4月 桜舞う道
僕の朝には無駄がない。
7時10分に目覚ましで起き、洗顔と歯磨きを終わらせてキッチンに立つ。
冷蔵庫から卵とハムを取り出して、油を引いて火に掛けてあるフライパンに、その二つをダイブさせる。
ちょっとしたらフライパンに水を少し足して蓋をし、火を弱火に落として蒸し焼き。
この空いた時間でご飯の用意。
起きる時間に炊き上がるようにセットしていた炊飯器を開けて、良い匂いと一緒に舞い上がる湯気を吸い込みながら、白いご飯をよそう。
そしてテーブルに箸と飲み物、インスタントの味噌汁(手抜き)を置いて準備完了。
蒸し焼きにしてたフライパンの中身を皿に移して、ハムエッグの完成だ。
両親が単身赴任で(と言うのも変だけど)家を出て一年弱。
お陰様で一人暮らしのスキルが凄く身に付いた。
最初はそりゃあ寝坊もするわ、料理も出来んわで酷い有り様だったけど、今ではこの通り。
朝食くらいなら他の事と同時進行しながら料理が出来る。
そんな僕も、今日で高校三年生になった。
学年が1つ上がっても朝の習慣は何も変わらない。
僕の気付かない所で何か変わったんだろうか?
自覚してる変化があるとすると、来年は受験があるなーぐらいだけど。
結局はそんなものか。
僕は朝食を食べ終わり、自分の部屋に戻ってパジャマから制服に着替えて、学校に行く用意をする。
今日は入学式。
去年は二年生だった事もあって、まったく何にも考えずに、ぼけーっとしてたけど今年はそうはしてられない。
だって僕は、新入生を歓迎する立場で出席するのだから。
用意を済ませて靴を履き、左手に鞄を持って家を出た僕。
学校には歩きと電車で向かう。
僕の通う私立桜ヶ丘宝泉学園は中高一貫の進学校。
ここの高等部に通う生徒の九割は、中等部からエスカレーター式で上がって来ている。
だから、ほとんどの生徒が顔見知りになる。
でも僕は違う。
僕は残りの一割の生徒だ。
高等部からの入学・転入組。
僕は高校受験で、この私立桜ヶ丘宝泉学園に入学した。
さっき言ったが、この学校は中高一貫。
エスカレーター式で上がってきた中等部からの在校生にしてみると、当然だけど「あんなやつ、居たっけ?」となる。
仕方ないよね。
高校からの入学・転入組は極めて少ない。
僕と同学年の入学・転入組の生徒は、僕を含めて3人しか居なかったはずだ。
そんなこんなで最寄り駅に到着。
ここから電車に六駅揺られることになる。
土地柄なのか、サラリーマンで満員電車とはならない。
朝に乗っている人が少ない訳じゃないが、学生の数がどうしても多くなるのは言うまでもないか。
うちの学校に通う生徒で、電車を使う人はまぁまぁ多い。
便利だしね、電車通学。
学校の最寄り駅に着くと、当たり前だけど朝の駅構内は学生で埋まっている。
目的地は一緒なんだし、そりゃそうだ。
でも今日は入学式ってのもあるからだろう。
綺麗な格好をした大人が多い。
新入生の親なんだろうな、きっと。
僕が入学した時も、父さんと母さんと3人で学校に行ったっけ。
お互いのスーツ姿を人目を憚らずに誉め合ってるのは、子供としても恥ずかしかったなぁ。
主役が誰なんだか分かったもんじゃない。
改札を抜けて、僕を含めた一同は集団登校みたく、私立桜ヶ丘宝泉学園に向かって歩く。
僕にとっては何度も歩いている道。
普段なら新鮮味は感じないけど、こういう行事の時は、同じ道でも何というか…新しい風が吹いてるような、いつもとは違う雰囲気に包まれる。
懐かしさがフワッと込み上げてきた。
あれから二年かぁ、なんて思いながら歩いていた。
あの時は、エスカレーター組と仲良くやっていけるか不安だったな。
中等部からのコミュニティとかグループもあるだろうし、孤立するかもーとか思ってたけど。
でも、あいつのお陰で浮くことも無かったし、何だかんだ助けられたりしたっけ。
面倒事を連れてくるのは、ホントにやめてもらいたいけどね、マジで。
まぁ、あいつが居なきゃ今の僕はないかも知れないし、ちょっとは感謝しないといけないのかな。
あとは女好きがもう少し…せめて僕を巻き込まない程度にどうにかなってくれれば、言うことは無い…。
いや、そんな事も無いな…。
懐かしい気持ちはどこへ行ったのやら、あいつの事を思い出して溜め息が出てしまった。
さっきまで感じていたフレッシュさを返して欲しい。
利息含めて三倍返しで。
新入生ではないけれど、今日が入学式だとは思えない顔を、僕は今している気がする。
新入生には見られたくないなぁ、今の僕を。
これから、楽しい楽しい学校生活が待ってるかもしれないのに、入学式で「えー、あの人、学校来るときに見かけたけど、その時の顔ヤバいくらい死んでたー」とか噂されたくない。
何で女子生徒で噂される姿を想像したかは分からないけど、それだけは嫌だ、避けたい。
そうだ、イメージだ。
成功するイメージをしよう。
噂なんかされない、ネガティブな印象を与えない、そんなイメージを。
僕は進行方向に目をやり、意識だけを違う所に飛ばした。
成功、成功、成功。
悪い噂を流される姿は1秒でも想像するな。
嫌な事は想像しただけで、意識がそっちの方に持っていかれてしまう。
成功、成功、成功、成功、成功。
口には出さないとしても、集中しながら歩いていた僕は、これはこれで入学式には相応しくない顔だった気がする。
それでも死んでる顔よりはずっと良い。
悪い噂が流れなければ。
集中状態をキープしながら歩いていた通学路。
僕は誰かに背中を強く押された。
そう、何の前触れもなく。
咄嗟に「うぇっ」と変な声を上げてしまう。
押された事で体勢を崩しはしたけれど、反射的に何とか踏ん張り、すぐに僕は後ろに振り向いた。
誰だ押したのは、と言わんばかりに。
そんな僕を後ろからニッコリ笑顔で眺めていたのは、見覚えのある…どころか、しょっちゅう顔を合わせている桜ヶ丘宝泉学園の女子生徒。
黒髪ショートで、中学生と間違えられる程の低い身長。
笑顔が抜群に可愛くて、いつも僕にあーだこーだ言ってくる、1つ年下の生徒会書記。
今日で高校二年生になった鵜久森 音寧の姿だった。