招待状
ここは……どこなの?
とても広い。最初に思ったのは、ここがとにかくとても広い、ということ。
村から街へ行くまでの道はこれと言って面白いものが何もなくて、その途中に草原が広がっているだけの所があるのは知ってる。そこから見えるのは、遠くにかすむ山や森の影くらい。
でも、ここはその道じゃない。
ここはその草原よりも広くて、目をいっぱい開いても全てが映せないのだ。
きれいな黄緑色の草が一面に広がっていて、そこに色とりどりの花が数え切れないくらいに咲いている。名前や形を知ってる花より、知らない花の方が多い。こんなに広い花畑を見るのは初めてだ。
その向こうに見えるのは湖だろうか。それとも、本でしか見たことがない海かも知れない。果てしなく広がっている水面。
行ってみたい気もするが、そこまではたぶんとても遠いように思える。水と空の境目はどこだろう。
ほんの少し向きを変えると、粉砂糖をふりかけたような山が見えた。食べたら本当に甘いかも知れない。
その山を目でなぞれば、ふもとに広がる濃い緑の森。
どこからか、甘い果物の香りが流れてくる。食べなくてもわかった。熟していて、絶対においしい。
声に気付いて上を見れば、飛んで行く小鳥達。心なしかその声は、普段聞くよりも楽しそうに感じられた。
もしかしてここは夢の世界だろうか、なんてことを考える。それなら、全ての物が鮮やかに、でも優しい色をしているのも当然な気がする。
羽がある小さな人達が、あちこち飛び回っているのも。
ぽつぽつと大人の姿も見えるが(彼らの背中に羽はない)どんなに走っても、どんなにはしゃいでも、どんなに声をたてて笑っても叱ってくる人はいない。ここが騒いでもいい場所だからなのか、夢の中だからなのか。
ここはどこ?
しばらくして周囲を見回すと、大人は誰もいなくなっていた。
でも、小さい人達はまだいる。小さい人達だけがいる。
そして……夢はいつまでも覚めない。
☆☆☆
ルットと呼ばれる街の、とある家。
鳩を小さくしたような、白い鳥が開いた窓から飛び込んで来た。
「あ、父さーん、鳥が入って来たよ。あの白い鳥」
ライトスは、自室にいるであろうバートルを階段下から呼ぶ。少し遠い声で返事があり、予想通り父の部屋の扉が開く音が聞こえた。
バートルが階段を下りる音を聞きながら、ライトスはテーブルの上に止まってじっとしている小鳥を濃い青の瞳で見詰める。
「ねぇ、ぼくが父さんに渡すよ。ぼくがあずかってあげる」
ライトスが言いながら手を小鳥の方へ伸ばすが、逃げる素振り一つ見せない小鳥は知らん顔だ。ライトスが捕まえれば手の中にすっぽり入りそうな小さな身体のくせに、お前と話をするつもりはない、とでも言いたげな態度。
その様子に、ライトスは頬をふくらませる。
「もう、信用ないなぁ。ぼく、魔法使いの息子だよ」
ライトスが訴えたところで、小鳥の態度は変わらない。見ていると置物にも思えてくる。
「受け取りたいなら、妖精達に認められる魔法使いになるんだな」
その声と同時に、ライトスは大きな手で頭をぼふっと押さえられた。降りて来たバートルだ。
小鳥はその姿を認めると、待ってましたと言うように小さく一声鳴く。羽づくろいするように頭を自分の胴体に向けると、透明で薄い花びらのようなものを取り出した。
どうやって隠していたのか、自分の身体よりも大きなそれは、よく見ればうろこのようだ。りんごサイズで、丸に近い楕円形をしている。表面は光が当たるとオパールのようにも見え、とても美しい。
小鳥はそれをバートルに向ける。バートルは戸惑うことなく、小鳥からそれを受け取った。
バートルがうろこを手にしたのを確認すると、小鳥はわずかな羽音をたててテーブルから飛び立ち、窓の外へと向かう。ライトスがその後を追い掛けて窓の外を見るが、小鳥はすぐに消えてしまった。
飛び去って姿が見えなくなったのではなく、宙に溶け込むようにして消えたのだ。あとはライトスの柔らかな栗色の髪を、風がわずかに揺らすだけ。
「あの小鳥、どこへ帰ったの? 妖精のいる所?」
ライトスは完全に小鳥が消えてしまったと知ると、父の方を振り返って尋ねた。
「たぶん、そうだろうな。小鳥がどこから来てどこへ帰るのか。父さんも聞いたことがないから、本当のところは知らないが」
言いながら、バートルは小鳥から受け取ったうろこを胸ポケットに入れた。
バートルが受け取ったのは、妖精界への招待状である。
一年に一度。春めいてくるこの季節に、魔法使いの元へあの白い小鳥によって妖精から送られて来るのだ。
全ての魔法使いに、という訳ではないらしく、妖精に認められた魔法使いに限定されているらしい。
人間界とは似て非なる妖精界。
妖精界と呼ばれてはいるが、そこにいるのは妖精だけでなく、竜や魔獣なども存在する。そこへは人の力で行くことができず、妖精に招かれなければ足を踏み入れることはできない。
いつの頃からか、妖精はそんな自分達の世界へ魔法使いを招くようになった。
その鍵となるのが、バートルの受け取ったうろこだ。
これは竜のうろこ……だと言われている。もしかすればうろこのように作られた物かも知れないし、妖精界に存在する全く別の何かかも知れない。
真相は妖精達しか知らないが、魔法使い達の間では竜のうろこということになっている。妖精達も便宜上、竜のうろこと呼ぶようになってきた。
妖精達は竜のうろこを招待状として使い、魔法使いの元へ届ける。魔法使いはそのうろこが光り始めた時、自分が通れる任意の扉の鍵穴にそれをかざすのだ。
そうすることで扉は二つの世界をつなげ、魔法使いは自力では行けない妖精界へ足を踏み入れることができる。
誰がいつ頃から言い出したのか、魔法使い達は妖精界へ招かれることを「妖精のパーティ」と呼ぶようになった。
パーティと言っても、ごちそうやお酒が並んでいたりはしない。ダンスもしないし、特にこれというイベントはない。
顔見知りの妖精や、同じように妖精界を訪れた他国の魔法使いと少しばかり会話をする程度。およそパーティらしくない。
彼らにとって、妖精界へ行けることが重要なのだ。
たとえ短時間でも魔力に満ちた世界にいることで、魔力のレベルが上がる。もしくは、同じ魔法を使っても、魔力や体力の消費量が少なくて済むようになる。
こういったとてもありがたいメリットがあるので、魔法使いと呼ばれるようになった者は妖精からの招待状を心待ちにするのだ。
ライトスの父も、こうして招待状を受け取っている。若い時から受け取っている、と聞いているのでかなりの回数になるだろう。
どんな所なのかとライトスは何度もバートルに尋ねるが、探せば人間界にもありそうな景色が広がっている、と答えるだけだ。
魔法使い達が足を踏み入れている場所は妖精界のいわば入口付近らしく、奥へと入ればもっと違う景色が広がっているのかも知れない。だが、そこまで行くことは妖精達も許可してくれないため、世界の全体図というものは誰もわからないのだ。
それに、無理して奥へと踏み込み、妖精の怒りを買って二度と行けなくなるのは困る。誰もそんなリスクを冒してまで、妖精界の全貌を見ようとは思わないのだ。
「ぼくも妖精界に行ってみたい」
さっき小鳥から招待状となるうろこを預かろうとしたのも、自分が受け取れば行けるかも知れない、という子どもらしい思惑からだ。
もっとも、小鳥は渡すべき相手である魔法使いにしか招待状を渡さない。単なる七歳の少年でしかないライトスがどれだけ言ったところで、受け取ることはできないのだ。
「それじゃあ、がんばって魔法の勉強をしろ。まずは魔法使いと呼ばれるようになってからだ」
「でも、魔法使いになったからって、絶対に行けるんじゃないんでしょ?」
「そのようだ。どういうルールで決めているかは知らないが、妖精の中でこのレベルに達したら、という基準があるんだろう」
基準もわからないのに、どうがんばればいいのか。ライトスにはどうも納得できない。
がんばって魔法使いになったとして、それにも関わらず招待されなければがんばり損ではないか。
魔法を悪用しない、とか、人間や妖精のために働くことができる……といった魔法使いが招待されるのでは、などと言われているらしいが、それはあくまでも人間側の勝手な解釈。妖精がこういう点で合格したら招待する、と説明してくれた訳ではない。
少なくとも「悪徳魔法使い」と呼ばれる者は行ってない、と知られている程度だ。盗んだり奪ったりした招待状で妖精界へ行った魔法使いはいない、と言われているからである。
「あらあら。ライトス、何を難しい顔をしているの?」
眉間にしわを寄せている息子を見て、母のレイシアが笑いながら声をかける。
「ほら、マフィンが焼き上がったわ。おあがりなさい」
「うんっ」
魔法使いの話はひとまず横に置き、ライトスは焼きたてのマフィンに手を伸ばした。
☆☆☆
夕食が終わると、ライトスはさっさと自分の部屋へ入った。
ベッドのシーツをめくると、そこにクッションやカバンなどを置き、その上にシーツをかぶせる。表面を少しならし、いかにも人が寝ているような形になるよう細工した。
部屋の明かりを消すと、音がしないようにそっと扉を開けて外へ出る。
階下から両親の話し声が聞こえるのを確認し、ライトスは静かに父の部屋へと近付いた。ゆっくりノブを回し、扉を開けると中へ滑り込む。
暗い部屋の中を進み、昼間のうちに隠れ場所にと決めておいた本棚の陰に身を潜めた。
父の部屋へ勝手に入ると叱られる、という訳ではない。ライトスはバートルに内緒で、妖精界へ潜り込むつもりなのだ。
以前、何気なく聞いた中に、父が妖精界へ行く時に使っているのはこの部屋の扉だ、というのがあった。今回もきっとそうだと見越し、ライトスは父の部屋に隠れて待つことにしたのだ。
悪いことをするつもりはない。ただ妖精界を見たいだけ。普通に言っても昼間のように「魔法使いになれ」と言われるだけ。何度ねだっても、連れて行ってやる、という言葉が父の口から出ることはない。
魔法使いには興味があるものの、勉強が大変らしいということくらいはライトスも知っている。何度か父の魔法書を広げてみたが、目がちかちかするばかり。
目指したとしていつなれるかわからないし、魔法使いになれたとしてもそれまでに年単位かかるのは明白。
さらに、なったからと行って確実に招待されるとは決まっていないのだ。招待状がいつ来るか、本当に来るかなんてわからないし待っていられない。
だから、強行突破するだけである。
うろこが光れば、それが鍵になるというのは聞いた。ライトスにはその部分がいまいち理解しきれていないが。
とにかく、これまではうろこを受け取ったその日にバートルは妖精界へ行ったようなので、今回もそうだろう。
もっとも「これまで」と言ったところで、まだ七歳のライトスの記憶にあるのは、五歳と六歳の時だけだ。二回そうだったからと言って、三回目の今夜もそうだとは限らないのだが、今はそれに賭けるしかない。と言うか……ライトスはそうだと信じて疑っていなかった。
うろこを受け取ったその日のうちに行った、というところまでは聞いたが、それが何時頃かという詳しい部分は知らない。夕食が終わってすぐ、ではないのだろうか。
何でもない顔で自分の部屋へ戻ったフリをしたが、こうして待っているだけだと案外時間が経たないものだ。何もしない時間というのは、思った以上につらい。
ふと気付けば、ライトスはうとうとしていた。驚いて目を開けても、部屋は暗いままだ。
まさか居眠りしている間にバートルは行ってしまったのだろうか。そんなに深く眠ったつもりはないし、この部屋で音がすれば目が覚めるはず。
それとも、今夜に限って父は別の扉を使ったのか。だとしたら、どうしようもない。
今、何時頃なのかな。
暗い中で待っているから、時間の感覚などない。まして、居眠りをしてしまったから余計にわからなかった。
この部屋には掛け時計があるが、暗くて針なんて見えない。見ようとして動き出した途端、バートルが入って来たら目も当てられないので、動くこともままならなかった。部屋には秒針の音がやけに大きく響く。
こうなったら、夜明かしするつもりで隠れるしかない。
そんなことを考えていたライトスだったが、部屋の外で足音がするのに気付いた。きっとバートルがこちらへ近付いて来ているのだ。
ライトスはさらに身体を小さくし、自分の気配をできる限り消そうとする。どきどきしてきて、呼吸が少し苦しい。
やがて、扉が開いてバートルが入って来る。静かに扉が閉められた。父が妖精界へ行くまでに見付かっては元も子もないので、息をするのも慎重になってしまう。
部屋の明かりはついてないのに、なぜか父がそこにいるのがよくわかる。そっとライトスが覗くと、バートルは光を持っていた。ランプや何かとは違う光だ。
すぐに例のうろこが白く光っているのだと気付く。
わ……本当に光ってる。火も何もないのに、どうして光るんだろう。すごいな。あれが妖精の魔法?
見ていると、バートルはその光るうろこを扉の鍵穴にかざした。話に聞いていた通りだ。うろこは鍵穴へ吸い込まれ、かちゃりと鍵が外れたような音がする。バートルはただ扉を閉めただけなのに。
バートルは静かに扉を開いた。部屋の外は暗い廊下のはずだ。しかし、父が扉を開くと、そこから光が入って来る。明らかに扉の向こうは明るいのだ。
バートルが完全に扉を開くと、扉の形に部屋へ光が入る。その中に父の影ができ、その影はすぐに小さくなった。光の中、つまり扉の向こう側へと移動したらしい。
何だか不思議な光景を見ている気になったが、呆けている暇はない。
今だっ。
それを見たライトスは本棚の陰から飛び出し、光へ向かって走る。父を追うようにそのまま扉を通り過ぎた。