4月 勝者と敗者
ご褒美という名の罰ゲームが来るかと思いきや、幸いにも罰ゲームは来なかった。
ご褒美ではあった。
そして今、海江田先輩にご褒美を実行されているのだが…一言で言うと僕は身動きが取れない。
取れない上に、取ってはいけない気がする。
悪い事をしている訳じゃないのに、何だか…いけない事をされている様な気さえしてくる。
現在、僕は全身で海江田先輩を感じている。
恋人同士でもないのに、良いのだろうか?
倫理的にオッケー?
人によってはダメとか言われそうだけど、僕はまぁ、寛容ではあるし況してや断る理由も無いし、第一たった今行われているのはご褒美という名目上でだし、問題なんて何処にも無いと声を高らかに主張しよう。
する相手なんて居ないけど。
居たら居たで、説明するのが非常に難しいから困るんだけど。
流石に今の状態を人に見られるのは不味いよなぁ。
生徒会長としてなら、尚更。
海江田先輩にこんな事をされてる姿を見られたら、それこそ学校中に変な噂が立ちかねない。
僕が言い続けていた「ご褒美という名の罰ゲーム」が、本当のご褒美から成立しそうな可能性が出てきた。
嬉しいような悲しいような。
少なくとも、誰かに見られた時点で確実にアウト。
さてさて。
ご褒美真っ只中である僕が今、一体どんな状況で一体どんな状態なのか。
事の顛末を説明する為にも、脳内で時間を少し巻き戻して、ゆっくり思い返してみよう。
「さぁ、お待ちかねのご褒美の時間だ!」
「わーいたのしみだなー」
「凄い棒読みじゃねぇか」
「だって、何が起こるか判んないですし、本当にご褒美かどうかも怪しいですから」
「なーに、悪くねぇもん贈ってやるよ。姫島にとっちゃ、刺激が強すぎるかも知れねぇがなぁ?」
「何するつもりですか…」
「取り敢えず、扉の方を向いてくれ」
「はぁ…」
僕は言われるがまま、素直に扉の方へ向き、何の変哲もない扉を見ることになった。
「そんじゃあ…」
目には見えなくても、海江田先輩の発した一音一音で、僕に一歩一歩近付いているのが判る。
「ご褒美、開始だ」
そう言葉を発した途端に、僕の視界の左右から腕が伸び、その手は僕の胸の前で固く結ばれる。
そしてすぐ、海江田先輩の体が背中に密着したのが解った。
「ちょっ、何してんですかっ!!」
「何ってハグだよ、ハグ。推理勝負に勝った生徒会長様には、私からの熱烈な抱擁のご褒美だ。因みにこの抱き方、相手の背中からハグするのを、ちょっと昔は『あすなろ抱き』という呼び名で一時期流行ったらしいぞ?」
知るか、そんな豆知識っ!
そんな事より、何でこれをご褒美にしたかを詳しく教えて欲しい!
いや、確かにご褒美ではあるんだけどさ…。
背中で感じる柔らかな二つの感触。
目を奪われはしないものの、そこそこ大きいのは判るし、鵜久森ちゃんよりあるのは確実だと言える。
あぁ、智紘のメモに書かれてたバストの数字が思い浮かぶ。
こんな時に、智紘が書いていた数字がチラつくなんて…。
違うな…こんな時だからこそ、か。
言うほどの事じゃないし、敢えて言う必要もないんだけど、僕だって男だからね?
高校三年生の男子だからね?智紘みたいに、おおっぴらには決してしないけど、興味はあるんだよ?
無かったら、1ミリも取り乱したりしない。
この先輩はその事を解って、ハグをしてるのだろうか?
あぁ…それにしても、体が密着してるからか、ふんわりと良い匂いがする。
匂いフェチではないけれど、女子って何でこんなにも良い匂いがするんだろう?
不意にやってくるから、過敏に反応してしまう。
本当に何の匂いなんだろう?
シャンプー?香水?
香水とは違うか。
街中に漂うキツいものとは、少し違う気がする。
それとも、香水がもう少し弱かったら、女子特有の良い匂いになるんだろうか?
うーん、やっぱり分からない。
たぶんこれは永遠の謎だ。
むしろこの謎は未来永劫、解けないままで良い。
匂いの元が「実は〇〇がいい匂いの正体でした」とか思いがけず知ってしまったら、今後一生僕は「女の子の良い匂いは〇〇の匂いなんだよな」と現実を見てしまう。
女の子の良い匂いはこのままずっと"得体の知れない何か"で十分だ。
世間もこれを結論にしよう。
……今、我に返ったんだが、僕は本当に匂いフェチじゃないのか不安になってきた。
ここまで言っておいて、僕は匂いフェチじゃないと言い切れる自信が無い。
結論とか言ってるし。
現実を見てしまう、とかも言ってるし。
僕は女の子の匂いに、何の想いを抱いてるんだろう…。
そんなこんなで冒頭に至る。
推理勝負による海江田先輩からのご褒美は、後ろからのハグ、あすなろ抱きというものだった。
当然それは今も続いてる。
女子からハグされて嬉しい気持ちはあるが、身動きが取れないのは中々つらい。
果たして、僕はいつまでハグをされるのか。
「あのー、ご褒美はまだ続くんですか?」
「私の気が済むまでだ」
「それはもう、僕というより先輩にとってのご褒美なのでは?」
「嫌なのか?ハグ。もしくはアレか。ハグされるなら、もっともっと小さい小学生とかにされたいという癖の持ち主なのか?」
「勝手に僕をロリコンにしないでください」
「知ってるか?ロリコンってのは大体十二歳から十五歳、小学生高学年から中学生くらいまでをロリコンと言うんだ。小学生以下だったらアリスコンプレックス、アリコンと呼ばれる。生徒会長様はロリコンというより、アリコンなんじゃねーか?」
「見に覚えのないコンプレックスを、どんどん悪化させないでもらえますか?」
小さい子にしか興味がない生徒会長とか、風紀が乱れに乱れまくってる。
学園の風紀どころじゃなく、人として正される側だ。
もし、自分が通ってる学校の生徒会長が、そういう癖を持ってると知ってしまったら、僕は一生徒として耐えられない。
まぁ、頻繁に無茶苦茶やる元生徒会長もどうかと思うけれど。
あと、海江田先輩の知識の幅に驚かされる。
アリスコンプレックスなんて、どういう経緯があれば調べるんだ?
海江田先輩が居なきゃ、一生知る機会が無かったと言える。
それと、全く関係ない事なんだが…。
耳元で女子の声が聞こえてくるのは何か、言葉にする事が出来ないくらいに変な感じだ。
母さん以外の異性から、こんなにも耳の近くで話しかけられたシチュエーションなんて、今まで一度もない。
それは、僕のパーソナルスペースが広いからという訳でもなく、ただただ女子に縁が無かったからだ。
だから耐性も無く、変に意識してしまっている。
ていうか、耳元がどうこう以前に、海江田先輩と恋人並みの距離感をずっと保ってるのって、風紀的にどうなの!?
いや、良くはないんだけどさ、良くはないんだけど…、離れ難いよね。
ご褒美が終わるまで、大人しくしていよう。
「なぁ、姫島」
「どうしました?ハグするの、気が済みましたか?」
「まだまだだね」
「そうですか」
素っ気ない言い方をしてるけど、僕の心はバンザイをしている。
「そうですか、じゃねぇ。話を勝手に終わらせるなよ」
「へー。どこかの誰かさんは、僕をロリコンとかアリコンとか好き勝手言ってませんでしたっけ?」
「あー、そんな事もあったな」
「ついさっきのやり取りを忘れないでくださいよ」
「良いか、姫島。自分にとって都合の悪い事を何度も忘れて、人は日々、大人になっていくんだ。覚えておけ」
「覚えたくない格言ですね、それは」
「いやいや、そんな話はどうでも良いんだ。私はお前に聞きそびれた事があるんだよ」
「何です?」
「推理中、私個人に質問したろ?私が幽霊を見たことがあるかどうか、だったか。あの質問には何の意図があったんだ?」
「あぁ、あれですか。あれは僕と海江田先輩の認識に、齟齬が無いかの確認です」
「問題に対してではなく、私とお前の?」
「はい」
「ほほう、詳細を聞こうじゃないか」
背後に居ても、ニヤついてるのが判るなぁ。
「僕が質問をした理由は一つです。海江田先輩が幽霊を見たことがあるのかどうかで、問題の本質とでも言いますか、答えがどういう物なのかが判るからです」
「と言うと?」
「もしも、海江田先輩が幽霊を見たことがある場合、問題文の中にある"幽霊"というワードは、幽霊を見た経験から出されてる可能性があって、問題にも何らかの影響があると考えられます。そうなると、幽霊を見たことが無い人が、この問題の答えに辿り着くのは相当難しいと思います」
「そうだな」
「では逆に、海江田先輩が幽霊を見たことが無い場合、この"幽霊"というワードは何を意味するのかと言いますと……」
「勿体振るなよ。一体、何を意味するんだ…?」
囁くように言わないで。
纏まってた考えがバラバラになってくから。
「えっとですねぇ…この場合、問題文の"幽霊"というワードが、不自然な点になるんです」
「不自然な点?」
「見たことが無い存在を問題文に出すとするなら、それなりの理由がそのワードに含まれてないと、問題として成立しないと思うんですよね」
「何故だ?」
「だって、扉の謎にはきちんと整合性があったのに、幽霊みたいな、曖昧で不確かな存在を言葉として選ぶのは、余りにも変じゃないですか?推理問題の文章のはずなのに」
「なるほどな。そういう見方が出来るのか」
「僕は幽霊を見たことが無いので、海江田先輩との認識が一致してるのかどうか、質問したという訳です。まぁ、この質問は、海江田先輩が"お互いの認識に齟齬が出る"とか"曖昧なものは徹底的に排除すべき"という言葉を聞いて、とっさに思い付いただけなんですけどね」
「いいや、素晴らしいもんだ。私が作った問題とは言え、まさか、水平思考ゲームをそういう視点から解くとはな。それとも問題文の中に、個人的感性が入ってしまっていたと言うべきか」
「水平思考ゲームにとって、個人的感性が入っちゃダメなのか、僕にさっぱり分かりませんが、推理問題として考える部分はいっぱいあったし、楽しかったですよ」
「楽しんでもらえたなら何よりだ。あと、良い勉強にもなった。お礼にハグする時間を延長してやろう」
私からのサービスタイムだ、と上機嫌な海江田先輩のハグはまだまだ続くようだ。
勝利の美酒ならぬ、勝利の抱擁をされている僕だが、勝ったが故に怖いもの見たさが出てくる。
負けていたら、どうなってたんだろうと。
「因みになんですが、海江田先輩」
「おぅ、どうした。因まれてやるよ」
そんな日本語あるの?
聞いたことはないが、拾ったら話が逸れるから敢えてスルー。
「もし僕が、推理勝負に負けていたらの話なんですが、そうなってた時には、どんな噂を流すつもりだったんですか?」
「姫島会長は、超が付くほどのムッツリスケベだ、と」
「危うく、本当に面目丸潰れになる所だったじゃないですか!」
「おー、否定はしないんだな?冗談半分だったのに」
「うっ…」
聞かなきゃ良かった。
冗談半分だったとしても、かなりの破壊力。
エイプリルフールで言われた日には、即座撤回をお願いしたいレベルの爆弾発言だ。
そんな爆弾を、僕だけに投下した海江田先輩は、ほくそ笑んでるような気がしてならない。
見えてないから被害妄想だと言われたら、それまでだ。
それと、ムッツリスケベの件も、超は言い過ぎだとしても、嘘だ!なんてとても言えない…。
今ですら、この状況をラッキーだと思ってる自分が居るのだから…。
恐るべし、ハグ!
恐るべし、背中に当たる双丘!
予期せぬ罠に自ら嵌まり、墓穴を掘る事となった僕。
起こらなかったとはいえ、済んだ事を蒸し返すのは、止した方が良いんだなと強く思った。
知らぬが仏という言葉もあるし、諺に限らず先人の言葉には含蓄がある。
兎にも角にも、女子からハグされるなんて滅多にない機会だ。
余計な事なんてせず、されるがまま、流れに身を任せて静観してるのが得策なのかもしれな…。
ガラガラガラ、っと目の前の扉がスライドされた。
何の前触れもなく、突発的に。
海江田先輩から僕へのご褒美タイムは、扉のスライド音と共に、音を立てて崩れ去った。
ご褒美タイムが終わるだけなら、どれほど良かっただろう。
扉が開いたという事は、この光景を目撃した人が、当然そこにいる。
風紀の乱れたこの光景を、目撃したのは誰か…。
扉を開けたまま、呆然と廊下に立ち尽くしていたのは、体育館の後片付けをしている筈の鵜久森ちゃんだった。
扉がスライドされた瞬間、鵜久森ちゃんが笑顔だった気がしたんだけど、見間違いだったのかな?
鵜久森ちゃんは未だに身動き一つせず、何とも言えない表情で固まっている。
変な空気が漂う中、僕の本能が嫌ってくらい告げている。
この場から離れろ、と。
同時に、離れる事が出来ないのも理解している。
あすなろ抱きが、僕のそれを許してくれない。
行動も体もロックしている。
今や考えすら纏まらない。
どうやら、僕に与えられたご褒美の時間は、修羅場へのカウントダウンだったらしい。




