剣無しのアジナ(2)
世界に存在する五つの大陸の内、ムーフォリク大陸は南西に位置していた。その中でもジルヴァーニ王国は、大陸随一の国土面積を誇る大国だ。海岸付近に山脈が連なっていることで、残念ながら貿易には乏しいが、資源に富んだ土地に恵まれている。総人口は大陸を超えて、世界的に見ても一、ニを争うほどだった。
王国の象徴とも言える王都は、特に人々で賑わっていた。
王都ベルエナは、ジルヴァーニ王国の中心と言っても過言ではない城郭都市である。都市の外壁は六角形の形を取っており、その内側も、対角線に沿って六つの区画に分かれている。唯一、全ての区画に属しているのが都市の中央に聳える白亜の城、マナ・セイル王城だ。緩やかな坂を登った先にあるそれは、遠目でもよく目立つ。
その城から少し離れた位置に、巨大な建造物がある。
明るい砂色をした、横長の建物だ。規模だけならば、王城よりも大きいだろう。だが王城とは違い、堅苦しい風格はない。巨大な門は来る者拒まず、去る者追わずの意を表しており、王城が高貴な佇まいをしていれば、それは民衆的な佇まいをしていた。
勇者養成学校ゼリアス。それが、建物の名称である。
アジナとジックは、そこの生徒だった。
「……怠い。まだ眠いっての」
騒々しい講堂の中、辺りの生徒に混じってジックもまた口を開く。
講堂に集まる生徒は皆、ゼリアスの高等部に所属する者たちだ。この日は始業式。入学式は別々で執り行われるため、ここにいるのは二年生と三年生だけである。
アジナとジックは、今年で高等部二年生となる。
「しかし、こうして考えてみると……あれだな。お前、よく進学できたな」
「正直、自分でも驚いている」
「先生方に感謝しろよ?」
「してるよ。おかげ様で、春休みは補習三昧だったけど」
春の長期休暇は、全く身体を休める暇がなかった。今朝の会話が示す通り、出された課題もまだ終わっていない。アジナは深い溜息を吐いた。
「――おはよう、諸君」
その時、講堂に凛とした空気が張る。
雛鳥のような甲高い声が、響き渡った。
どこか、あどけなさを残す声色だ。声色は柔らかく、声の主の落ち着いた感情が伝わってくる。しかし雰囲気は達観しており、口調も声音と矛盾して、畏まっていた。
口を閉ざした学生たちは、誰もが講堂の前方にある演台を見る。
「うむ、うむ。久しぶりじゃな。代わり映えしていない者もおれば、明らかに成長している者もおる。春の長期休暇は、中々有意義に過ごせたみたいじゃのう」
そんなことはない、とアジナは反論したくなった。
演台で言葉を綴るのは、一人の小さな女性だ。
敢えて少女と表現しなかったのは、彼女の側頭部に生える、長い耳が起因する。細長い耳は、人類の中でも長寿族と呼ばれる種族が持つ特徴だった。長寿族は文字通り、通常の人間と比べて、長い寿命を持ち合わせている。
そして対照的に、外見年齢が幼くなるのも、また長寿族の特徴だった。
純血に近ければ近いほど、長寿族は肉体年齢を取りにくい。百年経っても幼子の容姿を持つこともある。長寿族の年齢は、人間と違って外見から推し量ることができない。
演台に立つ人物、リディア=マクドラセルも同様だった。
外見はこの場の誰よりも幼いが、実年齢はこの場の誰よりも大きいだろう。王都ベルエナが世界に誇る教育機関ゼリアスの、学校長を任されているのだ。当然、年齢に見合った能力も備わっている。彼女は、アジナが生まれる前からこの学校の長だった。
「さて、今更話すことは無いに等しいのじゃが……これも慣わし。例年通り、我々の掲げる教育理念について、語らせてもらおう」
リディアの端正な顔立ちが、優しげな笑みを浮かべる。講堂内を吹き抜ける風は彼女のブロンドの髪を持ち上げ、翡翠に透き通る双眸を露わにさせた。
あどけなさと、貫禄ある佇まいがアンバランスな魅力を醸し出す。
そして、彼女は語りだした。
「本校は、勇者を養成することに特化した学び舎である。四世紀前と違い、今や勇者の存在は決して珍しくはない。しかし、それでもなお、勇者は人々に必要とされている。滅ぼされた筈の魔王が、まだまだその遺産をこの世界に遺しておるのじゃ」
今、この場にいるゼリアスの生徒たちは、全員が勇者だ。
講堂に集まる生徒の数は、優に百を超えている。初等部、中等部、高等部を含めた全校生徒の数ならば、軽く二千は超えるだろう。いくら勇者養成学校が各大陸に一つしか無いとは言え、一つの学び舎にここまでの人数が集うのは、些か珍しい。
「我々の目標は、世界中に存在する、魔王の遺産を無力化することである。人々の命を脅かす『魔物』。魔物を生み出す要塞『迷宮』。そして魔物を強化、変異させてしまう土地『楽園』。これらの危険度は極めて高く、勇者とて一筋縄ではいかないことも多いじゃろう。だからこそお主たちには、少しでも質の高い教育を施す必要がある。これから死地に向かうという戦士たちが、戦う術を知らんのは本末転倒じゃからな」
生徒たちは、半分が真面目にリディアの話を聞いている。しかしもう半分は、あまり集中している様子ではなかった。アジナとジックは、共に後者である。だが、同じ後者の中でも、内心は違っていた。そもそも話を聞く気がないジックに対し、アジナは話の内容だけは耳に入れている。ただ、その内容が当たり前過ぎて、退屈に感じているのだ。
アジナは視線を窓辺に向け、誰もいない校庭をぼーっと眺めていた。
「最も、勇者とて自らの人生を選ぶ権利はある。本校は、何も生徒たちに戦う術だけを教える場ではない。新たな可能性を見出したなら、それを突き詰めるのも良いじゃろう。但し、怠惰な日々だけは許容できん。お主たちも知っておる通り、本校の学費は国の血税が負担しておる。無意味に時を過ごすことは、国民一人ひとりを侮辱しているに等しい行為じゃ。くれぐれも、気を抜き過ぎないように」
直後、鋭い視線を感じて、アジナは姿勢を正した。
針で突かれたような視線は、間違いなく前方の演台から放たれていた。直接の面識は無い筈だが、アジナは補習の常連だ。目を付けられているのかもしれない。
「以上で、儂からの話は終了とする。続いて――」
学校長が演台を離れてからは、更に退屈な時間が過ぎていった。教頭が然りげ無く、リディアの用いていた足台を撤去する。ご苦労なことだ。
「よっしゃ、始業式終わり!」
苦行から解放されたかのように、ジックが喜びに満ちた声を発す。
「アジナ、この後どうする?」
「レポートを書き直す。今日中に提出しないといけないから」
「別に一日中費やすわけじゃねぇだろ。取り敢えず、飯食いに行こうぜ」
「了解。混みそうだから、ちょっと急ごう」
本日は始業式のみで、授業は存在しない。
アジナたちはまず、腹拵えをすることにした。大陸中から勇者を掻き集め、保護と教育の元に様々な措置を施すゼリアスは、充実した施設を揃えている。学生食堂は深夜を除けば常に営業しており、生徒たちは無料で使用することができた。始業式の直後ということもあり、生徒たちの何人かは、アジナたちと同じ方向へ移動している。
「……ん?」
ジックが、遠くを見据えながら疑問を浮かべた。
「なんか、人集りが……」
「ほんとだ」
川の流れのような生徒たちの動きが、前方で塞き止められていた。厳密には、自分から足を止めているように見える。怪訝に思い、アジナたちも人集りに近づいた。
「なるほど」
背の高いジックが、いち早く状況を察した。
「何かあった?」
「いや、いつも通りのアレだな」
「……あぁ」
その説明に、アジナは納得した。いつも通り……と言っても、それを最後に目撃したのは長期休暇の前だが、ゼリアスの生徒ならば誰もが知っていることだった。
興味を失くしたジックは、少し巫山戯たように言う。
「スフィリアの行軍だ」
たった三人の行軍は、祭りのパレードのように目立っていた。
三人は、それぞれが只ならぬ存在感を醸しだしており、見れば容姿も美麗である。
先頭を歩くのは、茶髪の男。背丈が高く、一見細身だが、袖から覗く筋肉質な腕が逞しい。猪の獣人であるジックには流石に敵わないが、バランスの良い鍛え方だ。力強いその瞳は、周囲の生徒には向くことなく、ただ真っ直ぐに先を見据えている。
次に、藍色の長髪を結ぶこと無く伸ばしている女性が続く。腰まで伸びる髪は絹のように透き通り、風が吹けば柔らかに靡いた。柔和な笑みは溢れんばかりの女性らしさを振り撒き、アジナを含む多数の観客を魅了する。
そして最後に、赤髪の少女がいた。
深紅の髪。深紅の瞳。他の二人と比べれば背は低いが、その存在感は一番大きい。
彼女には、存在感と言うより威圧感があった。睨み付けるような眼光に、全身から迸る覇気は、獰猛な獣を彷彿とさせる。おっかない雰囲気の少女だ。
スフィリアとは、学校が推奨する制度『パーティ』の一つである。
ゼリアスの教育指針でもあるパーティの形成とは、簡単に言えば、生徒だけの組織を作ることである。その目的はパーティによって様々だが、これに属しているかどうかで、待遇が変わることも少なくはない。施設の優先利用権だったり、食堂を貸し切る権利だったりと、有り難いものもあれば、滅多に使わないであろう特典がついてくる。特に、学校が率先して取り扱っている依頼は、パーティ専用のものも多い。
基本的に、依頼とは学内や学外の問題を提起したものだが、ゼリアスではその解決に生徒が貢献できるようになっている。街の掃除や、近辺の魔物の対処など、あらゆる依頼がゼリアスに流れてきては、それを学生たちが進んで達成しているのだ。ただ、依頼は規模の大きさによっては、多くの人材を要するものもある。そんな時に役立つのが、このパーティだった。パーティであることが受注条件の依頼も、決して少なくはない。
行動の幅や待遇の向上。パーティに加入すれば、それだけで多くの恩恵が齎される。
だが、そんなパーティにも、優劣は存在した。
目的が様々なので一概には言えないが、パーティも結局は生徒の集まりだ。組織の運営力や、所属する生徒の個々の能力によって、パーティの評価は変わってくる。能力の低いパーティには悪評が付き纏い、その空気に耐え切れず解散というのも珍しくはない。
他方、スフィリアは、ゼリアスで最高峰と名高いパーティだった。
目的は、学校長リディア=マクドラセルの補助。より厳密に言えば、リディアから言い渡された依頼を遂行するための組織である。通常の依頼と違い、彼らに課せられるのはゼリアスの学校長が提示する依頼だ。見た目はちんちくりんでも、リディアの実力は、国が認めるところにある。そんな彼女の提示する依頼とは、一体、どれほどの至難を極めるのか。……若干、噂が一人歩きしているような気もしなくもないが、ともあれ、その依頼を課せられ、そして実際に達成しているスフィリアの面々は、常に尊敬の眼差しを受けていた。王の側近が近衛兵ならば、学校長の側近はスフィリアだ。
事実、スフィリアのメンバーは能力が高い。説得力のある面子ばかりだ。
正直なところ、雲の上の話である。アジナは、パーティに加入することなく、無所属のまま一年間を過ごしてきた。全体を見れば少数派なのだろう。ジックも、こればかりはアジナと意を異にしており、パーティに参加している。
アジナは他人事のように、スフィリアの行軍を眺めていた。
「……あ」
その時、赤髪の少女が、ふと、声を漏らした。
後頭部で一つに結んだ髪を、ふわふわと揺らしながら行軍から外れる。そして、彼女は醸し出す威圧感を保ったまま、一人の男子生徒に声を掛けた。
「久しぶりじゃない」
声を掛けられた生徒、アジナは、うまく動かない唇を、懸命に震わせた。
「う、うん」
彼女の名前は、ファナ=アクネシア。アジナと同じ、高等部二年生である。
眼前から放たれる覇気に、アジナは頬を引き攣らせた。事態をいち早く察知したジックは、既に逃げている。少し離れたところで、人の悪い笑みを浮かべていた。
アジナの苛立ちと困惑を他所に、ファナは口を開いた。
「終業式以来ね」
「そう、だね」
「それで、試練は下りてきた?」
「い、いや。まだ、だけど……」
「そう。……残念ね」
アジナがファナに声を掛けられるのは、何もこれが初めてではない。周りで驚いているのは、恐らく新入生だろう。皆、アジナが何者か推測している。
もしかすれば、アジナもスフィリアに並ぶ有名人なのかもしれない。
目を見開く彼らは、きっとそんな風に想像を膨らませている。鋭いことに、その予想は正解だ。但し、有名の方向性は真逆なのだが。
新入生がそちらの噂を耳にするのも、そう遠くない未来だろう。
「早くしなさい」
最後にそう告げて、ファナは去って行った。彼女が戻ってきたことで、立ち止まっていたスフィリアの他の面々も、移動を再開する。
行軍が終えた後、生徒たちもまた、各々の動きに戻った。
「終わったか?」
「……多分」
タイミングを見計らって近づいてきたジックに、アジナは疲れからくる溜息を吐いた。
「最後、なんて?」
「早くしろって、言われた」
「普通に応援されてんじゃん」
「心当たりがないから、逆に怖いよ。僕、ファナさんに何かしたかなぁ……」
「さぁなあ……」
アジナとジックは、顎に指を添えて悩みだす。
同級生でスフィリアの一員ということもあり、アジナはファナのことを知っていた。だが同じクラスになったことはなく、これといって共通点を有しているわけでもない。初めて会話した時も、今と同じように、向こうから唐突に声を掛けてきたのだ。
以来、目が合うとファナはアジナに声を掛ける。しかしその内容は毎度、意図が見えない。アジナとしては距離感が掴めず、中々接しにくい相手である。
「なんにせよ、相手がファナとなると、羨ましいか微妙なところだな」
「あの威圧感さえ、無ければね……」
答えのでない思考を中断し、二人は急ぎ足で食堂へ向かった。