透明な悪意、不透明な善意(2)
銀髪で、ちょっと背の低い女子生徒を知りませんか?
この質問を何度か繰り返している内に、アジナはとある教室へと辿り着いていた。同学年であることは知っていたので、あまり時間はかかっていない。腰に佩いた剣を見られて偶に無下にあしらわれたこともあったが、どうにか目的地へと到着した。
探し人は勿論、サイカ=フェイリスタンだ。
「話によれば、ここだけど……」
幸い、まだ教室の中に生徒は少ない。閑散とした雰囲気の中ならば、人探しも容易だろう。意を決したアジナは教室へと踏み入り、視線を左右へと動かした。
そう時間が掛かることもなく、教室の片隅にサイカの姿を確認する。
昨晩となんら変わらない、銀色の長髪に小柄な体躯。彼女は特に何かをしているわけでもなく、ぼうっと窓の先を眺めていた。思い悩むことでもあるのか、時折、小さな唇が開いては溜息が零れる。……こうして傍から見れば、随分と大人っぽい雰囲気を感じるものだ。アジナは暫し見惚れながらも、ゆっくりと彼女に歩み寄った。
「サイカ」
声を掛けた直後から、サイカの大人っぽい雰囲気は霧散した。
弾かれるように肩を跳ね上げ、雪のように白かった横顔は、あっという間に赤く染まる。その急変っぷりに、アジナは思わず苦笑した。
「あ、あぁ、あ、アジ、ナ……?」
あぁ、やっぱり彼女の本性は、こっちだな……。
自分の中で、サイカの印象が固まってきているのを実感しつつ、アジナは口を開いた。
「おはよう」
「お、おはよう。な、なんの用かしら?」
今更冷静になったところで、遅い。
人差し指で髪の毛をくるくると弄りながら、サイカは普段通りを装う。歯切れ悪く、上擦ったサイカの声色は無視することにして、アジナは本題に入ることにした。
「ちょっと相談があるんだ」
「……相談?」
「うん」
少しずつ頭が冷えてきたらしいサイカに、アジナも安心して告げる。
「実は、今度の席次試験についてなんだけれど……その、よければ、僕とチームを組んでくれないかな?」
「チーム……」
表情から察するに、席次試験の内容については理解しているようだ。
今回の試験では、チームを作ることが許されている。最低で一人、最大で五人。人数が多いほど、より深くまで探索を行えるだろう。普通に考えれば、食堂の生徒や今のアジナと同じように、誰もが自チームの増員を図っている筈だ。
サイカがどの程度、周囲から期待される人物なのかは知らないが、あまり当てのないアジナにとって、彼女に断られるのは痛い。
何やら思案するサイカに、アジナは内心穏やかではなかった。
「でも、私……弱いわよ?」
「そんなことはない、と思うけれど……」
少なくとも自分よりは確実に強い。そう言おうとしたアジナだが、数瞬先の未来を読んですぐに思い留まる。昨晩の様子を見るに、ここで自らを卑下すれば、かえって機嫌を悪くしてしまうかもしれない。
かと言って、正直に「他に当てがない」と言うのも、拙いだろう。
「とにかく、サイカに協力して欲しいんだ」
強引に、要求を締め括る。これが一番、無難だとアジナは判断した。
そこに何か、心に来る言葉でも含まれていたのか。自信無さげだったサイカの顔が僅かに綻ぶ。相変わらず、サイカは感情表現が豊かだ。
「わかったわ。協力する」
「良かった。……ありがとう」
サイカの返答に胸を撫で下ろしたアジナは、安堵の息を吐く。これで、探索のチームは三人。少なくとも、これまで以上の成果は期待できるだろう。
「ちなみに、そのチーム、他には誰かいるのかしら?」
「ああ、一応、僕の友人が一人いるよ。ジック=ウォルターって言うんだけれど」
「ジック=ウォルター……それって、獣人の?」
「あれ、知ってるの?」
「ええ。知り合いがディーンに所属しているから、その伝で」
成る程、とアジナは納得する。
ディーンとは、ゼリアスに多数存在するパーティの一つである。スフィリアのように少数精鋭とはいかないが、ディーンの場合、所属人数が特徴的だ。
ディーンは、全パーティ中、最多の所属人数を誇る。来る者拒まず去る者追わずのスタンスは、気楽なイメージを与えてくれるのだ。所属している生徒も、性別や学年が様々であり、人脈を形成するには最適なパーティと言えるだろう。
元々、ジックは社交的で顔が広い。村でも人望の厚さに定評があった。
だから、サイカがジックのことを知っていても、さほど不思議ではない。
本人から聞いたことはないが、恐らく、彼自身も人付き合いが好きなのだろう。ディーンへの加入を決める時も、ジックはどことなく、楽しそうな様子だった。
「評判はいいけれど、色々と目立つ人だと聞いているわ」
「主に見た目がね」
かつて、アジナがまだ火災に巻き込まれる前のこと、友人と遊ぶために、ジックを待ち合わせ場所の目印にしたことを思い出した。ジックは当時から身体が大きかったのだ。今となっては、半身以上の身長差がある。筋肉が引き絞られている分、横に広い印象はないが、真正面から対峙すれば、それだけで威圧感を覚えるだろう。
だが実際、ジックはあまり、人から怯えられない。
それはジックが持つ、天性の親しみやすさによるものだった。
話術なのか、表情なのか、或いはそれ以外の心理的なものなのか。正体は不明だが、ジックの人を惹きつける魅力は、確かなものだ。
「とにかく、そのジックともチームを組むことになっている。後は……もしかしたら、もう一人増えるかもしれない」
「もう一人?」
サイカの反応に、アジナは少し、言葉に迷った。
「まぁ、その人も含めれば、チームは四人になると思う。試験まであまり日数もないけれど、事前に顔合わせとかした方がいい?」
「そうね……別に、問題ないわ。試験と言っても、時間は丸一日与えられるわけだし、役割分担などは当日に話し合いましょう」
「了解」
作戦を練る時間は、いくらでもある。それに、正直な話、綿密な作戦を要するほどの難敵には挑むつもりがなかった。アジナも、自分の弱さは理解している。自分がチームの足を引っ張る分、探索は難しくなるだろう。
そう考えると、協力してくれる人には罪悪感を覚えてしまう。
本当に、自分なんかに協力しても良いのだろうか。
「その、今更だけど、本当に良かった? 多分、探索はそこまで深いところまで潜らないし、同じパーティの人から誘われたりしたら、断ってもいいけれど……」
なるべく当たり障りのないよう、アジナは不安を告げる。その唐突な態度の変化に、サイカは少しだけ間の抜けた表情を浮かべた。
「さっきも言ったけれど、私もあまり強くないわ。それに、パーティにも所属していないから、自力でチームを集めるのが難しいのよ。だから正直、今回の提案は助かるわ」
「そっか。……なら良かった」
嘘には思えない。本音なのだろう。
日頃、周囲から蔑まれていたからか、どうにも卑屈になりがちだ。少なくとも、自らを肯定してくれたこの少女の前では、その癖を治した方がいい。
アジナは、敢えて疑念を抱かなかった。
甘えているのかもしれない――彼女の優しさに。
小さい。けれど真っ黒な雫が、心のどこかに垂れ落ちる。目の前の少女は、自分の、これまでの狭い世界をこじ開けてくれた。けれど、開けた世界から吹き込む風は、常に幸福の風とは限らない。その風は時に、言い知れぬ不安を運んでくる。
「それにしても、サイカもパーティに所属していないんだね」
自らの不安を誤魔化すように、アジナは話題を変えてみせた。
「ということは、アジナも?」
「うん。なんて言うか、あまり気になるパーティがなかったから」
「私も似たような理由よ」
相槌を打ちながら、アジナはゼリアスの常識と現状を、照らし合わせた。
パーティに所属していない生徒は、少数派だと聞いている。
基本的に、パーティには大きな拘束力がない。にも関わらず、その恩恵は様々だ。メリットしかないならば、大抵の生徒はその制度を利用するだろう。
「成績を上げるなら、パーティにも所属するべきかな……」
留年という恐怖に晒されるアジナは、そんなことを呟いた。
学校は、生徒に成績を上げる機会を豊富に用意してある。それが勇者の養成に直結するからだ。パーティに加入すれば、その機会を更に利用することが可能となる。パーティ専用の依頼は、個人で受注できる依頼と同程度には数がある。
「でも、あまり無理して入らない方がいいわよ。下手にパーティの人と仲違いしたら、普段の生活にも支障をきたすかもしれないし」
「そうなんだよなぁ……実際、入りたいパーティがあるわけでもないし」
ううむ、と顎に指を添えて悩むアジナ。
その隣で、サイカは何か閃いたかのように、アジナへ顔を向けた。
「なら、自分でパーティを立ち上げてみるのはどうかしら。最低規模のものならメンバーは二人いれば十分だし、後は学校長から許可さえ貰えれば、簡単に作れるわ」
我ながら盲点だった――そんな内心が、サイカの表情からひしひしと伝わってくる。明らかに手応えを感じている顔だ。どこか満足気に、アジナの返答を待っている。
しかしアジナは、微妙な表情で応えた。
「それは、難しいと思う」
「どうして?」
「人を惹きつける自信がない。この見てくれじゃあ、仮にパーティを作ったとしても、誰も入ってくれないよ。学校長も、見込みが無ければ許可しないだろうし……」
腰の鞘をつつきながら、そう言う。
流石にこればかりはジックにも期待できないし、頼むわけにもいかない。
「え、あ、その……」
アジナの言葉に、サイカが戸惑う。
そして、戸惑ったまま、彼女は告げた。
「わ、私じゃ、駄目なのかしら……?」
もしかして彼女は、自分の創りだした、都合の良い幻想ではないだろうか。
頬を赤らめて、サイカは言う。チラチラとアジナの顔を見ては、伏し目がちになるその姿は、まるで母親の機嫌を窺う子供だ。赤紫の瞳が、不安に揺れている。
アジナは、これが幻想でない確信を得るべく、頬を抓った。
「え、いいの……?」
「も、勿論よ。ア、アジナさえよければ、だけど……」
「いやいや、全然いいよ。ていうか、凄く助かる」
若干の混乱と共に、アジナは答えた。
同時に、これまで想像もできなかった未来が、唐突に開けるような気がした。棚から牡丹餅とでも言うべきか。パーティの結成も、本格的に検討する価値がある。
アジナが将来について思考していると、頭上から予鈴が鳴り響いた。
「色々とありがとう。続きはまだ今度にしよう」
「ええ。今は一先ず、試験の方に集中ね」
試験の成績が良ければ、それが学校長の目に止まり、パーティ結成の許可を得られるかもしれない。いずれにせよ、今、優先すべきは席次試験だ。
生徒が着席しつつある教室の中、アジナは最後に、一言告げた。
「試験が終わったら、パーティの方も真剣に考えたいと思う。その時は、よろしく」
暫しの硬直。その後、大きく首を縦に振ったサイカを見て、アジナは満足気な顔で踵を返した。心なしか、足が軽い。顔は自然とにやけていた。
迷宮探索のチームは、これで三人となった。
もう一人の勧誘は、ジックが同時に行動してくれている手筈となっている。もしかすれば、先に結果を持ち帰っているかもしれない。
「アジナ!」
自身の教室に入る直前、アジナは横合いからの声を聞いた。
そこには、こちらに早足で向かって来る、ジックの姿があった。アジナはその巨体が自分に近寄るまで待機し、隣についた辺りで教室に入った。
「ジック。うまくいったよ。サイカは協力してくれる」
「おお、そりゃあ良かった」
「そっちは?」
「悪い。探してみたんだが、見つからなかった。続きは放課後にしよう」
「わかった」
適当に空いている席を探し、そこに座る。
続きは放課後。それまでの数時間は、普段通り、授業を受けるだけだ。