話していた自分は……。

 そう考えて、ライトスは改めて青くなる。

「ライトス、何も持ってないか? この世界の小石一つ、葉っぱ一枚でも持ち帰ることは許されないんだ」

「も、持ってない……」

 ただ歩いただけだ。それからリュディを見付け、少しだけ話して。この世界に来てから何も触ってはいない。転んだりもしていないから、いつの間にかポケットに小石が、ということもないはず。……たぶん。

「ん……そうね、何もなさそうよ」

 パルレがライトスの周囲を飛び回り、確認した。妖精なら、もし何か持っていてもすぐに気付くのだろう。

「そうか。パルレ、今回のことで息子に何か罰のようなものは……」

「ないわ。心配しないで、バートル。この子はちょっと迷い込んだだけよ」

 脇に抱えられているのでライトスから父の顔は見えないが、雰囲気からして安堵のため息をついたようだ。ライトス自身もほっとする。

 招待状なしにこっそり入った自覚はあるが、まさか罰があるかも、なんて考えたこともなかった。せいぜい、父に叱られるだろう、くらいで。

 しかし、抜け落ちていただけで、そういう可能性は十分にあったのだ。ここは妖精界。どこかの富豪が催しているパーティとは全く違う。この世界にとって、自分は確かに招かれざる客なのだから。

「では、また。騒がせて本当に済まなかった、パルレ」

「気にしないで。たまにはこういうのも楽しいわ」

 そう言って、妖精は笑う。その言葉を聞いて、親子は改めてほっとした。

「あの……パルレ、ごめんね」

 バートルに抱えられたまま扉を通る時、ライトスは首を曲げられるだけ曲げて妖精に謝った。どうにもならない体勢のため、ライトスの目に妖精の姿は映らなかったが、手を振ってもらったような気がする。

 帰ってから、ライトスは想像通りに父からこってりしぼられた。

 だが、妖精界の気に(あた)ったのか、その後熱が出て三日間寝込むことになったのは想定外だった。

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