剣無しのアジナ(1)
最高の聖剣とは、なんだろうか。
名高い刀匠の作品よりも美しく、魔の力を宿す武具よりも頼もしい。ありとあらゆる神秘を司り、森羅万象にさえ届き得る存在。それこそが、聖剣だ。しかし、その上で更に最高となれば、それは一体、どんなものなのだろうか。
答えは、かつての英雄たちが示している。剣聖オルガが使っていた、聖剣ベルスリュート。竜騎士ラグナが使っていた、聖剣マグナイース。そして、血閃騎カティナが使う、聖剣ラフェストラ。これらはまさに、最高に相応しいとされる聖剣だ。
だが、ここで疑問に思う。何故それらは、最高の評価を受けているのか。切れ味か、色合いか、それとも拵えられた装飾によるものか。――否。
それらの共通点は、ただ一つ。即ち――。
「――って感じのレポートを出したんだけど、普通に駄目だった」
「当たり前だ」
小さな部屋で、二人の少年が向かい合う。
耳を澄ませば小鳥の囀りが聞こえた。僅かに開けた窓から、肌寒い風が吹き抜ける。季節は春だが、この日は暖かさよりも寒さが目立つ気温だった。
一人はベッド脇に背を預け、もう一方は胡座をかきながらテーブルに頬杖をつく。
窓辺から差し込む朝日は、散らかった部屋の有様を露わにした。
「課題内容からそれ過ぎだ。ただの持論じゃねぇか」
「これはこれで、真面目に書いたつもりなんだけどなぁ……あぁ、捨てるの勿体無い」
自らのレポートを読み上げた灰髪黒目の少年は、ルームメイトの冷たい反応に口を尖らせる。手元にある紙束を背後の二段ベッドに放り投げ、軽く背筋を伸ばした。中肉中背の平々凡々とした容姿だ。その瞳には、一切の気力を感じない。それは眠気からくるものではなく、少年の瞳は普段から覇気を失っていた。若人らしくない。諦念の末、遣る瀬無い気持ちと共に、死を待ち侘びる老人のような目だった。
「大体さ、課題も課題だよ。現代の勇者の成り立ちを説明せよって、こんなの誰でも知ってるじゃん。初等部の生徒じゃあるまいし、今更何を説明すればいいんだ」
「教師の心遣いだろ。素直に受け取っておけって」
「これでも、頭は悪くないんだけどなぁ」
「頭はな」
聞き手であった少年は、そう言ってテーブルに手を付いて腰を上げる。
それだけで、天井に触れてしまいそうな長身だった。実際は手を伸ばさなければ触れられない高さなのだが、それほどの迫力を見せたのは、彼の逞しい巨躯だろう。獣と人の特徴を併せ持つ獣人という種族に属する彼は、その中でも猪の血を引いていた。筋骨隆々の肉体は、薄い衣服を今にも突き破らんとしている。
灰髪の少年は、立ち上がった彼の姿を眺めつつ、ポツリと呟いた。
「……豚のくせに」
「俺は猪だ!」
口元から覗く牙は、確かに豚にはない特徴だ。しかし、彼の体毛は薄桃色だった。頭頂部から生える桃色の鬣は、彼を猪よりも豚に近づけている。
怒鳴り散らした猪の獣人は、窓を閉じて鍵を掛ける。
「んなことより、そろそろ準備するぞ」
「ああ、もうそんな時間か」
時計を見て、灰髪の少年は立ち上がった。
「あれ? ジック、鞄は?」
「今日はいらねぇだろ」
「それもそうか」
獣人、ジック=ウォルターはベッド上段から一枚の服を手に取った。手慣れた様子でそれを羽織り、湧き出る欠伸を掌で隠す。短く刈り揃えられた彼の頭髪は、別段、整える必要がない。袖を捲り上げ、ジックは膨れ上がった腕の筋肉を外気に晒した。
対し、灰髪の少年も、ジックと同じような衣服を身に纏う。
「これを着るのも、久しぶりだね」
胸元に刺繍された校章を、指で撫でながら少年は言った。
「学年が変わっても、これ着るのは変わんねぇのな。面倒臭ぇ」
「そうかな。僕は結構気に入ってるけど」
「そりゃ、お前の村人ファッションと比べりゃ、マシだろうよ」
「村人が村人の格好をして何が悪いんだ」
「今は村人じゃねぇだろ」
「まぁ、そうだけど」
軽口を叩き合いながら、二人は準備を済ませる。
「おい、忘れ物だ」
灰髪の少年が玄関に触れたところで、ジックが声を掛けた。振り返ると同時に、細長い物体が視界を覆う。慌ててそれを受け取った少年は、不貞腐れた目をした。
「嫌なら置いていけよ」
「……そういうわけにもいかないよ」
鞘に収まった剣を、少年は溜息と共に佩いた。左腰に、慣れ親しんだ重みを感じる。
「今日は寒いな……」
玄関を開いたジックに、少年も続く。
そこで、ふと、何かに思い至った少年は、襟元に手を入れた。首に吊るされた銀色の鎖を摘み上げ、その先端についている宝石を掌に乗せる。
持ち上げたネックレスを見つめつつ、少年は過去を想起した。
「……よし!」
自身の覚悟を思い出し、活気を呼び戻すために声を発す。
「行くぞ、アジナ」
「うん!」
灰髪の少年、アジナ=ウェムクリアは、吊るした剣を揺らしながら歩を進めた。