7月 タイトル「急転直下」④
「まず、男はホテルに一泊二日で宿泊。けれど一日目は何もせずぐーたらしてたんでしょう。何故なら男は、翌朝から丸一日遊ぶ予定だったからです。そして翌日、起きた男は寝ぼけながらも時計を見たのですが時間は七時。アラームが鳴る予定の少し前に起きた男は、カーテンから漏れる日差しに気付き、カーテンを開けると海と一緒に見れる朝日に感動した。満足行くほどに朝日を堪能した後、少しゆっくりしようと思いながら時計を見ると……起きた時は七時だったはずなのに、いつの間にか九時に。男は見間違いをしたんです……ホテルの時計がデジタル時計で、朝の七時と九時を。しかもアラームは設定をするのを忘れてたので鳴るはずもなかった……二重のミスです。真ん中と下の横線を見落とした男は、感動した後に時間をちゃんと見ていればと後悔。遊びに行く予定も、気持ちを切り替えられず満足に実行できなかった……どうっすかね?」
僕は言葉が出なかった。
雅近が出した回答の緻密さに、何と形容したら良いのか分からない。
ここまで作り上げられた回答が不正解だったら、僕はこれ以上の物を提示しなきゃならないのか……。
というかもう、これが正解だよ絶対。
「あー、良い線は行ってるなぁ……でも不正解だ」
違うの……?えっ、嘘でしょ?
最高峰の答え、出ちゃってるのに……?
エベレストを登頂した人に「もっと上を目指せ」と言われてるようなものなんだけど……ハードル高いってものじゃないよ……?
「お世辞を抜きにして、とても良いんだがな……めちゃくちゃ────おっと、いけねぇ……危うくヒントを増やすとこだった」
何してるんだよ海江田先輩の自制心っ!
もう少し頑張って!ヒントをベラベラ喋らせて!
ヒントのひとつやふたつじゃもう、どうにもならない所まで来てるんだからこんなの……!
高く見積もって、せいぜい五合目レベルの答えしか出せる自信が無いんだからさ……。
回答を考えなきゃ行けない心、雅近の回答がとんでもないクオリティに焦ってる心、あれが不正解という事実にテンパっている心の三つ巴で、僕は声を発する事が出来ていない。
僕からの嘆願書は喉の途中で、ひしめき合ってる三つの心から通行止めを食らっている。
「あれこれ口を滑らしてしまいそうだし、ちゃちゃっとヒントに行くとするか」
必要以上のヒントの漏洩を危惧して、海江田先輩はそそくさとゲームを進行させた。
だが、正解への道標をくれるにしては、どこか歯切れの悪い物言いとなる。
「……とはいえだ。鴻村の回答はかなり惜しくてな。正直、私は何も言いたくない。このまま、残りの三人で力を合わせて頑張れ!……と言いたいまである。でもルールを追加したのは私だし、最終局面で『自分の都合が悪くなったから強行だ』なんて言えるほどガキじゃない。約束は守る、が……ヒントはさっき出したヒントの追記とさせてくれ。それほどまでに正解が近いんだ」
譲歩を望む海江田先輩に、僕達から異議はなかった。
僕に至っては、未だ例の三つ巴から解放されていない。
海江田先輩は僕達から抗議の声が上がらない事を確認すると、そのままヒントの提示に移った。
「異論が無いなら言うぞ。前のヒントの時、私は男の行動の中での間違いが"どういう間違いなのか"には言及しなかったが、それをここで断定する。男がした間違いは……"勘違い"だ」
僕の脳にまた新たな情報がインプットされ、ビリヤードみたく他の情報をパンパンと弾いてゆく。
理想はパズルのピースがパチパチと嵌まる感覚だが、理想だけあって言わずもがな程遠い。
「あと正解についてだが、大まかな所は抜きとしてキーとなる部分が当たったら正解とする。問題は男が『感動と後悔をした理由』だからな」
ま、この局面まで到達したから出来る措置なんだがな、と補足に補足を重ねる海江田先輩。
僕は貰ったヒントを元に回顧する。
男がした間違いの種類は勘違い……だとすると、さっきの雅近の回答にあった"見間違い"は当然、正解に近いキーの部分じゃない。
それなら、正解に近いというのは……シチュエーション?
このシチュエーションに勘違いを組み込めば……。
「そろそろ大詰めかもな、ヒヤヒヤが止まんねぇよ。さぁ姫島、お前の番だ……ずっと黙って考えてたのは知ってんだからな。経験者の意地、見せてくれるのかねぇ?」
その為に僕は情報に惑わされながらも、こうして考えてきた。
でも、もう少し時間が欲しい……あと少しで何か分かりそうな気がするんだ。
取り敢えず、姑息だけど時間稼ぎをしよう。
「ちょっとだけ──」
待ってくれませんか?……と僕が言おうとした時だった。
僕のお願いを遮って、たった一文字がこの空間に投げ込まれる。
「あっ……」
あまりにもハッキリと聞こえた母音。
それは発したのは、斜め上の天井を見つめている鵜久森ちゃんから漏れ出た声だった。
無論、みんなの視線は鵜久森ちゃんに集まる。
ぽかーんと開いた口、天井に突き刺したまま動かぬ視線、なのに間抜けとは思えないその様相。
そんな鵜久森ちゃんを視界に入れてから、ずっと見続けていると……徐々に理解する。
「あー……どうやら解っちまったようだな、鵜久森は」
鵜久森ちゃんへの気付きを言葉にしたのは海江田先輩だった。
最後の十巡目、どうであろうと僕も鵜久森ちゃんも最後の番。
直感だけど水雲さんの番は回って来ない。
僕が外しても鵜久森ちゃんが当ててくれる……なのに何だ?この感覚は。
これは余興……遊びのはずなのに……。
いくら待っても安堵はやって来ない。
望んでいるものとは別で、僕の元には代わりにプレッシャーがドドッと押し寄せてきた。
プレッシャーの波が、既に千錯万綜している思考を鈍らせる。
考えろ……考えて回答をまとめないと……せめてキーポイントになりそうな箇所を──
「そうなのっ?音寧ちゃん、分かっちゃったのっ?」
……羅列してみようか。
犯罪には関わりがない……計画は一人で……現実でも起こり──
「って事は会長が不正解なら、鵜久森が正解するってことっすね……。本当に正解かは怪しいっすけど」
……起こり得る……感動も後悔も景色……しかも短時間で……天気は──
「鴻村は黙ってて!雑念が入るっ!」
……天気は晴れって、ダメだっ!こっちにも雑念が入って来る!情報が上手くまとまらないっ!
そのまま僕が考えるのを止めずにいると、雅近がぶつくさ言ってるのだけは認識できたが、言葉までは把握できなかった。
それは僕の集中がより深い部分まで行けたからだろう。
……自己完結……実行できなかった……勘違い……。
これを組み合わせたら──
「ほんっとに五月蝿いっ!私の番が終わるまで静かにしてっ!」
「あのー、鵜久森ちゃん。今は僕の番だから相当待たせる事になるんじゃない……?」
「それくらいしないと、集中できないんですもん」
いや、分かる……分かるんだけどね……──って、あれ?
……ヤバい、考えてた事が飛んじゃった……あれ……?ホントに何考えてたっけ……?
反射的に鵜久森ちゃんにツッコんだのが不味かったのか、押し寄せてきたプレッシャーの影響なのかは不明ではあるが、考えていた大半が遠く彼方へ飛んで行った。
「いつまで考えてんだ?姫島。ツッコむ余裕があるなら早く答えろよ」
ここに来て更なる追い打ち。
余裕はついさっき無くなりました、後の祭りですが……。
多大な喪失感が僕の頭の中に陣取り、意識が再考へと向かない。
けれど時間稼ぎはもう限界……僕はこのまま回答に踏み切る。
「えーっとですね……男がホテルに一泊したのは前乗りをする為、なので問題は二日目の方です。男は早朝に起きてカーテンを開けて綺麗な朝日に感動します。その後です。えー……男は時間を見ようとスマートフォンを開くと、ふと日付に目が行きました。慌てて過去のメールを開いた男は絶望します。それは、男が計画していたアクティビティを実行する日は二日目ではなく、一日目だと気付いたから……以上です」
やり切った……僕はやり切った。
あり合わせの物だけで拵えたには上出来だと思う。
分かりきってるけど……果たして正解か不正解か……。
「うーん、不正解だな」
自分の予想が外れる事なく、海江田先輩からは順当な答えが返ってきた。
そのままの流れで海江田先輩が続けて話す。
「シチュエーションはいい。鴻村の真似と思われるかもしれないが、ほぼほぼ正解だからこの部分はそのままで良いんだ。問題はやはり後半だな。何つーか、ありきたりに感じたんだよ。理由は分かんねぇんだけどな。どうしてだろうなぁ──」
すると、訝しむ海江田先輩に食い気味で、雅近が話に割って入る。
「会長がした回答の後半ですけど、シチュエーションがちょっと違うだけで、ほとんどが副会長の内容と同じですね」
雅近がそう言うならそうなんだろう。
真似たつもりは無いけども、ふっと頭に浮かんだ言葉を上手い具合に整えただけだ。
あの土壇場では、これしか方法がなかった。
「なるほどな。私がありきたりだなと思ったのは、回答そのものに既視感があったからか。口で説明しづらい理由が自分でも解ったぜ」
どうやら海江田先輩自身、ありきたりと感じた理由にピンと来てなかったみたいだが、雅近に発言によって謎は解消したようだ。
次は僕達の目の前に出されている謎を、どうにか解消したいところ。
とはいえ僕はもう回答権を失くしてしまった身だから、僕の手で解消する事は不可能だけれども。
「スッキリした所でヒントをやろうと思うが……これで最後になるかもしれないんだよな。となるとバランスを調整するのが難しい……困ったもんだよ」
ヒントに悩み、挙げ句の果てには微笑を浮かべる海江田先輩。
すると、次の番の鵜久森ちゃんが挙手をして「私から提案があります」と一言。
「ほぉ……何だ、鵜久森」
海江田先輩は耳を傾ける。
「ヒントですが、私からの質問に一つ答えて貰うっていうのはどうですか?これだったら『YES』か『NO』かを答えるだけですし、それに私としては欲しい確信が得られる。ヒントの提供として悪くないと思うんですけど」
鵜久森ちゃんの提案とは、回答者自身が一つ質問する、という至ってシンプルな内容だった。
これには海江田先輩も即決する。
「そいつは良いなぁ、面白い……採用だ!」
鵜久森ちゃんの提案は無事に可決された。
このタイミングで自分のしたい質問をして、続けて回答も出来るのは回答者にとって、これほどないくらい有利な展開だ。
でも逆に……。
「じゃあ鵜久森、質問しな。する質問によっちゃあ、自分の回答に自信も持てなくなる可能性も高まるぞ?」
そう……質問自体が見当外れだった場合、鵜久森ちゃんの勝機はかなり低くなる。
まさに諸刃の剣だが……。
「大丈夫です。確信があるんで」
鵜久森ちゃんは頼もしい言葉で、心を惑わす言葉をはね除けた。
「そうか。茶々を入れて悪かったな。なら仕切り直して……質問いいぜ」
ニヤついた表情で海江田先輩が質問を促すと、鵜久森ちゃんは視線だけじゃなく体の向きまでしっかり揃えて、海江田先輩へ問い掛ける。
「では……この問題ですが、時間と天気は深い因果関係にありますよね?」
さっきの鵜久森ちゃんの言葉通り、本当に確信があるのだろう……質問というよりかは確認するかのようで、聞く感じではなく尋問みたく言い切った。
これは返答を一つしか求めていない。
海江田先輩の返答は……?
「ははっ……あぁ、そうだ。答えは『YES』だ」
それを聞いた鵜久森ちゃんは喜びも落胆もしない。
「ですね。分かりました」
本命の返答であろう『YES』を貰い、自信は確信に変わったようだ。
「『NO』が来ないと分かって聞いてきた辺り、余程の自信と見た。これは期待していいな……楽しみ過ぎて笑えてくる。んじゃあ……そろそろ聞かせてくれよ、鵜久森の回答をよ」
この瞬間、海江田先輩の脳内を駆け巡るドーパミンの量は最高潮に達している様に思う。
回答は不甲斐ない結果だったが、プレッシャーから解放された僕もようやく、気持ちに余裕が出てきた。
後はもう待つだけの身……ここまで来ると素直に鵜久森ちゃんの回答が気になってきた。
自然と皆の視線が鵜久森ちゃんに集まる中、鵜久森ちゃんから発せられたのは回答ではなかった。
「その前に今一度確認させてもらうんですが、さっき先輩が言ってたように、この問題って"男が感動と絶望をした理由"が重要なんですよね?」
「そうだ。その重要としてる部分さえ当たっていれば正解とする。まぁ、バックボーンがなけりゃ正解まで辿り着くのはまず無理だから、初めは言わなかったんだけどな」
僕が回答する前に言っていた事を再度、海江田先輩は話した。
「それさえ聞ければ十分です。では、回答します」
答える上での最終確認が終わり、焦らされに焦らされた回答がついに、鵜久森ちゃんの口から告げられる。
「この問題の重要な部分は後半という事なので、前半部分は会長のを引用させてもらうとして、話を少し飛ばします。二日目、ホテルに泊まった男は起床し、会長の回答と同様で男はカーテンを開きました。その時、男は綺麗な朝日だと感動したのですが……この時にもう、男は勘違いしていたんです。今見ているものが"朝日"だと……」
……?どういう事だ……?
「男は感動しきった後、スマホか室内の時計かは分かりませんが時間を確認します。そこで男は絶望します……何故なら時間が午前じゃなくて午後……男が"朝日"だと思って見ていた太陽は、昇ってきた日じゃなく落ちていく"夕日"だったんだと。これなら感動してから短時間で絶望に至ると予想できます。計画が実行できなかったのは日中にするアクティビティだったからで、夕方からだと出来なかったから。そして男は外出もしていない……。辻褄は合いますが、どうですか?」
淡々と答える鵜久森ちゃんだが……僕は何も言うまい。
海江田先輩にどうか聞いた方が早い。
「鵜久森、やるじゃねぇか……ははっ。正解だよ、文句なしにな」
満面の笑みで海江田先輩が結果を伝えると、一際大きな声が室内に広がる。
「やった!当たった!」
さっきまで淡々としていたのが嘘みたいに、目をくしゃっとさせて喜びを全面に表す鵜久森ちゃん。
その様子はまるで小学生だ……言ったら怒られるだろうけど。
しかしながら彼女は高校生……すぐに我に返る。
「おほん……まぁまぁ楽しかったですね」
取り繕ったが時すでに遅し。
僕の横に座っている雅近が容赦なく指摘する。
「何がまぁまぁだよ。今、めちゃくちゃ喜んでたろ。見てるこっちは、誰が正解したのかと思ったぞ」
仏頂面でツッコむ雅近に、鵜久森ちゃんは速攻で一言。
「うっさい、黙れ」
さっきの喜んでいた鵜久森ちゃんの姿は幻なのかと錯覚してしまう程、またもや二人の睨み合いが始まり、いつもと変わらない光景が目の前で繰り広げられる。
そんな二人を見て、終始笑顔で海江田先輩が感想の述べる。
「血気盛んなのは良いこった。若さってもんを感じるぜ」
染々(しみじみ)と親戚みたいな事を言う海江田先輩に、僕はツッコまずにはいられない。
「去年卒業したばっかりの人が何言ってるんですか。たかが一、二年しか差はないでしょ」
僕の言葉を受けた海江田先輩は、ニヤつきながら進言をくれる。
「大人に近付けば近付くほど、言ってる意味が徐々に解る。心しておけ」
……そんなものなのかな?
僕も高校を卒業したら解るようになるんだろうか。
「さてと……正解が出た所で、一応私からの正式な答えを出すとしよう。じゃねーと、適当に言ってるだけって事にもなりかねないしな。これがさっきの問題の答えだ。
男の計画とは朝からマリンスポーツをする事。
男は仕事終わりに海の見えるホテルに泊まり、翌日の日が出てる内にマリンスポーツを堪能しようとしていたのだが、寝る前にアラームをかけ忘れた男は、仕事の疲れからか爆睡。
男が起きた時は既に夕方だったが、時計より先に海を見てしまい「なんて綺麗な朝焼けなんだ」と感動。その後すぐ、男は時間を見た。
自分が見た太陽は朝焼けではなく夕焼けだと気付いた時には、アラームのかけ忘れで計画が台無しになった事に、男は後悔した。
というのが、この問題の答えだ。……って、ちゃんと聞いてるのは二人だけかよ」
未だ、鵜久森ちゃんと雅近は睨み合いをしていた。
余興の終わりを告げたのが学校の鐘の音ではなく、騒ぎ声だったのは相変わらずというか、何とも僕達らしい。




