透明な悪意、不透明な善意(3)
進級しても、大きな変化は特にない。授業風景は何一つ変わらないし、周囲の生徒たちだって、どこかで見たことのある者が殆どだ。ジックとアジナは高等部からゼリアスに入学したが、初等部、中等部から在籍している者たちにとっては、更にそう感じるだろう。
唯一、変化するのが授業の内容である。
とは言え、まだ進級してから一週間。新しく赴任した教師は自己紹介に時間を割くし、それ以外の教師も、経験則からか、序盤はできるだけ簡単な授業を行う。
取っ付き易いと言えばその通り。
だが、場合によっては非常に眠たくなる授業だった。
「こうして皮肉なことに、人類の力の源を最初に発見したのは、魔王だったわけです。その力の源は『生命の根幹』と呼ばれ、今では一般的な知識として扱われていますね」
女教師は、自らの知識を交えながら、教科書に記された内容を読む。
ゼリアスで学ぶ歴史の授業は、大抵が初代勇者の人生を追ったものだ。現代に生きる者にとって、初代勇者とは、神格化された英雄である。特に、その血を一滴でも流している現代の勇者にとっては、英雄であると共に、目標でもある存在だ。
遥か昔の話と言えど、先祖の偉業を聞くのは、中々誇らしかったりする。この感情を植え付けるのも、授業の目的に含まれているのだろう。
しかし、眠い。歴史は成り立ちを語るだけで、新事実を語ることはない。
過程を気にしない姿勢は浅慮とも取れるが、要はそれだけに関心を向けることが難しいのだ。隣のジックにつられ、アジナも欠伸をする。
「文字通り、『生命の根幹』とは生命の根幹。即ち、私たちが、この世界に存在するための力を表しています。これらは更に、三つに区分することが可能であり、それぞれ『命の系譜』、『心の系譜』、そして『魂の系譜』と呼ばれていますね」
要は、人間の存在を、生物学的ではなく哲学的に述べているのである。
人間は、命と心と魂で、できている。その真偽は定かではないが、この考え方は成長という点では、明確な指標となる。つまり、肉体を鍛えることで命を強化し、精神を鍛えることで心を強化し、決意を繰り返すことで魂を強化する。これらが人間における成長と呼べるものであり、それは勇者にも当て嵌まることだった。
命は、不老への道。その身体はやがて、老いることをやめる。
心は、不変への道。その感情は、どれだけ傷つこうが決して潰えない。
魂は、不屈への道。その信念さえあれば、いつか必ず、最果てへと辿り着ける。
などと、この考え方には様々な解釈が付き纏うが、どれも尤もらしいことを言っているだけで、それが実用できるかと言えば、首を横に振るしかない。これらは全て、歴戦の猛者と呼ばれる優秀な戦士たちが残した文言だが、その真意を理解している者は殆どいないのだ。少なくとも、発展途上の勇者たちが、戦場で剣を握りながら考えるというのは無茶な話である。気楽に、そういう思想がある、とでも捉えておけばいい。
だが、当時の魔王は、これを何より重視した。
それこそ、人間以上に。
「さて、それでは、ここからは更に掘り下げていきます」
教師が、僅かに気合を込めた声で言う。
この辺りで、場の空気に敏感な生徒は微睡みから目を覚ました。
「先程説明した通り、魔王は『生命の根幹』、およびそれを形成する三つの系譜に注目しました。その後、魔王は人類が持つ『生命の根幹』に対抗するために、三大魔石と呼ばれる道具を生み出します。では、この三大魔石について、誰か説明して下さい。……はい、そこの眠そうな君。眠気を覚ますためにも、立ち上がりましょう」
船を漕いでいる生徒を、敢えて教師は指名する。生徒は明らかに動揺した様子を見せていたが、辛うじて質問は聞いていたのか、一息つけば淡々と答えてみせた。
「枯爛石と、嘆毀石。それと、乖離石です。それぞれ順に、命の系譜、心の系譜、魂の系譜に働きかけます」
「その通り。ちゃんと話は聞いていたみたいですね。できれば顔も上げて下さい」
優しく諭されることで、かえって恥ずかしくなったらしい。起立する生徒は、周囲からの注目を避けるよう、慌てて着席した。
人の振り見て我が振り直せ。机についていた頬杖を解き、アジナは姿勢を正す。
「三大魔石は、それぞれ該当する系譜の力を、削り取る効果を持ちます。魔王はこの道具を用いて人類を滅ぼそうと目論みましたが――っと、今日はここまでですね」
鳴り響くチャイムに、教師は説明を中断する。
お疲れ様でした、と礼儀正しく腰を折った教師を傍目に、生徒たちは腕を持ち上げて伸びをした。休み時間に入ると、何故か眠気が覚める。
「さーて、ここからが本番だな」
「そうだね」
チーム勧誘の続きだ。気を引き締めねばならない。
次々と教室の外へと出て行く生徒たちの流れに乗って、アジナたちも廊下へ出る。
「すまん。ちょっとトイレ」
早々に出鼻を挫かれ、アジナは溜息を吐いた。さっさと行って来い、とジェスチャーで伝え、ジックの巨体が廊下の角に隠れるのを見送る。
生徒たちが次々と下校する中、アジナは壁を背にして、その光景を眺めていた。
「アジナ」
その時、自分に声が掛かる。
「ノスタン先生?」
振り向いた先には、虎の獣人。ゼリアスで教師を務めるノスタン=メイエルが、こちらに向かって歩み寄っていた。
「今、一人か?」
「はい」
「そうか。……丁度良い、話がある」
何度も世話になった、恩師とも言える存在。しかしその表情は、普段とは少し違う。何か余裕のない振る舞いに、アジナは疑問を感じた。
「次の席次試験、チームはもう決まったか?」
「今のところ、二人決まりました。後もう一人、誘う予定です」
「順調だな。どれくらい、いけそうだ?」
「最低でも三層を想定しています」
そう告げた直後、ノスタンは神妙な面持ちとなる。
「……駄目だ」
「え?」
「それじゃあ、駄目なんだ」
訥々とした口調で、ノスタンは語り出す。その声色は、今までの自信に満ちたものではない。これまで頼り続けていたこともあり、その様子は簡単にアジナにも伝染した。
「さっき、学校長から連絡があった。……次の席次試験。その結果次第で、お前は退学になるそうだ」
「……は?」
不意に、非情な現実が突き付けられた。
「厳密には、退学もあり得るってことらしい。しかし、実際に検討されたら……ほぼ間違いなく、お前は退学処分になるだろう。今までは事前に食い止めてきたが、今回ばかりは本気で拙い。正式に話し合う場を設けられれば――終わりだ」
退学――別に、想定しなかった言葉ではない。だが、それは唐突に形を持った。いきなり現れ、今、自らの目の前に突き付けられている。
「実を言えばな、前々から軽く話し合いはされていたんだ。自主退学ならまだしも、学校側が強制的に退学させるってのは、他の学校ならまだしも、ゼリアスでは前例がねぇ。しかし、それを言うなら……この歳で聖剣を持たない勇者ってのも、また前例がない。例外には例外を。そういう考えが、少しずつ浮上しているんだ」
申し訳無さそうに、ノスタンは続けた。
「アジナも、知っているだろ。ゼリアスは、泊をつけるには都合の良い学校だ。頭の悪い糞餓鬼も、ゼリアスを無事卒業したとなれば、勇敢な戦士とみなされる。そうなれば、貴族としての最低限の威厳を保つこともできるし、教養が無くても済むってわけだ。……認めたくはないが、そういった目的で貴族の子息令嬢がここを利用しているのは、確かな事実でもある。全員が全員、とまでは言わねぇがな」
少しずつ、感情の吐露が広がる。同時に、口調も荒々しくなった。
勇者の血は、広がる一方だ。それがこの時代、貴族と呼ばれる上流階級に混じっていてもなんらおかしくはない。彼らには二通りの生き方が存在する。貴族として生きるか、勇者として生きるか。本来ならば、二つは交えることがない。だが、中にはいるのだ。片方の生き方を踏み台にすることで、もう一方を補う者が。本人の意思ではないにせよ、あまり勧められたことではない。畑違いに嘆きたくなければ、一方に専念するべきだ。
「連中の目的は泊だ。だから、それを貶める存在は許容しないだろう。そして、そういう奴らに限って、権力が強い。……後はもう、わかるな?」
ゼリアスの泊を貶めるアジナを、奴らは排斥するつもりである。
これが、ただの不満であればよかった。しかし、ノスタンが言うには、次は話し合いの場が設けられる……つまり、発散する場が与えられるわけだ。不満は主張と化し、一考の余地が生まれる。アジナに味方をしたところで、メリットは何もない。
間違いなく、追い込まれる。
「五層だ」
眉間に皺を寄せ、窮地に立たされるアジナの前で、ノスタンは、はっきりと言った。
「昨年度の平均到達記録が三層。本来は四層と言いたいところだが、アジナのこれまでの成績を考慮すると、ただの進歩じゃ許されない。……よって、今回は五層を超えること。それが、話をチャラにする条件らしい。とにかく、どうにか凌げ。次の試験さえ乗り越えれば、また暫くは安全だろう。……ゼリアスは本来、来る者拒まず、去る者追わずの学び舎である筈だ。本人に意志さえあれば、幾らでも学ぶ機会を与えてやる。そういう場所で、ある筈なんだ。それを拒む奴らがいるなら、そいつらが他所に行けばいい」
本心を吐きながら、ノスタンは告げた。
純粋な、学び舎に対する誠意。それを感じたアジナは、何も言葉を発せない。
「俺からは以上だ。……負けんなよ」
最後に、ノスタンはアジナを見据えて、そう言った。力無く、ゆっくりとこの場を去って行くノスタンに、アジナは唇を噛み締めた。
不安だ。流石にその感情を、誤魔化すことはできない。
完全に後が無い状況。それを突破するには、想定していた階層よりも更に二つ上、五層まで探索を進めねばならない。過去、ジックと共に探索した最高記録が二層だ。そこから更に三つも奥の層へと進む必要があった。
未知の領域が連続で三つ。それは、精神的な苦痛が伴う。緊張や不安も、膨れ上がれば明確な脅威だ。探索は愚か、自らの命にすら、牙を剥きかねない。
「よぉ、剣無し」
その時、横合いから声が掛かる。
そこにいたのは、今、最も口を聞きたくない相手だった。
「……ハンス」
二人の取り巻きを引き連れたハンスが、こちらに向いていた。ニヤニヤと、嫌ったらしいその笑みは、最早、ハンスのトレードマークと言っても過言ではない。
それよりも、何故、彼がここにいるのか。
理由はわからない。けれど、この場にいて、このタイミングで声を掛けてくるということは、聞いていたのだろう。先程の、ノスタンとの会話を。
「聞いたぜ。お前、退学なんだってな」
「まだ、決まってはいない。それよりも用件はなんだ。ハンス?」
「おいおい。敵意を剥き出しにすんなよ。俺たちは、さっきの話に出てた、薄汚い貴族じゃないんだぜ。ゼリアスの将来を憂いた、心優しき生徒たちの代表だよ」
取り巻きと共に、ハンスは笑う。
よく言ったものだ。さも大義名分があるかのように、彼らは弱者を虐げる。
「チームメイトは決まったのか?」
アジナは答えない。
「また、あの豚か? それとも、今度は中等部の餓鬼でも連れて行く気か?」
耳障りな笑い声が上がった。
中等部の生徒と聞いて、アジナは首を傾げる。そしてすぐに誤解を察した。恐らく、サイカのことだろう。いつ頃の話なのかは不明だが、彼らはアジナが、サイカと共に行動する瞬間を見たのだ。ただ、間近で確認はしていないのだろう。彼らはサイカを、同学年の生徒だとは、露ほどにも思っていないようだった。
「どちらにせよ、やめておけよ」
ハンスが、見下した目でアジナを睨む。
「お前がいたら、足手まといだろうが。これ以上、他人を巻き込んでんじゃねぇよ」
「……っ」
それだけは、言い返すことのできない正論だった。
ムカつくことに、この男は自分の最も弱い部分を理解している。そして、そこを的確に抉ってくる。顔を顰めるアジナに、ハンスは畳み掛けるように続けた。
「手紙、来てるんだってな」
「……ぇ?」
唐突に、優しく、囁くように、ハンスは言った。
「嫌がらせの手紙だよ。よく部屋に届いてるんだろ? あれ、お前は慣れているかもしれねぇけど、ルームメイトはどう思ってるんだ?」
視界が狭くなった。だからもう、ハンスの愉悦に浸った表情も、気にならなかった。
ジックが、どう思っているのか――表面上は、共に怒り、また、自分を許してくれている。だが、その内側ではどうだ。腐れ縁とは言え他人。心の中までは読めないが、普通に考えてみればどうだろう。……とても、許容されているとは思えない。
「迷惑に決まってるよな? まさか、それさえも気づいてなかったのか?」
そんなことはない。ちゃんと、気づいていた。
けれど、今思えば、真剣に考えたことはなかったのかもしれない。
「はっきり言ってやるよ。ここは、お前の居場所じゃない。お前は、ここではない他の場所で過ごすべきだ。……なぁに、別にそう難しい話じゃねぇ。お前にだって、生まれ故郷はあるだろ? そこに帰ればいいだけだ。『学校の皆についていけませんでした』って正直に話せば、きっと許してくれるさ。色んな奴から応援されて、色んな奴から期待されていたのかもしれねぇけど、誰もお前を咎めやしねぇよ。全部、全部、台無しになっちまうけど、それは仕方ないことさ。だろ?」
声を殺した笑いが、取り巻きの方から漏れた。
気がつけば、足元に視線を落としている。抗うための言葉はなかった。頭の中の抽斗を全てひっくり返しても、今は言葉が出てこない。
「次の人生のことも、考えておけよ。迷宮で無茶やって、一生消えない後遺症なんかできちまったら、お前の人生、もう取り返しがつかねぇぜ。賢明な奴なら、ここは降りる。それとも体裁を気にして、自分からは降りたくないか? なら俺が手伝って――」
「――余計なお世話だ」
ハンスの頭を、大きな掌が掴んだ。
目を伏せていたアジナが、場の雰囲気の変化に顔を上げる。ハンスの背後には、怒気を露わにした猪の獣人――ジック=ウォルターが立っていた。
「て、てめぇ、離せ! この糞豚!」
「猿がいい気になってんじゃねぇよ。あと俺は、猪だ」
普段の、温厚な態度ではない。今のジックは一触即発の状態だった。
唯でさえの巨体。それが動き出すかと思えば、誰もが萎縮して行動を改める。活きが良いのはハンスのみ。取り巻きの数人は、既に息を殺していた。
ジックが腕を、ハンスの頭から離す。
僅かに安堵したハンスは、しかし直後、頭部に違和感を覚えた。
「あ? なんだ? 濡れて……」
「あぁ、それ、俺の小便」
「なっ――!?」
当然のことだが、嘘だ。常識的に考えれば、すぐにわかる。しかしハンスは盛大に取り乱し……即座に、それこそが最大の醜態だと悟った。
一通り笑ったジックは、満足したのか、ハンスたちを睨みつけて言った。
「んだよ、その目。言っとくが、お前の言葉には微塵も正当性がないぞ?」
「あるだろッ!! そいつは落ちこぼれだ! 剣無しだ! 見ていて苛つくんだよ! そいつのせいで俺たちは迷惑を被ってるし、他の奴らも――お前だって!!」
「勝手に決めつけんなよ」
ピシャリと告げるジックに、ハンスは口を噤んだ。
「少なくとも俺は、これっぽっちも迷惑に感じていない。その気持ちを他の奴らに押し付けるつもりはねぇが――それは、お前も同様だな?」
ハンスの物言いは全て、自分の意見を他人に押し付ける行為だ。
暗にそう言うことで、ジックはハンスを咎める。
「それに、さっき、ちょろっと聞いたんだが……部屋の手紙がどうのこうの、言っていたよな。ありゃあ一体、どういう意味だ?」
「あぁ? どうもこうも、お前らの部屋に大量の手紙が届くのは、全てコイツが――」
「いや、だからよ。なんでそれが、アジナのせいなんだ?」
アジナを指差すハンスに、ジックが心底の疑問を発す。
「そもそも――手紙を出しているの、お前らだろ?」
ハンスと、その取り巻きの顔が、一瞬とは言え硬直した。咄嗟に無表情を貼り付けて誤魔化すが、こうして間近で対峙していれば、見逃さない。今のは、図星の顔だ。
「マッチポンプやってんじゃねぇよ。バレねぇとでも思ってんのか」
形勢逆転、と表現しても構わないような、光景だった。
これまでの劣勢はなんだったのか。いつの間にか、そこには人垣ができ、口を噤む役者は、アジナからハンスへと移り変わっている。そこにただ一人、ジックという存在が加わるだけで、趨勢は完全に裏返った。
「行こうぜアジナ。コイツらに構う必要はねぇ」
アジナの肩を押し、ジックはハンスたちに背を向ける。
「待てよ」
しかし、立ち去るジックを、ハンスが止める。
「お前、どこまで話を聞いてたんだ」
「はぁ? ……手紙がどうのこうの、言ってた辺りからだ」
「やっぱりな。おい糞豚、教えてやるよ。そこの落ちこぼれはなぁ、今度の席次試験で五層を超えられなければ、退学だそうだぜ」
一瞬、ジックは馬鹿を見るような目で、ハンスを見た。そして、ゆっくりと隣に視線を移し、アジナに確認を取る。アジナは小さく、首を縦に振った。
「俺はただ、忠告しておいただけさ。無茶をすれば、取り返しがつかねぇってな。それはお前も同じだぜ。お友達がいなくなるのは悲しいかもしれねぇが、その我儘でアジナが傷を負ったらどうなる? ゼリアスを出た後のそいつの責任を、テメェは取れるのか?」
ハンスが得意気に訊いた。その眼中に、アジナはいない。
「馬鹿か、お前」
ハンスの問いを、ジックは、本気で馬鹿にするように一蹴した。
「俺はコイツの親じゃねぇ。友人だ。一緒に行動はすれど、責任なんざ互いに取るつもりはねぇよ。コイツが五層に行きたいなら、俺はそれを、自分の意思で手伝うだけだ。それで俺が死んだら、俺の責任。アジナが死ねば、アジナの責任だ。なんと言われようが、お前らの思い通りにはならねぇよ」
決められた台本を読み上げるかのように、ジックは告げた。急造の言葉ではない。さながら熱演する役者のように、ジックは静かに感情を込める。ハンスとその取り巻きは、返す言葉が見つからなかったのか。舌打ちして、足を一歩下げた。
「……覚えとけよ。どのみち、そこのクズは退学だ。そうなったら、次はお前だぜ」
「やれるもんならやってみな」
踵を返すハンスに、ジックは鼻で笑う。
「なんだ、アイツら。金でも握らされてんのか」
ハンスたちの後ろ姿を睨みながら、ジックは小さく呟いた。
安堵と、不甲斐なさにアジナは溜息を零す。それから、ジックの呟きに答えた。
「……多分、プライドが高いだけだよ。ゼリアスの生徒としてのプライドではなく、勇者としてのプライド……同じ勇者だからこそ、ハンスは僕のことを、許せないんだ」
剣無しという立場にあるアジナは、ああいう輩に絡まれることが多い。だから、自分を責めて来る理由がある程度わかる。ハンスの場合は、勇者としての矜持だ。
「それで、眼の届かない所に追いやろうってわけか? ……はっ、馬鹿馬鹿しい。あれじゃあ、器の小ささを露呈しているもんだぜ」
そうだね、と肯定することは、できなかった。
ジックの言葉は、強者のそれだ。ハンスの姿は消えても、ハンスから告げられた事実は消えない。確かに自分は、周囲を巻き込んでは、その足を引っ張っている。
「おいコラ」
俯くアジナの頭を、ジックは拳で突いた。
「あのなぁ、お前までマジに受け取ってどうする。俺はお前の人形じゃねぇんだぞ。迷惑だと思ったら、協力なんかしねぇよ。……誰かに頼ることは、別に恥ずかしいことじゃねぇ。一人じゃできないからって、すぐに諦める奴こそ本物の馬鹿だ。自分一人でやり遂げるのが勇気なら、誰かに頭を下げるのも勇気だぜ」
そして、俺たちは勇者だ――ジックは最後に、そう言った。
頼り、頼られ、時には単独で、時には集団で脅威に立ち向かう。振り絞るべきは、勇猛果敢であろうとする意思。勇者なのに、ではない。勇者だからこそ、他者に頼るのだ。
「最高の聖剣を、手に入れるんだろう? だったら貸しは全部、その後に返せ。俺はこれを、ギャンブルとは思ってねぇ。意味はわかるな?」
つまり、賭けではないのだ。ジックは、失敗の可能性を考えていない。
大幅な信頼を、アジナは感じ取る。ジックが信じてくれるから――ではない。自分が志し、それを応援してくれる誰かがいること。この二つが、今の自分の原動力だ。
「うん。――返すよ、絶対に」
自分に協力してくれたこと。これを、絶対に後悔させやしない。アジナの気概は、ジックにうまく伝わったようだった。
「んじゃ、行くぞ。次の勧誘は絶対に外せないぜ」
廊下を抜け、校舎の外に出て、更に進む。グラウンドを横断し、学生寮に帰るわけでもなく、アジナたちは、荘厳な校門の間を潜り抜けた。
「それじゃあ、気合入れて――」
目的地が見えてきたところで、ジックは眦を鋭くしながら、言葉を放つ。
その続きは、アジナが担った。
「――ファナ=アクネシアの、勧誘といこうか」
二人の目の前には、大きな屋敷が座していた。