6月 デジャヴ
「すんません。色々あって遅れました」
軽く謝罪を述べながら生徒会室に入って来た雅近だったが、前もって遅れると伝えてる時点で謝る必要はないし、正直今はどうでもいい。
それよりも…それよりも、だ。
雅近には、早急に開示して貰わなければならない事があるはずだ。
僕はそう思う。
水雲さんと鵜久森ちゃんも僕と同じで、雅近よりも雅近の斜め後ろにいた女子生徒、みっちゃんに目を奪われている。
故に、生徒会室に入って来た雅近に対して「おかえり」の1つもない。
雅近が僕達の様子に勘付くのに、時間はさほど掛からなかった。
僕の視線の先、及び水雲さん達の見ている方を一瞥しながら、雅近は口を開く。
「…あぁ、彼女は職員室で会ったんすけど、なんでも、会長に相談したい事があるってことで、ここに連れて来たんすよ」
どうぞ、入ってください、と雅近は廊下に立ったままのみっちゃんに入室を促す。
促されたみっちゃんは室内へ一歩二歩と、ゆっくり歩を進める。
「でも驚きましたよ。ここに来る道中で聞いたんすけど、最近転校してきた三年生だって言うじゃないっすか。転校生の噂は耳にしてたんすけど、まさかこういう形で会うとは思わなかったっすね」
それはこっちのセリフだ。
僕だって、こういう形でみっちゃんに会うとは思わなかったよ。
現在進行形の今に限らず、先週の転校生として再会したのも含めて、想像の範疇外…日常の中には組み込まれていない。
だから、あの日も動揺は隠せなかったし、どうせ今も隠せてはないと思うけれど、思うだけであってポーカーフェイスは実行している。
それがどこまで雅近に通じるのか…。
僕は「そうだね」と雅近に同意し、思考はすぐさま状況整理へと移した。
ある程度の状況は雅近の説明で理解した。
気になる点はいくつかあるが、最も重要なのは無論、みっちゃんのあの様子と相談事だ。
雰囲気からして軽い内容とは到底思えないが、午前中にあった人災の一件で、自然と心が身構えてしまう。
出来損ないに等しい平静を装いつつ厳戒態勢でいると、雅近が僕を見て「ん?」と怪訝そうな顔をした。
「何か、反応薄いっすね。心ここにあらずっつーか、やけにあっさりしてるっつーか…転校生に関心無いんすか?」
雅近は淡々とした口調で尋ねてきた。
関心が無いなんて、そんな訳あるか。
むしろ、みっちゃんで頭がいっぱいだよ。
いや、正直いっぱいいっぱいだよ。
確かに…さっきの「そうだね」はあまりにもおざなりな返しだったと、今更ながらに思う。
関心が無いと捉えられても、強く反論できるほどに、丁寧な受け答えだったとは言えないし…。
僕の心境と180度違う感想をぶつけてきた雅近に、弁明というか、申し開きをしたかったのだが、どこから話せば良いのやらと内心まごついていると「そんな事ないわよ」と、水雲さんがカットインする。
待ってました、フォローの女神。
僕は感謝の意を込めて、雅近は発言に反応して、眼差しを水雲さんに向ける。
水雲さんもみっちゃんの登場に動揺していたのだろう。
いつも以上に瞼が開いているのと、驚きの表情が未だ解けていない。
それなのに、僕をフォローしてくれる。
「その転校生さん、姫島くんの幼馴染みなの。だからたぶん、急に来た転校生さんに驚いてるんじゃないかしら?」
僕自身、驚きはもう午前中に…もっと遡れば先週の月曜日にそっと置いてきたので、水雲さんのフォローは的を射てはいないのだけど、話をややこしくするのは避けるべきだ。
水雲さんの意見を聞いた雅近は、すかさず僕の方へ顔を向ける。
僕は迷う事なく、首を縦に2回振った。
「あー、そうだったんすね。早とちりして、すんません」
雅近が僕に本日2度目の軽い謝罪。
「いやいや、謝らなくていいよ。雑な返事をしちゃったのは事実だし…」
悪いのは僕なのに、雅近に謝らせてしまった罪悪感から、前のめりになり慌てて言ってしまう。
だが幸い、聞き分けのいい雅近なので「会長がそういうなら…」と、素直に引き下がってくれた。
こういう場面でありがちな、悪いのは自分合戦(お互いが非は自分にあるんだと言い張って、一歩も引き下がらない例のアレ)が始まらなくて良かったと、僕は胸を撫で下ろす。
それでも心労は消えてくれない。
根本が解決していないから当然だ。
正直僕の胸の奥に気持ちよく居座っている心労にはもう、地の果てまで遠出してもらいたい気持ちがある。
ならば実行する他ない。
少なくとも彼女の……みっちゃんの相談を聞かなければ、いつまで経っても心労は帰ってはくれないだろう。
根本を取り除くにはどんな形であれ、それに触れなければならない。
僕は腹を括る。
沈黙が生まれかかっている今が、話を切り出すのに丁度いい。
「で……僕への相談事って…?」
雅近とみっちゃんの顔色を窺いながら、本題を聞き出そうとした。
雅近がみっちゃんの方へ視線を流すと同時に、水雲さんや鵜久森ちゃんもみっちゃんに目を向ける。
みっちゃんは未だ俯いたままで、表情もよく見えない。
そして何より無反応。
ひょっとすると石になったのか?と疑念を抱いたが、みっちゃんを注視してみると……爪先、肩、指の先、所々だが微妙に動いている。
となると意図的な無視か…みっちゃんがするとは考えにくいけど。
単に聞こえてなかったという可能性はあるだろうか?
僕自身、考え事ややるべき何かに没頭してしまうと、周りの話が耳に入って来てなかった…なんて場面は数知れず。
その場面がみっちゃんにとっての、今なのだとしたら?
僕はみっちゃんに聞き直す。
しかし聞くのが二度目とあって、どうしても口調が困惑気味になってしまう。
「えーっと…相談事は────」
何なのか聞いてもいい?と、みっちゃんに聞くつもりだった。
けれど僕は言えなかった。
僕が言い切る前に、突如としてみっちゃんが動いたからだ。
「助けてーっ、よっちゃーーんっ!!」
そう言って、僕の机に突進するかのような勢いで近付き、気付けばみっちゃんの顔が僕の眼前へとやって来た。
咄嗟の事に驚き、椅子に座ったまま少し体を反らしてしまう。
すると雅近と水雲さんは「よっちゃんっ!?」と驚愕しながらハモる。
どうも二人は、みっちゃんの行動よりも僕のあだ名の方に興味をそそられたらしい。
あだ名がバレるのは先週にも経験してるので、今更気に留めるものでもなかったけど、驚きながらあだ名をハモられるのは流石に気を取られた。
でも、僕はみっちゃんから目が離せないでいた。
周りがどんどんぼやけてていき、僕の目に写るのは……。
相談事とは別に聞きたいことが沸々と湧き上がり、のけ反ったままの姿勢でみっちゃんに尋ねる。
「みっちゃん…?何で、泣いてるの……?」
僕の目に写るのは……左目から一筋の涙を流し、けれども泣くのを必死に我慢している女の子。
驚きに驚きが重なって、意味は違えど文字通り、開いた口が塞がらない。
固まる僕に対して雅近と水雲さんは、こちらもか…と言わんばかりに「みっちゃん…?」と、ゆっくり且つしっかりはっきり口を揃えた。
声からは二人の戸惑いがひしひしと伝わってくる…そして程なくして、二人の意識はみっちゃんに向く。
あぁ…雅近が来る前、水雲さんに言われたけど、僕は本当にデリカシーが欠けているのかもな…。
遅かれ早かれ視認するとしても、みっちゃんが泣いてると見たままを口走ってしまったせいで、僕しか見えていないこの泣き顔を、みっちゃんの背中しか見えていないであろう二人に晒してしまった。
引っ込められるものなら今からでも、口走った言葉をかき集めて喉の奥に押し込みたい。
そんな気持ちに駈られつつも、僕はみっちゃんに優しく言葉を掛ける。
「ねぇ、みっちゃん…詳しい話、聞かせてもらえる?」
目を合わせてはくれなかったが、みっちゃんは静かにこくりと頷いた。
それをきっかけに僕は直ちに動く。
相談をするにあたって聞く側が座り、話す側が立ったままという構図は、どんな立場であれ、どんな状況であれ不適切だと僕自身思っている。
誰が見ても聞く側が横柄だと感じるだろうし、そこには対等さが微塵も無い。
そして僕が使っている生徒会長の机と椅子も、学園で常用されている物とは仕様が違う。
ここに腰掛けているだけで、誰とも対等になる事はない。
僕は立ち上がり、左手側のあまり使わない会議用スペース(体育祭や文化祭などの催し物の企画や、生徒会以外の生徒らと話す時に使っている所)へみっちゃんを誘導する。
みっちゃんは無言だったが先程と同様、静かに頷いてゆっくりと誘導した場所へと歩いていく。
足取りは問題ないかとみっちゃんを目で追っていた僕だったが、ふとある人が気になった。
ついさっきまで僕に容赦なく噛み付いてきていた虎の存在に。
いくら何でも大人しすぎる。
僕は見る、鵜久森ちゃんの方を。
「会長がよっちゃんで…あの人がみっちゃん……あの人がみっちゃんで…会長がよっちゃん……じゃあ私は…何ちゃん?……おっちゃん……?」
………デジャヴ。
僕を襲う虎はいつの間にやら借りてきた猫になり、ホッチキス片手に念仏を唱えていた。




