透明な悪意、不透明な善意(5)
セバスではなく、ファナが案内した先は、スフィリアの庭だった。但し、そこは入り口付近の、彩り豊かな庭ではない。寮舎の背後に位置する裏庭だ。
辿り着いたアジナは、そこが庭として機能していないことを一目で見抜いた。芝生は所々が剥げており、一部には燃えた跡まである。これまで清潔だった寮の光景とはギャップが激しい荒れ具合だが、察するに修復しても修復してもキリがなかったのだろう。まだ均されたばかりの土があちらこちらに見え、用務員の苦労がひしひしと伝わってきた。
ファナは裏庭に辿り着いた後、手振りでアジナにその場で留まるよう指示し、自身は更に先へ進んだ。目測十五メィトルの距離を開けた所で、ファナは振り返る。
「武器は何を?」
「これしかないよ」
「でしょうね。……安心しなさい。こっちも聖剣は使わないわ」
腰に吊るした剣を持ち上げ、ファナに見せる。ファナは納得した様子をみせ、それから自分の装備も用意した。黒い革手袋だ。表面には爬虫類の鱗らしきものが敷き詰められているが、使い古されているのか、光沢はない。お世辞にも、頑丈には見えなかった。
「おい、ファナ」
観客に徹することを決めたジックが、庭の端に寄る……前に、ファナに近づいた。アジナに聞こえないよう、小さな声で耳打ちする。
「あんまり無茶させんなよ。お前も知ってんだろ、あいつの体質」
「ええ、知ってるわよ。でも――」
言葉を中断し、ファナはアジナの方を一瞥した。
「――本人はそんなこと、お構い無しみたいだけれど?」
只ならぬ気迫で、アジナはそこに佇んでいた。
学校の模擬戦とは、ワケが違う。
今の自分は崖っぷちだ。後が無い。皮肉なことに、それがアジナに力を与える。
絶対に、振り向かせてみせる。――スフィリアを相手にそんなことを思うのは、当然ながら、今までのアジナでは考えられなかった。
手袋の装着を終えたファナは、小さな歩幅でアジナに近づく。
「目つき、変わったわね」
「そうかな」
「ええ。……いいじゃない。今のあんた、とっても勇者らしいわよ」
「そりゃ、どうも」
今までの自分は勇者らしくなかったらしい。そう考えると、あまり嬉しくない。
「そう言えば、あんたとやり合うのは初めてね」
ファナがアジナに近づいた。更に一歩距離を詰める。佇みながら、アジナは悟った。既に、間合いの取引が行われている。模擬戦はとっくに――始まっていた。
「――期待してるわよ」
泰然とした様子で、ファナは言う。
多分、これが最後の応酬だ。以降は、言葉ではなく武力で交わされる。
だからアジナも、吐き出したい言葉を吐き出した。
「無謀かもしれないけれど――一応、勝つ気で挑ませてもらうよ」
最後の応酬が幕を下ろす。
戦いの火蓋が切られた直後、ファナは獰猛な笑みを浮かべた。口角を釣り上げ、唇の内側からは鋭い歯が覗く。伸し掛かる迫力に、アジナは一歩後退った。
刹那、ファナの足元の、大地が爆ぜる。
「――え?」
右足に衝撃を感じたと思えば、次の瞬間には視界が上下反転していた。
自身が逆さまになっていることを把握したアジナは、真正面から黒い塊が迫っていることに気がつく。腹部に真っ直ぐ向かってくるそれは、ファナの拳だ。
「く――ぐうッ!?」
咄嗟に腕を十字にして防ぐが、それを物ともせず、ファナの一撃は重く響いた。振り抜かれたファナの拳は、アジナを勢い良く吹き飛ばす。
背中から着地しながら、アジナは目を見開いた――速すぎる。
幽鬼の如き佇まいでこちらを睥睨するファナに、心底の畏怖を抱く。先程もこのくらいの距離が空いていた筈だ。にも関わらず、彼女は一瞬で距離を詰めるどころか、背後に回りこんだ上に、一撃を入れてきた。
「……」
目の前で、ファナは自らの拳を開閉する。どこか思うところでもあったのか、ファナは僅かな違和感を探り当てるように、神妙な面構えをしていた。
やがて、獰猛な笑みが蘇る。
何かしらの結論は出たのだろう。どうやらそれは、ファナにとっては喜ばしいモノだったらしい。反面、アジナにとっては、不利なモノであるようだ。
次の瞬間、鮮やかな赤髪が翻る。
横合いから伸びてきた腕を、辛うじて察知した。最早、足音も聞こえない。アジナはそれを、人間ではなく、人影として認識する。実像か残像か。その真偽すら定かではないのに、覇気だけは本物だった。前後左右、四方八方から、本物の闘志が向けられる。
三発の打撃。二発の蹴り。一発の、得体の知れない攻撃。回避し、受け止めた直後、死角からの一撃がアジナを襲った。脇腹を突く痛みに、苦悶の表情を浮かべる。
「反応いいわね。目が良いのかしら」
わかってはいたが、手加減されている。
一度目の攻防と、二度目の攻防では、明らかに後者の方が鋭かった。
今のファナは、聖剣を持っていない。にも関わらず、これほどの実力差だ。きっと、想像を絶する程の厳しい研鑽を繰り返してきたのだろう。才覚だけでは、決して辿り着けない領域だ。手加減に文句はない。だが、その態度は気に食わない。まるで、暇つぶしがてらモルモットを観察するような振る舞いだ。大した好奇心も、無い癖に。
「次は、そっちから来なさい」
差し出した掌を折り曲げ、ファナはアジナを誘う。――舐めやがって。
「……落ち着け」
頭に血が上る前に、冷静な思考を呼び起こす。
相手が自分よりも速い場合、こちらの行動は、返し技か、先手を取るかの二択に限られる。しかし、返し技であの動きに合わせるのは至難の技だ。
誘いに乗るしかない。ここは、先手を取る。
剣を抜く。相手は格上だ。下手な加減は必要ない。
「行くぞ――ッ!!」
刃を翻す。疾駆するアジナは、その勢いを乗せた一撃を放った。
振る。防がれる。斬る。止められる。小刻みに、間断無く放つ斬撃を、ファナは眉一つ動かすことなく余裕綽々の態度で凌いでみせた。
やはり、真正面からの打ち合いに勝ち目はない――当然だ。スフィリアを信望する、あのハンスにすら勝てなかったのだ。回避ではなく、攻撃が受け止められているのは、ファナが避けることすら億劫に感じている証拠である。
拙い剣筋だ。それは、自分でも理解している。だが――工夫を凝らすことはできる。
正面から弾かれた剣を、再び同じ軌道に乗せる。負荷を無視して、アジナは剣を右腕で持ち上げた。遠回りである剣の動きに、見兼ねたファナが受けの姿勢を解除する。
「遅い」
斬撃の穴を見つけたファナが、切って落とすように告げる。そして拳もまた、アジナの頭上より降り注いだ。その前兆であるかのように、空気の砲弾が迫り来る。
「だろう、ねッ!!」
握り締めていた剣を、アジナは手放した。右から左へ、逆袈裟斬りの軌道を描こうとしていたその剣は、即座に宙へ解き放たれる。
振り下ろされた拳を屈むことで回避しながら、アジナは左回りに身体を回転させる。そして、背中の裏に回していた左手で、宙に浮いた剣の柄を掴んだ。裏手で取ったそれを、回転の勢いと共に、突き刺すようにファナへと放つ。
回避とフェイントを同時に行い、裏拳の要領で、鋒を伸ばす。
しかし、そこに彼女の姿は無かった。見れば、一歩後ろに下がっている。鋒は僅かに届かず、虚空を突いた。攻撃が読まれていた感触はない。アジナのリーチから、攻撃の手法まで瞬間で予測し、判断したのだ。
「器用な真似をするのね」
「わりと、勇気のいる賭けだったんだけど……」
精一杯の奮闘で掠りもしない事実。アジナは少し、残念そうに言った。
剣を手放すことは決めていた。その流れを止めることは、自分でも不可能だ。あそこで反撃されず、受けに徹されていたら、完全に隙だらけだった筈だ。
「……あんた、その剣はどこで?」
「剣?」
息を乱しながら、アジナは返す。
「城下町の、鍛冶屋だけど……」
「そうじゃなくて。その剣技よ」
ファナの質問の意図が理解できず、アジナは首を傾げながらも、答えた。
「一応、我流だけど」
鋭く尖ったファナの瞳に、怪訝な色が灯る。
だが、口を開くことはない。重心はやや後ろ。再び、受けの姿勢を取るようだ。
初めの数歩をゆっくりと。徐々に動きを加速させる。歩数は多く、歩幅は短く。素早い行動がいつでも可能になるように、膝を軽く曲げ、不規則な動きで接近する。
これ以上は、体力が持たない。決めるなら、今だ。
タイミングを見計らい、アジナは突貫した。
最も捉えにくい攻撃――点での一撃を放つ。突き出した剣の刀身を、ファナは片腕で撫でるように受け流した。そのまま半身を翻し、回し蹴りでアジナを迎撃する。
屈むことで、アジナは蹴りを回避。
頭上を足が通過したところで、左からの横薙ぎの一閃を放った。
「はッ!!」
手袋の鱗と剣の刃が衝突する。
だが、鍔迫り合いに引き込むつもりは無かった。ギリリ、と金属の擦れ合う音を聞きながら、アジナは膝を曲げ、腰を低くして、受け止められた剣を右腰に流す。そのまま、直線の突きを放つべく、腰に捻りを加え、右腕を前方へ放つ――フリをして、アジナは左回りに身体を回転させた。その勢いに乗って、袈裟斬りを繰り出す。
これで決まる筈がない。それを理解しているアジナは、剣筋を、敢えて外した。その結果、ファナは剣を受け止めず、回避に専念する。アジナは更に身体を回転させながら、一歩だけ、後方へ下がった。回転の最中、一瞬だけ、ファナに背を向ける瞬間ができる。
その時、アジナは小さく、ファナのいる方へ跳躍した、宙に浮いた自分と、ファナの視線が交差する。見れば、ファナはこちらへ一歩近づいていた。先に一歩下がっていなければ無防備な背中を攻撃されていただろう。読み通りの立ち位置に、アジナは自然と獰猛な笑みを浮かべる。そして、全力で剣を振り下ろした。
「甘い」
ファナは、終始冷静だった。冷静にアジナの動きを見極め、冷静に……恐らく、アジナの実力を、確かめるために手加減して、そして最後も、やはり冷静に回避した。
振り下ろした剣は、一歩、右に避けられるだけで空を斬った。
直後、無防備となったアジナの腹を、ファナが蹴り飛ばす。
「がは――ッ!?」
直撃だ。回避も防御も取れていない。
肺に突き刺さった一撃に、一瞬、呼吸が止まる。やや遅れて、背中から大きな衝撃を感じた。壁に激突したらしい。下ろした掌は、庭の芝生に触れた。蓄積されていた疲労が一斉に目立ち始める。まだ、起き上がれそうにない。
壁を背凭れに、腰を下ろす形で、アジナは動きを静止する。
「思ったより……弱いわね」
アジナは、その頭上に、自身を見下す真紅の瞳を見た。
片や、勇者の中でも上位に属する者。片や、勇者の中でも底辺に近い者。両者の差は火を見るより明らかだ。現に、アジナの攻撃は一度も通っていない。
「……ぅ」
もう、口を動かすことすらままならない。
直感が悟る。あと少しで、自分は気を失うだろう。
ハンスの時と比べれば、動けていた自信がある。だがそれも、ファナが加減をしてくれたからだ。適度に自分の能力を引き出し、適度に攻撃を受け止めてくれたから……。
巫山戯るな――全力だ。こっちは、全力を出したんだぞ。
それを、こんな、簡単に凌がれて。挙句の果てには、勝手に落胆されて。まるで、初めは期待していたかのような、腹の立つ言い方をされて。
巫山戯るな。巫山戯るな。巫山戯るな。――ちくしょう。
己の弱さを憎悪する。魂を売り払ってでも、強くなりたい。悔しい。悔しくてたまらない。死にたい。けれど死ねない。死んでたまるか。まだ、何も手に入れてないのだ。
勝ちたい。――ただひたすらに、そう想う。ジックにも、ハンスにも、ファナにもサイカにも。誰であろうと、勝ってみせたい。
そして、もっと強くなって、戦いたい。
勇者の本能が――否。自らの意志が、想いを奮い立てた。
(こ、の――――ッ)
心の中で、アジナは藻掻く。闘志の込められた瞳で、ファナを睨んだ。最早、殺意と言っても過言ではない程の、濃厚な闘志だ。既に思考は断絶し、頭も朦朧としている。それでも闘志だけは手放さない。まだ戦える。まだ負けていない。絶対に、諦めない。
その時。アジナは不思議な感覚を味わった。
自分は何もしていない。誰も、何もしていない。
けれど、確かに。身体の中から――まるで、何かが放たれるような感覚が、あった。
「――っ!?」
ファナの双眸に焦燥が浮かぶ。
直後、彼女は大きく飛び退いた。
アジナを中心に、得体の知れない圧力が空間を侵食する。アジナに自覚はない。ただ無心になって、身体中に喝を入れていた。加速する鼓動、脈動する血流、何処からともなく溢れ出す力の流出は、一瞬の内に膨れ上がる。
これは、なんだ?
変異した現実に、ファナ=アクネシアは困惑する。
聖剣ではない。聖剣とは、また違った力だ。
「……ぁ、はっ!!」
不可思議な波動を感じ、ファナは嗤う。
圧倒的な威圧感の奔流。それに臆することなく、ファナは相対した。少し前までは、それこそ虫けらの如き弱さを主張していた筈のアジナが、今では自身を震わせる程の存在へと化けている。――その事実に、彼女は歓喜を隠せない。
だが、次の瞬間。
それは不意に、終わりを告げた。
「――?」
唐突に、威圧感が霧散した。ファナの顔から、獰猛な表情が引き剥がされる。代わりにバタリ、とアジナが地面に倒れ伏す音だけが、裏庭に響いた。
この場にいる全員が、声を出せずにいた。
ジックが違和感に首を傾げている。何かあった。けれど、何かはわからない。しかし考えるよりも早く、ジックは気を失っているアジナの姿を発見した。
アジナに駆けつけるジックの後ろ姿を見ながら、ファナは放心する。
何も無い。全てが幻だったかのように、目の前の景色は物語る。だが、絶対に幻ではない。現に、肌が未だに粟立っていた。全身に刻まれたこの感触は、本物だ。
アジナは、ただ、自分を睨んだだけ。時間にして、一秒にも満たない瞬間だ。
その短い間。アジナは確かに、ナニかを発していた。
十分だ。――少なくとも今は。満足に値する、結果である。
「……くくっ」
笑う。嗤う。獰猛で、純粋な笑みを――勇者らしい表情を、ファナは浮かべた。漠然とした結論が、頭の中で出た。恐らくそれは、近いうちに、答えが示されるだろう。
「ジック。そいつが起きたら、伝えといて」
こちらに振り向く猪の獣人に対し、ファナは言う。
「――次の試験、楽しみにしているわ」
◇
勇者養成学校ゼリアスの校舎は、既に閑散とした雰囲気に包まれていた。
戦好きの勇者と言え、休息は必要である。特に高等部一年は、数日後の席次試験に備えねばならない。試験の日程が発表されてから暫く。生徒同士の勧誘はまだまだ続いているが、それも疎らだ。明日にもなれば、大半が落ち着いている頃だろう。
三人の人影が、廊下を歩く。
アジナたちが丁度、校舎から出た頃だった。
「あーあ」
一人の生徒が、首の裏に両腕を回しつつ、息を吐いた。
「あれじゃあ、俺らが悪者みたいだぜ」
「全くだ。あの豚、そんなに善人を気取りたいのかねぇ」
二人とも、本気で不満を感じているわけではない。軽口を叩くように。或いは下らないジョークを吐くかのように、笑みを浮かべている。
「なぁ、ハンス」
男子生徒が、隣の人物に問い掛ける。
「何だ」
その呼びかけに、振り向いた生徒――ハンスは、声を返す。
「実際、どうなんだ。アイツらが、迷宮の五層ってのは」
「ま、普通に考えれば無理だろうよ」
そう告げるハンスの目は、どこか腑に落ちない様子を見せる。
「ただ、あのクズは周りには恵まれているからな。糞豚の実力もそれなりにある。だがそれ以上に――あいつには、スフィリアの縁がある」
「……ファナ=アクネシアか」
舌打ちで、ハンスは内心を明かす。
残る二人の生徒も、沈黙した。発す言葉がない。自分たちの目論見は外れたようだ。
「安心しろよ。俺に考えがある」
蔓延る不満を吹き飛ばすかのように、ハンスは鼻で笑ってみせた。
「この間、霊樹の墓で『変動』が起きたのは知っているな?」
「あ、あぁ」
変動とは、迷宮がその内部構造を変化させることだ。
この現象は定期的に起こるため、探索者たちは迷宮の中に存在する、無数の経路を記憶することができない。迷宮に地図という概念が無いのも、そのためだ。どれだけ緻密に道を記録しても、暫くすれば、その全てが無価値と化してしまうのだから。迷宮に地図は意味が無い。無意味な物を、作ろうと思う者はいない。
しかしゼリアスは、この変動という現象を前向きに捉えていた。
迷宮に変動が生じた。それはつまり、探索者の誰もがアドバンテージを有していないことを証明する。その内部は全く開拓されていない。誰もが同じ位置から探索を開始するのだ。素材の回収や、迷宮内部の研究という面から見れば、確かに不便だが……席次試験のように、競技的な意味を持つ探索の場合、変動はこの上なく都合がいい。
そのため、生徒の実力を判断するための席次試験は、事前に変動が生じていることを前提として行われる。だから試験の日程は、いつもバラバラだ。こればかりは迷宮の気分次第である。とにかく、生徒たちは、事前知識を制限された状態で探索せねばならない。
だが、そこには幾つかの抜け穴がある――。
「変動が起きた直後、学校は試験のために迷宮を封鎖した。だから、今の迷宮の中身を知っている生徒は誰もいない。これは、たとえスフィリアであろうと同じである筈だ」
学校が保有する迷宮、霊樹の墓は今も封鎖状態にある。
解放は、席次試験の当日だ。
「だが、丁度その時。俺は偶々、迷宮の中にいたんだ」
ハンスの言葉に、他の二人は驚愕する。
「迷宮の中にって……まさか、変動が起きた時か?」
「ハンス、お前、大丈夫だったのかよ?」
「まぁ、なんとかな」
探索中の変動は、非常に危険だ。迷宮が探索者に気を遣うわけもなく、探索者たちは迷宮の中で、地形の変化を直に経験することになる。壁が迫ってきたり、突然、足元の床が割れるなんてことはザラだ。勿論、帰り道もわからなくなる。
「警報は見なかったのか?」
「はっ、あんなもん。臆病者のすることだ」
迷宮学なる学問を用いれば、迷宮がいつ変動を起こすのかをある程度、算出することができる。これはゼリアスのみならず、全ての迷宮で行われていることだ。変動警報、と呼ばれるモノなのだが……ハンスはその利用を、否定する。
元来、迷宮探索とは、何があるかわからないものだ。
そして、だからこそ面白い。そう思う者は少なくはないし、特に勇者には多い。
「まぁ、つまり。俺は変動が起きた後の迷宮を、この目で見ているわけだ」
言い聞かせるように、ハンスは告げる。
「だから、知っているんだよ。今の迷宮のどこに、何があるのか。どの層に、どんな魔物がいるのか。そして――あいつらを、ぶっ潰す方法もな」
ハンスの口から、思わず笑い声が零れ落ちる。
その瞳は、アジナを傷めつける時と同じ、嗜虐に染まっていた。
頭の中で組み立てた、狡猾な策略を口にする。
全てを聞いた二人の生徒は、悪党らしい笑みを浮かべた。




