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第一回 恋愛ゲーム

* 一日千秋

 

「おはようございます。牛乳の賞味期限が切れているので今日の朝食に牛乳は不要です。あと買い物に出るときは3時から雨傘と3442円、それと大き目のビニール袋3枚を持って行ってくださいね。できれば今日の晩御飯はカレーがいいです。ルーは私が買ってきます」


 いつも通りの時間に起きてきた私のいつも通りでない朝の挨拶に、いつも通り朝食の準備をしていたお母さんがもうすっかり見慣れてしまったけれどいつも通りでないぽかーんとした顔で返す。

「ああ、はいわかり…ました…」


「次にお前は『どうしたの?とうとう頭のネジが飛んじゃった?』と言う!!」

「どうしたの?とうとう頭の…ハッ!!?」

 某漫画のマネをした私の期待通りの反応をいつも通りに返してくるお母さん。

「なんでわかったのー?」

 心底不思議そうな顔でお玉をあごに当ててぶつぶつ言っている。トシも考えずに無駄にかわいらしいがこれもいつも通り。

「ふふふ、さーてねー」


 とまぁこれ以上無駄なやり取りをしていても仕方がないので朝の日課。顔を洗おう。洗面台はすぐそこだが…

「見える!!」

 入り口の手前で急停止してしゃがむ。その頭のすぐ上を猛スピードで何かが通過した。

「な、なんで避けれんだよ!姉ちゃん!!」

 そこにはおもちゃの剣を手に襲い掛かってきた弟の姿があった。


「「姉ちゃんが昨日俺の冷凍みかん勝手に食ったから仕返ししてやろうと思って隠れてたのにっ!」」

「「わっ、何で姉ちゃん俺の言おうとしてることがわかってんだよ」」

「「き、っ気色悪いな!真似すんな!!」」


 この少々口の悪い弟であるが、まだ小学校に上がったばかり。高校生の私が本気で相手にするのはアホらしい。けど実にかわいらしい「冷凍みかんを勝手に食べた」などという理由で人様に武器を持って襲い掛かってくるのだから、ここはきちんとした教育が必要だ。


「はいそこで大きく手を上げるー」

「え?」

 私の言葉に従って、弟はわけもわからないまま大きく手を上げた。咄嗟の言葉につい反応してしまうのがこいつのかわいいところであるのだが、迂闊すぎるその行動が彼の身に不幸を呼ぶ。


「…てめぇ」

「え?」

 弟が上げた手に握られていたおもちゃの剣が、その時ちょうどトイレから出てきた兄貴の鼻っ面に直撃していた。

「に、い、ちゃ」

「お仕置きだ!!」

「ぎゃ、ぎゃぁぁぁぁ…!」


 弟は兄貴に引きずられて奥の部屋に消えていった。

 念のため初めに断っておかなければならないが、私たち兄弟はこの年の離れた小さな弟が大好きである。ご両親が年甲斐もなくがんばっちゃって、とか思ったりもするが。


 消えていった弟を見送った後、洗面台の前に立つ。見慣れたもんだよ自分の顔だもの。特にこの…八月一日の顔は。



 

* 終わらない夏休み

 

 最初に「このこと」に気がついたのは三回目の八月一日だった。夏休みが始まって早くも十日以上が過ぎ、あれっ、もう8月なのかよ、夏休みの四分の一が知らないうちに終わってしまったよ、宿題全くやってねー、などと呟く程度の、全く特にどうということもない普通の八月一日が終わった次の日のことだった。気がついたら八月一日だった。


「どういうことだ」


 恥ずかしながら、そのことに気づいたのは午後二時を回ったところだった。いつものようにテレビをつけたら激しい既視感に襲われたのだった。


「再放送?」

 んなわけない。こりゃ生のワイドショーだ。視線を下に移す。そこにあるのはこの前(親父が)買った(買わせた、とも言う)HDDレコーダー。その小さな液晶表示に書かれている日付は八月一日。


「おうっ…?」

 八月一日は昨日だったはずだ。

 しかしながら兄貴に聞いても弟に聞いてもお母さんに聞いても、ついでにネットやら時報やらいろんなデータを判断しても、出てくる結果はただ一つ。今日が八月一日だ、ということだけだった。


 いやしかし油断はできない。ここで気づかないのが私のいいところ。その時は夏休みボケで日付の感覚が一日狂っていたんだな、というところまでで思考を停止させていた。


 というわけでその後、特に何事もなく普通に過ごして(相変わらずテレビは昨日見た番組だけを流していたが)寝ることにした。

 で、目を覚ましてすぐパソコンの電源を入れてネットを見て回った私は発狂したね。発狂。発狂だぜ?すごいんだぜ?なにしろ家族全員私の部屋に集まっちゃったからね。そら高校生の愛らしい娘が朝いきなり悲鳴を上げたら誰だって集まってくるっしょ?


 おう、話が逸れていくなぁ。何に発狂したってそりゃまぁその日がまた八月一日だったから、ですよ。さすがの私も気がついた。何かがヤバイ。変だ。どうしようもなく変だ。八月一日が三回も来るなんて。これは世界が大変なことになっているに違いない。ひょっとすると大変なことになっているのは私の頭なのか?いやいや、そんなバカな。


 最初の一週間の八月一日は大変だった。さすがの私も毎日毎日やってくる八月一日に戸惑っていた。テレビは毎日同じだし、宿題をやってみても朝起きたらノートの文字は綺麗さっぱり消え去っているし、朝昼晩のメニューは毎日同じだし。


 ここで気づいた貴方は偉い。そう、大変だったのは最初の一週間だけだった。それからの私は実に落ち着いていたのだ。順応性が高いと言ってもらって構わんですよ?


 その頃の私はこの無限に続くらしい八月一日を何の疑問もなく受け入れていた。単純に

「夏休み増えたぞワッショーイ」

 ぐらいの感覚だったように思う。


 本当の地獄はその後だったのだった。


「テレビが…つまらん」

 何しろ毎日毎日全く同じ内容を放送しやがるのである。根っからの日本人な私はいつのまにかテレビがないと生活できない体になっていたのだ。恐ろしい文明の魔の手。


 もちろん手をこまねいている私ではない。雑誌なんかもチャレンジしたが、それでも同じだ。雑誌の数なんかたかが知れてる。一ヶ月もかければ興味のある雑誌は大概読みつくしてしまった。


 次は漫画やら小説やらに行くわけだが…基本的に家にあるやつは読み飽きているし、本屋で買ってくるしかないのだが、毎日毎日本屋に往復する生活は三日で飽きた。ま、今でもたまにぶらーっと行ったりはするんだけどね。



 

* ひまつぶしとごくつぶしは響きが似ている

 

 というわけで、今日は、なんと実におそらく984回目の八月一日である。おそらく、というのはちゃんと数えられているか疑問が残るから、だ。何しろ記憶以外のすべてのものが、朝起きたら八月一日に戻っているのである。試しに髪を切ったり染めたりもしたけれどそれも元通り。自慢じゃないが私の記憶力はそんなに良い方じゃない。いや、記憶力が良くても「一日に1ずつ数える(ただし日付は進まない)」なんてこと、しっかりばっちり完璧にやり遂げられるなんてやつは居ないだろう。だから私は悪くない。


 ま、何回目の八月一日か、なんてことはその実特に関係なかったりもする。大事なのはもう三年近くも八月一日をやってる、ということだけなのだ。漫画や小説なんかだとこういう状況もよくある話なのだけど、まさか自分がこんなことになるとは思わなかった。しかも三年も。

 漫画や小説なんかだとたいていこういう状況になってもなにやら不思議な少女が出てきたりーの、変な事件に巻き込まれたりしーの、なんだかんだと「それっぽい」イベントが発生して、それを解決すれば「いつもの日常」に戻れちゃったりする訳なんだけど、期待したとおりに行かないのが現実。そりゃー私も最初の半年ぐらいはあきらめずにいろんなところに行って何事か起こらないかと積極的に動いたものだ。


 拡声器を持って新宿の駅前で同じ境遇の人を捜そうと大声を出してみたこともあった。そのときの国民の皆様の白い目は今でも私のトラウマである。唯一、誰もそのことを覚えていない、というところが救いではあるのだが。

 というわけで、私は本格的にこの八月一日を抜け出すことを諦め始めていた。とはいえ、もし抜け出してしまったら、と考えると無茶なことも出来ない。こういう場合は、どうせ元に戻るから、と悪行三昧尽くしたところでループを抜ける、というのもまたパターンなのだから。漫画や小説では。


 だがしかし。よしんば八月一日を永遠に続けることを受け入れたとしても、暇な状況はいかんともし難い。何か良い暇つぶしはないモノか。



 

* 十八歳未満お断りです。本来は。

 

 そんな私が編み出したのが「リアル恋愛シミュレーション」だ。ギャルゲーですよ、ギャルゲー。あれをリアルに実践しようと言うわけですよ。ただし主人公である私は女で、対象が男であるのだが。ある時私は気づいたわけだ。巻き戻るのは「その系統」のゲームのセーブ&ロードに似ている、と。プレイヤーである私だけが一方的に他の選択肢の結果を知ることができるところなんて特にそっくりですよね。


 幸い(?)私のこの愛機の中には兄貴がこっそり隠し持っていた「その系統」のゲームがしこたま入っているのだ。しこたま、だ。なんという兄貴。見た目は案外まともなのに中身は丸っきりダメ人間である。が、それを横から抜き取っている女子高生こと私も十分どうかしているぜ。ああ、今のは兄貴と同じダメ人間になったということでの「同化している」と、おかしくなったという意味での「どうかしている」をかけたんだ。ここ、笑うところ。いや、待って。そんな目で見ないで。


 話を戻そう。リアル恋愛シミュレーション。やることは至極単純明快だ。その辺の男に声をかけてオトす。タイムリミットは二十三時三十二分十八秒。これを超えると八月一日早朝のぬくぬくベッドに強制送還されるバッドエンドとなる。それまでに告白OKの返事をもらう訳だ。


 まずはターゲット選びから。最初のターゲットはすぐに決まった。というより最初から決まっていた。私だって女子高生の端くれだもの。人並みに人を好きになったりするわけですよ。夢見ちゃったりするわけですよ。


 友人曰く、私は面食いなのだという。そうかもしれん。理想が高すぎるらしい。さもありなん。理想の恋人の話をしたらそんなやついねぇよ、とよく言われる。いやいやちょっと待ってよ。テレビにならそれに近いの出てるんじゃね?


 さて、思いついたが吉日。早速電話…は番号を知らないのでどうしようもなかった。よく考えたら私あの人と面識ないですよ?こっちが一方的に知っているだけで。


 結局電話番号をゲットするまでに三日もかかった、まだ要領を得ない頃の私。とりあえず斥候がてらに夕方探りの電話を入れてみた。

「もしもし、秋山さんのお宅ですか?」

「そうですけど」

 『彼』の声だ。

「隆さんをお願いします」

「ボクですが」

 知ってます。

「私、一年の藤谷千秋です」

「えーあー…誰?」

 実はこのときまでほんのちょっぴりだけ期待していたのだ。悪いか。

「えっ、千秋君?どうしたの突然」「実は先輩にどうしても伝えたいことがあって」「へえ、それは偶然だね、実はボクもなんだ」「ええっ?」「君のそれとボクのこれはおそらく同じものだろう。だからここはボクの口から言わせて欲しい」「先輩…!」「千秋君…!(がばっ)」

 なんてね。

 それが

「誰?」

 ですよ。しかも超低い声。明らかに不審者を相手にする声である。ぶっちゃけ泣きそうでしたよ。いやたぶん泣いてたんじゃないかなぁ。少なくとも尋常ならざる精神状態だったわけで。ああモノの弾みというモノはあるよね。

「ずっと前から好きでした!わちしとつき合ってください!」

 最悪である。噛んだ。おもっきり噛んだ。この涙は舌をかみ切った涙なのか。いや、違う。

「…誰とも知れない人とつき合うつもりはないし、悪いんだけど先客があってね」

 ばっさり、である。

 残念!!である。

 もうどうにも反撃できない。帰ってきた言葉は半分予想通り、そして半分は予想の上を行っていた。まさか、彼女が居たなんて。初耳である。そりゃまー秋山先輩は生徒会の副会長でサッカー部で真ん中あたりの微妙なポジションのレギュラーなんだか補欠なんだかの微妙なポジションとはいえ、とりあえずカッコいい。これ重要。背が高くてスラッとしていて顔のパーツも一見してわかるようなまずいところはひとつもない。ライバルが多いのはうちのクラスでちょっと聞き耳立てるだけで十分すぎるほど把握できる。でもわずかに期待してたんだよ。校庭で練習しているときふと顔を上げてこっちを見ることが何回かあった。目が合ったような気がしたこともある。窓際でそれを眺めていた女子連中がきゃーきゃー叫びながら私を見ただのいやてめぇじゃねえよだの叫んでいるのを聞きながらもしかしたらと思ったりもしたわけだよ。


「君、いつも練習中ボクのこと見てるよね」「えっ!?」「君の視線には前から気づいていたよ。その理由にも」「ああっ、先輩!私…」「わかっている。ここからはボクに言わせてくれ」


 なんつって。

 まぁ実際には全く別の誰かさんを見ていたわけだが。後にこの「誰かさん」とも邂逅するわけだが、実にたいしたこと無い女であった。いや、ある意味では大した女ではあったのだが、その辺は追々説明していきたいと思う。


 とりあえずその時は電話を切った。そして考える。今後の作戦を。なぁに、人間食べなくても三日ぐらい何とかなるもんだ。いや、私の場合夜になったらまた朝からやり直しだから何も食べなくても死なないのかもしれない。ともかく私はひたすら「先輩」の攻略法を考えていた。


 考えるといっても。少し考えを巡らしたところで致命傷になった電話でのやりとりが浮かんでは消え、そのたびに泣きそうになって暴れてみたり、気晴らしに読み始めたネット小説にハマって小一時間どころか半日ぐらい時間を持って行かれたりしたんだけどね。


 というわけで「あの日」から一週間目の八月一日がきた。そういえば八月一日があの日じゃなくて本当に良かった。毎日毎日アレだと思うとさすがの私も発狂するぜ。いや、なんか話がどうでも良い方向に行くな。


 さて、一週間分考えて出た結論を率直に申し上げよう。

「とにかく一回あって話をしてみよう」

 だ。見捨てないで欲しい。私の頭はそんなに良くない。考えても無駄だと一週間で気づいたことこそ褒めて頂きたいぐらいなのだ。


 とはいえ今は夏休み中である。そして八月一日は日曜日なのだった。平日であれば彼はサッカー部の練習で学校にいるのだろうが、私はわざわざ彼の家から調べる必要があった。もはや立派なストーカーであるな。


 しかしこれは簡単にいくはずだ。電話番号を入手したとき最後に訪ねた人物に住所を聞けば良いのだから、簡単にいくはずだ。いくはずだった。


 常識的に考えて欲しい。メモをとっても最長一日で無くなってしまうのだ。そんな状態でリレー中の電話番号を覚えているか?んなわけねぇ。十一桁もあるのに。誰にかけたのかすらもう覚えてませんですよ。一週間以上経ってるしな。これ、さすがに私は悪くないよね?覚えているとしたら一部の天才だけでしょう。番号なんて携帯にぺぺぺっと一回打ち込んだらもう二度と見ることは無いんです!!覚えようという意識が無いんです!!!


 というわけで、住所ゲットするのにさらに二日を要した。電話番号をゲットするだけで三日かかっていたのだから若干の進歩があるといえよう。こんな技術がレベルアップしたところであんまり嬉しくないけど。とりあえず住所は覚えられないので(断言)、ネットで噂のすごい検索サイトにアクセス、地図を検索して先輩の家にアタリをつけた。番地は覚えられなくても地図ぐらいは覚えられるのです私は。


 ところがどっこい地図が読めない女な私。先輩の家に辿り着くまでにそれから結局二日もかかってしまったのだったというわけで、先輩の家の前に立つ。そこはメインストリートから若干離れた、ちょっと古びた9階建てのマンションの五階の一室だった。なんという中途半端なロケーション。余計なお世話か。


 さあここからが本番だ。


 ぴんぽーん。

 ありきたりな音が鳴る。第一声はシミュレーション済みだ。「どちら様でしょうか?」「あ、あの、私、同じ学校の一年の藤谷です。先輩にちょっとお話があって」「えっ」「実は私先輩が…」「待って、それ以上先は言わないで。とりあえず中にお入り。今家族出かけてるけど」「そんなっ」

 ないない。

 無いとわかっているのにこの脳は腐ってやがりますか?

 がちゃり。

「あれ、君は」

 反則である。何のためのインターホンだよ。そりゃまーオートロックなんかないマンションでここは先輩の家の前だよ?もう一回言おう。何のためのインターホンだよ。いきなり出てくるな。

「わっ、わたた!わた!」

 終わった。やめて。その冷たい視線が痛い。

「あの、私この前電話した藤谷ですが」

「…知らないなぁ。人違いじゃない?」

 ガッデムすっかり忘れてた。私にとってはこの前だけど、先輩にとっては全然この前じゃねぇっつーかおととい来やがれ?って感じ?私超怪しくねぇ?

「あっ、うっ、、、その」

「隆ぃー?誰、その子」

 部屋の中から声だけ聞こえてくる。口ぶりからするとこの声が「先客」であるライバルのナントカさんなんだろう。名前も知りゃしねえ。

「ん?知らない子」

「なんで知らない子が家訪ねてくるのよ!!やっぱり隆…」

「違うって、マジで知らない子だから!!」

 む、虚しい。

「し、失礼しました…」

 私は消え入るような声で呟くとそのまますっとその場を離れた。後ろからは二人でなにやら痴話げんかしている様子が聞こえてくるのだった。



 

* 男子ってバカよね

 

 先ほどの戦闘のダメージは大きかった。菓子パン3個とプリン4個とシュークリーム2個ぐらいではこの傷は癒されない。それどころか胸の辺りにまた別のもやもやが広がってしまった。うう、吐きそうだ。


 というわけで翌日。どんな胃もたれでも寝て起きれば次の八月一日にはすっきりさ。そうだ、胃もたれも二日酔いもないのだから、どうせなら女子高生らしく酒盛りにしておけば良かった。うん、次からそうしよう。


 さて、いつまでも凹んでいる場合ではない。むしろこれからが本番だ。確実に昨日のあの女が「先客」とやらだろう。ちらっとしか見えなかったけど顔はまぁ…普通だったな。私とどっこいどっこいだ。性格は知らんが、昨日の様子ではなにやらちょっと修羅場的な状態だった。何しろ私が訪ねただけで大げんかなのだから、なんとなく「そういう系統」であるような気はする。


 というわけで、私は同じクラスのサッカー部の男、別に大して仲の良いわけでもない山根をスタバに呼びつけて情報収集にいそしむことにした。敵を知り己を知れば百戦危うからず、と言うしね。言う筈だ。合ってるよね?

「な、なんだよ藤谷。話って」

「あんたの知ってる秋山先輩とその彼女の情報を洗いざらい全部ここでぶちまけなさい」

「そんな話かよ!バカにしてんじゃねーよ!ばーかばーか!」

 山根は耳まで真っ赤にしながら小学生のような捨てぜりふを残して去っていった。


 リテイク。

「な、なんだよ藤谷。話って」

「サッカー部ってどうなの?ぶっちゃけモテるでしょ?」

「な、なんだよ藪から蛇だな」

 棒だろ。

「ま、まーそこそこモテんじゃねーの?少なくともうちの学校じゃ野球部よりは上だね」

「誰が一番モテる?まさかあんたじゃないよね?」

「藤谷、おまえまさか」

「?」

「じ、実は俺も前からおまえのこといいな、って思ってたんだ」

 地雷踏んだ。こいつはまぁそこそこ人当たりも良いし顔も取り立てて悪くはないが、バカなのである。バカはごめんだ。なにしろ私もバカなんだ。バカが二人でどうなるものか。元気ですかー!?


 リテイク。

「な、なんだよ(ry」

「実は今女子の間でサッカー部の彼女いる・いない当てゲームをやってて、私が結果を確認する係を押しつけられてしまったんだけど」

「で?」

「あんたぶっちゃけ彼女いる?」

「は、なんだよ藤谷、わざわざそんな理由つけて、かわいいヤツ」

「いや、まって今のナシ。やり直し」

「じ、実は俺も前からおまえのこと(ry」

 選択肢少なすぎだろこいつはよぉぉ!!

 …いやまて、ここからが勝負かも。

「ごめん。全然違うから」

「…」

 凹んだ。見るからにヘコんだ。眉毛の形が変だもの。

「まーあんたは居ない、と。んじゃこっち側の一番人気、秋山先輩はどうかね?」

「あー…先輩すか…そういや居ますね…」

 鬱だ死のう、とでも言いかねんな。

「へー、居るんだ…知らんかった。どんな子?何年?」

「二年の斉藤なんとか…去年からつき合ってるとか何とかつーかなんで俺がおまえにこんなことをはなあqswでfrgtyふじこlp」

 壊れた。しかし名前まではゲット出来た。今回はこれぐらいにしておこうか。


 リテイク。

「ねぇ、秋山先輩の彼女の斉藤さんってどんな人?」

「お、おまえまさかあqswでfrgtyふじこlp」

 いきなり壊れた。ダメだこりゃ。


 リテイク。

「ねぇ、秋山先輩の彼女の斉藤さんってどんな人?」

 今度はちょっとしおらしく言ってみる。

「…なんで?」

 ふむ、この程度でも結構変わるな。

 ぴろーん。効果音とともに選択肢が頭に浮かぶ。



 1.「いや、私秋山先輩狙ってるからどんな子かと思って」

 2.「そんなのあんたには関係ないでしょ」

 3.「サッカー部員の彼女になる人ってどんな人なのかな、って」



 3.は地雷だろうな。1.はまた発狂しそうだし、2ぐらいが無難か?

「はっ、てめぇも秋山先輩狙いだったのか?がっかりだぜ!そんな普通の女だったとはな!」

 待て。私はまだなにも選択していない。どうやらサク○大戦でおなじみのなんとかとかいう時限爆弾付きの選択肢だったらしい。しかしなんという言いぐさだ。てめぇに私の何がわかる。私はてめぇを少しは理解したつもりだぜ。何しろここ一週間ほど毎日告白されてるようなもんだからな。

 こっ!

 やべー。今更気づいた。地雷だ地雷だと騒いでいたけど私マジで告白されてんじゃん?今更恥ずかしくなってきたぞ。まぁ、バカはナシだけどな。

「…ちょ、おま」

 よくわからんけど私のリアクションを見て山根が勝手に狼狽えている。ここは試しに走って逃げてみようか?劇的に。

「ま、待てよ!悪かったって!俺おまえのこと好きだし、いきなりそんなこと言うからカッとなってつい…」

 この展開多いなぁ。いい加減飽きてくる。もし八月一日が終わって、文化祭までに彼氏ができなければそのときはこいつだな。仕方ない。なんというお手軽さ。


 リテイク。

「そんなのあんたには関係ないでしょ」

「あるよ!俺はおまえのことが(ry」


 リテイク。

「サッカー部員の彼女になる人ってどんな人なのかな、って」

「え、それはひょっとして俺のこと(ry」


 リテイク。

「いや、私秋山先輩狙ってるからどんな子かと思って」

「てめぇに話すことは何もねぇ。帰れ」

 なんだよ。正解の選択肢ねぇんじゃねえかよ。恋愛は三択じゃないってことだな。すばらしい洞察。というかむしろこいつを選んだ時点で間違いなのかもな。とりあえず名前までは割れたのだから、とりあえず私の本来の友人たちの力を頼るべきだったのだ。一週間も無駄にした。山根いつか殺す。喫茶店で告白されるなどという辱めを受けたことは絶対に忘れない。忘れてやるものか。向こうはそのことを全く覚えてなくても、な!!!




* 第一次接近遭遇

 

 というわけで。

「えー、なにその子がどうしたの?え?秋山先輩の彼女?えーうっそー居たんだーショックー。あんたも狙ってたんでしょー?つーかまだ狙ってるのか、情報収集してるんだもんね」

 上記のような友人からの冷やかしを多種多様に受け、今や私は多少のことには動じないストロングストマックの持ち主となったわけだが、肝心の聞き込みの結果はというと、大体こんな感じだ。


 斉藤美緒二年、成績はそんなに良くないけどそんなに悪くもない(けど確実に私よりは上)。二年より上からの評判はすこぶる悪い。どうやら女は適当にあしらって男に媚びを売るタイプのようだ。あー、うちのクラスにもいるな、こんなヤツ。○○とか○○とか。あと実は○○もそんな感じだろうな。一応伏せ字にしておく。本人の耳に入ったら大変だ。


 学校内でかなり人気の高い秋山先輩の彼女である、というところも不評の一端を担っているようだ。しかもそれを鼻にかけるどころか、それがまるで自分のすべてであるかのように秋山先輩に寄ってくる女はあらゆる手段で追い返すらしい。


 気になる情報もゲットした。親友ミカの姉(高二)の話によると、秋山先輩はもしかすると脅されてつき合ってるのかもねー、とのこと。そういや始めてヤサに踏み込んだときは結構な剣幕でしたな。なるほど、その線も十分にあるわけだ。


 さて、八月一日の斉藤だが、彼女は朝十時ごろに先輩の家を訪ね、そのまま出てこない。由々しき事態である。私はまずそれを妨害すべく、九時半に先輩の家の前に立ち、そのときを待った。


 エレベーターが到着する音がかすかに響く。私はその音を合図に先輩の部屋の前でインターホンを押す体勢をとる。

「…誰」

 鬼婆がそこにいた。心なしか髪の毛も乱れているように見える。初めてご尊顔を直視するわけだが、なんだ、大したことはない。確かに私よりはちょっとだけグラマラスだがあくまでちょっとだけ。顔の作りもそれほど立派ではない。これは…勝てる。

「あんたこそ誰?隆の何?」

 あくまでも自信満々で。

「隆の名前を気安く呼ばないで」

 見るからに不機嫌になった。なるほどわかりやすい性格である。

「あー、あんた、もしかして斉藤美緒?隆に付きまとってる鬱陶しい女てあんたのことでしょ?」

「うっとお…!!?」

「隆いっつも言ってるよ?早く別れたいんだけど刺されそうだからどうしようか困ってる、って」

「嘘だッ!!」

 嘘です。

「あんた自覚ないの?」

「う、嘘だ!嘘だぁぁ!うわああああん!」

 …泣いた。泣いたよ。そんな。

「何だようるさ…美緒!!?」

 そのとき、ドアが開いた。そりゃそうか。玄関の前で雛見沢ばりの叫びがあがったかと思えばいきなりの泣き声。これで外に出てこないほうがどうかしている。

「たかしぃぃ…この子が隆が私と別れたがってるって嘘言うのよぉぉ」

「えっ…」

 間。そしてこの表情を、それの表す意味を見落とす女はいない。

「そ、そんなわけあるわけないだろ?」

 必死でつくろっても無駄だ。大体先輩あわてすぎ。

「ならなんでそんなにうろたえてるのよぉぉ」

「いい加減認めたら?」

「き、君は一体なんなんだ!あ、ありもしないことを適当に並べ立てて!」

 先輩の声が裏返ってきた。

「鬱陶しいとは思ってるでしょう?」

「そりゃまぁ少しは…って違っ」

「うわぁぁぁぁん!!!」

 斉藤は逃げ出した。計画通り。

「ちょ、美緒っ!!」

 私の脇を抜けて追いかけようとする先輩の手を掴んで引き止める。

「何なんだよお前は!!」

「先輩!そんなことよりこれからは私と付き合いませんか?斉藤さんとは別れて」

「えっ!!?」

「別れたいとは思っていたでしょう?」

「それはそうだが…君は…君は美緒と同じ匂いがする…君だけはダメだ!!」


 orz

「君もどうせ別れようとか切り出したら台所にダッシュして貴方を殺して私も死ぬ!!とか言うんだろう!?」

 …嘘から出た真とはこのことか。まさかマジでそんな状況だったなんて。どんな青春を謳歌しているんだこの先輩は。

「君ならまだ胸があるぶん美緒の方がましだぁぁぁ!!」

 先輩は叫びながら斉藤を追っていった。なんという…ことだ。泣きながら逃げていったのは絶対計算だと…思うのですが…聞いてないですよね、先輩。去り際に強烈な精神攻撃するぐらいですもんね。




* とがったナイフ

 

 負けを認めることは大切だ。しかし惜しいところまではいった。今度は先輩のほうから攻めてみよう。

「誰?」

「私一年の藤谷です。先輩にお話があって来ました。朝早くにすいません」

「いいけど…なんの話?」

「先輩、別れるなら死ぬとか言われて脅されながら付き合うぐらいなら私と付き合ってみませんか?」

 言えた。五回目にして始めて言えた。敗走したその日、このせりふを考えていざ翌日言おうとしたら想定以上にテンパって結局何も言えずに敗走してしまった。それから何度もドモッたり裏返ったりしてうまくいかなかった。今日のは満点だろう。

「…なんの話だよ」

 訝しがりながらも先輩はすこし私の言葉を聞く体勢をとる。

「私見ちゃったんです。公園で二人がそんな感じの言い争いをしてるところ」

「でたらめ言うな。帰ってくれ」

 追い出された。公園では言い争ったことはないのかな?


「私見ちゃったんです。神社で二人がそんな感じの言い争いをしているところ」

「でたらめ言うな。帰ってくれ」

 これもハズレか。


「私見ちゃったんです。商店街で二人がそんな感じの言い争いをしているところ」

「…」

 お、あたりっぽい。私は部屋の中に通され、がらんとした何もない部屋の真ん中辺りになんとなく腰掛けて、全開の窓から遠くの空を見ている先輩に話しかけた。ブサ男がやっていると後から蹴飛ばしたくなるような体勢だけど、先輩はどうしてなかなかうまい具合に絵になっている。


「どうしてそこまで無理して付き合ってるんですか?」

「…美緒にはボクのほうから告白して付き合い始めたから…別れるって言ったら怒るし…死ぬとかいうし…危なっかしいから離れられない」

「そんな理由で付き合い続けるほうが残酷だと思いますけど」

「そう…なのかな…」

「それでも…それでも私は隆のカノジョでいたいの!!」

 お出ましだ。このやろう、合鍵もってやがる。どこから聞いてた?おっとなんだその手に持っているものは?カレールーか?それをどうするつもりだ?お?投げる?いてぇ!!極うま激辛80倍野菜エキスたっぷりカレールーの箱の角超痛てぇ。しかしなんだこんなルー見たことねぇ。どんだけレアなんだよ。

「どうしてもこれ以上付き合えないっていうなら隆を殺して私も死ぬわ!!」

 ほ、本当に言いやがったよこいつ…!!!

 実際包丁を持ち出して暴れ始めた斉藤を先輩はなんとかなだめ、今日はすまないが帰ってくれ、と追い返された。この分ならすぐにでも落ちそうなのだけど…残念ながら私に彼と同じ明日はない。




* こちらスネーク。任務を開始する。

 

 先輩の家に行く前に試しに先輩の家の近くのスーパーで「極うま激辛80倍野菜エキスたっぷりカレー」を買い占めてみた。ちょうど入れ違いで斉藤がそのスーパーに入ってくる。


 斉藤は店内をぐるりと一周し、ジャガイモやらにんじんやらをかごに放り込んだ後カレールーの棚の前で右往左往していた。近くの店員に話しかけた後、残念そうな顔でその場を離れ、しばらく考えたこんだ後、糸こんにゃくをかごに入れてレジへと向かっていった。カレーが肉じゃがになったらしい。別のカレールーじゃダメだったんだろうか。


 なんとなく興味を引かれたのでちょっといじってみる。斉藤が店員に話しかけた後しょぼくれていると…

「今日はカレーがいい!暑いし!こういうときはカレーだよね??」

「んーそうねぇ、やっぱりカレーにしましょうか。今日はカレーがおいしそうだものね」

とは斉藤のそばに立っていた親子の会話である。もちろん仕込みだ。若干演技に硬さがあるがここはまぁ仕方ない。息子のほうはまだ7歳らしいからな!


 役目を終えて適当なカレールーを棚から持ってきた親子は隠れている私のところにやってきて、私と一緒に身を隠す。

「さて、どうするのかしらね?」

 この母親、じつにノリノリである。一人目でこの人に当たったのは私の日ごろの行いがよいためか。


 さて肝心の斉藤はと言うと…糸こんにゃくとカレールーの棚の間を5回ぐらい往復したところで、結局カレーの棚から「超熟成無添加コク辛ビーフカレー(特製スパイスつき)」というあまり聞かないメーカーのルーと、超有名なりんごと蜂蜜のアレを手に取った。

「ふふふ、私の勝ちね」

 満面の笑みを浮かべる母親に「極うま激辛80倍(ry」を手渡して、なんだよこの程度で折れるのか斉藤ちゃんはよーと小さく毒づいてからその日はこの場を離れるのだった。


 二回目。実は私には狙いがある。私としては、ここで「斉藤はあきらめきれずに別のスーパーまで極うま激辛80倍~を探しに行く」というのを期待している。それによって先輩の家に着く時間を遅らせるのだ。

「今日はカレーがいい!暑いし!こういうときはカレーだよね??」

「んーそうねぇ、やっぱりカレーにしましょうか。今日はカレーがおいしそうだものね」

「僕いつものアレがいいな!激…あー…ぃあぃぃんぁ80倍!!」

「そうね、そうしましょうか。…あら…見当たらないわね。売り切れかしら」

「そんなー!」

「少し遠いけど駅前のスーパーにも行ってみましょう。そこにはいつも置いてあるし」

「わーい!!」


 戻ってきた親子と一緒に再び(親子にとっては初めてだが)棚の陰に隠れて斉藤を観察する。それにしてもこの親子ノリノリである。息子のほうは若干せりふを忘れてしまったようだが、七歳という年齢を考えればなんというスペックの高さか。恐ろしい子。


 斉藤は誰も見ていないのに額に手を当ててかわいらしく考え込んでいた。天然系かこいつは。しかしそのしぐさの端々からあざとさが透けて見えるような気がするのは本人の歪んだ性格のせいなのか、この前あんな場面を見てしまったからなのかはよく分からないが。そんな彼女はよしよし、と二、三回うなずくと、超熟成無添加なにがしとりんごと蜂蜜のアレを手に取った。そのままパッケージをじぃぃーっと見つめている。

「もう、じれったいわね!」

 とは母親の言葉。確かにじれったい。息子のほうはかごの中のお菓子を漁っていた。大丈夫か、おい。

「ちょっと、邪魔だからどいてくれる?」

「あ、すいません」

 その時、おば様が通りかかった。迷惑げなふくよかで派手目のおば様の声に驚いた斉藤は反射的にルーを棚に戻して二歩後ずさり。そのままレジへ向かって清算、スーパーを出て…駅のほうへと向かうのであった。

「ナイス!おば様!!」

「あらあら、残念」

 その隙に先輩の家へ向かう。最低でも30分ぐらいは稼げるはずだから、そこが勝負である。


 ダッシュで先輩の家に向かって、息を整えて、呼び鈴を押す。先輩が出てきて、以下略。

「そんな理由で付き合い続けるほうが残酷だと思いますけど」

「そう…なのかな…」

「先輩は彼女のこと好きなんですか?」

「それは…」

「即答できない?」

「うっ」

 露骨に目をそらした先輩の顔を掴んで無理やり私のほうを向けた。

「私は先輩のこと好きですよ。先輩は私のことを知らないかもしれませんが、私はずっと見ていました。校庭で練習してるとことか」

 そして十分ぐらいの説得の末…

「…すこし考えさせてくれないか」

「…今じゃダメですか?」

「今日美緒がうちに来るんだ。…そのときに…決める」

 それっきり先輩は黙ってしまって、結局携帯の番号だけを置いて先輩の部屋を出た。その日の夜、かかってきた電話は、やっぱり付き合えない、というものだった。なんだかなぁ。意外と手ごわい。




* 女は度胸。あと胸。

 

 私はこれまでそこそこモテたような気もするけれど、特定の誰かと付き合うとか、そういったことの経験は無い。女友達とそういう話になることはあっても、それはそういう話が楽しいからであって、その話の内容を実践しようとは思わなかったわけだ。


「先輩は彼女のこと好きなんですか?」

「それは…」

 何かを得るためには相応の対価を払わなければならない。誰かが言った。誰だっけ。

「即答できない?」

「うっ」

 私は覚悟を決める。ここはもう少し大胆になるべきだ。

「私は…」

 すっと立ち上がって先輩の前に、息がかかるぐらいすぐそばに座る。

「ずっと先輩のことを見ていました。たまに見せる今みたいな顔も見てきました。それは、彼女のせいなんでしょう?」

 嘘だけど。見たことないですよ。全然。しかし否定されないところを見ると、まぁそうなんだろうね。

「…ボクは君の事を何も知らない」

「これから知っていけばいいじゃないですか」

「…少し考えさせてくれないか」

「…今じゃダメですか?」

「今日美緒がうちに来るんだ。…そのときに…決める」

 それっきり先輩は黙ってしまって、結局私は携帯の番号だけを置いて先輩の部屋を出た。そしてその日の夜、かかってきた電話は、やっぱり付き合えない、というものだった。なんだかなぁ。煮え切らない野郎だ。

 まぁ待てよ。言いたいことはなんとなくわかる。覚悟したならしっかりやれよ、ってことだろ?覚悟は決めたさ。やろうと思ったサ。でもさ、あれだよ。本番はダメだよな。うん。緊張するしな、何をどうしていいのかぜんぜんわかんなくなったしな。深呼吸してな、もっかいチャレンジだ。今度は失敗しねぇ。計画通りに事を進めるんだ。私はやればできる子なんだ。まかせとけって。

「先輩は彼女のこと好きなんですか?」

「それは…」

 何かを得るためには相応の対価を払わなければならない。よくよく考えたら漫画のせりふだった。

「即答できない?」

「うっ」


 私は覚悟を決める。ここはもう少し大胆になるべきだ。最大限の努力をしよう。

「私は…」

 すっと立ち上がって先輩の前に、息がかかるぐらいすぐそばに座る。そっと、やさしく手を回して先輩の顔を抱いた。顔から火が出そうです、すいません。これ以上は無理です。私の覚悟はこの程度でした。

「ずっと先輩のことを見ていました。たまに見せる今みたいな顔も見てきました。それは、彼女のせいなんでしょう?」

 沈黙が続く。心臓が口から飛び出そうですよ。なんかくらくらしてきた。早く何か言って欲しい。そんな極限状態の十分が続いて、ついに先輩はその重い口を開いた。

「…わかった、ありがとう。美緒とは別れるよ。決心がついた」

 おおっ…!恥ずかしいマネした甲斐があったな。

「…でもそれで君と付き合うかどうかはまた別の話だけどね」

 先輩は少しはにかんだような顔で私を見返す。いい顔だ。憑き物が落ちたとはこういうことを言うのだろう。それから私は携帯番号を先輩に教えて家に帰る。その日の夜、かかってきた電話は…


 先輩が斉藤に刺されて入院した、というものだった。

 結局その後何回やっても何回やっても、結局先輩が私と付き合うことを決めた後で斉藤に刺されないルートに入ることはできなかった。十回ぐらいそれを繰り返した後、あまりにも先輩がかわいそうなのと、もし明日が八月二日だったら取り返しがつかないこと、この頃には実はもうあんまり先輩のことが好きでもなんでもなかったんだと気づいた後だったこと、そういういろんな事情で私は先輩にちょっかいを出すのをやめてしまった。二人にはこれからも末永くお幸せに、という言葉を送らせていただこう。


 そして今日も次のターゲットを探して中学の卒業アルバムを開く。

 私の八月一日はまだ、終わらない。

 


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