第四回 一日千秋
* ダイナマイト巫女
いやー、やっぱり夏はなんといってもプール!ですよね!今日みたいにカンカンに晴れた日ならなおさら!ま!私にとってはずっと晴れだからあんまり関係ないけどそれはそれ。
久し振りのプールはやっぱりテンション上がるってもんでしょ!ちなみに兄貴と弟が一緒だからロマンスなんか期待できないないけれど、そこんところは諦めた。水着出そうとすると弟に絶対見つかるんだよ。それなら兄貴と一緒の方が面倒事を押しつけられるというもの。
「こら、危ないから走るんじゃねーよ!」
その兄貴が弟を注意している。普段から意外と面倒見のいい奴だけど、これはたぶん周りへの、というよりもこの目の前でウルトラダイナマイトなボデーを見せつけてくる巫女さん(今は水着)へのアピールに他ならない。
一方のちびは、隙あらばこのきれいなおねーさん(残念ながらもちろん私のことではない)に抱きつく隙をうかがっているのである。もう何度も見ているので間違いない。
「ええい、うろちょろするな!」
「キャハハハハハハ!!!」
基本的に、ちび助は追いかけられたら逃げ回る。何で追いかけられてるのかなんてすぐ忘れてしまう。そして、いつものように兄に先回りされて、それを無理矢理よけてきれいなおねーさんにぶつかってしまうのだった。
これが漫画ならなぜか水着が脱げてサービスショット!てなもんだけど、現実はそんなに甘くないよね。きれーなおねえさんは小一に体当たりされたぐらいではびくともしないのだ。素晴らしい体幹。
「あらあら、おちびさん、大丈夫だった?」
おへそのあたりに顔を埋めたままのちび助をなでながら余裕のセリフ。それを見て恨めしそうにしている兄は犯罪者寸前の面構え。他人のフリをしたい。
「ん、お待たせ」
そこに、最後の一人がやってきた。私のクラスメート、秋篠鈴子だ。その姿を見て、なにやら兄貴がそわそわしている。わからんでもない。なぜか鈴子は高二にもなって市民プールで学校指定のクソ地味な水着で、しかもなぜか竹刀袋のようなものを背負った実に中二心をくすぐる出で立ちなのだった。
で、その隣でうちの弟に抱きつかれているのが、知る人ぞ知る地元のスーパーアイドル巫女さん、秋篠みかんさんだ。まっ白なビキニがちょう眩しい。
「おっす、鈴子、こんちわ」
「ん、藤谷、さん?」
待ち合わせをしている風に見えて、実は藤谷家ご一行様と秋篠家ご一行様は何の関係もない。たまたま、隣に立ってるだけだ。鈴子とも実は取り立てて仲がいいわけではない。まあ、鈴子が誰かと仲良くしてるところってのは、ほとんど見たことないけどね。
「あら、鈴子ちゃんのお友達だったの?」
「んー…、クラスメイト?」
疑問系だ。私も同じことを聞かれたらたぶん同じように返す。
「どうも、クラスメイトの藤谷千晶です。こっちは弟と兄貴」
「ど、どどどうも、兄です」
ご紹介に預かった兄貴が頭を下げる。テンパりすぎて名乗るのを忘れているキモい奴。
「私は鈴子ちゃんの姉の、みかんといいます。よろしくお願いします」
「あ、や、はは、そんな、ど、どうもご丁寧に」
深々と頭を下げたダイナマイト巫女さんこ谷間は凶悪だ。気持ち前屈みになる情けない兄であった。
「ふじたにたかし、ろくさいです!こんにちわ!」
「あらまあ、こんにちわ。これはご丁寧に。秋篠みかん、二十五歳です」
言いながら、またも深々とお辞儀。何度でも言うが、ダイナマイト巫女さんの谷間は凶悪だ。そこめがけて六歳児決死のダイブ!ああっと!顔面が!けしからん!
「あらあら」
巫女さんはちょっと困ったように、けれど嬉しそうに六歳児の頭をなでている。基本的に子供が好きなんだろうな。
兄貴が後ろでなにやらキョロキョロしているが、あれは躓きそうな石を探しているのだ。一度、あらかじめ大きめの石を配置してみたことがあったが、その時はわざとらしく蹴躓いて巫女さんに飛びかかり、ひらりと回避された上に鈴子に一撃もらってプールにダイブしていた。
「ぼくおねーちゃんとあそびたい!」
キラキラのピュアスマイルでのたまう我が弟。もちろん兄貴の差し金だけど、これが有効なのも私はすでに知っている。黒幕は私だ。
というわけで、藤谷家は巫女さんと合流した。ちなみに、鈴子は「勝手にすれば」とだけ言い残して、隅っこの遠泳用レーンにアスリートばりのバタフライを披露しにいった。
* 犯人は…
プールサイドで膝から下だけプールに浸けて、逆サイドの子供用プールで数人の子供に群がられている真っ白ビキニのダイナマイト巫女さんを見ている。
首尾よく憧れの巫女さんとプールデートする事になった兄ではあったが、その幸せは長くは続かなかった。この巫女さんは地元で知らないオタクがいたらそいつはモグリ、と言われるほどのカリスマだ。
黙って立ってるだけでいろんなものが寄ってくる。特に小さい子が多いのは、おっきいお友達はあまりにも清浄な空気に当てられて近寄れないからか。
だらしない顔でその様子を眺める兄貴が気持ち悪い。とても気持ち悪い。大事なことなので二回言いました。大方、弟を見守るのは兄の義務、とか考えながら、巫女さんの紐の部分が事故で外れるのを今か今かと待ちかまえているんだろう。でも残念だったな!あの紐が外れたことは未だかつて一度もない!
私も興味を持って色々やってみたことはあったけど、ことごとく無駄だった。巫女だけに、きっと神様に守られてるんだ。首尾よく脱がすことに成功してとも、謎の白い光が差し込んで見えないんだろう、きっとね。
なんてことを考えていると、すっ、と私の隣に誰かが座った。明らかにナンパとわかる薄ら笑いを浮かべて何か話しかけてくる。
正直全く興味がない。発生条件は曖昧だけど、このイベントの回避方法ならちゃんと覚えている。大丈夫だ。問題ない。
その時ふと、こっちを見ていた兄貴と目があった。どうしよう妹がヤンキーに絡まれてる、とか思っている顔だ。そう言えば、コイツに絡まれているときに兄貴を見たのは初めてかもしれない。助けようかな、どうしようかな、とか考えているのだろうか。兄貴だから何とかしなきゃ、って。巫女さんも見てるしな。
しかしつい、と目を逸らされた。ヘタレだ。別に期待してたわけじゃないけどね。
はあ、と小さくため息。さて、そろそろこのウザい茶髪にはお引き取り願おう。
そう思って口を開きかけたそのとき、なぜか茶髪のチャラ男が怒っていた。あれ、おかしいな、今までこんなことなかったのに。
「―――!!!―――!!」
チャラ男はなにやらすごい剣幕で叫んでいるけど、気合いが空回りしすぎてなにを言っているのかさっぱりわからない。まだ犬か猫の方が意志疎通できそうだ。
それでも「はあ」とか「へえ」とか返しながらしばらく聞いていると、何となく何を言っているかわかってきた。どうやらさっきのため息にカチンと来てしまったらしい。
いや、違うんですよ、あれは兄貴に対してですね、なんてイイワケを差し挟めるような雰囲気でもない。ちらりと、目の端で巫女さんがこっちを見ているのがわかった。いや、巫女さんだけじゃないな。みんな見てる。はずい。
ずい、と男の手が伸ばされた。当然避けるよね、怖いし。
とん、と背中に何かが触れた。そこにいたのは、なんと鈴子だった。その手にはロッカールームから出てきたときに持っていた竹刀袋があった。
「なにかツいてるな」
私だけに聞こえるような、小さい声だった。
「ついてるって何が?」
「ん、あまりよくないものだ」
もしかしてユーレイ的なものだろうか。この子も巫女さんの妹だからな。
「テメエ、何だよ!!?」
無視してガールズトークを始めた私たちに、いよいよ激昂したチャパ男が掴みかかってきた。初めての展開だけど、何となく先は読めた。
これはアレだ。ラッキースケベ狙いの兄貴をことごとく返り討ちにしたアレが来る。
無造作に差し出された腕を私の肩越しに鈴子の細い腕がからめ取った。と思った次の瞬間には、何をどうやったのかチャパティの体がふわりと一回転していた。
「うわらば」
無様にプールサイドに転がされたアミバ様。なんか白目むいてる。大丈夫かこれ?新でないよな?爆発したりしないよね?
…よし、大丈夫そうだ。
「ありがとう、鈴子すごいね」
「ん、問題な… あ」
「え?」
間の抜けた鈴子の声に、視線を追って振り返った私の目の前にいっぱいに肌色が広がっていた。
「はぶっ!?」
それはそのまま、私の鼻のあたりに突っ込んできた。固い!これはアレだ、誰かの肘だ!
いきなり肘鉄をお見舞いされた私は、なす術なくその場に倒れた。まあ、倒れる先はプールだ。コンクリよりマシか。とか妙に冷静な自分に気づく。
傾いた視界で犯人の姿を捉えた。犯人はヤス、じゃなくて、兄貴だった。どうやら、私を助けようとして駆け寄ったみたいだけど、その時たまたま転がってきたチャパ王に足を引っかけてすっころんだ様子。
このやろう、絶対に許さない!!
ざばん。
ろくに体勢も立て直せず、着水。早く出なければ。
…
……あれ、おかしいな?体が動かないぞ?そう言えば鼻のあたりって人体の急所があるんじゃなかったっけ?なんだか心なしか頭もぼーっとしてきたような。なんか赤いもやが見えるな。あ、私の鼻血か。
兄貴と鈴子の声がやけに響いて聞こえる。これはアレかな?もしかして死ぬかな?
* かんがえたってむだなのだ。わたしだもの。
気がついたら、朝でした。
無言のままパソコンを起動。
はい、八月一日です。
なんだかすごいモヤモヤする。私は昨日、兄貴たちとプールに行った。そこでいろいろあって最終的には肘鉄喰らってプールに落ちた。そこから先の記憶はない。
あれから私はどうなったんだろうか。すぐそばに鈴子も居たし、さすがに死んだってことはないと思う。試したことないから死んで無事に朝を迎えられる保証はない。
「うーん」
ベッドに腰掛けてうなり声なんかあげてみても、答えなんか出るわけがないのだ。
「さて、と」
この気持ち悪いモヤモヤを払うには、かなでと真剣勝負に興じるのが一番。というわけで、朝ごはんを済ませるとすぐにもうすっかりお馴染みになったルートをたどって図書館へ向かった。
果たしてそこにはいつものように本を読むかなでの姿がある。街で見つけた獲物にタカる不良のようにオラオラと近づいて一方的に勝負を申し込んでも嫌な顔ひとつせずに応じてくれる姿が頼もしい。
ちなみに、さすがに何年も似たようなことを繰り返していた私は、その日一回目の対局であればほぼ勝てるようになっている。ま、初回の対局は大体いつも同じ展開になるからそれを覚えているだけなんだけど。たまにタイミングなのか何なのか違う手を打ってくることがあって、そういうときには大体負ける。本気でない彼女相手なら、何回かやれば勝てるから特に問題はないんだけど。
プレイ中のお遊びで「もし同じ一日が繰り返されるとした?」という「設定」の話にも、かなではしっかり乗ってくれる。前にかなでが言ったことをふまえて話をすれば、どんどん新しい話題が出てくる。こいつはすごい奴だ。
「じゃあさ、もし、死んだらどうなると思う?」
「そこで終わりでしょうね」
即答。この質問は、今日が初めてじゃない。むしろ、この答えを聞き出すためだけにちょいちょい聞いている。
一時期はかなでにそう言ってもらわないとうっかり死んでしまいそうなぐらい精神的に不安定な時期があったんだよ。悪いか!
「お、っと、負けましたね…」
「ふふん、何をおっしゃる、まだまだ本気ではないんでしょ?」
私の問いに、かなではふふん、とかわいくはにかんだ後「そうですね」と心底うれしそうに笑うのだ。
ここからは、本気モード。今日はなんだか調子がいい。今日こそ勝ててしまうかも。
*オセロマスター千秋
その日十三回目の対局で、ついにその時は訪れた。
「ふむ」
盤面は二割ほどの空白を残してぱっと見白が多くてかなで有利っぽいけど、これはアレだ。勝ったわ。
「負けました」
深々とかなでが頭を下げた。頭を下げられたのは初めてだ。つられて渡しも頭を下げる。
「あ、どうもありがとうございます、師匠」
顔を上げると、かなでは対局中の真剣な顔とはまた少し違うまじめな顔で私を見ていた。
「ついに、本当のことを告げるときがきたのですね」
そう言うと、眼鏡を拭いて窓際に置いた。なにやら得体の知れない凄みがある。私は黙ってかなでの言葉を待つ。
一秒が十秒にも感じられるそんな空気の中、かなではじっと私の顔を見つめて、そして少し困ったような、申しわけなさそうな表情を浮かべた。
「私は、藤谷千秋に嘘をついていました。私も実はあなたと同じくこの一日を繰り返し続ける1人なのです」
ガン、と横から殴りつけられたような衝撃があった。もちろん物理じゃない。
「いえ、むしろ私が、私こそが藤谷千秋をこの世界に閉じこめた元凶、と言えるのかもしれません」
「え、なにそれ、どういう……」
しっ、と、かなでの小さな人差し指が私の唇を止める。
「ここではちょっと。ついてきてください」
「わ、わかった」
状況に頭が追いついていないのか、妙にフワフワした足取りでその後をついていく。
部屋を出て階段にさしかかったとき、不意に彼女は立ち止まって私を突き飛ばした。
「そんな、もう嗅ぎ付けて来たの?」
かなでの目の前には、かなでによく似た、いや、かなでと同じ顔をした少女が立っていた。
「逃げてください、今の藤谷千秋では勝てません!」
しかし動けずにいると、ぐらり、とかなでの体が傾いていく。そのままとさっ、と軽い音を立てて彼女は倒れてしまった。それを挟んで、もうひとりのかなでを見る。
もう一人のかなでは、かなでのものとは全く違う、苛烈な笑みを浮かべていた。
その唇がゆっくりと動いてーー
「かなでがやられたようだな…」
そう、不気味に呟いた。
その言葉にあわせるように、さらに階下から二人、上ってくるのが見えた。
「フフフ、奴は二人零和有限確定完全情報遊戯四天王の中でも最弱…」
「人間ごときに負けるとは座敷わらしの面汚しよ…」
現れた三人のかなでは、その手の中でそれぞれ馬の形のチェスピースと、将棋の駒、そして碁石を弄んでいた。まさかさらなる敵がいたなんて…!その三つ全部ルール知らないよ!
でも弱みを見せている場合じゃない。強がりでもいい。胸を張れ!
「じ、上等だ!私にも言っておくことがある。私には生き別れた妹がいたような気がしていたが別にそんなことはなかったぜ!」
はい、お気づきかもしれませんが、私の妄想です。
どこからかって?
かなでに勝つとこからだよバーカバーカ!!
* 人生五十年
最近、昔の友達に会ってない。用もないのに集まって無限に意味のない話をしていたミカとも、最後に会ったのはどれくらい前だったっけか。
きっかけはそう、お金をかき集めて二人で豪華なホテルディナーでも、と出かけたときのことだ。ミカは、当たり前だけどいつもと同じ人なつっこい顔で、中味のない話題を振ってくる。その話が妙に現実感がなくて、まるで久しぶりにあった姪っ子と話しているような気分になってからだ。
私が八月一日を繰り返すようになってどれくらい経ったんだろうか。
千より先は数えていない。一時期はあんなに通った図書館にも、もうすっかり行かなくなってしまった。行けば当然彼女は変わらず接してくれるけど、私の方が無理になっていた。
最近、一日の感覚が極端に短い。
朝起きて、作業のようにご飯を食べて、特に何をするでもなくベッドに横たわって、呼ばれれば降りていく。
ただ、同じことをこなすだけの毎日だ。晩ご飯が毎日カレーでもかまわない。
そのうち、ちょっとづつご飯を抜く日が増えてきた。一日ぐらい食べなくても死にはしないし、朝になればひどい空腹も眠気も治まる。
そうやって時間をただ捨てているうちに、いつからかおなかも空かなくなっていた。
ベッドの上で、気がつくとカーテンの向こうが真っ暗になっている、そんな感じだ。
人間はどんどん慣れる。鈍感になれるのだ。
時々ふと考える。私は、本当に生きているんだろうか。
私は、藤谷千秋は日常へは戻れなかった。生き物とそうでないものの中間の物体になり、永遠に八月一日をさまようのだ。けれども、死にたいとは思わなくて、そのうち私は、考えることをやめた。
* 水槽の中
「で、その様子をモニターで見ていた白衣の科学者が言うのです。被験体ナンバー1,000、実験開始から十五時間、脳波消失。それを助手が無表情に書き取って、すぐに記憶から消してしまう。その日の夜には水を抜かれて、浮かんでいた脳みそは手際よく片づけられる。その一時間後には新しい被験体が運ばれてきて、電極を着けられてまた浮かべられるのです。脳だけの姿で」
「なにそれ怖い」
私の八月一日はまだ、終わらない。
了。