勇者誕生(2)
ダンへ森に入ることを話した翌日、いつも通りに支度をして家を出るとダンが神妙な面持ちで待っていた。
「思いとどまってくれてよかったよルクス。」
俺は曖昧に返事をすることしかできなかった。俺の気持ちは変わっていないし掟を破ることで決まってしまっている。できるだけ平静を装って開墾地に向かった。初日から始めた土地の掘り起こしはほぼ完了していたが、岩塀の進捗は芳しくない。その遅れを取り戻すため全員で岩塀の作業に専念する事になった。ここ数日は晴天下での作業による辛さがあったが、今日は一転して時間を追うごとに風が強くなり厚い雲が太陽を隠している。じっとりとした風が体にまとわりついて気温は高くないのに汗が止まらなかった。まるで死人のような足取りで午前の作業を終えてダンと一緒にパンにかじりつく。
「明日は荒れるかもな。」
「そうだな。」
「そしたらようやく休めるな。」
「あぁ。」
気のない返事をしながら寝不足で呆けた頭で考える。本当に天気が荒れたら外に出る人間も少ない。魚と獣は諦めないといけないが、この時期に採れる果物に心当たりがあるし悪くない条件だと思う。連日の酷使で体はとうに限界を迎えている。次の荒天を待つことなどできるわけがない。俺が食料を持ち帰ったらココ姉は全てを察するだろう。俺の行いを黙っていてくれるだろうか?俺は掟を破ることで起こりうる様々な問題を棚に上げて、どの道順で森へ抜けようか、村の広場を横切るなら何時頃がいいだろうか、そんなことしか考えられなくなっていた。
夜。まだ雨は降っていないが、時折 大人でも震え上がりそうな激しい雷鳴が轟く。これから更に荒れ模様になるのは必至で雷雨ともなれば森へ入る危険度は跳ね上がる。けれど状況が悪くなればなる程 都合がいい。この絶好の機会を逃すわけにはいかない。俺は夜が更けるのを待って家を忍び出た。
一歩外に出るとビュっと吹き抜ける風に体を押し倒される。森の木々は芽吹いたばかりの葉をまき散らしながら大きくしなり、どこかで落雷の音が響いた。改めて自分が危険なことをしようとしているのだと体感してぶるりと体が震える。
(今ならまだ引き返せる。)
そんな弱気な台詞が首をもたげたが躊躇してる時間はないと渇を入れて周囲を警戒する。地面を這うようにして家の裏手に回りこんだ。明かりのついている家はなく聞こえるのも風の泣き声と木のさざめきだけ。これなら行けると確信する。村は魔獣対策の岩堀に囲まれているため、森へ抜けるには村の正門から抜けるか猟の解禁日に使用する裏門へ行くしかない。そして俺が向かうのは正門。昼間から熟慮しつくした順路で進み、門とは名ばかりの戸を押し開けて外界に出る。外に出てしまえばなんてことはない。岩塀が俺の身体を隠してくれた。そうして一息つく頃には目が暗さに慣れ、少しだけ見通しがきくようになっていた。
気合を入れなおして塀沿いに半周し目当ての場所から森へ入る。稲光を頼りにして進み目的の果物見つけた。それは人の膝程の高さに実る赤い果実で、小さな種が多いのが難点だが口に広がる甘酸っぱい味は何とも言えない。これだけでは満腹にならないが、甘味を得られるのは代えがたい。それと一緒に近場に生えたキノコ類も手当たり次第に採っていく。食用に適しているかの選別は明るい場所に戻ってからゆっくり行えばいい。
荒れ狂う森の中を夢中になって採取していると顔に生温いものがポタポタとあたった。空を見上げると白い粒が顔面を打つ。俺は自然と顔をしかめた。村の出入りには雨は好都合だが森の中で雨が降られたらいくらなんでも分が悪すぎる。後ろ髪を引かれながらも『また採りに来ればいい』と自分を納得させ村へ戻ろうと振り向いた。
すると踏み出した足が何かに引っ掛かり派手に転ぶ。湿り気を帯びた雑草に頭から突っ込んで顔に細かい熱が走った。倒れこんだ時に雑草で顔が切れたかもしれない。上体を起こして手を茂みへ入れると固い何かに触れた。そのまま生い茂った草をかき分けるとそこには石碑のようなものがあった。
四角く切り抜いた石を地面に刺しただけような稚拙なものだったが、人工的に作られたのは間違いなさそうだ。所々が苔むしていて、ここに置かれてから長く経つことを感じさせる。謎の石板を指でなぞると冷たくざらついた表面にはなにか凹凸があるのがわかったが、この暗闇ではそれが文字なのか長年の劣化なのかの判断は付かない。
「なんだこれ。」
顔を近づけてよく見てみようとした時だった。
近くで爆音が聞こえた。音とも衝撃ともいえるそれで視界が真っ白になる。なにが起こったかわからないまま、俺の意識はプッツリと途切れた。