最高の聖剣(5)
「せィ! ハァ――ッ!!」
三層の攻略開始から――数刻が、経過した。
二層と比べ、戦闘の数は少ない。だが、戦闘に掛かる時間は確実に長くなっている。
層が深くなるに連れて、魔物は明らかに強くなっていた。単純に膂力が強い魔物もいれば、敏捷力や擬態能力に特化している魔物など、それぞれが飛び抜けた個性を持ちつつある。これまで通りの、単調な戦法では凌ぎきれない。
「シ――ッ」
赤髪を翻し、ファナが魔物の顔面に拳を当てる。
相対する魔物は、尻尾を鞭のように撓らせる猿のような魔物、ウィップモンキー。野生のウィップモンキーは主に森林など、樹木のある環境を住処にするが、『霊樹の墓』にそのような場所はない。従って迷宮に棲息する彼らは、自ら岩場を加工し、細長く、木々の枝葉のようにしていた。アジナたちにとっては、岩でできた、棘だらけの地形。ウィップモンキーは、前後左右から、雨霰のように襲い掛かる。
「く、このっ!!」
「ぶっ飛べ、こんちくしょうッ!」
ジックが荒々しい一撃を、可能な限り連続する。その撃ち漏らしを、サイカは的確に斬り伏せていた。唯一、ファナだけが、息を切らすことなく無言で対処している。
ファナに近づく魔物は、確実に討伐できる。ジックも、サイカのフォローが重なることで確実に魔物を倒している。アジナは、自分を標的に定める魔物のみ相手にしていた。
それでも、数が多い。ゴブリンやショットハウンドと違い、ウィップモンキーは徘徊型の魔物ではない。運が良ければ遭遇しないが、運が悪ければ彼らの巣に行き着くことがある。アジナたちは探索の末、ウィップモンキーの住処へと足を踏み入れてしまった。
外敵とみなされ、次々と戦力が送られてくる。敵の一体が、足場である棘の先端を尻尾でへし折った。円錐型の弾丸であるそれを、器用に投げ飛ばす。視界の片隅でその動作を確認していたアジナは、剣を斜めに構え、投擲された棘を受け流した。
「撤退だ!」
ジックが大声で告げた直後、その首元にウィップモンキーの尻尾が絡みついた。第一階梯の聖剣で強引に尻尾を切断し、拘束を免れる。
「撤退って、どこに!?」
「知らん! 今から俺が道を作るから、黙ってついて来い!」
「ああもう了解!」
満足に返答をする暇はない。アジナは声を発しながら、ウィップモンキーの尻尾を回避する。同時に、ジックが第二階梯の聖剣を解放した。聖剣『デイセントローズ』で、真正面の魔物を一掃。攻撃直後、無防備となるジックの背中を、サイカが死守する。
脇目もふらず、アジナたちはジックの作った道を進んだ。
「追って来てるか!?」
「来てる!」
「あそこ、横道が……っ!!」
振り返れば、ファナが時折、近づいてきた魔物を撃退している。アジナたちは、サイカが見つけた横道へ全速力で逃げ込んだ。そのまま油断することなく、岩場の凹凸へ身体を押し込む。全員が隠れた直後、すぐにウィップモンキーたちが目の前を横切った。
群れから外れた一体のウィップモンキーが、横道に入る。
手前の方にいたファナが、素早く腕を伸ばし、その首を締めた。
「た、助かった……」
アジナが安堵すると共に、ジックが奥の方から戻ってくる。あの巨体を隠すだけの岩陰があったのは僥倖だった。
「油断しては駄目よ。すぐに戻ってくるわ」
横道の入口から、サイカが顔を覗かせて周囲を見渡す。過ぎ去って行ったウィップモンキーたちも、暫くすれば巣に戻る。その際、この場に留まっていれば、次こそは発見されるだろう。サイカの一言に、アジナは緩みかけていた気を引き締める。
「向こうに、道が続いているみたいだ」
「……行こう」
奥を見てきたジックが、その先へ進むことを提案する。先程と同じルートでは、再びウィップモンキーの巣に辿り着くだけだ。引き返せば別の道もあるが、その場合も、過ぎて行ったウィップモンキーたちと遭遇する可能性がある。疲労も馬鹿にできなければ、浪費した時間も馬鹿にならない。戦闘と休憩の繰り返しでは探索は進まないのだ。アジナ首を縦に振り、ジックの提案に従った。
入り組んだ地形を、足元を確認しながら進んで行く。
やがて、狭い洞窟のような光景は、開けた空間と共に終わりを迎えた。
「これは……」
先頭を歩いていたジックが、目の前の光景に立ち止まる。
渓谷を繋ぐ、岩でできた吊橋。無論それは比喩表現で、実際は人の手などが一切介在していない、ただの細長い足場である。左右を見渡しても渓谷の途切れ目は見えない。その深さも、先を覗けば闇のみが存在しており、果てが見えなかった。
向こう岸には、洞窟の入口らしきものがある。
行き止まりではない。しかし、進むならこの狭い足場を渡るしかなさそうだ。
足場は狭いとは言え、それぞれが一列になれば、なんとか通れる幅だ。橋に近づき、アジナは先へ進む意思を見せる。――が、不意に腕を掴まれ、引き戻された。振り向いたアジナの口が、掌で塞がれる。添えられた手はファナのものだった。彼女は無言でアジナに黙るよう促し、次いで視線を上に向ける。天井に、大きな蝙蝠のような魔物が張り付いていた。こちらに気づいている様子はない。恐らく睡眠中なのだろう。ファナの意図を察したアジナは小さく頷き、魔物を起こさないよう小声で尋ねる。
「引き返した方がいい?」
「音を立てなければ大丈夫よ。あの魔物には、視覚がない」
だが、目を凝らせば、魔物は天井だけではなく、壁の側面にも張り付いていた。これだけの数が一斉に襲い掛かって来れば、流石のファナも捌き切れないだろう。
「先導するわ」
見本を示すべく、ファナが橋を渡る。腰の高さは一定で、重心の安定した歩法だ。音は立たず、気配も薄れる。真似はできないが、参考にはなるものだ。
全体の三分の一を通過した辺りで、ファナがこちらに視線を寄越す。
次は、アジナが行った。基本的に落ち着いていれば、物音を立てることはない。慎重に歩を進めつつ、腰の鞘に手を添え、金具が音を立てないようにする。アジナに続き、サイカが、そして最後にジックが、橋に足を乗せた。
大丈夫。問題無い。頭上を一瞥し、アジナは再び歩む。
後もう少しで向こう岸に着く。ファナに至っては、残り数歩。ジックもサイカも、焦っている様子は見えない。このまま何も起きなければ、無事に全員が通過できる。
そう。予期せぬ出来事さえ、起きなければ――。
「――ッ!?」
突如、巨大な震動が空間を揺るがした。
並外れた地響き。発生源はここではない何処かだ。遠くから響いたソレが、この空間にまで影響を及ぼしている。橋には罅が入り、壁の一部は剥がれ落ち、頭上からはパラパラと砂粒が降り注いだ。重心を低くして、アジナは崩れそうな体勢を立て直す。
「な、何が――」
駄目だ。声を出したら……という思考が、一瞬だけ浮かぶ。だが、その逡巡に意味はない。アジナの声など、今の地響きに比べれば虫の羽音だ。
「やべぇ、最悪だ!」
事態をいち早く察したジックが、声を荒げる。
直後。――天井や壁。そして、橋の裏側に張り付いていた蝙蝠型の魔物が、歪な鳴き声と共に、一斉にアジナたちへと襲い掛かった。
「くっ!? 間に合わな――」
飛来する魔物に対し、サイカが掌を差し向ける。だが、間に合わない。聖剣を抜刀するよりも先に、蝙蝠がサイカの柔肌を汚す。
「させるかッ!」
唯一、始めの抜刀だけは、通常の剣の方が速い。
アジナはその特徴を最大限活かし、抜刀した剣で蝙蝠を斬る。サイカの眼前で死体と化した魔物は、そのまま何かに触れることなく、底の見えない暗闇へと落ちて行った。
その一瞬で、ジックとサイカは第一階梯の聖剣を解放する。
次はサイカが、アジナ目掛けて飛んで来る魔物を、一刀のもとに斬り捨てた。
「走れ! まだ間に合う!」
「駄目、数が……!」
前方の三人に声を掛けるジック。だが、その目の前ではサイカが魔物相手に苦戦していた。ジックの元にも、無数の蝙蝠が飛んで来る。巨大な蝙蝠の群れは、四方八方からアジナたち全員に襲い掛かった。特にジックの巨体は格好の的なのだろう。ジックは全てを叩き落とすことは不可能だと悟り、いくらか蝙蝠の攻撃を受けながらも前進した。
その時、足元に大きな亀裂が走った。
「橋が、崩れ――っ!?」
細長い足場が、中央から徐々に崩れ始める。亀裂に追いつかれるよりも早く、アジナたちは橋から離脱した。最後尾のジックとサイカは、踵を返し、元の横道の方へ。アジナとファナは向こう岸の、洞窟がある方へ、急いで移動する。
走りながら、アジナは蝙蝠を斬る。その時、自らを無視して真横を通り過ぎる、数体の蝙蝠を視認した。直後、疾駆していた足を止める。振り向いて剣を閃かせた。
サイカの背中目掛けて飛行する蝙蝠を、ギリギリの所で斬る。
間に合った。――だが、自分の方は間に合いそうにない。
「アジナ!」
足の裏から、地面に触れている感触が消える。
最後に聞こえたのは、サイカの叫び声。
深い闇の底へと、アジナの身体は落ちて行った。




