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6月 歪な関係

頼斗(よりと)真澄(ますみ)随伴(ずいはん)して部屋を出て行った後、彼女らに何があったのか。

それを語るには当然、残された四人が机を囲んだ所まで時間は遡る。


頼斗と真澄の二人が退室してすぐの部屋には引き続き、(よど)んだ空気が漂っていた。

部屋は嵐が去ったかのように静まり返っていて、会話が生まれそうな雰囲気は最早ない。

まるで一人一人にバリアが張られたような隔たりがあり、それでいて各々が抱いている考えは極端に違っていた。


先程のやり取りで一番の大立ち回りを見せた音寧(おとね)は、取り乱した気持ちに整理を着けつつ作業に戻ったが、あんなにも突っ掛かる必要は無かったかもしれないと、ポーカーフェイスながら反省中。

雅近(まさちか)が相手だと話は違うが、事が収まり、後で1人反省するのは彼女からすると珍しくもない。


傍観していた雅近は、何事も無かったかのような素振りで国語の纏めを続けている。

雅近にとっては先程の言い合いなどよくある光景で、今回は言い合う相手が自分じゃなかった…と、そんな程度にしか思っていない。

端的に言えば、我関せずと言ったところ。


頼斗の逃げ道を作った立役者である智紘(ともひろ)は、友人をちょっとした窮地から救ったものの、浸れるような達成感や満足感はこれっぽっちも感じていなかった。

いつもの智紘であれば、そういう類いの余韻にどっぷり肩まで……いいや肩どころか頭の天辺(てっぺん)まで浸っていたのかもしれない。

しかし、そうはならない原因が智紘の目の前にあったのだ。


智紘の視線の先に居るのはつい先刻、渦中であった頼斗に対し、在学中である桜ヶ丘(さくらがおか)宝泉(ほうせん)学園を進学先として選んだ理由は何なのか?と、制御を失った機関銃みたく質問攻めをしていた美琴(みこと)である。


彼女は机の上に開かれた数学の教科書に目を通している風に見えはするが、その瞳に映っているのは教科書に書かれている文字などではない。

顔からも質問攻めをしていた時に見せていた無邪気な笑顔は消え、かと言って真剣な眼差しでもなく、何処か不安を滲ませているような表情だった。


およそ勉強に取り組んでいるとは思えない美琴の姿に気付いた智紘は、どうしたものかと悩んでいた。

智紘は美琴と話した回数は片手で収まってしまうくらいしかなかった。


転校当初の美琴には、頼斗との関係を聞こうとするリポーター紛いの野次馬達が群れを成しており、彼女に話しかけるのは智紘であっても容易ではなかった。

その上、日が経つに連れ心労に煩わされる頼斗を不憫(ふびん)に思い、転校生の美琴に話し掛けようとする気持ちよりも、頼斗を気に掛ける回数の方が自然と多くなっていた。

なので会話と呼べるような会話はなく、話したのも挨拶程度、智紘と美琴の関係性はあって無いようなものである。


そんな彼女が目の前に居る点では、話しかけるには絶好なシチュエーションだったのだが……。


さっきまでとは打って変わって、憂いを含んだ表情を浮かべている美琴に対し、流石の智紘も掛ける言葉が見当たらなかった。


かくして1つの部屋に後悔、無関心 、困惑、不安の4つが交わる事なく点在している。


まさに四分五裂(しぶんごれつ)


他愛のない1つの話題が、こうも空気を悪くするとは思いもしなかっただろう。

たとえ頼斗と真澄がリビングから戻って来たとしても、今の状態であれば勉強に実害が出てしまうのは確実と言える。


一度入ってしまった負のスパイラルからは、そう簡単には抜け出せない。

何故ならこういう負のスパイラルは、(もが)けば踠くほど沈んでいく沼みたいなもので、抜け出すにはプラスであれマイナスであれ、流れを変える一石が必要なのだ。

そしてこれが何より酷く難しい。



頼斗と真澄が退室してから長針は1つ先の数字へと時を刻み、膠着(こうちゃく)状態も未だ続いている。

会話のない長くて(いびつ)な沈黙は、ある一人の心をじわじわと蝕んでいたのだが、どうやらそれも限界に達してしまったらしい。


蝕まれた心から込み上げてくる言葉が喉を通ろうとするも、口に出すという恐怖が吸い込んだ息で喉に栓をしようとした。

けれど、誰にも見えない小さな攻防を抱え込んでいた彼女の心は、もうすでに限界を迎えており、込み上げてくる言葉を飲み込めるほどの精神力はなかった。


ならばどうなったのかは分かるだろう……遂に沈黙が破られたのだ。


「よっちゃんが……」


美琴の限界によって。


他の三人は言うまでもなく美琴へと目を向ける。

ところが美琴は皆に見られているとは露知らず、視線は変わらず机の上にある教科書に向けられていた。

美琴は誰も見ようとはしないまま、心の奥底に抱えていた思いをこぼす。


「よっちゃんが部屋を出ていく時、何でかはわかんないけど暗い顔してた…もしかしてあたし、聞かれたくない事を聞いちゃってたのかな?」


美琴からこぼれ出た言葉は、触れようにも触れにくい重い話題だった。

これを聞いて、またもや沈黙が生まれてしまうかと思いきや、こぼれ出た言葉をそっと拾う男が一人……智紘である。


智紘はかねてから美琴の様子を案じていた。

なので彼にとっては願ってもない状況、行動に移さないはずがない。


だが、ここで勘違いしてもらいたくないのは今の彼には一切の下心がなく、ただただ美琴を心配しているのだ。

そんな智紘は軽はずみな発言をしてしまったと思い悩む美琴に、フォローを入れる。


「まぁ…聞かれたくない事だったのかもしんないな。でも、こうなってしまったのは誰のせいでもないよ。誰も悪くない。もちろん美琴ちゃんも、だ」


自らの言動に胸を痛めていた美琴に、智紘は優しい微笑を浮かべながら慰めた。

けれども智紘の慰めは悲しくも、美琴の心に響かなかった。


無理もない。

この時の彼女の心境からしてみれば、頼斗以外の言葉など小鳥のさえずりと変わらないのだから。

鳥の言語を聞いて胸に刺さるのは同じ鳥だけ。

智紘のフォローは無情にも一方通行、彼女の助けにはならなかった。


負の感情に囚われていた美琴は智紘の慰めの言葉をさらりと流し、結果として智紘を無視した形に。

悪気が無かった故に、美琴は智紘を気に掛けるはずもなく、再び胸の奥にある(わだかま)りをぽとりとこぼす。


「よっちゃん…さっきの事で、あたしの事キライになったりしてないかな……」


美琴の質問染みた独り言は、重くどんよりとしたムードを更に重くしかねないものだったが、あに(はか)らんや……美琴の真正面に座っている人物が容赦なく(とげ)を刺す。


「嫌われたかもしれませんね」


ムードに飲まれる事も、臆する様子もなく言い放ったのは音寧である。


「しつこい人は嫌われるって言いますし。それに、あんだけくっ付かれたら離れたくもなりますよ。磁石じゃないんですから」


智紘と違って忖度(そんたく)ゼロの発言に、音寧は皆の視線を集めた。

その中には、(うつむ)いて誰とも目を合わせていなかった美琴も含まれている。

音寧からの容赦ない棘が、良くも悪くも胸に刺さったのだろう。

音寧の顔をじっと見た後、顎に指を添えて俯き加減で呟いた。


「でも、あたし…よっちゃんを近くに感じてないと生きていけないんだよね」


美琴の発言に、智紘と雅近は勢い余って「じゃあ再会するまでは、どう生きてたんだよ」とツッコミそうになったが、ツッコんで良いのだろうかと悩んだ挙げ句、二人揃って口をつぐんだ。


余計な事を言って波風を立てるよりかは賢明な判断である。

もう一人の人物が、足並みさえ揃えてくれたなら……。


美琴の渾身のボケと捉えられてもおかしくない台詞(セリフ)を聞いた音寧は、ブレる事なく手を……いや口を緩めない。


「だったら一生そのまま離れててください」


精神的ダメージを負っている美琴からすれば、泣きっ面に蜂にも等しい一言。

音寧が美琴に飛ばした言葉はさながら、ハリセンでスパンと一発叩いたかのような切れ味である。


二人の様子を窺っていた智紘と雅近は、音寧から放たれた手加減一切なしの一言を聞いて、悪い想像をしてしまった。


もしかするとこれは、喧嘩に発展してしまうのではないか……と。

しかし、音寧の忖度しない姿勢が功を奏したのだろう。

美琴は静かに微笑を浮かべた。


「やっぱり、おとねちゃんってちょっとイジワルだよね」


さっきまで暗かった美琴の表情から、少しずつだが(かげ)りが消えて行く。


たった一度の美琴の微笑、これにより智紘と雅近は何となく、喧嘩が起こる事はないと安堵したのだが……。

そうは問屋が卸さない。


「あの…少し前にも1回あって気になってたんですが、あんまり喋った間柄でもないのに名前で呼ぶなんて、馴れ馴れしくないですか?」


うっすらと眉間に(しわ)を寄せながら、音寧が美琴に食って掛かる。


気になってた1回とは、頼斗と真澄が退室する前の事で、音寧はそれが、ずっと引っ掛かっていたのだ。


「そう?普通じゃない?真澄もおとねちゃんって呼んでるし、気にしなくてもいいと思うんだけどなー」


さっきまでの暗さは何処へやら。

美琴は通常運転に戻り、楽観的に思った事を口走るものの……

「あなたは気にしないのかもしれませんが、私は気にするんです!」


「そんなの疲れちゃうよ。もっと気楽(イージー)に行こうよ」


「あなたはもっと距離感を考えてください!」

見事に音寧を逆撫でしてしまう羽目に。


音寧にとって美琴は、桜ヶ丘宝泉学園の中で一番反りが合わない人物だと断言できる。

だが、そうであったとしても美琴がそれを知らない限り、接し方は変わらない。


直接言われでもしない限りは。


「仲良くしたいんだから怒んないでよー。あっ、もしかして…あたしをライバルと思ってるから、そんな言い方するの?」


軽くムスッとした美琴だったが、あっという間に笑顔に切り替わり、音寧がつっけんどんな理由を憶測を立てて本人にぶつけた。


「ライバル…?藪から棒になんですか?話が見えないんですけど」


真っ向から追及されたものの、ピンと来ていなかった音寧は構ってる時間が勿体ないと思い、作業に戻ろうとする。


ただこれが、鵜久森(うぐもり)音寧にとって最大の失敗だった。


美琴の言う"ライバル"が何を指しているのかに考えを巡らせていれば、あるいは察していれば、ああも被害が大きくならずに済んだのかもしれない。


……どのみち避けられなかった可能性は十分にあるだろうが。


「おとねちゃんとあたしが恋のライバルだから、イジワルしてるんじゃない?」


「恋のライバル?訳の分からない事を言わないでください。第一、私に好きな人なんて──」


ようやく話を理解した音寧は嘘を吐こうとした。

けれど、時すでに遅し。

美琴は人目を(はばか)る様子もなく、微笑を浮かべながら想いを口にする。


「あたしはよっちゃんのことが好きだよ、大好き。でも、おとねちゃんも好きなんでしょ?よっちゃんのこと」


唖然とする。

ストレート極まりない発言に、他の三人は……唖然とする。


まるで時が止まったかのように。


みんな、最初は聞き間違いか?と思ったに違いない。

当の想い人がこの場に居ないからといって、好意を持っている事をさらけ出すなど余程の何かがない限り、複数人の前で話そうという発想に至らないのが普通だろう。


話すにしても万が一、この時この瞬間、頼斗が戻って来てしまったらどうするのか……そういう考えが頭を(よぎ)り、行動を抑制しそうなものだが彼女は違った。

考え得る危険性を顧みず、音寧の心の奥底に切り込んできたのだ。


もちろん、音寧は動揺を隠せない。


「はぁ…?そんな…私が会長を好きだなんて……冗談が過ぎますよ。言うならもう少し笑えるものにしてくれません?」


そう言って音寧は顔を引きつらせながらも言葉を返すが、はいそうですかと鵜呑みにする美琴ではない。


「見てたらわかるもん。バレバレだよ」


「バレる?好きでもないのに?何を勘違いしてるのか知りませんが、そこまで言われると、あり得なさ過ぎて逆に笑えますね!はっはっはっはっはっ…」


何というお手本みたいな誤魔化し笑いだろうか。

正直、核心を突かれて冷や汗ものの音寧ではあるが、これで逃げ(おお)せたと本人は思っている。


雅近が横槍を入れるまでは。


「いや、バレてるぞ?」


「えっ…」


耳を疑うように雅近の方へ向く音寧。


「だから…バレてるって。鵜久森が会長を好きだって事」


雅近の言葉に、音寧は驚きで声が出ない様子。

そこにもう一槍……智紘が追い討ちを掛ける。


「うん。知ってたよ、だいぶ前から」


今度は雅近の真反対に居る智紘へと、首をぐいっと振り向ける音寧。

笑顔で言い放った智紘に、音寧は開いた口が塞がらない。


そんな音寧に対し、雅近がとどめの一撃。


「因みにだが、副会長も気付いてる」


後方から飛んできた声に反応せざるを得なかった音寧は、忙しくも再び雅近が居る方へと顔を向ける。

今の音寧の姿は、横断歩道を渡ろうとする子供が左右を見る姿と瓜二つだった。


美琴に指摘され、雅近に暴かれ、智紘には既知(きち)だと告げられて……状況を飲み込むに連れ恥ずかしくなり、音寧の頬はだんだん紅潮していく。


そして眉をひそめ、雅近から視線を外せないまま口元がカタカタと震え出し、終いには──

「う、噓だ噓だ噓だ噓だぁーっ!」

狼狽(うろた)えながら全面否定をした。


そうしたところで外堀を埋められているこの状況を、覆せる一手には到底ならない。

むしろ彼女の叫びは肯定さえしている。

よって、音寧の叫びは逆効果でしかなく、雅近にも冷静に返される。


「この状況で噓吐いて、誰に何のメリットがあんだよ」


「しっ、知りませんけどー?」


「威張って言うな」


雅近の的確なツッコミに返す言葉がなかった音寧は、この不利な状況から脱するべく逆襲に出る。


「そそ、そんなこと言ったら、あんたが真澄さんを好きな事、みんな分かってるんだからっ!」


音寧は暴露したのだ……雅近が内に秘めていた想いを。


「は、はぁ?んな訳ねぇだろっ!そっちこそ噓吐くなよ!」


唐突な暴露に雅近も動揺を隠せずにいたが、音寧からの暴露には根拠がなかった。


「えーっ!まさちかくん、真澄のことが好きなのー!」


嘘か本当かはっきりしない恋愛話に口を挟んだのは美琴である。


「そんなっ、誤解っすよ!確かに副会長を可愛いなぁと思う時はありますよ?けど、別に好きとかそういうんじゃないっすから!」


弁明としてはオーソドックスなものだが、全否定するよりかは圧倒的に信憑性が出るというもの。

件の話がそこで終われるならば、だが。


「でもあんた、前に恋のおまじないで有名なのやってたよね。消しゴムに好きな人の名前書いて、使いきるってやつ」


この音寧の口撃が、今日一番の破壊力だった。


「ちょっ…!なんでそれ知ってんだよっ!!」


「だって妙に消しゴムを大切に使ってた時期があったし、ちょっと気持ち悪かったから。あとは勘」


「後半2つは理由になってねぇぞっ!!」


先程まで頬を赤らめていたのは音寧だったが、今は動揺や怒りで雅近の頬が赤くなっている。


問い詰められる雅近から恋の匂いを嗅ぎ付け、前のめりになっている者が一名……お察しの通り、美琴である。


「あれれー?ってことは、やっぱり真澄のこと好きなんじゃーん」


恋の嗅覚に敏感な美琴が満面の笑みで、渦中である雅近に質問した。


「………あっ」


我を忘れていた雅近だったが、ここでようやく正気に戻る。

振り返ってみれば失言のオンパレード。


「まぁ…今のでバレたわな……」


状況をまとめるように智紘は冷静に解説した。

気付いた頃にはもう遅い。


挽回の余地もなく、注目の的である雅近は頭にこびりついた失言の数々に精神を殴られ、次第に現実を受け止められなくなり……

「うあぁぁぁぁぁぁぁあっ……!!」

頭を掻きながら叫び声を上げると、そのまま電池が切れたかのように項垂(うなだ)れた。


息を荒げ、意気消沈するかと思われたが、雅近は怒りの矛先を音寧に向け、鋭い目付きで突き刺すように彼女を見る。


「……鵜久森ぃ、てめぇ……ハメやがったなぁっ?」


「はぁ?人聞きの悪い事、言わないでくれる?あんたが勝手に自爆したんでしょ?」


売り言葉に買い言葉とはまさにこの事。

二人の言い合いは更にヒートアップしていく。


「てめぇがふざけたこと言わなけりゃ、自爆も何も無かっただろうがっ!」


「でも私、あんたが恋のおまじないやってたとは言ったけど、書いてた名前が真澄さんだったとは一言も言ってないから!」


「それはっ……そうだけどっ!!……何か納得いかねぇっ!!」


一連の流れを見ていた美琴と智紘は、最初こそ心配したものの、ここまで来ると子供同士の後出しじゃんけんに見えてきたようで、二人の言い合いに口を出す事なく傍観している。

智紘に関して言えば、いつまで経っても終わらない二人の口論をBGMに「頼斗たち、遅ぇなぁ……何やってんだ?」などと全く別の事を考えているくらいだ。


夫婦喧嘩は犬も食わないと言うが、ならば痴話喧嘩は誰が食うのか。

そうこうしていると痺れを切らした音寧が、雅近に三行半(みくだりはん)を突き付ける。


「もういい!あんたと話してても埒が明かないわ!面倒だし時間の無駄、もう私に話し掛けないでくれる?あんたとは一生、口を利きたくもない!」


「あー、こっちもだ!静かな毎日を過ごせると思うと、清々(せいせい)すらぁ!」


雅近が音寧に同調して啖呵を切ると、音寧は「ふん」とそっぽを向き、雅近も「はぁんっ」と息を荒く漏らして音寧とは反対方向へ目を背ける。

恋愛関係になってもいない二人の言い合いは、こうして幕を下ろしたのだった。



一騒動を終えて静けさを取り戻したものの、数分前の沈黙とは違い、明らかにムードがピリピリしていた。

幕を下ろしたと言っても円満解決とは程遠い結末なので、音寧と雅近の機嫌はすこぶる悪い。

しかし下手に触れて、話を蒸し返してしまうのは誰もが望んでいない展開だろう。


沈黙の中、四人は各自すべき事に手を付けようとするが、ムードが悪ければ作業の滑り出しも悪い。

ここに来て美琴は少しずつ二人の険悪さが気になり始め、勉強に手が付かなくなっている。


智紘は、そもそも勉強をしているかが怪しいものだが、二人の様子に目を配っているせいか、ページをめくるペースが落ちているのは明白だった。


そんな智紘と美琴の注意を引いている当の二人は、不機嫌な表情で黙々と任された作業を進めている。

が、音寧のパソコンへの打鍵からは圧を感じ、雅近の物への扱いには幾らかぞんざいな(ふし)が見えるようになっていた。

今やもう、露骨な仕草が現状を物語っている。


どうにかこの空気を変えようと動いたのは、良くも悪くも全ての火付け役と言っても過言ではない彼女…美琴だ。

美琴は周りの様子を窺い、話し出す人がいないかを確認。

誰も口を出しそうにないと判断すると、そろそろ皆が疑問に思いそうな事を、そろりと口にする。


「それにしても…よっちゃん達、遅いね。どうしたんだろ?」


すると智紘が反応を示し、すぐさま返答する。


「やっぱりそうだよな。お茶を入れに行っただけにしては、やけに時間が掛かってる」


少し前に同じ事を思ったのもあって、智紘は肯定した。

智紘と美琴の発言で、話の流れは不審な部分を解消しようとする展開になりそうな所だったが、そこへ音寧が口を挟んだ。


「道に迷ってるんじゃないですか?」


かつてない程に雑な返しである。


音寧は智紘を見る訳でもなくパソコンに向かったままで、智紘達には馬鹿にした発言なのか、冗談なのか判断が着いていない。

音寧からすれば冗談であり相槌感覚だったが……。


「自宅で迷子って、頼斗をなんだと思ってるんだよ」


取り敢えず、智紘は冷静なツッコミで返す。


対する音寧は眉1つ動かさず、無言のままパソコンの液晶画面から目を離さない。

智紘のツッコミが終わった頃に動いていたのは、キーボードを打鍵する指だけだった。

ほぼ無反応な音寧に智紘は、そっとしておこうという気持ちではなく、からかうと面白いかもしれない……というイタズラ心が芽生えてしまう。


音寧は作業を継続、智紘は悪巧みを……と話に参加していた人物が二人も黙ってしまい、三度目の静寂が訪れても不思議ではなかったが、途切れた話を戻すように美琴が喋り出す。


「でも、ほんとにどうしたんだろね?よっちゃんの家でも、ここまでおそいと心配になるよ」


頼斗達を気に掛ける美琴に、智紘はニヤリと口元を歪めて、音寧の注意を引こうとする。


「そうだな…もしかすると頼斗のやつ、二人きりってのを良いことに、水雲(みずも)ちゃんとイチャイチャしてたりして…」


もちろんだが、智紘は本気でそうなっているとは微塵も思っていない。

あくまで音寧をからかう発言である。


だが、冗談だと分かっていても、音寧にはスルー出来ない発言を智紘はしたのだ。

音寧の表情が一瞬だったが険しくなる。


それを見逃さなかった智紘。

内心、食い付いたとガッツポーズしたはずだ。

しかし……食い付いたのは音寧だけではない。


「えっ…よっちゃんと真澄ってそんなカンケイなのっ?」


智紘から飛んで来た斜め上の発言に驚き過ぎて、表情が固まってしまった美琴。

そして、中心人物である智紘に鋭い視線を送りながら作業を進める雅近。

音寧を釣る為の発言は、他の二人にも効果絶大であった。


美琴が動揺する中、音寧はいとも容易く智紘の言葉をスパッと切り伏せる。


「ないですね、それは」


声に淀みもなく、切れ味は抜群と言って良い。

まさに迷いなき一言である。


こうも鋭い一太刀を浴びせられたからと、いちにの散で背を向ける智紘ではない。

逃げるどころか興が乗ってきたところなのだ。


「いーや、分かんないぞ~?頼斗だって男だからな。男はみんな内なる心に獣を飼ってるもんなんだよ。だから今頃頼斗も、内なる心に身を任せて……なんて事も───」


智紘は音寧を更にからかおうと、火に油を注ぐ。

けれど、注いだのはどうやら油ではなくガソリンだったようで……。


「絶対ないっ!」

「絶対ないっ!」

と、音寧だけでなく雅近までもが一言一句違わず、同事に言い放った。


双方からの大きな声に驚いた智紘は、体だけを反らす。

智紘としても、音寧からは何かしらのアクションがあるだろうと予測していたが、雅近の反応には虚を突かれたようである。


音寧はこの機を逃さない。


たじろぐ智紘を前にして追撃しないほど、彼女は智紘に対して甘くない。

音寧はここぞとばかりに(まく)し立てる。


「会長に限ってそんな度胸、ある訳ないじゃないですか。人畜無害な人ですよ?会長が獣を飼ってても、せいぜいポメラニアンが限界でしょ。そんな人が真澄さんに何かするなんて無いですね。無い無い」


貞操としては素晴らしいが、彼女の発言は紛れもなくボロクソの盛り合わせだった。


口をポカーンと開けながら聞いていた智紘は、心の中で「ポメラニアンだって獣になる時くらいあるだろ…」と静かにツッコむ。

口には出さなかった……いや、出せなかった。

音寧のターンが終わってすぐ、雅近のターンが始まったからだ。


「副会長が会長とそんな風になるなんて、あり得ないっすねぇ。良いっすか?とっくに気付いてるでしょうけど、副会長からは母性が溢れ出てるんすよっ!心が洗われるような暖かさ…自分の全てを受け入れてくれるような包容力…。副会長の母性を前にしたら、内なる獣なんて子猫も同然っ!!無力に等しいんすから…無いっすね」


キッパリと否定しながら真澄の良さを熱弁している雅近に、智紘は若干引いていた。

何故なら、ここまで真澄への想いを爆発させるとは予想だにしなかったからだ。

当然、音寧に意中の相手をバラされて、開き直っている部分は大いにある。


けれど、抱くのは何も悪い印象ばかりではない。

現に美琴は雅近の熱弁に心を打たれ、これでもかと瞳を輝かせている。

恋愛脳の美琴にしてみれば、雅近のストレート過ぎる語りかけは高級料理のフルコースに等しい。

コース1つ1つに込められている想いを堪能している美琴の他にも、良い印象を持った人物がいる。

消去法で察しが付くだろうが意外にも、絶交真っ最中の音寧である。


音寧は雅近をじっと見るや否や、変わらず不機嫌な表情で唇を動かす。


「細かい所は気になるけど、あんたも分かってるじゃない。見直したわ」


呼応して雅近も音寧と目を合わせる。


「そっちもな」


険悪の仲である割に、解り合ってる感を醸し出す二人に対して、智紘は再び心の中でツッコミを入れる。


「お前ら、口()かねぇんじゃなかったのかよ…」と。


今度は口に出そうとも思わなかった。

ああだこうだと言い合いながらも元鞘に戻るのであれば、外野がとやかく言うのは無粋だと、二人のやり取りから感じ取ったのである。


こうして二転三転あった雑談も一段落……とはならなかった。

着実に話は進んでいるが、まだ空白の時間が残っている。


この一段落に待ったを掛けたのは毎度お馴染み、話の切り込み隊長…恋愛脳・美琴に他ならない。


「あたしの気のせいなのかなって、ちょっと前から思ってたんだけどー…」


先程までのキラキラと輝く瞳は消え去り、キョロキョロと視線が二人を行ったり来たり…美琴は気になった事を指摘する。


「おとねちゃんと、まさちかくんって…何か、お似合いだよね?」


「どこがっ!」

「どこがっ!」


的外れだと言わんばかりにツッコむも、またもや音寧と雅近は練習を積んだアーティストであるかのように、綺麗にハモった。

そんな二人を見て、美琴は的確な発言をする。


「そーいうとこだよ。見た感じ相性は良さそうなのに、何でそんなに仲が悪いの?」


「………」

「………」


顔を合わせる事なく黙ってしまう二人。


「そーなっちゃう原因みたいなのが、昔にあったとか?」


黙りこくる二人に美琴が追い討ちをかける。


「別に。ありませんよ」


音寧は否定するが、追及の手を伸ばそうとする美琴と目を合わそうとはしない。


「ウソだー、言い方が怪しいー」


「ないですって」


「本当に?」


再度確認する美琴。


「しつこいですよ」


(ようや)く目を合わせた音寧は、怒りを(あらわ)にする。


「だって、変なんだもん。仲がすごく悪いみたいなのに、やっぱりそう思えない時があるし、でも仲が良いかって言うとそうには見えないし…それに──」


続けて言おうとする美琴。

だが……音寧には、これ以上踏み込んで欲しくない部分があり、そこへ土足で入ろうとする美琴に音寧は、怒りで前が見えなくなる。


美琴を制止しようとする音寧の言葉は……

「もう……」

「二人ともお互いを──」


美琴が続けて話す声に隠れてしまう……。

「もう……」

「ちゃんと見てるような───」


それでも続けようとする美琴に耐えかねた音寧は机を力強く叩き……

「いい加減にしてくださいっ!!」


美琴が口にしようとした言葉を、大きな声で突っ()ねたのだ。

その瞬間、扉が開くとも思わずに。


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