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6月 遅すぎた梅雨明け


例の進路相談から九日経った夕方。

時間はハッキリと覚えていない。

学校帰りだったのは覚えているけれど、足取りが重かったあの日だ……乗るはずの電車をわざと1本遅らせてたりしていても不思議じゃない。


もうその日には決心していた。

母さんへ相談しようと……いや、相談じゃない……遠回しなSOSと言う方が正しいか。

僕の精神状況はそこまで逼迫(ひっぱく)していた。


生きたAIが、誰かに助けを求めるほどに。


帰宅して、気付けば僕は……リビングで自分がいつも腰掛けている椅子に座っていた。

しかし母さんは不在で、リビングにたった独り。


家を出る前は主婦らしく洗い物でもしていたのだろう。

キッチンの方からポト……ポト……とシンクに水滴の落ちる音がしていた。

その音が秒針を刻んでいるような感じがしたせいか、時の流れが異様に遅い。

日が落ちてきているのもあってリビングは薄暗く、窓から差す夕陽だけが部屋を明るく照らす……僕がいるテーブルではなく、誰もいないテレビとソファーを。

……僕に日は当たらない。

日陰者であった僕にはお似合いと言える。


日向と日陰に引かれた境界線は綺麗に部屋を真っ二つに引き裂いて、あちらの世界へ踏み入るには何らかの許可証がないといけないような気にさせる。

それが錯覚だったと気付くのは、かなり後の話。


この時の僕は余りにも要らない物が多すぎて、身動きが取れなかった。

それどころか、自分の周りにある物が要らない物だと気付いていなかった。

曇った目……そんな目で見ていたから手枷(てかせ)足枷(あしかせ)に惑わされて、自分の居る世界が牢獄だと勘違いしたまま、ここまで来てしまったんだ。

住む世界が違うと勝手に思い込んで……。


だが……すぐに、二分(にぶん)されたこの世界は一瞬にして1つの空間になる。

リビングのドアを開けた者の手によって……。


後方から扉が開く音……その直後、頭上から部屋一帯に穏やかな光が降り注ぐ。

そして……。


「うわっ、居たの!?……暗くなってきたんだから電気点けないと何も見えないわよ?」


母さんは驚きの声を挙げた後、冷静を装いつつも、日常生活に支障を来さない為の行動を僕に勧めた。


しかし僕に余裕は無く、返事どころか雑な相槌さえ出来なかった。

相談しようと決心したものの、土壇場(どたんば)になって母さんに打ち明けるのが恐くなり、頭の中はしっちゃかめっちゃかだった。


ここに居るだけで精一杯な僕は母さんの言葉を無かった事にして、背を向けたまま脈絡さえ一切無く自分勝手に話を切り出す。


「相談が、あるんだ」


声が上擦(うわず)らないように……口元が震えているのを悟られないようにと意識したにも関わらず、結局ぎこちなさを拭えないまま声を発してしまった。

僕に母さんの顔は見えない……それは母さんも同じだが、僕が無意識に発していた空気から察したのか、床に何かを置く音がすると程無くして僕の前へぐるりと回り込み、テーブルを挟む形で母さんはいつも座っている自分の指定席へと座る。


対して僕は……視線がテーブルから離れない。

母さんの目を見る事が、出来ない。


テーブルの木目は視界に入っているのにピントが合わず、テーブルを突き抜けた先を……リビングの床をテーブル越しに捉えている感じだった。


相談の席に着いてくれたというのに僕は何も言えず、あまつさえ母さんの顔を視界に入れる事が出来ないでいた。

ただ、心の何処かで、後は母さんが仕切ってくれると思っていたのだろう。

僕は相談があると伝えるだけ、それだけで良い、と……。

だが、そうは問屋が卸さない。

相談って何?と質問してきそうな場面ではあるものの、母さんは……何も言ってこない。


三人家族でもスペースに余裕のあるリビングのテーブルという限られた空間で、お互い暇を潰すでもなく、言葉も交わさないとなると嫌でも相手が何を考えているのか脳をフル回転させてしまうけれど、この時の僕はそれどころではない。

今いるリビングとは真逆で余裕など微塵もなく、頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。


(うつむ)いたままの僕に、着席してから無言の母さん。


当然、このまま話が進むなんて都合の良い展開はなく、沈黙の遥か彼方から(からす)が二、三羽鳴いているのが微かに聞こえた。

心境1つ違えば夕焼け空を眺めて1日の終わりを感じていたであろうが、僕が必死に眺めているのはピンぼけしたテーブル……生活音に包まれながら、興味のない1つのインテリアをひたすら見続ける精神状態は普通じゃない。


そのまま(いく)ばくかの時間が流れ、成立しているはずの相談の場は自然と膠着(こうちゃく)してしまう。

会話のない現状に擦りきれていた精神は更に削られていき……それも遂に、限界に達した。

無言のまま座っている母さんに恐怖を感じてきたのだが、同時に母さんの顔色を(うかが)いたくなったのだ。


ろくに顔を合わせてもないのに……と言われれば、僕は返す言葉もないけれど、リビングに入ってきて放った一言以来、口を開かない母さんがどんな形相(ぎょうそう)で僕を視界に入れてるのか気になってしまった。

見なければ落ち込みはしないのに、自ら落ち込みに行こうと僕は自傷行為に走る。

助けを求めておいて他力本願の末に1人で傷付く。


どうしようもない行動を取った。

……はずだった。

怖いもの見たさで後悔して、胸の奥底へと良くないものを溜め込み、感情と一緒に沈澱(ちんでん)させていくはずだったのに……。

ただ1つ、たった1つのイレギュラーが、それらを全て狂わせる。

狂わせ、壊して、変えていく。


僕はそろりと顔を上げ、母さんの顔を見た。

すると母さんは……嫌な顔1つせず、穏やかな微笑みを僕に向けていた。

恐らく、椅子に座ってからずっと母さんは優しい表情を浮かべながら、僕を見ていたんだろう。


僕は大きな勘違いをしていた。

無言の母さんに恐怖を感じ、想像の中では威圧的な態度を隠しつつも冷たい視線で僕を見ているものだと、そう思っていたのだが……それは自分が勝手に作り上げた感覚、いや…幻覚でしかなかった。

黒々とした曇天(どんてん)(おおわ)われていた僕の心に、糸のように細い一筋の光が差す。


母さんの顔を見てハッとした僕はその場で数秒固まった(のち)、相談事を口に出そうとした。

けれど、ほんの一瞬とはいえ心が軽くなりはしたものの、やはり自分の口から話を切り出すというのは膨大な勇気が必要になってくる。

スムーズに言葉は出てこなかったが長い道程(みちのり)の末、ここでようやく相談の内容を母さんに伝える事となる。


「母さん……僕、進学したくない」


生きてるとはいえAIに適した言葉ではないし、高校生の僕が言うのも変な話ではあるけれど、大人が言う思春期というものだからか全てに()いて両親と距離を取っていた。

普段の会話も最低限で、学校の話を振られても「別に」「特にない」としか言わず、学校関連の話題はほぼシャットアウトしていた状態で僕の口から相談話が出た訳だが、母さんはどういう想いで僕の言葉を受け取ったんだろう。

色々な含みを持たせて、母さんは言う。


「したくない、ね……。じゃあ、どうしたいの?」


怒りでもなく呆れでもなく、全てを包むようにして優しく僕の望みを尋ねてきた。

気遣い溢れる聞き方ではあるが、僕にはこれといった望みを持ち合わせていないので必然的にこう返すしかない。


「………分かんない」


僕の返答はどうしようもないというのに、母さんは僕の心の隅々まで手を伸ばしてくれる。


「…何かしたい事があったりは?」


けれど、僕が言えるのは結局の所……。


「別にない……」


これに尽きる。

何とも母さんの気遣いを無下にした答えだ。


「そう」


これには母さんも返す言葉がなかったようだった。

僕の返答は母さんを困らせてしまう返し方なのは間違いなく、ギリギリ保たれている会話のラリーもここまでか……と思いきや、ほんの少しの沈黙を経て母さんは考えと気持ちをストレートに吐露(とろ)する。


「仮に進学しないとして、やりたい事も無いとなると……残る道は自然と就職って事よね……優梨子(ゆりこ)ちゃんはあまり嬉しくはないかな」


「…………」


進学という選択を遠ざけたかっただけの僕は、進学を選ばなかった時の事を何一つ考えていなかった。


家に居て社会の何にも干渉しない、いわゆるニートにさえなるつもりも無かったが、そうなった場合、残された道は就職しかないのだと言われて気付く。

そして母さんは僕が発言しないのを雰囲気で察すると、淡々とした様子で胸中を明かした。


「労働なんて大抵は、学ぶべき事を学んだ後に生活する上で必要になってくるからするだけで、親の(すね)をかじらず、お金で人を傷付けずに、ちゃんとした生活が1人で出来るのなら別にしなくて良いと思うのよ。これは働く事を生き甲斐としてる人や、なりたかった職に就いてる人に物申したいとか、そんなんじゃないわよ?優梨子ちゃんがそう思ったってだけ、ただの偏見。学生なら尚更、目的のない労働をするくらいなら、どんな形であったとしても学業に(はげ)んだ方が良いわ。やりたい事が見つかった時に、選択肢が多くなるはずだから」


説得力のある言葉に納得してしまいそうになったが……脳は拒絶反応を起こす。

筋が通ってるのは解ってる。

僕の事を考えてくれているのは解ってる。

それでも…それでも…。


「それでも……行きたくない……」


頭で理解はしていても「行きたくない」という気持ちが勝っていた。

正論が僕の心を締め付ける。


絞り出すように気持ちを吐露すると再びの沈黙。

僅かながら気まずい空気が流れはしたが、母さんは言葉を選びつつも予想だにしない質問をぶつけてきた。


「……頼くんが本当に行きたくないのは……学校?」


この質問だけなら、僕は首を縦に振っただろう。

母さんに「そうだよ」と伝えるかどうかの微々たる躊躇(ちゅうちょ)……その微々たる躊躇の隙を突いて母さんは質問を続けたのだが、それによって僕は度肝を抜かれる。


「それとも……薦められてる進学先?」


まるで僕の心を見透かしたかのように核心的部分を突き、図星の僕は動揺が隠せない。


母さんは気付いていた。


僕が何故、進学を嫌がっているのかを。

あまりの動揺に何も言えずにいたけれど、誰から見てもその顔はイエスと物語っていたに違いない。

表情から言葉を受け取った母さんは合点が行ったらしく、確認するように言う。


「やっぱり、そうなのね」


バレたとはいえ、気軽に「はい」と言えたものではないし(うなず)く事も出来なかった。

図星を突かれて固まってしまった僕が、俯いて視線をテーブルへと落とし、どう弁明しようかと考え始めたその時……母さんの口から全てを解決に導く、都合の良い提案が飛び出した。


「だったら、そんなの蹴っちゃえばいいじゃない」


簡単に言ってくれる。

母さんだって三者面談の時に気付いてるはずだ。

あの担任の面倒臭い部分に。


「進学先なんてごまんとあるんだし、担任の先生が敷いているレールを頼くんが走る理由なんて、どこにもないわよ。進路を決めるのは他でもない頼くんなんだからね」


正論なのは分かっていた……理想的で、不自由な世界を生きる人達に許された数少ない権利と主張である事も。


ただ、現実がそれを許すかどうかは別問題。

母さんの提案を選ぼうにも、進路を(さまた)げる人物がいる。

反論するように、僕は諦めと怨嗟(えんさ)を含んだ悲しみを口からダラダラとこぼす。


「……そんなの、あの担任が反対するよ。自分の考えを押し付けてくるし、僕がどうしたいかなんて関係ないと思ってる……」


だから嫌になった。

全てを投げ出したくなった。

学校の誰とも関わりを持ちたくなくなった。


孤独が好きじゃなくても、こんな疎外感を味わうくらいなら孤独な方が幾分か楽だ。

だから……進学を捨てたのだけど……。

母さんは、僕が知りつつも目を(そむ)けていた現実を掴み、眼前に突き付ける。


「でも、その言い分だと…進学しないって知られたら猛反対されるんじゃない?」


「………」


既知(きち)ではあったとはいえ現実の厳しさを直視できず、自ずと視線を落としてしまう。

担任の推薦を断れば「何故?どうして?」と質問攻めを受けるのは言動を振り返ると想像するのは容易い。

僕が進路を選ぶにあたって最大の障害。


何か1つでも自分の中で目標があれば、強い意思を持って担任が敷いたレールを廃線し、迷いなど無く自分の道を歩いたのだろうが……。


愚痴をこぼすのはさっきの一度だけで終わるつもりだった。

()る瀬ない気持ちを吐き出しても、この場の空気を重くするだけだからと。

ただ、その一回の愚痴が二言目のハードルを下げたのか、感情の(たが)が外れてしまい心の奥底に押さえ付けていた本音がドバドバと口から溢れ出す。


「僕は……今の環境から抜け出したい……もっと言えば……今いる同級生の誰とも……一緒の学校に行きたくない……」


なかなか無茶な事を言ったものだと、我ながら感心してしまう。

自分にはどうにも出来ない無理難題を投げ付けて、あまつさえ母さんの提案を跳ね除ける……心のコントロールが効かなくなったから出た言葉だとしても言われた方は頭を抱えそうなものだが、母さんは小さな深呼吸の後、「ちょっと待ってて…」の言葉と同時に席を立つ。

いつもと変わらぬ足取りで僕の背後へと歩いて行くが、感情をコントロール出来ていない僕は、感情を爆発させた後遺症で母さんを目で追えなかった。


ガチャリとドアの開く音がしてリビングを出て行ったのが分かった。

向かったのは父さんと一緒に使ってる寝室兼自室だろう。

ドアが閉まり、母さんがどういう想いでリビングを出たのかを考えてみたが、ネガティブな想像しか出来なかった事は覚えている。

目の前の空席を見つめながら想像力を嫌な方向に働かせるも、母さんが戻ってくるのにさほど時間は掛からなかった。


再びドアの音、そして出て行く時と同じ足取りで戻ってきた母さんの手には、B4サイズほどの大きな封筒を持っていた。

快晴の空によく似た水色の封筒を。


席に座り、封筒の中からひと回り小さな冊子を取り出すと封筒に重ねてテーブルの上に置き、スッと僕の前へと差し出した。


それは言うまでもなく今現在、僕が通っている桜ヶ丘(さくらがおか)宝泉(ほうせん)学園のパンフレットだ。


「渡す必要がなければそれで良かったし、いざ助けを求められた時に成す(すべ)なしじゃ、親としてあまりにも無力かなと思って手を回してたけど、余計なお世話だとしても用意はしておくものね……。最近どうも、(より)くんが思い詰めてるような気がしちゃって……勝手にやるものじゃないのは分かってたんだけど、内緒で何校か資料請求してたの。そこにあるパンフレットはその中の1つよ」


差し出されたパンフレットを手に取り、パンフレットを見つめたまま固まっていると、母さんが桜ヶ丘宝泉学園を薦めた理由を説明してくれた。


「ここなら今の公立中学の同級生達と、進学先が被るなんて事はそうそうないはずだわ。中高一貫の進学校というのもあるけど、高校入試での合格者数は毎年数人……多くても五人らしくてね、何でも中等部からの在校生を優先してるから、高校入試の合格者を、入学する在校生全体の1%くらいに抑えてるみたいなの。その上、進学校の中でも全国有数のトップレベル……狭き門だけど全教科百点の頼くんにしてみれば相応しいと言えるし、担任の先生もそんな学校を出されたら簡単に文句は付けられないでしょ。高校受験としては、桜ヶ丘宝泉学園が恐らく最難関よ……」


僕の、無理難題と切り伏せられても文句の言えない本音に真摯に向き合うだけじゃなく、僕が(のち)に関わらざるを得ない担任に対してのケアまでしていた。


視線が自然とパンフレットから離れ、母さんの目に吸い込まれていった。

変わらない微笑みを前にして、どう言葉にして良いものか困ってしまう。


今こそ感情を爆発させる絶好のタイミングだったろうに、それをみすみす逃した僕に母さんは一拍置いてから話を続ける。


「頼くんが将来「「あの学校を選んで良かった」」って思えるなら、優梨子ちゃんは学校なんて何処だって良いって思ってる。トップレベルの学校を薦めておいて言うのも説得力が欠けるでしょうけど、世の中、学力が全てじゃないわ。頭が良い人だって悩む事はあるし、悠々自適に生きてる人がより多くの幸せを掴む事だってある。無理に頑張ろうとしなくていいの。喋って遊んで笑い合って、たまにちょっと勉強するくらいが丁度いいのよ。夢なんて別に無くていい。なりたいものなんて無くていい。子供が幸せに暮らしてくれるだけで、親は幸せなんだから。それでももし、頼くんが何かになりたいって言うのなら……いつか、頼くんの周りにいる人達が「「頼くんがいて良かった」」って思える人になって」


「……!!」


鬱屈(うっくつ)していた胸の奥底に一陣の風が吹く。

母さんの言葉1つ1つが心臓まで行き届き、突風は僕に(まと)わり付いた曇天を根こそぎ蹴散(けち)らした。

なのに何処か優しくて、温かささえ感じるその風に当てられ、心臓の奥から溢れ出る何かがあった。


表に出てしまいそうなそれを必死に(こら)えていると、母さんはゆっくりと席を立ちながら、空気を変えるように声のトーンを上げて話し出す。


「まぁ、助言になったか分からない助言だったり優梨子ちゃんの願望を色々言ったけど、あくまでも頼くんの進路を決めるのは頼くん自身よ。後悔しないようにしても必ずどこかで後悔するものだし、後悔からしか得られない経験も必ずあるわ。選ぶなら自分にとって、した後悔を笑って受け止められそうな道を選びなさい。その道を誰かが邪魔するって言うのなら、優梨子ちゃんが一肌脱ごうじゃないの」


顔を合わせる事の無いままに……母さんはキッチンの方へと歩いて行き、いつもと変わらない様子で夕食の支度をし始めた。


反対に僕はというと……未だに座った椅子から離れられずにいた。

我慢し切れず、溢れるものを噛み締めて……人生の梅雨明けへと向かう一筋の大きな雨粒はすっと零れ落ち、テーブルの木目はじんわりと滲んでいく。

こうして僕の勇気を振り絞ったSOSは、機械ではなく一人の人間とたらしめるように幕を下ろした。





その日の夜。

僕は自室で一人、母さんから受け取ったパンフレットを眺めていた。


表紙を開いた1ページ目には、白の無地の上に「生徒の自主性を重んじ、感性と個性を伸ばす」と達筆な字でキャッチコピーが書かれていた。

シンプルでありオーソドックスな言葉なのは否めないが、その達筆な字の力強さに目を奪われてしまう。


後で知った事ではあるが、パンフレットに書かれていたキャッチコピーは校長兼理事長の直筆だったらしい。

正直このキャッチコピーを目にする前から、自分の気持ちはほぼほぼ決まっていたけれど、その気持ちを確固たるものにしたのは、あの直筆の言葉だったと言える。


気持ちが固まってからは躊躇していた時とは違い、とんとん拍子に話が進む。


相談をした日から数日後。

僕は母さんに進路についてどうするかを、夕食時に自分から発信して伝えた。

すると進学先の提案者ではあるものの、少しばかり僕の顔色を窺ってる様子で確認するように聞いてきた。


「本当にあそこで良いの…?」


相談の時には出来なかったが、僕は母さんの瞳へと真っ直ぐ視線を向けて、自分の言葉を紡ぐ。


「宝泉学園が最難関だったとしても、僕は目指したい。やりたい事も全然ない。そんなやつが最難関の貴重な高校入試枠に入り込もうなんて、他の人に比べたら動機は不純だよ……。今いる同級生と被らない学校を選びたいと思うことも、たとえ母さんが正当な理由だと肯定してくれても、僕は不純だと思う……。でも一番の理由は……担任が敷いたレールなんか、僕は歩きたくない……だから最難関でも目指したい。宝泉学園に……行きたい」


数日前の相談した日、いや……もっと言えば少なく見積もっても中学の三年間で、こんなに自分の想いを言葉にした事は無いんじゃないかと思う。


それ程までに単調で面白味がない灰色の日々を送っていた事になるが、否定しようにも、考えなしに勉強に取り憑かれていた僕には、しがらみはあっても、糧になってる物なんて何も無いと思わざるを得ない。


けれど母さんは、そんな僕のひっそりと抱いていた考えを一蹴(いっしゅう)してくれた。


「ううん……目指さなくていいわ。頼くんなら行けるから、きっと」


そう、自信満々に否定してくれた。

優しさと嬉しさが混じる笑顔と共に。


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