7月 7月27日② 経緯
「欲しけりゃ、酔い止め貰ってきてやるぞ?……」
「いや、大丈夫です。それに欲しかったとしても、久々に会った先輩をこき使うくらいなら、自分で取りに行きますよ」
「そうか……。確かにお前は、昔からそういうやつだ……。あんまり気にしなくても良いと思うけどな……」
空閑先輩達が卒業して早くも半年ほど経っていたが、この落ち着き払った喋り方は全く変わっていない。
声から熱量をあまり感じない故に、言い終わってもまだ何か言うんじゃないか?と思ってしまう独特な空気感。
表情が顔に出にくいタイプと知るまでは空気も相まって恐いと感じていたけど、蓋を開けてみれば全然恐くない。
むしろ凄く気遣ってくれるし、人の行動をよく見ている。
だから今も、僕の所に来たんじゃないかとも思う。
「体調が悪くないなら、あっちで頼斗も混ざってくれば良いんじゃないか?……今の生徒会のメンバーと、別で呼んだ友達もいるんだろ?……」
空閑先輩はちらほらと喋り声の聞こえる船首の方を親指で指し示す。
「それはそうなんですけど、正直今は楽しめる気持ちじゃないんですよね……状況を飲み込めなさ過ぎて」
「と言うと?……」
「自分がこんなクルーザーに乗って、無人島へ遊びに行く……なんて、普通に生活してて想像できます?」
僕は率直な感想を空閑先輩にぶつけた。
すると空閑先輩は、さっきまで僕が眺めていた海を見つめながら話す。
「まぁ、出来ないな……。俺自身も何でここにいるのか分からないくらいだ……。程度は違うだろうが、そういう点では頼斗と同じかもな……」
困惑した様子は全く見受けられないが、奇遇にも隣に同じ気持ちを抱えた人がいた。
「空閑先輩は海江田先輩にどういう風に誘われたんです?高校時代から、こういう場にはあまり参加しない印象が強かったんですけど」
「高校時代は誘われたら大体は顔を出してたぞ?……ただ海江田からの誘いは、面倒事に巻き込まれるのが多かったから拉致されない限りは断ってた……俺が二年の時、散々痛い目に遭ったからな……」
あぁ、何だ……遊びに参加しなかった原因は海江田先輩が居たからなのか。
どうやら僕が空閑先輩に対して持っていた印象は、とんだ偏見だったみたいだ。
面倒見が良い人であっても、何か起こると分かってる場に参加するのは嫌だよな。
……それならどうして、今日は来たんだ?空閑先輩。
「んで、今回誘われたのは三日前の夜だったか……。無人島に行くから来い、と経緯も説明もされずに誘われてな……。一回は断ったんだが、よくよく考えてみたんだよ……。無人島に行くってのはマジで何言ってるのか分からなかったけど、ここまで突拍子もないシチュエーションならアイツは何を仕出かすか分からないなと……」
「……なるほど」
「そうなると後々厄介な事になった時、『あの時の誘いに乗ってれば』とかは思いたくなくてな……こう言っちゃ何だが、参加した理由は気まぐれと自己満足だな……」
流石は海江田先輩に対する唯一の抑止力。
誘われなかったら、そこまで考える事は無かっただろうに。
「返す言葉として合ってるかは分かんないですけど……お疲れ様です」
「労いサンキュー……。まぁ、こうなったらアイツを監視しつつ、羽目を外せる時は羽目を外そうかなと思ってる……何せ、本当に無人島に行くみたいだしな……。こうなるんだったら、もうちょっと真面目に莉子を誘えば良かった……。海江田にご飯誘われたんだけど来る?くらいの感覚で誘ったんだよな……」
「誘い方、だいぶ間違えましたね」
随分と感覚がズレたというか、温度差があるというか。
食事と無人島、誘い方が一緒であるはずがない。
話に出てきた莉子っていうのは……空閑先輩の彼女さんだったな。
陸永 莉子さん。
空閑先輩達と同学年なのもあり、海江田先輩とも仲が良かった人。
僕が二年生の時、生徒会が無い日には空閑先輩を他所に、陸永先輩は海江田先輩とつるんでる事が多かったのだとか。
そういう話をよく聞くだけで、会った事はあんまり無いけども。
まぁ、どういう形であれ……空閑先輩も楽しもうとはしてるのか。
僕もちょっとは気持ちを切り替えて、楽しむ努力をした方が良いのかも。
空閑先輩が海江田先輩を監視するってのが気になる所ではあるけども……ってあれ?
「空閑先輩、つかぬことをお聞きしますが……」
「どうした?そんなに畏まって……」
そう言うと空閑先輩は、眺めていた海から視線を僕へと向けた。
向かい合い、僕は疑問をぶつける。
「肝心の監視対象である海江田先輩は何してるんです?」
「あぁ、今は船酔いで死んでる……」
「ええっ!海江田先輩が船酔いっ!?」
めちゃくちゃ船酔いから縁遠い感じがするのに!?
さらっと言われたけど、個人的には顎が外れそうなくらいの衝撃だよ!?
「船が苦手とかじゃないらしいんだがな……日頃の疲れとか、見えないダメージがあったんじゃないか?……」
普通に生活してて無人島に行くなんて事、自分には想像できないとは言ったが……どんな状況であれ、海江田先輩が静かにしている方が想像できない。
「今は、海江田が誘ったという大学の先輩達三人が様子を見てくれているから安心していい……。本人も『無人島に行くなんて滅多にない事だ。私は居ない者として扱え』と言ってた……」
「そう言われましても……」
気にしないなんて方が難しい。
「気持ちは分かる……。でも、自分が楽しい物に水を差す存在になるのは嫌だから、敢えて突き放しているだけだと思うぞ?……。難しい事だとしても、アイツの気持ちを汲んでやらなきゃアイツが浮かばれない……」
「別に死んだ訳じゃないですよねっ!?例え話ですよねっ!?」
「そう本気になるなよ……。冗談だろ?……」
分かっちゃいたけど空閑先輩が言うと半信半疑というか、冗談に聞こえないんだよなぁ……。
感情が表情に出にくい故に、変な心配をしてしまう。
ブラックジョークを言わない方が良い人、ナンバーワンだ。
安堵しつつ、一瞬でも信じてしまった自分のバカさを恥じて、僕は顔を空閑先輩から逸らして再び海を眺める。
強い日射しでキラキラと光る海面に視線を落とし、自然と耳に入ってくる風と波音に気持ちを落ち着かせるのも束の間。
空閑先輩はざっくりとした説明に留めていた、海江田先輩の容態について補足する。
「幸い、船酔いといっても海江田のは軽いものみたいだ……。そこまで心配しなくていい……」
空閑先輩は海江田先輩の意思を尊重して、僕が抱えている不安材料を少しずつ無くそうとしてくれているんだろう。
苦手なのは自覚しているけれど、少しでも気持ちを前向きに切り替えられるように行動しなければ。
じゃないと二人の思いを無下にする事になる。
そっぽを向いていた僕は、海から空閑先輩へと向き直る。
そして言葉にする。
「酷くないようで良かったです。……そういう事なら、楽しまないと損ですかね。無人島に遊びに行くなんて、この先無い気がしますし」
数分前の時と比べると僅かだが、僕の感情から徐々に暗雲は薄まってきている。
ほんの少し、気持ちが前向きになった……マイナスだったものがプラスへ反転した。
この僕にとって小さくも大きな変化に、空閑先輩は瞬時に察知して気付いてくれた。
「間違いない……。案外、チャンスを不意にするのはタイミングの悪い自分の気持ちだったりするものだからな……。ぎこちなくても、気持ちの切り替えが出来るだけで、見えるものは全然違ってくる……」
落ち着いた雰囲気が言葉に深みを持たせるからか、何処か説得力がある。
空閑先輩の口から出た言葉がぬるま湯のようで、じんわりじっくり……その意味が時間差で心に染み込んできた。
けれどもその矢先、発言者である空閑先輩が自ら、反対意見を述べる。
「そうは言ってもだ……。言われた通りに心の切り替えを簡単に出来るんなら、世の中そんなに生き辛くないんだがな……」
ふふっと鼻で笑う空閑先輩によって、心が浸かっていたぬるま湯に冷たい風が吹く。
一筋縄じゃないかないんだと言わんばかりに、現実が突き刺さる。
全身をぬるま湯の言葉で包み込みたい……そう思った時だった。
「こんな所に居たんだね、少年たち」
僕の背中の方から聞き馴染みのない女性の声がした。
半身になって振り向くと、デニムのハーフパンツだろうか?丈が太腿の中間くらいの物に、薄手のシャツと浅めに被ったキャップというアクティブな格好をした、僕よりも高身長の女性が立っていた。
ざっくりと計算すれば身長は空閑先輩と同等……ではあるが、よく見ると彼女はヒールを履いている。
ヒールを脱いでも僕よりは身長が高そうな感じがする。
この人は確か……。
「えーっと、梅城さん……でしたっけ?」
僕が記憶の中から絞るように伺うと、彼女は明るい表情を見せる。
「おーっ!覚えてくれてたんだ。そう、私は梅城天理。玲香ちゃんの二つ上の先輩だよ」
空閑先輩も軽く触れていたが、今回の無人島に遊びに行くにあたって海江田先輩が呼んだ大学生の先輩の一人。
大学生の先輩はもう二人いて、その人達も梅城さんの同級生と言っていた。
それはそうと……あの海江田先輩を下の名前で親しく呼ぶのを見るのは新鮮というか、少し不思議な感じ。
他に下の名前で呼んでたのは空閑先輩の彼女さんである陸永さんくらいじゃなかったかな?
水雲さんも下の名前で呼んではいるけど、梅城さんみたいにちゃん付けじゃなくて、さん付けだしな。
軽い自己紹介を終えた梅城さんは明るい表情だったが、ベースはそのままに、ちょっとだけ申し訳なさそうにする。
「だけど悪いね……私は君たちの名前を覚えてなくってさ。どっちかって言うと顔は結構覚えられる方なんだけど」
人差し指で右のこめかみ辺りをポリポリと掻く仕草と共に、小さな謝罪。
しかし、僕も空閑先輩も気にしてはいなかった。
逆に謝罪されると思っていなかった僕は、咄嗟に「あ、いえいえ。お気になさらず」と溢す。
空閑先輩も同じ気持ちだったらしく「そうですよ……。俺も、頼斗が覚えてたから名前を聞かずに済んだくらいですから……」と梅城さんへのフォローが入る。
すると、梅城さんの顔から申し訳なさはすぐに消え去った。
「そっか!じゃあ、二人の名前はあとでちゃんと聞くとして……まずはご報告だ」
どうやら僕達を見つけたのは偶然じゃなく、何かしらの要件があって探していたみたいだ。
「玲香ちゃんの体調、だいぶ良くなってきたよ。あのお嬢さんのお付きの人がくれた、酔い止めが効いてきたのかな。完全復活はまだかもしれないけど、これでみんなも玲香ちゃんも、悲しい思い出より楽しい思い出が多くなるといいな!」
梅城さんの言うお嬢さんというのは、もしかしなくても水雲さんだな。
お付きがいる人なんて特徴、水雲さん以外は考えられない。
無人島へ遊びに行くのに思いを馳せている梅城さんは、ハッと思い出したように話を続ける。
「あっ、そうそう、ご報告はもうひとつ。私達が行く無人島が見えてきたって、さっきみんなで盛り上がってたよ。到着まで、あと十分ちょっとだって」
そう言うと梅城さんは踵を返し「じゃあ、伝える事は伝えたから、私は玲香ちゃんの所に戻ってるね」と僕達の前から立ち去っていく。
誰が見ても、些細なやり取り。
他人からすれば、それ以上でもそれ以下でもない。
たったひとり……今のが転機になったなんて言えば笑われるかな?
僕が名前を伺ったくらいで、梅城さんとは会話と呼べる会話は無かったが、梅城さんからの報告は僕にとって、気持ちを良い方向に向かわせるものになった。
梅城さんの言葉はポジティブなものに溢れていた。
それは海江田先輩から頼まれたのか、はたまた梅城さん自身の意思かは定かではない。
ともあれ、この貴重な機会に水を差す気持ちなんかは要らないと思い知った。
海江田先輩、空閑先輩、そして梅城さんの三人によって。
梅城さんが立ち去った頃にはもう、心に掛かっていた暗雲もあらかた消え去っていたのだから。
切り替えるって本当に大切だ。
ちらほら残った余計な感情はせめて、乗っているこのクルーザーに置いていこう。




