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煌鋒の勇者  作者: サケ/坂石遊作
一章『覚醒』
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序章:あの日

 ――――惚れた。


 轟々と燃え盛る炎に囲まれて、少年はそう思った。

 灼熱の業火が地を舐める。緑溢れる大草原だった筈の光景が、今では見る影もない焼け野原だ。芝という衣を剥がれ、虫や動物は追いやられる。裸を晒した土の地面は硬く、冷たい。少年は、汗に塗れた身体を、そこへ横たわらせていた。

 もう駄目かと思った。

 自分もこの、荒れ狂う炎の一部になるのだと諦観していた。

 紛れも無い死を前にして、少年は瞳を閉じ、額にざらざらとした砂粒を感じながら、その時を待っていた。だが、いつまで経っても死は訪れない。草木の焼け焦げる臭いを依然として感じるにも関わらず、この身体だけはいつまで経っても焼けないのだ。

 そうして、少年は生き長らえていることに疑問を持ち、恐る恐る頭を上げ――。


「やぁ、少年。気分はどうだ?」


 ――――惚れた。


 灰色の空の麓、艷やかな黒髪が熱気に翻る。この荒々しい煉獄のような光景には、似つかわしくない美貌。それを備え持つ彼女は、少年の顔をみるなり微笑した。髪と同じく漆黒の外套をたなびかせ、炎の狭間を散歩道のように悠々と歩いて近づいてくる。

 捻れ、折れ曲がった木々が炭へと化す音と、身体の奥底から聞こえてくる、激しい鼓動の音。二つの音が混在し、少年の脳味噌は二重の意味で熱に苦しんだ。


「……ぁ」

「ふむ、暑いか。私も暑いぞ。……当たり前だな」


 思わず零れ落ちた言葉を、彼女は曲解する。


「先に、炎を消すか」


 次の瞬間、彼女は右手を横薙ぎに振るった。

 それだけで、全てが消える。一瞬の、風が根刮ぎ掻っ攫われる音。大気が激しく震動したかと思えば、いつの間にか熱が消えている。草木の焼け焦げる臭いも。灰色の空も。少年が胸中に抱いていた不安さえも。全てが消し飛んだ。

 見渡す限りの荒廃に、最早火の手は一切見えない。


「こんなところか」


 炎が消失したことを確認し、彼女は呟いた。横に薙いだ腕を、再び腰の横に戻す。細い腕だ。この腕から先程の一閃が放たれたとは、あまりに信じ難い。

 その謎の解答は、彼女が右腕に握る、一振りの剣だった。

 傷一つなく、汚れ一つないその造形は、武器か芸術品なのか区別がつかない。

 繊細な造りは触れるだけで手折れそうな儚さを醸し出す。だが、実際は一太刀で空を薙ぎ、一突きで大地を断割する力を持つと言う代物だ。

 白く聖なる衣を纏い、常に煌々と輝くその剣の名は――聖剣。

 勇者の血筋を引いた者にしか扱えないという、使い手が選ぶのではなく、自らが使い手を選定する世にも奇妙な武器。だが選り好みをするだけはあって、その性能はおよそ武器と呼べる物を凌駕する域にある。伊達に、魔王を滅ぼしたという逸話が語り継がれてはいない。聖剣は紛うことなき、最強の武器だ。


 ――――少年は、惚れた。


 世にある数多の宝石よりも美しい、その彩りに。

 爆炎よりも迫力ある、その雄大さに。

 乾荒原に咲く一輪の華よりも揺るぎ無い、その気高さに。

 英雄ですら喉から手が出るほど欲しいと言うであろう、その強さに。

 言葉しか知らなかったその存在も、いざ目の当たりにすれば魅力が理解できる。あまりにも美しく、あまりにも猛々しい。気がつけば息すら忘れてしまいそうになる。さながら悪魔の魅了だ。魂が抜かれる。

 この瞬間、少年は間違いなく、惚れていた。

 目の前の女性に、ではない。

 彼女が握る、一振りの聖剣に、少年は心を奪われた。


「……すごい」


 舌足らずな、まだあどけなさを残す声色が思わず紡ぐ。


「すごい、すごい、すごい……!」


 ただ感情を吐き出す。拙い語彙力で、恥じること無く吐き出し続ける。そこに願望の類は一切ない。はち切れんばかりに思いを、発散せずにはいられないだけだ。

 勇者は、少年の瞳が自らの握る聖剣に向いていることに気づき、得意気な顔をした。


「そうだろう。当然だ。なにせ、私の相棒だからな」


 黒髪の女性は、笑いながら言う。


「なぁ少年。聖剣が欲しいか?」


 そして、問う。その表情に笑みはない。真剣な面持ちだった。

 少年は、問いの意味を理解することができず、硬直する。


「見たところ、君も勇者だろう? なら、資格はある筈だ」


 微笑する彼女が視線を寄越したのは、少年の左肩だった。炎に焼かれたのか。それとも逃げ延びる最中に転んで傷つけでもしたのか。少年の衣服はボロボロだ。

 裂けた襟元から覗く少年の左肩には、薄桃色の痕があった。

 傷痕ではない。これは、証だ。刻まれた模様の意味は不明だが、それが刻まれている時点である証明が行われる。――即ち、血統の証明だ。

 聖剣を握る勇者は確信する。この少年は、自らの同胞だと。


「……くれる、の?」

「やらん。これは私のものだ。誰にもやるつもりはない。しかし、少年が別の聖剣を手に入れたいと言うのならば、話は別だ」


 その女性は、続けた。


「こうして巡り会ったのも一つの縁だ。手助けくらいはしてやろう。しかし、あくまで手に入れるのは少年自身だ。少年は、少年だけの聖剣を見つければいい」

「僕、だけの……聖剣?」

「ああ。断言しよう。君は必ず、この剣に勝るとも劣らない聖剣を、手に入れられる」

「ほ、んと?」

「本当だとも」

「なら、欲しい……僕も、そんな聖剣が、欲しい……」

「よし」


 その返答を待っていたと言わんばかりに、女性の行動は迅速だった。


「では、私のお下がりで悪いが……これを授けよう」


 手に持っていた聖剣を地面に突き刺し、彼女は己の首元に手を伸ばす。

 掬い上げられる黒髪の内側から取り出されたのは、銀色のネックレスだった。少年は既にそれを受け取る程の力すら失っている。それを承知の彼女は、うつ伏せになった少年の元に歩み寄り、そっとネックレスをかけてやった。

 慣れた手つきとは言い難い。元々、彼女にとってそのネックレスは、常に肌身離さず身に付けるものだったのだ。取り外しと取り付けの動作は、さほどこなしていない。

 程なくして、少年は首元にひんやりとした感覚を得る。


「後で確認して見るといいが、中々の逸品だぞ。表面なんかは特に拵えられている。所詮は偽造のために過ぎんと言うのに、職人が妙に拘りだしてな。当時は無駄に時間を費やしたと考えていたが、今では良い買い物をしたと思っているよ。しかし残念なことに、改心したところで、私にはこれを見せびらかす機会がなくてな。その点、将来有望な若者ならば大丈夫だろう。少年よ、どうか私の無念を晴らしてくれ」

『ちょっと、カティナ』

「むっ、しまった。肝心なことを話していなかったな。いいか、少年よ。よく聞け。そのネックレスは、ただの装飾品ではない。外見からはわからないかもしれないが、そこに埋め込まれている石の名は――」

『カティナ! カティナ=アストラル!!』


 その時、どこからか怒声が響いた。

 周辺に人影はない。ここにいる人間は二人だけだし、その内の片方は聞き手である。しかし、もう片方の声でないことも明白だった。後者は無反応を貫く。そして、前者である勇者は、熱弁を一時中断して、見るからに面倒臭そうな表情を浮かべた。


「待ってくれ、今いいところなんだ」

『待つのはあなたの方よ』


 声の主は、勇者が握る聖剣だった。

 武具が言葉を語るなぞ、怪異にも等しい。だが聖剣は、ありとあらゆる神秘を再現できるとまで言われている規格外の存在。対話なぞ、造作も無かった。


『また、あなたの悪い癖ね。簡単に熱中して、すぐ止まらなくなる』

「しかし、これからが本題だというのに。ここで止めるのは寧ろ駄目だろう」

『馬鹿、気づきなさい。――その子、寝ているわよ』


 厄介な癖を持つ勇者も、流石にその一言で口を止めた。

 聞き役がいない会話に意味はない。口を閉ざした彼女は相棒の一言を聞き入れ、静かに少年の身体を仰向けにした。幸せそうな顔で、規則正しく吐息を漏らしている。

 確かに熱中し過ぎていたようだ。自分は今まで、独り言を繰り返していたらしい。


『早速、あなたの渡した物が効いたみたいね』

「そのようだな」

『気は済んだでしょ。さっさと回収して、ここを去るわよ』


 当然のように、聖剣が告げる。

 だが、カティナと呼ばれた聖剣の使い手は、小さく首を傾げた。


「回収? 何を言っている、あれはもうこの子の物だぞ」

『は?』


 愕然とした、そんな感情がありありと伝わる声色で聖剣は反応した。怒り半分、呆れ半分といったところか。長年付き添っているだけあって、カティナの予測はほぼ正しい。


『だって、授けるって……』

「言葉の綾だ。私としては、贈り物のつもりだよ。それに、仮に言葉通りだとしても、こんなに早く返してもらうわけないだろう。私は鬼畜か」

『ならあなたは、この子にあれを預けたままにするということ? ……ありえないわ、それこそ鬼畜の所業よ。最悪、死ぬ可能性だって否定できない』

「死なないさ」


 間髪を入れず、勇者カティナは応えた。

 妙に自信に溢れた物言いだ。けれど、聖剣は反論しない。カティナの、全てを見通したような眼には、何故か説得力を感じるのだ。


「彼ならば、きっと、乗り越えてみせる。……言っただろう? この子は必ず、お前に勝るとも劣らない――最高の聖剣を手に入れる、とね」

『私に、勝るとも劣らない、ねぇ……』

「なんだ、拗ねているのか?」

『違う。ただ、信じられないだけよ』


 そうは言いつつも、聖剣は再び使い手を責めるようなことは言わなかった。ただ、怪訝に思っているのだろう。聖剣は、淡い光を明滅させる。


「ま、少年も馬鹿じゃないだろう。身の危険を感じたら、すぐにでも外すさ」

『それなら、いいけれど……』


 本当に、そうだろうか。相手は子供だ。それも、相当無垢な少年だ。先程の、気力を振り絞る彼の姿を、こうも容易く看過してもいいのだろうか。


「さて、では行こうか、ラフェストラ。ここにもう用はない」


 ご機嫌な様子で踵を返す、勇者カティナ。

 聖剣は、最後まで自分たちの行いに疑念を巡らせていた。


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