6月 母の手の平はダンスホール
「敬語で喋るのは疲れたわ。もういつも通りで良いでしょ?はい、頼くんからOKが出ました!話を続けるわよ~!!」
僕はイエスともノーとも言ってないけど、好きにしてもらおう。
ぶっちゃけ、そっちの方が僕としても好都合。
おふざけであっても、聞き慣れない母さんの敬語は体に悪い。
「優梨子ちゃんが頼くんの言葉を信用した理由は大きく別けて3つ。細かく別ければ4つになるんだけど……何から話せば良いか迷うわね。取り敢えず順を追って話していきましょうか。その方が分かりやすいと思うし、優梨子ちゃんも話を整理しやすいしね」
「分かりやすいのに越したことないし、母さんがやりやすいなら、それで」
「どんどん素直さが無くなってきてるわね~。まぁ、いいわ。この話が終わる頃には、優梨子ちゃんに服従させてあげるんだから」
「地味に怖いんだけど。やめて?服従は」
「まず1つ目は、玄関ね」
「無視するのっ!?」
母さんは僕の進言には耳も貸さず、人差し指を立てて本題へと話を進めた。
「家に着いて玄関に入ると、あらビックリ。玄関には頼くんのサンダルしかなかったのよ」
「……それが1つ目?」
疑問を抱くような事かと僕は不審に思ったが、母さんはそっと頷く。
「そう、これが1つ目。いつもだったサンダル以外に頼くんの靴が二足…少なくとも学校用の靴が一足、玄関に置かれてるのに、よ?靴箱があっても仕舞わない頼くんがわざわざ靴を仕舞うとすれば、考えられる事は誰かを家に呼んだ……こう考えるのが自然じゃない?」
「………」
知ってはいたけど、本当に細かい所まで見られてるんだなと実感した瞬間だった。
「ふっふーん。ぐうの音も出ない感じかしら?」
「よく見てるよね、そういう所」
「何年優梨子ちゃんやってると思ってるの?頼くんは」
「あのさ…当たり前みたいに"母さんやってる"って表現を、無許可で自分の名前に変えないで」
「分かったわ。なら、役所に行って申請してくる」
「アグレッシブの権化っ!」
それを受け付ける部署は存在しないよ?絶対に。
「もう…褒めても何も出ないわよ?それはさておき……話を戻すわ。2つ目の理由は、匂いね」
そう言いながらピースサインを作る。
「匂い?」
「そう。リビングに入った時、微かに良い匂いがしたの。気のせいかな?って思うくらい微かだったけど。でもその匂い、リビングに入る前に嗅いだ事があったのよね」
「嗅いだって、どこで?」
「玄関よ。これが、さっき言った"細かく別ければ"の1つ。ふわっと香る程度だったけどリビングで嗅いだ匂いと同じだったし、リビングの方が玄関よりも薄っすらした感じの匂いだったわね。ま、動線を考えれば当然だわ」
「………」
まさかだ……少し前まで母さんの鼻を明かそうと意気込んでいたというのに、鼻を明かすどころか、その鼻に助けられていたなんて。
にしても、匂いか……盲点だったな。
目に見えない分、確実な根拠としては言いにくいけど、状況証拠が重なれば強力な証拠になり得る。
「否定しないその感じ、思い当たる節があるって顔してるわね。ちなみに、あの匂いの正体を突き止めるとしたらだけど、大人の一歩手前とはいえ高校生が香水を振ってるとは考えにくいから……普段使ってる柔軟剤か…それともシャンプーかしら?甘いのに、それでいて嫌な気持ちにさせないバニラ系の香り。選んで使ってるのは家族かもしれないけど、良いセンスの持ち主ね。匂い1つで上品さが窺えるわ」
「はぁ……」
頼んでもないのに匂いの分析をしてくれたのはいいが、コメントに評論家っぽさを感じる上に、出てきた感想の「上品さ」というワードが、このリビングにいた水雲さんと妙にリンクしていて怖いとさえ思う。
「少し話が逸れちゃったけど、これが2つ目。さぁ、ここからがクライマックス…頼くんお待ちかねの最後の1つよ。優梨子ちゃんがどこで確信したのかが焦点になるわ。で、それがどこかと言うと……」
母さんは似ても似つかないモノマネをして僕の言葉を引用する。
「……「「帰ったよ。10分ほど前にみんなと」」って言葉。これを聞いた時よ」
「ん?それが確信に繋がるって事は……"10分ほど前"ってのが鍵だったりするの?」
「ふふっ、流石は頼くん。キーポイントをしっかり掴むなんて男前よ!君晴くんの次にだけど」
別に、母さんの父さん贔屓は構わないんだけど、いらなかったよね?その補足は。
見事に上げて落とされた。
「優梨子ちゃんからしてみればこれが、頼くんの信用を確固たる物にした証言になったわ」
「それだけで?……いや、前の2つを合わせて、になるのか。だとしてもだよ。僕のこの発言がどうして確信に?」
「実は優梨子ちゃん、おとねちゃん達と会ってるのよ」
「はぁっ!?」
意外な展開に驚き過ぎて、つい大きな声を出してしまった。
「ちょっと待ってちょっと待って…えっ?どういうこと?」
「良い反応してくれるじゃない。誇張して言った甲斐があったわ」
「しないで!ややこしくなるから!」
ただでさえ情報量が多いのに。
「正確に言うと"おとねちゃん達であろう男女とすれ違った"が正しいかしら。最寄り駅から帰り道にちょっと歩いて行った先で見かけたのよ。複数人の男女が喋りながら駅の方へ向かって歩いてくのを。もちろん制服は宝泉学園のだったから、別の学校の子っていう線はゼロ。だったらあの男女グループが、おとねちゃん達なのは決まったも同然よね」
「……それは余りにも決め付け過ぎじゃない?制服は同じでも別の生徒って可能性はあるでしょ」
「ぷふっ……」
母さんは吹き出して笑う。
「何がおかしいの……?」
「否定的な意見としては在り来りだけど、この状況でそれ言うんだーと思ったら面白くて……ふふふ、おへそでミルクティーが煮出せそうだわ」
「お茶以外を火にかけないで」
お茶と違うだけでオシャレ度が急上昇だよ。
「確かに頼くんの意見は真っ当よ?でも優梨子ちゃんは、あの男女グループはおとねちゃん達で間違いないって踏んでるの」
母さんの表情は、言葉以上に自信が満ち溢れていた。
僕は理解している。
この表情をした母さんには、どうしたって勝てないと。
母さんの持っている状況証拠は、恐らく一撃必殺級。
控えめに言っても、反論する余裕もなくなる程の致命傷なのだと、僕は表情から読み取った。
ここで降参するのは簡単だが、母さんは手の内を全部見せていない。
同じ負けなら相手に全力を出させて、全力で負けるのが相手に対しての敬意ってものだ。
僕は三度、強がりを見せる。
「そこまで言うなら、母さんがすれ違った男女が鵜久森ちゃん達だって断言できる理由、説明してよ」
「いいわ、説明してあげる。頼くん、よく考えてみて?ここら辺って遊ぶ場所もろくにない住宅街でしょ?近くにあるのは小学生が遊ぶ小さな公園だけ。なのに、うら若き高校生がこんな所で何をするのかって話じゃない?優梨子ちゃんとすれ違った男女グループが近くにある公園を御用達にしてるっていうなら話は別だけど、可能性なんてゼロに近い小数点レベルよ。わざわざ電車使ってまで来たくなる魅力なんてない公園だもの」
閑静な住宅街、とでも言えば角が立たないのに、住んでるからこそのボロクソ加減。
付け加えて公園に魅力がないのも確かだ。
広くはないし、遊具も市区町村の意向で撤去されてたりして、オーソドックスな物しか残っていない。
「他に考えられるとすれば、ここら辺に住んでる子が宝泉学園に通ってる線と、宝泉学園に友達が居てたまたま遊びに来た線があるけど……正直後者だったら可能性が無いとも言えないわ。優梨子ちゃんは、ここら一帯に住んでるお子さんの友人関係を把握してるようなお局ママじゃないし。ママ友ネットワークは一応あるけど、宝泉とか有名な進学校に通ってる子が友達にいるって話は聞いた事ないわね。まぁ、そのネットワークだって完璧じゃないから、抜けだって当然あるわ。だから誤算があるとすればこの一点ね。けど前者はあり得ないって断言できる……そうよね?理由は頼くんが一番知ってる事でしょう?」
……母さんの言葉が深く胸に突き刺さる。
だってそれは、宝泉学園を選んだ理由の1つでもある。
そんな事情を知っている母さんは、笑っているような……それでいて真摯な眼差しを僕に送り、そっと穏やかに諭す。
「ここら辺で宝泉学園に通ってるのは、頼くんだけなんだから」
そう……桜ヶ丘宝泉学園は中高一貫の進学校。
なので同じ中学の同級生は疎か下級生にだって、桜ヶ丘宝泉学園の高等部に進学する人はいない。
同学年で僕と同じ、転校・転入してきた生徒は以前までは3人……先日転校してきた、みっちゃんを入れてもまだ4人。
高等部の全学年を合わせたとしても10人以下だ。
学園全体で算出すれば1%を切ってしまう。
だから母さんは、あり得ないと断言できるんだ。
この1%未満である数人の生徒全員が"ここら周辺地域に集まる可能性はゼロに等しい"と。
「正直な話、優梨子ちゃんはこの事実1個で頼くんの仮説をほぼほぼ破綻させられはしたんだけど、やっぱり切り札は最後に切ってこそよね」
破綻どころか僕の仮説は崩壊してしまった。
反論する余地がない。
むしろ反論する意味もない。
下手に水掛け論にでもなってしまって、僕の眉唾物の仮説が証明されてしまえば、鵜久森ちゃんが家に来た事実は闇へと葬り去られ、手を回していた企みが全て徒労に終わってしまう。
しかし僕自身、母さんに異議を唱える気は更々(さらさら)ない。
たとえ真実がどうであれ、母さんの推論以上に納得のできる話があるとは思えないからだ。
鵜久森ちゃん達にしっかりとした事実確認をした訳でもないが、それほどまでに信憑性は高い。
「ということで…3つの理由を元に総合的に考えると、おとねちゃんを呼んだのは間違いないかなー?と優梨子ちゃんは推理したのです。はい、おしまい」
長く及んだサスペンス劇場も、母さんの手によって幕を下ろした。
呆れたり、驚いたり、納得したり……母さんと居ると毎回と言っていいくらい感情のジェットコースターに乗せられているが、今日は一段と忙しかった。
目まぐるしい展開に、やっと落ち着けるタイミングがやって来て気持ちが緩んだせいか、どっと疲れが出てきた僕は「はぁ……」と大きなた溜め息をこぼす。
一気に五歳は老けたんじゃないかという感覚に陥り、何も考える気にならない。
さっさと出ていってもらいたい所だが今や疲労は、我が物顔で体の中に居座っている。
こんな調子で勉強が出来るかどうか……。
「さてさて……推理でいっぱい頭も使ったし、そろそろお腹が減ってきた頃かしら?」
「お腹の減り具合より、疲れの方がヤバいかな……」
「そうみたいね。頼くんの顔、返事のする屍みたいだもの」
「簡単に言えばゾンビだね……」
違いは人に危害を加えるか、そうでないかだ。
「でも、お夕飯もまだ食べてないんでしょ?だったら先にお風呂に入って疲れを落としてきちゃいなさい。すぐに沸かしてあげるから。ちゃんと肩まで湯船に浸かって、出来るだけゆっくりするのよ。その間に……」
そう言いながら母さんはキッチンへ向かい、おもむろに冷蔵庫から長ネギを取り出したと思えば、そのまま宙へと投げて長ネギを1回転…2回転…3回転と、バトントワリングを彷彿させるかのようにクルクルと回し、見事にキャッチ。
そしてドヤ顔と共に決めポーズ。
「優梨子ちゃんがお手製スペシャルディナーを作っといてあげるから、温かくなりながら優梨子ちゃんに服従する準備も一緒にしてきてね☆」




