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煌鋒の勇者  作者: サケ/坂石遊作
一章『覚醒』
7/22

剣無しのアジナ(6)

 武術。武闘。喧嘩。戦い。そういったものを重視するゼリアスは、やはり他の教育機関とは一味違う部分を持つ。例えば、生徒たちが普段着用している学生服だ。一般の学校では、大人しい色合いを基調とした上品なものが多い。だが、ゼリアスの学生服は真逆である。色合いは威嚇や潜伏に用いられることを考慮して多様な種類が用意されており、服の構造も動きやすさを配慮して、全体的にゆるいものとなっている。やや古風な外見は生徒たちにとって賛否両論だが、実用性に関しては文句なしの逸品だった。

 実技演習。全課程中、最も身体を動かすその授業も、生徒たちは普段通りの制服で受けていた。ゼリアスの生徒は、この授業で戦うための技を学ぶ。自分を護るための力。仲間を護るための力。或いは、顔も名も知らぬ赤の他人を護るための力。これらは決して、生半可な気概では習得できない。だから、生徒たちのやる気は漲っていた。普段の講義では不真面目な生徒も、この授業ばかりは真剣に受ける。


「今日は模擬戦を行う」


 グラウンドに募る生徒たちを一望して、ノスタン=メイエルは告げた。

 直後、生徒たちの瞳に覇気が宿る。微かに聞こえる声も、乗り気なものばかりだ。休み明けだというのに、生徒たちは模擬戦の開幕を今か今かと待ち侘びていた。


「戦闘狂どもめ……」

「勇者なんか、皆そんなもんだろ」


 眉間に皺を寄せるアジナに対し、ジックはやる気に満ちた笑みを見せる。

 初代勇者は、異常なまでの戦闘狂だったとされている。ともすれば、その子孫であるアジナたち現代の勇者が似たものであってもおかしくない。勇者紋章の色の濃い順に、その性格ははっきりと表れているという。アジナは紋章が薄いので、周りほど戦闘欲求に駆られることはない。良く見れば、この空気に馴染めていない生徒も何人かいた。

 徐々に騒ぎ出す生徒たちの口を閉ざすべく、ノスタンは再び口を開いた。


「ま、抜き打ちテストみたいなもんだ。良い意味でも悪い意味でも、この長期休暇の成果が出るだろう。休みはもう終わりだ。頭を切り替えるためにも真剣に挑め」

「はい!」


 一斉に返答する生徒たちに、ノスタンは満足な様子で頷いた。


「今回は一対一。互いに、降参の声が上がったら勝負を終わること。それと……わかってはいると思うが、聖剣は第一階梯までだ」


 ノスタンの言葉に、生徒の数人がブーイングを送る。


「では、各自、準備ができたら対戦者と一緒に申し出るように。解散!」


 その指示と共に、生徒たちが周囲を見渡す。基本的には自分よりも強い相手や、戦うことで何か参考になる相手を選ぶ。少なくとも友人を相手に選ぶことはない。普段から一緒に行動しているなら、この授業でなくとも、いつだって挑戦できる。


「じゃ、俺も相手探してくるわ」


 そういうわけで、ジックも対戦者を選ぶ作業に入った。

 しかし、その前にふと何かを思い出したのか。踵を返し、アジナの方を向く。


「一応、お前の勝負は外野で見ておく。無茶したら先生にチクるからな」

「……気をつけるよ」

「おい、なんだその間は」


 胡散臭いものを見るような目で、ジックはアジナを見据える。アジナは苦笑いでどうにか誤魔化した。溜息を吐いたジックは、巨体を揺らして対戦者を探しに行く。


「よぉ、アジナ。お前、俺とやらねぇか?」


 自分も探しに行こうとしたところで、横合いから声を掛けられた。人相の悪い、金髪の少年だ。教室で見たことのある顔だが、名前までは覚えていなかった。

 その少年は悪意に満ちた笑みを浮かべる。アジナにとっては見慣れた表情だった。その顔をしている者が、どんなことを考えているのか、大体想像できる。見れば、こちらを観察している生徒たちの姿が幾つかあった。皆、同じような表情をしている。大方、ここで断れば次は彼らがアジナを誘うのだろう。無駄な抵抗は止せ、ということだ。


「別に、いいけど」

「よーし、それじゃあ早速、先生んとこ行こうぜ」


 嬉々としてノスタンに報告する生徒に、アジナは内心で嘆息する。予想はしていたが仕方ない。ジックに怒られないよう、なるべく速やかに終わらせればいいだけだ。


「ほぅ、お前らが試合すんのか。珍しいな」

「交流を深めるのも、授業の一貫かと思いまして」

「ハンス、お前いつの間にそんな偉くなったんだ。先生嬉しいぞ」


 なるほど。ハンスという名だったか……と、アジナは頭の中で呟く。

 グラウンドには、砂地に白線を引いただけの模擬戦の舞台が四つある。ハンスはその中でも最奥の舞台を選び、手前で立ち止まった。


「で、本当のところは?」


 ハンスが離れたのを見計らって、ノスタンはアジナに尋ねる。

 過保護だな、と思いながらもアジナは感謝した。過去に何度世話になったのかわからない。もしかすれば今日、また世話になるかもしれなかった。


「多分、いつも通りだと思います」

「だろうな。あいつの目を見りゃわかる。なんで断らなかった?」

「なんでって、言われても」


 言葉に詰まり、少しだけ悩む。しかし、すぐに答えはでてきた。


「……誰とやったところで、結果は変わりませんよ」


 アジナの返答に、ノスタンは無言で応じる。

 納得のいかない答えだったか。確かに、今のは自虐に過ぎる。後悔を隠すように、アジナは踵を返した。ハンスの後ろ姿を見つけ、その近くへと向かう。

 足音に気づいたハンスは、ゆっくりと振り返った。


「逃げずに来たか」

「模擬戦で逃げちゃ意味ないだろ」

「模擬戦? お前、俺と勝負になるとでも思ってんのかよ」


 アジナを模擬戦に誘うことは成功した。先生との距離は離れている。となれば、もう本性を隠す必要もないのだろう。ハンスはアジナの姿を捉えて、嘲笑った。


「おら、行くぞ」


 他の場所では、既に模擬戦が始まっていた。その中に、ジックの姿を見つける。

 ハンスが白線を踏み越えた途端、辺りから汚い歓声が響いた。あまり大きな声量ではないが、人を小馬鹿にするような声だ。ハンスに続き、アジナが白線を超えた直後、その声は一層激しいものとなる。ハンスが用意した観客に、ハンスが用意した審判。これでは勝敗までハンスに決められてしまいそうだが、その予想は当たっているのだろう。


「お前、最近調子に乗っているよな」


 ハンスの一言が、前哨戦の火蓋を切る。


「僕が? いつ?」

「さっきの授業中に、今。それと、昨日の放課後だ」

「授業中はともかく……放課後?」


 授業中は確かに申し訳ないことをした。しかし、現在、自分が調子に乗っているかと言われても頷けない。放課後についても、全く自覚のないところだ。


「お前、ファナさんと話していただろ」

「だからなんだよ」

「癪に障るな……テメェ、本当に自覚あんのか? 落ちこぼれのお前が、気安く話していい相手じゃねぇだろ。相手はスフィリアだぞ」


 最高峰のパーティと呼ばれているスフィリアは、周りから神聖視されがちだ。勿論、中には君子危うきに近寄らず、といった考えを持つ者もいるのだろう。アジナやジックはそちらに該当する。しかし、大半の生徒は、有名人を前にした小市民のように、遠慮の念から自ら足を引いているのだ。遠慮は、危機感とは少し違う。

 それが正しい判断なのか、アジナにはわからない。所詮は無所属だ。スフィリアの面々に詳しいわけでもないし、パーティ特有の機微にも疎い。だが、少なくともファナ=アクネシアが、自分との会話を疎んでいないことくらいはわかる。でなければ、態々向こうから声を掛けてこない。

 アジナは溜息を吐いた。結局、第三者同士が口論したところで、真実は明らかにならない。そのくらい、ハンスもわかっているだろう。真意なんて、どうでもいいのだ。ハンスは純粋に、アジナを叩き潰したいだけだ。

 アジナはそれに――乗った。


「臆病だな。自分が話せないからって、人にあたらないでくれ」


 その一言は、ハンスにとっては受け入れ難いものだったらしい。

 まさか、反撃を食らうとは思ってもいなかったのだろう。一瞬だけ驚愕を露わにしたハンスは、即座に憤怒の炎を燃やす。

 そして口を大きく開こうとして――再び、冷静になった。

 改めて、相手を認識したのだ。目の前にいるコイツは、落ちこぼれなのだと。


「いい度胸だ。……ちょっと懲らしめてやる」


 最初からそのつもりだったくせに、何を今更、とアジナは思う。

 ハンスが審判を一瞥した。視線に気づいた審判は、声高らかに試合開始を告げる。前哨戦は終了だ。次は、武力でモノを言う時間である。


「ハンデをやるよ。暫くの間、俺はお前を攻撃しない」


 まず、ハンスがそう言った。怪訝な表情をするアジナに、彼は説明する。


「こっちは第ニ階梯なんだぜ? 第一階梯すら修めていないお前に、全力出せるわけねぇだろ。ほら、まずは一発、入れてみろよ。――その鈍らで」


 下卑た笑い声が響く。どうやらハンスはユーモアなことを言ったらしい。

 ハンスの視線が、アジナの腰に向けられていた。この国が生産する、高くとも安くともない一本の剣だ。実用性は十分。信頼に厚い、量産型の剣である。


「聖剣は?」


 一方、アジナは丸腰のハンスに対し、尋ねた。


「はぁ? いらねぇよ。お前如き、素手でも問題ねぇ」

「……上等だ」


 丸腰を相手に、剣で立ち向かうという構図が成立する。

 アジナに油断はない。相手は確かに丸腰ではあるが、武器がないわけではないのだ。

 鈍ら、という言葉が脳内に反芻する。……質の問題ではない。それは、アジナが剣を携帯している行為自体を、貶している言葉だった。

 彼らが剣を持つ必要はない。何故なら、彼らは持っているからだ。

 アジナが、持っていないものを――アジナが、剣で補おうとしているものを。


「おぉ、怖っ」


 微塵もそんなことを思っていない顔で、ハンスは言う。

 叫びこそしない。けれど、アジナは確かな憤りを感じていた。馬鹿にされるのは慣れている。しかし、それでも限度はある。既に堪忍袋の緒は切れていた。先程の授業での一件や、今の状況が気に食わない。アジナは、聖人ではないのだ。

 単純な話。アジナがハンスの誘いに乗ったのは、自分のためである。

 腹が立つ相手に、全力で暴力を振るえる、いい機会だ――。

 無論、それは相手も同じだろう。


「行くぞ」


 怒りを撒き散らしたりはせず、アジナは静かに告げる。しかし、その一言には、形容しがたい感情が含まれていた。憤怒、怨恨、そして……嫉妬。持たざる者が、持つ者に対して抱く、ごく当たり前の感情が、黒い原動力となってアジナを突き動かす。

 地面を踏み抜く勢いで、一直線に疾駆した。

 同時に、右手を左腰にやって、剣の柄に触れる。そして、ニヤニヤと笑むハンスの顔面に、遠慮無く横一文字の斬撃を放った。


「残念」

「ちっ!」


 剣が肌に触れるか触れないかのところで、ハンスが回避する。……明らかに無駄な動きだ。反撃する様子もない。完全に、挑発している。

 抜刀による、右方への一閃。アジナは腕とは反対の、左方向へ体重移動する。剣の勢いに肩が張り、その反動で腕を引っ張る。次いだ二撃目は、左方への一撃となった。先の攻防で僅かに後退したハンスを仕留めるべく、斜め前へ突くように、剣を繰り出す。


「おっせーな」


 身体を翻すだけで剣を避けたハンスは、やはり余裕綽々といった様子で、アジナを嘲笑った。その光景に、観客たちの気の抜けた笑い声を上げる。


「くそっ!!」


 対し、アジナはもう、舌打ちをする余裕すらなかった。一閃、二閃、と剣を振り続けても、ハンスにはあたらない。回避される度に、アジナはハンスの挑発に晒される。斬っても手応えを返さない己の腕前に、アジナは精神的な苦痛を感じていた。


「おいおい、どこを斬ってんだ。今は模擬戦の時間だぞ? 素振りなら他所でやれよ」


 笑いが巻き起こる。憐憫の眼差しに、アジナは晒される。


「これで本当に勇者かよ。初等部の餓鬼の方が、まだやるぜ」


 額に汗を滲ませるアジナに、ハンスは冷酷に言う。

 その声を聞いたハンスの友人たちが、面白そうな声色で返した。


「ハンス、そりゃねぇよ」

「そうだぜ。初等部の生徒に失礼だ」


 周囲の声を無視して、アジナは繰り返し剣を振る。

 だが、どうしてもあたらない。剣だけではなく、身体全体の動きが見切られている。だったら――意表を突く一撃を放てばいい。


「ははっ。それもそうだな。よし、じゃあ、ちゃっちゃと終わらせ――」


 そう続けるハンスに、アジナは剣を投げた。刀身が回転し、一直線にハンスの頭部へと突き進んでいく。ハンスは僅かに驚愕しつつ、飛来する剣を回避した。

 直後、懐に潜り込んだアジナが、腰に刷いていた鞘を握り締める。


「――舐めるな!」


 振り抜いた鞘は、快音と共にハンスの側頭部を叩いた。

 模擬戦が開始してから、初めて感じた手応えに、アジナは自然と笑顔になる。湧き出た自信は闘志として瞳に宿り、アジナはハンスを、勝気に睨んだ。

 瞬間、全身を怖気が走る。

 打たれた頭を横に向けたまま、ハンスは硬直していた。言葉は一切発さない。しかし、アジナは無意識の内に後ろへ飛び退いていた。


「痛ぇな」


 先程の饒舌な態度は、どこにもなかった。ハンスは、短く――けれど、重く伸し掛かるような声色で、紡ぐ。


「禄に経験も積まず、鈍らの剣でしか戦えない能なしに、一本入れられるだと? ……くそっ、腹が立つ。あり得ねぇ……こりゃ笑いもんだぜ、なぁおい?」


 誰かに向けた言葉ではない。ハンスは自問自答を繰り出す。

 空気を読んでか、観客も口を閉じていた。周囲の喧騒が遠退き、模擬戦である筈が、本物の戦場に立ったかのような錯覚を覚える。それほどまでに、今のハンスからはプレッシャーが発されていた。


「ハンデは、もう止めだ」


 そう呟くのを皮切りに、ハンスの纏う空気が更に濃くなる。

 何かしらの決意を込めたその瞳は、鋭くアジナを射た。


「――来い」


 次いで、ハンスは詠んだ。決して、誰かを呼んだわけではない。


「お、おい、ちょっと待てハンス。第二階梯は禁止――」

「いいじゃん。やっちゃえよ、そんな奴」


 観客がどよめくも、アジナの内心はそれ以上に焦燥していた。

 それをされたら終わる。それが終えたら、自分は負ける。長年の経験がアジナにそう訴えかける。……だが、駄目だ。動けない。


「――『デイルマーゼ』」


 ハンスが告げた刹那、白い閃光が場を埋めた。

 空間に揺らぎが生じる。視認できない波が風を斬り、大気を這い、アジナの身体をすり抜けた。恐怖とも感動とも違う。純粋な衝撃が、全身を包む。それが畏怖へと変貌するよりも先に、アジナは歯を食いしばった。

 こじ開けた瞳が、こちらを睥睨するハンスの姿を確認する。

 その左手には――一振りの、ナニかが握られている。


 一言で表すならば、それは鋼鉄の棘だった。

 巨大で、力強い。先端は針のように細いが、鍔に近づくに連れてそれは丸太のように太くなっていく。盛り上がった鍔は、甲冑の如く、ハンスの左肩を包んでいた。地中深くに眠っていた鉄塊を掘り起こし、目が眩むほどの月日を賭して、ひたすら削ぎ落とすことで完成したような見た目。――だがその鉄は、自然界に存在するどの石よりも、頑強な輝きを灯している。鈍く、山のように揺るぎない光だ。これを削ぎ落とす技を、人類は持ち得ていないだろう。それはきっと、神の業によるものだ。


「よォ、待たせたな」


 激昂とは程遠い、酷く冷めた声だった。

 得体の知れない威圧感が、遂に正体を現した。揺らぎと波は収縮し、押しのけていた空間もあるべき場所へと回帰している。元からソコにあった筈の代物だが、とてもそうは思えない。まるで、現実が幻想へ塗り替えられたかのような非現実感だ。ハンスの左腕とその周辺だけが、現実から切り離されている。

 その剣は明らかに、現実と隔離した域にある。

 だがアジナは、その化物のような剣を、正しく認識していた。

 あれは――あれこそが、聖剣だ。


「拾えよ」


 呆然と立ち尽くすアジナに、ハンスは足元の剣を蹴り飛ばす。地面を滑って持ち主の元へと帰って来た剣に、アジナは漸く、自分が放心していることに気がついた。

 小さな声を零して、アジナは柄を握る。


「潰してやる」


 頭上から降りかかるその声に、アジナは一瞬、恐怖を抱いた。その原因は何なのか。目まぐるしく動く脳が、冷静な思考を取り戻すために探し出す。ハンスが怖いのか。それとも自分が、戦いから逃げたいのか。もっと、もっと掘り下げる。

 つまりそれは、自分が持っていないモノを、ハンスが持っているからだ。


 誰しもが持っている筈なのだ。齢十五。この年齢にもなれば、大抵の勇者は聖剣を有している。だが、自分が今、握っているモノはなんだ?

 ただの、鉄でできた剣だ。こんなもの、好きで握っている訳ではない。


「――っ!!」


 鬼のような形相で、アジナはハンスを睨んだ。

 だが、ハンスの表情は変わらない。睨むだけでは、状況はこのままだ。長くとも短くともない時が過ぎる。アジナは動かない。ハンスは、動く気すらみせない。それは余裕ではなく、アジナを見定めているようだった。


「安心しろよ。加減はしてやる」

「ッ――おォォ!!」


 臆している、そう判断されたのだろう。

 羞恥を紛らわすかのように、アジナはハンスめがけて突貫する。

 全力を込めた袈裟斬り。だが、ハンスはそれを、聖剣で軽々と防ぐ。振り下ろしたアジナの腕は、剣が弾かれるのみならず、あまりの反動に電流のような痺れを感じた。

 剣が折れていない。無意識の内に、握りを弱くしていたのだ。折られては困るから。――折られることを、予め想定していなければ、抱くことのない思考だ。


「ぜあァ!」


 疑念が渦巻く。諦念が浮上する。紛らわすために、また突貫する。

 それを微動だにせず弾くハンスは、アジナを見据えて口を開く。


「認めろよ。お前が、コレを手にすることはない」

「うるさいッ!」


 叫び散らすことで、その言葉に対する思考を拒絶する。真正面から挑んだところで勝ち目はない。勝機を生み出すなら、死角。聖剣の防護の外側を突くしかない。初撃を囮にして、続く一閃を繰り出すフリをかました後、背後へと回りこむ。半身を鉄で覆われた今のハンスは、視界が狭くなっている筈だ。屈み、低空を飛ぶようにアジナは身を翻した。


 右の首筋に狙いを澄まし、アジナは剣を突いた。

 だが、同時に、左方から迫り来る巨大な影を視認する。視界の片隅に映ったそれは、恐ろしく巨大だ。掠るだけで、再起不能は免れない。力の本流が、接近する。

 咄嗟に身を低くしたアジナの行動は、正解だった。

 頭上を通り過ぎた鉄塊は、アジナの灰髪の内、数本を引き千切っていった。思わず振り向いた先では、スコップで強引に土を掘った跡のように、地面が大きく抉れていた。


「お前もいい加減、気づいているんだろ。どうして自分がコレを持っていないのか。どうして自分には、試練が下りてこないのか」

「黙れ!!」


 最も直視したくないものを前にして、アジナは憤怒を露わにする。だが、どれだけ力もうが、ハンスには届かない。アジナの一閃は、尽く意味を成さなかった。


「――見捨てられてるんだよ。誰も、お前に使われたくねぇんだ」

「おおぉおぉおおぉぉぉお――ッ!!」


 裂帛の気合で、ハンスの戯言を掻き消す。

 だが、消えない。アジナの耳に、ハンスの言葉は確かに届いている。無視しようとしているだけだ。その強がりが、アジナの集中力を乱す。


 直後、強烈な音が鳴り響いた。金属と金属が激しく衝突し、鈍い音が大気を伝わる。

 砂塵が舞った。だが、アジナは無傷だった。どういうわけか、鉄塊に押し潰されることもなく、軽い風圧に吹き飛ばされる程度で済んでいる。

 砂埃の向こう側では、多くの野次馬が混乱していた。

 その、黄土色のカーテンに、見慣れた巨体の影が映る。


「……あ?」


 砂埃が風に流され、視界が晴れた頃、ハンスは疑問と苛立ちを綯い交ぜにしたような声を漏らした。その剣は確かに、アジナがいた場所を突き刺している。

 だが、そこにいるのはアジナではない。


「なんだよ、テメェ」


 筋骨隆々の肉体に、獲物を射殺す鋭利な眦。アジナの親友である猪の獣人、ジック=ウォルターは、灰色の大剣を、右腕一本で横に携えていた。


 柄は磨き抜かれた石のようで、鍔は薄い長方形の枠を、幾つも重ねたような形状。そこから伸びる刀身は、一切の歪みがない流麗な直線で、巨大な長方形を象っていた。表面には、刀身の中心へと伸びる浅黒い血管のようなものが走っており、中心には人の頭がすっぽり収まるくらいの大きな円形の穴が存在する。刀は指の第一関節と同じくらい厚い。切断にも刺突にも向いていない。明らかに、叩き潰すことのみに特化している剣だった。


 ジック=ウォルターが顕現した、第二階梯の聖剣。

 ハンスが突き刺した剣を、ジックは刀身にある空洞で受け止めていた。

 全貌が露わになり、ハンスは聖剣を左右に振り抜こうと力を入れる。だが、ジックの剣はビクともしない。ギリリ、とジックの聖剣から、金属の擦れる音がする。


「ルール違反だぜ? 今回は一対一だ。部外者は引っ込んでろよ」

「先にルールを破ったのはお前だろ。第二階梯は使用禁止だ」


 二人は無言で睨み合う。

 一瞬の沈黙。――それを断ち切るかの如く、ハンスが腕に力を込めた。更に足を一歩進め、後方にいるアジナ諸共、ジックを突き飛ばそうとする。

 だが、ジックも同時に対応した。

 穴に収まる聖剣『デイルマーゼ』の鋒を軸に、ジックは自らの石版のような聖剣を回転させ、縦に向ける。そして、柄を両手で握り締め、勢い良く地面へと打ち付けた。ジックの剣は大きな音と共に、バターを貫くかの如く、地面に沈む。ハンスの聖剣は、ジックの聖剣と共に地面に叩き付けられた。再び、砂埃が巻き上がる。


 鉄の棘が、大地に横たわる。剣に引き摺られるように、ハンスは体勢を崩した。膝を曲げ、頭を垂れたハンスは、忌々しいと言わんばかりにジックを睨む。

 再度、両者の間に沈黙が訪れる。

 鋭い目つきでハンスを見下ろしたジックは、すぐに後方へ振り返った。


「アジナっ!」


 聖剣を地面に突き刺したまま、ジックはアジナへと駆け寄る。

 周囲の喧騒は少しずつ増していき、どこからかノスタンの怒声が聞こえてきた。駆けつけてくる親友の姿に、アジナは無理矢理、顔を綻ばせる。


「だい、じょうぶ……」

「全然大丈夫じゃねぇよ! 発作出てるじゃねぇか! あぁ、くそっ! だから言ったんだ。無茶すんなって――」


 ジックの言葉が、最後まで届くことはなかった。

 唐突に、視野が狭まっていく。幕が下りるかのように、両の眼の瞼が、少しずつ下ろされる。全身から力が抜け、気がつけばアジナは、剣を地面に落としていた。

 胸が、燃えるように熱い。そして、その熱がどこかに奪われていくような感覚。

 幾度と無く経験してきた脱力感に、アジナは心の中で舌打ちした。


 ああ――また、これか。


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