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煌鋒の勇者  作者: サケ/坂石遊作
一章『覚醒』
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最高の聖剣(2)

 眼下の空洞に、風が吹き抜ける。

 不気味な笛の音にも似た音が、小さくアジナの耳朶を打った。

 地中深くまで続く迷宮は、入り口からは完全に暗闇しか見えない。他の探索者となるべく鉢合わせないよう、ある程度の距離と時間を空けた後、アジナたち一向はその暗闇に足を踏み入れた。この暗闇にも最初は躊躇していたが、今ではすっかり慣れたものだ。

 空洞の先に広がるのは、紛うことなき魔王の遺産。

 迷宮――『霊樹の墓』である。


「久し振りに来たけど、あんまり変わってないね」

「まぁな。相変わらず、薄ら寒い」


 霊樹の墓の上層は、鍾乳洞のような地形だ。灰色の岩肌が至る所に見られ、高低の激しい段差や、棘のように尖った石もある。吹き抜ける風は、どこかの水気を吸収し、肌寒い温度となってアジナたちの身体を包んだ。

 ピチャリ、と水滴の垂れる音が、耳に届く。

 岩に混じった水晶が灯す、淡い光。それを頼りに、先へ進む。


「周囲に敵は?」


 先導するファナへ、アジナが声を掛ける。

 ファナは振り向きながら――ズバン、と風を斬る音と共に、返答する。


「何体かいるけど、まだ遠いわ」


 そうか、それは良かった、と内心で安堵する。

 しかし気のせいか。先程の一瞬、アジナは小さな人影を見たような気がした。風を斬る音と共に、それは肉塊となって、宙に舞ったような気がした。


「って、今の魔物!?」


 流石に、看過できなかった。


「ゴブリンよ。……多分」


 ファナの足元で崩れ去る小人の死体に、アジナは慄いた。


「そ、そんな、虫を殺すみたいに……」


 頭部を蹴り飛ばしたのだろう、死体は首から上がない。勢い余ったのか、首から下の部分も大きな裂傷を負っていた。これでは、魔物の種類すら判別が難しい。ファナが言い淀んでいたのはそのせいか、と納得する。少なくともファナの中では、このゴブリンは警戒を促すよりも先に、死に行く存在だったらしい。


「こりゃあ、ノスタン先生の言っていたことも、マジっぽいな……」


 足元でピクピクと痙攣する死体を見下ろし、ジックが言った。

 無惨に死んだ魔物だが、同情する必要はない。

 迷宮は、しばしば魔物の孵卵器と喩えられることがある。その意は文字通り、魔物をこの世に産み落とすための装置だ。事実、迷宮に棲息する魔物は、外界――つまり野生の魔物が移住したものではない。迷宮の魔物は、大抵がその迷宮で生まれた魔物だ。

 だが、外から迷宮に棲み着く魔物は少なくとも、迷宮から外に出る魔物はいる。迷宮が魔王の遺産として危険視されている理由は、これだった。迷宮にも、許容限界というものが存在する。しかし、仮に限界が訪れても、迷宮は孵卵器としての機能を継続する。その結果、何が起きるかというと……魔物が、外界へと溢れ出してしまうのだ。

 だから、迷宮の魔物は定期的に処分しなくてはならない。


 更に先へ進む。その最中、小石の落下音が聞こえた。

 今度はアジナも、魔物の姿を目視できた。緑色の皮膚に、小柄な体格。手足があり、二足歩行するその姿は、遠くから見れば人間の子供と見紛うこともある。

 ゴブリンと呼ばれる、下級の魔物だ。


「とは言え――」


 敵影を確認したジックが、掌を閉じたり開いたりしながら、前に出た。

 小人が、奇声を上げてこちらに駆け寄ってくる。見た目は小さくとも立派な魔物だ。その跳躍力や腕力は、通常の人間とは段違いだ。勇者でも、多少鍛えなければ張り合えないだろう。凹凸の激しい岩場を、ゴブリンは軽やかに移動する。

 魔物の人類を脅かす力は、生得的なものだ。

 しかし、それは勇者も似たようなもの。


「この程度なら、俺も素手で問題ねぇや」


 飛びかかってきたゴブリンに対し、ジックは敢えて前に出た。衝突のタイミングが僅かに早まる。予め用意していた掌底が、ゴブリンの腹を突いた。

 呻くゴブリンの首を、大きな腕でへし折る。


「なんか……惨いなぁ、このチーム……」


 少し後ろに目を移せば、そこにはファナが蹴り殺したゴブリンの、無惨な死体。そして目の前には、新たに首が捻れたゴブリンの死体が倒れ伏していた。

 勇者が生得的に獲得するのは、戦う力ではなく、その力を得るための才能だ。たとえ勇者として生まれ落ちても、鍛えなければ、その真価は発揮されない。少なくとも、魔物のように、生まれた直後から満足に戦うことは不可能だ。


 周囲を警戒しながら、洞窟を進む。

 目標は、下の階層へと繋がる階段だ。

 迷宮の各階層には、必ず階段が存在する。それが正当な道筋だ。アジナたちはこれまでの経験則に基づいて、風向や足跡、地形から階段のある場所を予測する。


「あ、魔物発見。ゴブリンだ」


 後方を確認していたアジナが、敵影の発見を告げた。流石に初層なだけあって、出現する魔物はどれも低級だ。三体目のゴブリンに、誰も動揺は抱かない。


「次は誰が行く?」


 ジックが全員に視線を配り、言う。無論、本人でも構わなさそうだ。

 ファナとジックは、既に交戦している。遠慮の念からか、二人は声を上げない。


「なら、私が――」


 接近するゴブリンに対し、前に出たのはサイカだった。

 しかし、ファナがそれを制止する。


「アジナ。あんたが行きなさい」

「え?」


 ファナの提案に、アジナは無意識に声を上げた。


「あんたが単独で戦闘に参加できるのは、精々この階層くらいの筈よ。ただでさえ経験不足なんだから、今のうちに戦っときなさい」


 ファナの言葉に、ジックも同意する。前に出ていたサイカも、その台詞を聞いて一歩後ろに下がった。アジナは覚悟を決め、鞘に手を添える。


「……よし」


 鞘から抜刀し、その刃をゴブリンに向ける。視線の焦点は、魔物に。その他、視界の余白では地形を確認する。あまり整った地形ではない。膝を曲げ、身体を安定させた。

 その背後では、アジナを心配そうに見守るサイカがいた。


「だ、大丈夫かしら」

「流石にゴブリンには負けねぇよ。ファナの言う通り、二層以降は危なっかしいが、初層の魔物なら、あいつでも大抵倒せる」


 過去に何度もアジナと共に迷宮に潜ってきたジックが、そう告げる。

 極度の疲労による気絶も、ゴブリンが相手なら問題ない。アジナの実力ならば、圧勝とまではいかなくとも、汗水を垂らす程の相手ではなかった。

 集中状態に入ったアジナが、ゴブリンの接近に合わせて剣を構える。

 直後、ゴブリンは、アジナの足元にいた。


「は? ちょ――」


 予想を遥かに超える、ゴブリンの俊敏な動き。足音も無しに、予備動作も無しに、ゴブリンは速やかに動作を起こす。その足腰は大樹の根の如く安定しており、引き絞られた右腕は、捻られた腰と共に、勢い良くアジナへと突き出された。


「ぐほぉ――っ!?」


 身長差から、その拳は顔ではなく腹へと的中したが、そんなこと関係ない。アジナの体内で臓物が悲鳴を上げる。気がつけば、膝から崩れ落ちていた。


「ちょ、ちょっと待って……なに、これ。ゴブリンって、こんな強かったっけ……」

「変異個体だな。見た目に変化がないから、気付かなかった」


 お前、運が無いなー、と苦笑しながら、ジックは言った。

 迷宮には、変異個体と呼ばれる魔物がいる。

 通常の魔物とは違う。明らかに、異常な強さを有している魔物だ。同じ種族の中でも如実なほどに実力差が生じ、下手すれば、生態系に影響を及ぼしかねないほどの存在。これは外の環境では起こり得ない、迷宮特有の現象である。迷宮は時折、このように強力な魔物を生み出してしまうのだ。現にこのゴブリンは、他のゴブリンとは一線を画する。

 呻くアジナの傍では、変異個体と推測されるゴブリンが、天に向って拳を突き上げていた。まるで、自らの勝利に歓喜するような所作だ。足元のアジナは、最早、眼中にないらしい。獰猛で、人類の命を真っ先に狙う通常の魔物とは、何もかもが異なっている。

 まさに、変異した個体だ。


「く、くそ……違うんだ。普段は勝ってるんだ。流石に、ゴブリンには勝てるから……」

「はいはい」


 全てわかっている、とでも言いたげなジックの優しい表情が、かえって心を抉った。

 半泣きのアジナの前で、ゴブリンはわけのわからない踊りをする。それに何の意味があるのか、わからない。偶にいるのだ。こういう変な魔物が。


「おっ」


 その時、無言で前に出るサイカに、ジックが小さく声を上げる。

 次の瞬間、サイカはゴブリンの頭上にいた。

 変異個体のゴブリンにも負けない俊敏な動き。小さなステップと、柔らかい着地の組み合わせだ。特にその気配を感じさせない流麗な動作には、目を見張るものがある。一瞬の内に魔物に接近したサイカは、その身を翻しながら、掌に光を収束させた。

 小さな波紋が大気を揺らす。

 突如として掌に出現したのは、一振りの剣。サイカはそれを、ゴブリンの首元に向けて一閃した。音を立てることなく、その刀身は綺麗に首の端から端を通り過ぎる。

 ゴブリンの首が、コトリ、と地面に落ちた。


「アジナ、大丈夫?」

「か、辛うじて……」


 顕現させた剣を地面に突き刺し、サイカはアジナに手を差し伸べた。差し伸べられた手を握り、情けなさを実感しながら、アジナは地面に突き刺さる剣を見る。

 第一階梯。それは聖剣にとっては、生まれたての赤子のような状態だ。

 第一階梯の聖剣に大きな特徴はない。全体は淡い白色で、刀身には細かな模様が描かれているが、形状は市販の剣と殆ど同じだ。まだ、使用者に対する最適化が行われていない状態である。聖剣らしい、特別な力というのも感じない。ある意味では、唯一、聖剣を普通の剣として使える状態とも言える。通常の鍛錬や、簡単な模擬戦であれば、周囲への被害を考慮して、この第一階梯が活用されることもあった。

 剣を維持する意思が消えたのか、サイカの聖剣が刀身の方から消える。


「階段、見つけたわよ」


 いつの間にか様子見に行っていたのか、ファナがそんな言葉と共に、帰還する。アジナは腹を抑えながら、迷宮の奥へと足を進めた。


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