情事の真相
「あたしより、家族の方が大事ですか」
ラブホテルの一室でバスローブからスーツに着替える私に向かって、根本小春はベッドに腰掛けながら不満をこぼした。
「愛人とエッチしてすぐ家に帰るなんて、いくらなんでもあたしに冷たすぎると思うんですけど」
「小春には悪いけど、あんまり遅くなると家族に心配かけることになるからね」
家族に今から帰るという旨のメールを打ちながら、私はハンガーにかけてある小春の服やら下着やらを彼女に投げ渡す。
「さあ早く着替えて」
不服そうな顔をしてそれらを受け取った小春は、いったんバスローブを脱ぎ、小ぶりながらも整った形をした乳房を露出させた。
「ふつうこういう関係のカップルって、時間をずらしてホテルから出るもんじゃないですか? あたし、ここでさっきの余韻に浸っていたいんですけど」
「芸能人じゃあるまいし、女ひとりで夜のホテル街を歩かせるわけにはいかないでしょう。ほら、早く着替えて」
はいはい、と返事をした小春は私に向かって挑発的に見せつけていた胸を、慣れた手つきで素早く赤のブラで覆った。
私と小春がホテルから出ると、外を歩いている人々は訝しげな視線を私たちに浴びせた。中には、にやにやと不快な目つきで私たちを眺めている男もいる。
私が勤めるアパレルメーカーに小春が入社したのは、半年ほど前のことだった。彼女の所属された広報部で上司となった私が教育係となり、それがきっかけで休日にプライベートでの付き合いを何度かしたのち、二か月前に私が小春の家を初めて訪ねた日から、私と小春の肉体関係は始まった。
毎週金曜日、私たちは定時に会社を出るとふたりでこのホテル街に出向き、数時間の情事を楽しむ。いつも小春は私を激しく求めてくれるし、そしてそんな彼女に私は少なからず愛情を感じていた。
しかし残念ながら私にとって小春は快楽を満たす相手であって、それ以上でもそれ以下でもないし、なってはいけない。私には家庭があるし、子どももふたりいる。彼らの将来を考えると、離婚という選択肢を選ぶことはできない。そんな私に小春が不満を覚えるのも、無理のない話だ。
「立花さあん。あたし、どうすればあなたの愛を独り占めできるんですかあ」
私の左腕に手をまわしながら、小春が甘ったるい声で話しかけてくる。
「家族と縁を切ってえ、あたしと一緒になりましょうよお」
「なかなかそういうわけにはいかないよ。それに、最初に体だけの関係でいいといったのは小春のほうで――」
「だけど、そういう問題じゃないんです」
「ならどういう問題?」
私に言い返された小春はアルコールの混じった溜息を吐いた。
「いいかげん小春も、私以外の本気になれる相手を見つけなよ」
「それが難しいっていうのは、あなたが一番よく知っているじゃないですか」
「……それはそうだけれど」
ホテル街を抜けて駅の前まで歩くと、小春は私の腕から手を離した。
「別の電車でしたよね」
「うん。それじゃあまた来週、会社で。おやすみ」
そういって彼女に背を向けて改札へ歩こうとすると、小春が「立花さん」と私の名前を呼んだ。
「うん?」
小春の声に反応して振り返ると、彼女は背伸びをして私の唇に軽くキスをした。
「……おやすみなさい」
そういって小春はこの場から駆け出していった。辺りで歩いていた人々が今の私たちの様子を見て、呆気にとられた顔をしている。
電車に揺られて窓の外の夜景を眺めながら、私は小春の顔を思い浮かべた。彼女が私を愛してくれるのはとても嬉しいことではあるし、私だってできることなら彼女の愛を百パーセント受け入れたいと思っている。だが――
電車を降りて、私は家族の待つマンションへ帰った。入り口の自動ドアを通り、エレベーターで昇って部屋の前まで行くと、玄関の隣にあるインターホンを押した。するとインターホンのスピーカーから今年五歳になった娘の里奈の声が聞こえた。
「おかあさん、おかえりーっ」
玄関を開けると、里奈と三歳の息子、陸斗が母親である私に向かって駆け寄ってきた。
私は「ただいま」といって自分の産んだ子どもたちを抱いた。すると居間の方からエプロンを着た夫が現れた。
「お帰りなさい。今日の晩御飯はシチューにするから」
「わかった。私、先にこの子たちと一緒にお風呂に入ってるから」
私がそういうと、里奈と陸斗は「おふろー!」といって風呂場へ駆け込んだ。
「それじゃあ、きみがお風呂に入ってる間にシチューの準備しとくから」
「うん。いつもありがとう」
私はそういって夫に微笑んだ。
可愛い子どもたちに、誠実に尽くしてくれる夫。私は普通の女としては最高の幸せを手に入れているのだろう。だが――
私が同性愛者だと自覚したのは高校生のときだ。ソフトボール部に一緒に入っていた同級生と過ちを犯したことがきっかけだった。しかし、結局その子とは周囲にその関係が知られるのを恐れて別れてしまい、それからずっと私は女が好きであることを隠して生き続けていた。
その後、大学に入って今の夫と出会い、告白されて付き合うことになり、七年前には彼からプロポーズされ、結婚して子供を二人もうけた。
幸福な家庭を手に入れた私だったが、それでも何かが足りない――本当に愛情を注げる相手と、愛に溺れたい――そう思いながら毎日を過ごしていた。そんななかに現れたのが小春だった。
「立花さんって、レズでしょ」
初めて二人だけでご飯を食べに行ったとき、小春はそういった。
「どうしてそう思うの」
「だって立花さん、会社の女の子を見て、ぽーっと見惚れてるときあるでしょ? 判るんです。だってあたしも同じだから」
そんな小春と私が今の関係になったのも、無理のない話だった。
「どうしたんだい? ぼーっとして」
「……いや、なんでもないわ。なんでも」
私は、私を愛してくれる夫の前で、小春の淫れた顔を思い浮かべ、罪悪感と、ある種の背徳感によるなんともいえない興奮を覚えた。




