7月 7月27日① 船上にて
7月27日。
コンクリートと人工物に囲まれて生きてきた僕には、この状況を上手く飲み込めてはいなかった。
慣れない不規則な揺れ、土でも岩でもセメントでもない足場に限られたスペース。
そして辺り一面には、白い雲と濃淡さまざまな青一色。
僕は今、海の上にいる……しかも個人が所有しているクルーザーに乗って……全く持って信じられないけども。
いつだったか子供の頃、小旅行で遊覧船やちょっとしたフェリーに乗った記憶がある。
だから船に乗る事自体が初めてではないが、それでもこの一回は片手で収まる回数の内の一回だ。
とはいえ、それは行楽地の川だったり、数十人から数百人が乗るスペースのある大きな船での経験だけ。
クルーザーの種類や、この船の大きさがどれくらいの物なのか知識が無い故にさっぱりだが、過去に僕が乗った船の中でも確実に小さいのは確か……。
いや、実際には大きいんだけど、全長とかで示すならという話である。
こんな現実味のない状況に身を置いてるんだから、言葉にしてなくったって動揺もする。
新鮮味と戸惑いがズカズカと心に入り込んで、あちらこちらでどんちゃん騒ぎ……クルーザーが出航して三十分経ったと言っても落ち着きはしない。
ここに乗っているのは僕を含めて十四人。
生徒会メンバーだけで搭乗するはずがないとしても、少しばかり人数が多い。
理由を説明するには三日前のあの日……海へ行く話が上がったあの生徒会室まで遡る。
あの日、水雲さんが退室してから数分後
……電話を終えたのであろう水雲さんは、笑顔とも、しょんぼりとも違う、何とも言えない顔で生徒会室に戻ってきた。
YESか……NOか……現段階では察するには難しい。
ガラガラガラっとスライドドアを閉めるや否や、着席もせずに水雲さんは僕達に事の結果を言い渡す。
「お待たせしました。別荘の件、結論から申せば一応はOKとの事です」
水雲さんの言葉にいち早く反応したのは、願い出た本人である海江田先輩だった。
「よっしゃあ!」
海江田先輩は喜びを全面に表したのだが、先に結果だけを述べた水雲さんは慌てて補足する。
「あー、すみません玲香さん。お父様から許可は出たんですけど、日程がちょっと自由に決める事が出来なくてですね……」
「ん……と言うと?」
少し曇った表情で説明をする水雲さんが言葉に詰まると、次の言葉を促した海江田先輩。
「先ほどにも話しましたが、その別荘はお父様とお父様のご友人数人が共同出資で購入した物で、お父様だけの一存では決められない部分がありまして……既にもう八月からは別荘を使用する予定が入ってるらしく、空いてるのが明日から三十日までの六日間しか無いそうなんです」
「ほう……んで、問題はそれだけか?水雲」
「いえ、あともうちょっと……」
「なら丸々話してみろよ。全部聞いてから判断しようじゃねぇか」
さっきまでの喜びは何処へやら。
しかしながら、申し訳なさそうにしている水雲さんとは対照的に、海江田先輩が口調や振る舞いでこの場の空気を和らげた。
「はい。問題は残りの日数でして……場所が無人島なのもあり、クルーザーやその他手配におよそ二日。あと別荘なんですが、最後に使ったのが三ヶ月以上前なので清掃を入れるとして最低でも二日……最悪三日は掛かるだろうと。そうなるとちゃんと使える日が一日あるかないかという話なんですが……お父様からの提案がひとつありまして」
水雲さんの視線が海江田先輩から、僕や鵜久森ちゃん、雅近へ見渡すように移っていく。
「別荘の清掃を私達でやるなら、クルーザーの手配が整う月曜から使う許可をこっちで取り付けると。もちろん、清掃の為の人員も最低限の人数ではあるけど、こちらから派遣すると言ってくれたんですが……みなさん、どうでしょう?」
話し終えると水雲さんは僕達の顔色を窺ったが、一拍置いて雅近が口を開いた。
「どう考えても、全然アリじゃないっすか?別荘と無人島を貸してくれる条件が、別荘の掃除って事でしょ。別荘の規模に依って掃除の大変さは変わりますけど、許容範囲じゃないっすか?」
賛成的意見を言った雅近に、顎に親指と人差し指を添えて考えていた海江田先輩が同調した。
「私も全然アリどころか、対価としても破格だと思うぜ。お願いしてる側とはいえ、至れり尽くせり、おんぶに抱っこも悪いしな。自分達で出来る事を自分達でやるってのは、物の道理だ」
両者の意見に反論は出ず、僕と鵜久森ちゃんは静かに頷く。
周りの顔色を窺っていた水雲さんは、表情が一気に明るくなる。
「本当ですかっ!?そう言ってもらえて嬉しいです……!一緒に遊びに行きたい気持ちと同じくらい、みなさんに雑用を押し付けるようで心苦しかったんです」
曇った顔をしていたのはそれがあったかららしく、不安が解消した今、すっかり安堵している。
「それじゃあ私、早速この事をお父様に伝えてきますね!」
「まぁまぁ待て、水雲」
落ち着いて一息入れた水雲さんは踵を返して退室しようとしたが、海江田先輩が呼び止めた。
振り向き様にクエスチョンマークを浮かべる水雲さん。
「棚ぼただったが取り敢えず、場所の確保は出来たと見ていいな。じゃあ次はメンツの話だ」
ここまで僕と共に静観していた鵜久森ちゃんだったが、海江田先輩と同様に待ったを掛ける。
「メンツの話ってなんです……?ここに来てまさか、貴女が行かないとでも言うんですか?」
鵜久森ちゃんの発言に、海江田先輩なら言いかねないなと想像したけれども、そんなサプライズは無かった。
「いいや、行くさ。けども私にも、やりたい事はあるんだよ……内緒ではあるがな」
やりたい事……?海江田先輩が言うと意味深に聞こえる物で、何かを企てているんじゃないかと一瞬だけゾワッとした。
僕は恐る恐るその内容を聴いてみようとしたが、タイミングは相手である海江田先輩の手で……もとい声で失ってしまう。
「この話はさておいてだ。今の生徒会メンバーで作れる思い出もあと2ヶ月ちょっと……三年生に至っては学園生活を送るのも限られてきた。だから今回、思い出作りも兼ねてお前らを誘った訳だ。内心、別荘を借りられる事になるとは思っても見なかったがな」
海江田先輩は笑みをこぼしながらも話を続けた。
「それにだ。たまたまとは言え、無人島に遊びに行くなんて機会なんてそうそうあるもんじゃない。それなら他の来れそうな友達でも誘って、みんなで遊ぶ方が良いと思わねぇか?私はやりたい事の為にもそうしようと思ってるし、そうしたい。ついでに言えば別荘の掃除をするのだって、人手が多い方が何かと好都合だろ?」
やりたい事……と言われる度に気になる所だけど、この口振りだと聞いても教えてくれる感じではない。
海江田先輩の発言を聞く限り、各々の友人を誘って楽しもうって事……なのかな?
自分の友達を誘うのは良いとして、その反面、知らない人も来る可能性があるとなると少し面倒だな……。
初対面の人が多いと変に身構えてしまいそうだ。
けれど、清掃の人手を増やすのを踏まえたこの意見に、僕は口出し出来る立場ではない。
この決定権を持っているのは、この場だと所有者の一人がお父さんである水雲さんだ。
否定も肯定もせず、様子を窺うように静観をしていると水雲さんは意見を汲み取り、総括をした。
「つまり、生徒会のメンバーだけじゃなく色んな人とひとつ屋根の下、別荘で思い出作りをするって事ですか……?……ふふっ、それは面白いかもしれませんね!」
人との関わりを苦にしない社交的な水雲さんらしい。
昔よりは随分マシになったとはいえ、内省的な僕とは違う。
「それじゃあ私は、今からお父様に連絡してきますね!人数の件は増えるかもしれないと伝えておきます」
そういうと水雲さんはこちらに背を向け、退室する。
見ただけでウキウキが隠せてないと分かる背中に、海江田先輩が言葉を投げた。
「おう、よろしくなー」
すっかりリラックスした雰囲気で投げられた言葉は、水雲さんの耳には入っただろうが、言い終わる頃にはスライド式のドアが閉まっていた。
リアクションが無かった事を気にする事もなく、海江田先輩は何人で行くかの話の補足を始めた。
「んじゃあ、水雲の父さんにダメって言われたらそれまでだが、私らは友達を何人くらい誘いたいか決めておこうぜ。水雲が別荘の話を進めてくれてる間にな」
ここで僕は心の内で、意外とそこら辺の節度は持っていたのか……と感心してしまったのだが、当然言えるはずもなかった。
言ったら話が逸れて長引きそうだったし、何より僕がどんな目に遭うか分からなかったからだ。
後者の方が段違いで重要度が高い。
海江田先輩への感心によって、友達を誘うかどうかを考える時間に出遅れた僕だったが、誰よりもその決定が早かったのは鵜久森ちゃんだった。
「私は、友達呼ぶの遠慮しておきます。こういうのに呼べる感じの友達じゃないんで」
淡々とした表情で言う鵜久森ちゃん。
あまりにもあっさりとした口調が気掛かりだったのか、海江田先輩が突付く。
「こういうのに呼べる友達じゃないって何だよ。友達になったばかりで誘いづらいとか、そういうのなのか?」
「そんなのなら良かったんですけどね。ともかく、私は遠慮しておきます」
鵜久森ちゃんは海江田先輩に目を合わせる事をせず、若干呆れてるような雰囲気があった。
「ふーん、そっかよ」
海江田先輩はそれ以上の追及はせず、鵜久森ちゃんから話の矛先を雅近へと変えた。
「鴻村、お前はどうだ?」
雅近も鵜久森ちゃん同様、考える素振りは全く無く、すぐに返答した。
「自分も誘うのはちょっと……すいません」
無愛想ではあっても友人には困らない雅近にしては、これは意外な返事だと思った僕だが、後になって本人に聞いたところ、雅近は友人から生徒会の女子二人を紹介してほしいと定期的に頼まれるのだとか。
そんな友達を誘うのは、雅近も流石に面倒だと思ったのだろう。
返事を聞いた時は判然としなかったけれど断るのも無理はない。
「何だよ二人とも、ちっとノリが悪いんじゃねえか?私は空閑ともう一人くらいって思ってたのによ……あっ、それならもう少し、誘うやつ増やしても良いかも……?」
海江田先輩は少しムスッとした顔をしたのも束の間、斜め上の天井に目を遣り考え事を始めた。
同時に僕も脳をフル回転させていた。
海江田先輩の口から、聞き馴染みのある名前が耳に飛び込んで来たからだ。
そして思い当たる節があり、僕は海江田先輩に質問した。
「くが……?。くがって、もしかして空閑先輩ですか?」
僕はただ普通に聞いただけなのに、海江田先輩は説明するのを面倒臭そうにして、質問に答えた。
「言わなくても分かるだろ?そんなの。元生徒会副会長、空閑千慧……それ以外、誰が居るんだよ」
「……まぁ、そうですね」
これに関しては単純に僕が馬鹿だったかもしれない。
故に、相槌程度しか言葉を返せなかった。
海江田先輩の右腕と言っても過言ではない当時の、つまりは先代の生徒会副会長。
鵜久森ちゃんと雅近は数回しか会った事もなかったので、二人はハッキリと顔が思い出せていないご様子。
比べて僕と水雲さんは二年生時代、大変お世話になったのだが……こういう誘いに喜んで来る人だったっけ?と思いはした。
廊下でお父さんと話をしている水雲さんが聞けば、目をキラキラさせたであろうこと間違いなしだ。
残念ながら、タイミング的にその瞬間に立ち会えはしなかったけれど。
僕の返事の後に少しの沈黙が生まれたが、順番はやはり回ってくるもので友達を誘う件について聞かれてない僕へ、海江田先輩から質問が飛んできた。
「それはそうと姫島はどうなんだ?お前は誰か呼べそうなのか?」
「あぁ、そうですね……」
質問が来る前から、もっと言えば話が出た時から、友達を誘うなら誰を誘うかはうっすらと考えていた。
呼んだとして本当に来るかは分からないが、僕なら多分……。
「誘えるとしたら……二人くらい、ですかね?」
気兼ねなく誘えるのは、あの二人だ。
「おっ、良いねぇ。姫島がちゃんと誘うなら、私だけが友達を呼んじまったなんてシチュエーションにはならなそうだな!」
「相手の予定次第になるとは思いますけどね。そこまで日がないですし」
「そりゃそうだな」
何だかんだ話が上手くまとまった時だった。
生徒会室のドアがスライドされ、水雲さんが中へ入って来た。
「お待たせしました!無人島の使用許可ですが、お父様からOKが出ました!」
ニッコリ笑顔で僕達に伝えると、話し合いはここから急加速。
水雲さんのお父さんからは、掃除を含めた日程で良いならと、諸々(もろもろ)の手配だけじゃなく手厚い支援もしてくれる事になった。
支援の内容はざっと4つ。
「水雲家からはクルーザーの運転手を含めて、三人の使用人を手配する」
「友人は何人くらい誘うのかは分からないが、使用人を含めて二十人以内にする事」
「掃除用の物や三泊四日分の食料はこちらで用意するから、気にしなくていい」
「別途で用意したい物があるなら、前日までに申請、当日の持ち込み検査も承認するなら許可する」
……という内容だった。
細かい所はまだ少しあるが……正直、寛大にも程がある。
こうして、話し合いもほぼほぼ終わり、あっという間に当日になった訳だが……。
三日前の出来事を振り返ったとしても、やはり現実味がない。
それでも海の上を疾走する反動か、ちいさな波が影響してるのか……船体の揺れによって日常の感覚を奪われてくのが唯一、これは非日常なんだと体が教えてくれてるのかも知れない。
いや、もしかするとただの船酔いかも……。
「どうした、頼斗……。気分が悪いのか?……」
船酔いどうこう関係なく、船体の右舷からずっと海の先を眺めていた僕に掛かる声。
僕を下の名前で呼び、熱量があまり感じられない喋り方……この心地良いまである低い声も懐かしい。
女子から人気があったのも頷ける。
同じ男である僕ですら、その声に憧れるレベルで良い声なんだから。
海の上、船の上で僕に声を掛けてきたのは、海江田先輩が誘う人物として名が挙がっていた元生徒会の副会長。
海江田先輩をバックアップし、生徒会で彼女の抑止力となった唯一の存在……空閑千慧だった。
「欲しけりゃ、酔い止め貰ってきてやるぞ?……」




