6月 夏の日に消えた太陽
僕には幼馴染みがいた。
向かいの家に住んでいた同い年の女の子だ。
ご近所の人からは「いつも明るく元気だね」と言われ、母さんもその子の事を「天真爛漫で太陽みたいな子ね」と言っていた。
当時の僕は天真爛漫の意味が分からなかったけど、母さんの言う「太陽みたいな子」には同意した。
一緒にいると笑顔になれるし、何より心地が良かった。
快晴の下をゆったり歩いているような、そんな暖かさを女の子から感じたからだろう。
その女の子は僕の事を「よっちゃん」と呼び、僕は女の子の事を「みっちゃん」と呼んでいた。
ご近所もご近所なので家族ぐるみの付き合いももちろんあった。
僕とみっちゃんは小さい頃からお互いの家で遊ぶ仲で、小学校に入っても何かと遊んでいた記憶がある。
春は桜舞い散る公園で花飾りを作り、夏は一緒に蝉取りをし、秋は小さな図書館で児童書を読み漁り、冬は寒さを気にせず走り回っていた。
まさに年がら年中。
四季折々に出来る事を、余すことなくやっていたと言っても過言じゃない。
たとえ春夏秋冬、どこかで何かをやり残した事があったとしても、来年やればいいだけだと、幼い頃の僕はそう思っていた。
そう考えていた。
僕とみっちゃんが、小学3年生になるまでは。
それは7月も半ばになった時だった。
来週になれば夏休み。
ウキウキしていた僕は、今年はみっちゃんと何をしようかと思いながら、一緒に下校するみっちゃんに希望を聞いている途中の事。
横並びで歩きながら僕は「今年の夏休みは何して遊ぼうか?」と、みっちゃんに質問した。
しかし何故か反応がなかった。
僕はただただ候補が思い付かないんだと思い、あれやこれやと色々提案をするものの、うんともすんとも言わないみっちゃん。
みっちゃんは俯いていた。
強い陽射し。
夏も本番に差し掛かり、この暑さのせいで体調が優れないんじゃないかと思い至った僕は、みっちゃんの顔を覗き込んで「どうしたの?具合でも悪い?」と聞いてみた。
すると、みっちゃんは少し黙った後に「違うの…」とこぼす。
僕は素直に何が違うのかを考え、そうか…喉が渇いたのか…と思い至り、みっちゃんに「お茶飲む?」と聞いた。
けれど…みっちゃんは「いらない」と言う。
ちんぷんかんぷんになった僕は首を傾げながら「じゃあ、何が違うの?」と、俯いて歩くみっちゃんに聞いた。
みっちゃんは黙っている。
俯いたままで、僕を見ようとはしなかった。
元気のない姿が気になり、ふと「みっちゃん?」と声を掛けた。
みっちゃんの足が止まる。
とっさの停止に反応出来ず、視界から一瞬みっちゃんが消えて僕は2、3歩ほど先へ歩いてしまった。
いつもと様子が違うと確信した僕はみっちゃんの前に立って、再び顔を覗き込み「みっちゃん…?」と、今度は困惑混じりに声を掛けた。
俯いたまま微動だにしないみっちゃんは、おもむろに「あのね…」と口を開く。
「あたしね…夏休みになったら、よっちゃんと遊べなくなるの…」
「なんで…?なんで遊べなくなるの?」
僕はみっちゃんの言葉をそっくりそのまま聞き返した。
急な話だった。
当時の僕がそう思っただけで、僕の両親はみっちゃんが僕に告げるよりももっと前から知っていたんだろう。
みっちゃんは告白する。
この夏にみっちゃんは、お父さんの仕事の関係で小学校を転校するという事。
転校が国内ではなく海外である事。
中でも一番驚いたのが、夏休みになって3日もすれば、みっちゃんはこの街からいなくなるという事。
嘘だと思った。
みっちゃんが僕の横からいなくなるなんて春に桜が咲かないのと同じくらい…夏に汗をかかないのと同じくらい…秋に木の葉が色付ないのと同じくらい…冬に息が白くならないのと同じくらい…あり得ない事だと思っていた。
でも、みっちゃんの顔は「嘘じゃないよ」と言っている。
僕の"楽しい毎日"が"楽しかった毎日"に変わってしまう瞬間だった。
その日から僕は毎日、夏休みが来ないでほしいと神様に願う。
楽しみにしていた夏休みが来ても横にみっちゃんがいなければ、それは夏休みという名前の別物だと思ったから。
だから願った。
お願いします…宿題がどんなに増やされても、遊べない日が多くなってもいいです…だから…お願いだから、みっちゃんを遠くに連れて行かないでください…と。
でも、僕の願いは叶わない。
1日が過ぎ…3日が過ぎ…あっという間に1週間が経った。
夏休みになり、みっちゃんは…この街からいなくなった。
蝉は鳴いていても、みっちゃんはいない。
僕の体はちゃんとあるのに、何故か半分なくなった気がした。
それほど、みっちゃんは僕の中で太陽みたいな当たり前な存在になっていた。
太陽がいなくなった僕は、どう歩けば良いのかさえ分からなくなる。
けれど"毎日"はやってくる。
やがて、その"毎日"は"楽しくない毎日"になった。
僕の世界は180度変わってしまう。
太陽の光が差す日向から、太陽を見る事が出来ない日陰へと。
これは何かの罰なんだろうか。
一緒にいて楽しいと思える友達と離れ離れになるなんて、僕は望んでなかったし神様に願ってもいない。
望んだのは、みっちゃんを遠くへ連れて行かないで、という事。
それを僕は神様に願ったはずなのに神様は叶えてくれなかった。
僕は思った。
いや、神様なんていないんだ。
嘘なんだ。
いないからお願いしたって叶えられないんだ。
願い事は叶うものじゃなくて、その人が自分で叶えるものなんだ。
きっとそうだ。
神様はいない…。
だったら奇跡もないんだ。
だって奇跡は、神様が起こすものなんだから。
びっくりするような事が起きたら、みんな「奇跡だ。奇跡が起きたんだ」って言うけど、あれも嘘なんだ。
神様を信じてる人が、起きた凄い事を神様がやったみたいに言ってるだけなんだ。
神様も奇跡もない…。
じゃあこれは運命だったのか。
僕とみっちゃんは、いつかこんな風にお別れする運命…。
いや……運命もない。
だって運命も、神様が決めているものなんだから。
神様がいないのに、運命が決まっているなんて変だ。
僕は信じない。
神様も、奇跡も運命も。
僕は、信じない…。
小学3年生ながら、そう思ってしまった。
太陽が消えたはずの、酷く暑い夏の日に。
僕には幼馴染みがいた。
その女の子は僕の前からいなくなり、外がどんなに明るくても毎日が夜みたいに暗かった。
そう、みっちゃんのいない僕の世界は、月明かりのない夜に等しい。
前が見えず、転んでも何に躓いたのかさえ分からない。
僕が立っているのは土の上か、草の上か、はたまた沼の上なのか。
それを教えてくれていた光は、小学3年生の僕の手の届かない場所に行ってしまった。
思い出だけを残して、海を渡った見ず知らずのどこかの街へ行ってしまった。
もう一生会えない人。
だから忘れようと思っていた。
みっちゃんとの思い出は僕を不必要に傷付ける。
辛くなるだけの記憶ならなくていい。
僕は少しずつ、みっちゃんとの思い出を消しゴムで消していった。
くっきり刻まれて消せなかった笑顔も、胸をほっこりと暖かくしてくれたあの声も、強く握りしめた消しゴムで真っ白にしたはずだった。
けれど、徐々に記憶は蘇ろうとしている。
彼女の声が。
思い出の中の声とは違い、大人っぽさがあるというのに、不思議と過去のみっちゃんを想起させる。
同姓同名、過去を思い起こさせる声色。
みっちゃんだという条件は揃っているのに、未だ僕は半信半疑でいる。
だってそうだろう?
離れ離れになった幼馴染みが、ある日自分が通ってる高校に転校してくるなんて誰が思う?
ましてや、自分にとって大きな存在が、だ。
夢を見てると錯覚しても、おかしくない。
なのに………変な感じだ。
彼女がみっちゃんと同一人物だったとして、僕は…。
純粋に嬉しいんだろうか…?
それとも、忘れていた記憶を思い出して辛いんだろうか…?
それとも…もう終わった話だと割り切っているんだろうか…?
僕が抱いた動揺はクラスメイトが抱いた動揺とは違う、似て非なるものだった。
一言で言い表すならば…複雑。
みっちゃんは…安治川美琴という女の子は、紛れもなく僕の太陽だった。
だった…。
過去形、言わば過去の太陽。
じゃあ…僕の前に現れた同一人物であろう安治川美琴は、一体何だというのか…。
僕は答えを探す気も求める気もないけれど、ただ1つ言える事は…その答えは彼女が同一人物であろうとなかろうと、太陽のように照らし出してはくれないだろう。




