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茶の世界。

作者: 左傘 蕨

 世界を攫って閉じ込めた白磁の器。

 そこには全てがあったのに。


 〆


 今じゃ有り触れた白磁のカップを指で弾く。

 カップ一杯の神秘は最早何処にもないというのに、今更何を求めているんだか。


 テーブルの上に頬を乗せてカップを弾いて思ってしまう。冷えたタイルが熱を奪うのを感じていた。



 かつて、詩人は空を埋め尽くす星を見て、それを人に擬えて歌ったらしい。けれど今は如何だ。ユピテルは単なるメタンやらアンモニアやらのに過ぎないことが証明されてしまった。他の星も然り。其れに重ねられていた浪漫も神秘も脆く砕けて、今残るのは神秘のヴェールを剥がされた見窄らしい事実だけ。

 それでも知りたいと願うことは間違いではなかろう。けれど、知って手に余るようなものだって嫌になる程ある、なんて思いながら何処かに消えた神秘を想っていた。


 何処かに、もう一度胸を高鳴らせるような神秘は落ちてないかな。

 夢を描くことを思い出したいのに。


 もう神秘のマニュアルとかいう訳わかんないものでもなんでもいいから。


 〆


 嘗てお茶、というものは霊薬だったそうだ。葉っぱから抽出されたそれに含まれる栄養素やらなんやらが、こっそり体調を整えたりしてくれていたのだろう。当時は立派なお薬だったそうだ。体調が悪い時に飲んで寝れば普通の薬を飲むより良い、と言われていたこともある程に。

「茶は酒より優れている。何故なら、それは人を酔わせず、愚かなことを言わせもしないし、それを素面になってから悔やませたりもしない。茶は水より優れている。何故なら、それは病気を伝染させないし、井戸に汚れて腐敗したものが入っているときに水がするような毒物の働きもしない」

 と、そんなことを言った人もいたらしい。水が豊富な日本に生まれ育った身としてはいまいち分かりにくいのだが世界を見れば成る程、確かにそうだ、と納得出来る。


 そしてお茶はその後に、価値のあるものとして貨幣の代わりに使われたりもしたらしい。

 乾燥させて繋ぎを入れて固めた固形の茶だ。飲む時には砕いて湯を注ぎ溶かしたらしい。この頃から彼の国の偉い方々の間で客人に茶を振る舞うような事が流行りだしたとか。

 また、貨幣として持っていた固形の茶を砂漠越えの夜に一つ砕いて淹れたりもしたそうだ。星空を見上げて飲む一杯の茶。なんて素敵なんだろう。


 さて、此処まではのんびりとした平和があって、しかもほんのりと神秘もまだ消えていなかった。けれど其処に忍び寄る者はいた。神秘の剥奪を成し遂げた白い悪魔である。


 彼らは彼の国の神秘を根刮ぎ奪い、それを商売とした。交渉という名の暴力と、神の名の下という名目で略奪を繰り返した時代のようだ。

 かくして神秘は失われ、緩やかな衰退は急な衰えに取って代わられる。

 西方に連れて行かれた茶は、やがて濁り血色。戦の元ともなってしまった。


 神秘はもうない。

 骨の名を冠した白磁の器に閉じ込められたそれはとうに飲み干された。

 私に残されたものはもう、ない。



「……もし?」


 ふと、私のものでない声が聞こえる。テーブルの向こう側に人の気配を感じた。相席でも求められたのだろうか。

 体を起こして声の主を見る。


「なんですか?」


 見るからに胡散臭い人だった。声からして男性なのは間違いなかろうが、細いシルエットは女性的だ。長い前髪で覆われて目は伺えない。微かに覗く肌は白い。頭に乗せているのは少し古臭いミュラーカットダウン。これも黒くて髪も黒くてコートも黒い。何処と無く影法師を思わせる。

 ……いや、針金細工?


「あなたに頼みがありまして」

「初対面の相手に頼みと仰りますか」

「ええそうです、他ならぬあなたに」


 微かに笑みを刷いて針金細工は了解も得ずに向かいの椅子に腰掛けた。

 それなら、と立ち上がりかけた私を止めて針金細工は宣う。


「まあまあ、そう急ぐことはありません。話くらい聞いて行ってくださいよ。怪しいものではありません」


 怪しくないなら胡散臭いのだろう。


「因みに胡散臭くもありません」


 心を読まれたか。


「読んでません。顔に出ています」


 なんとも言えない。この状況如何とす。


 仕方がないと椅子に座りなおした。もう一度、相手の顔を見直す。先程とさして変わらぬ無表情に程近い微笑だけが浮いていた。


「何の用ですか」

「頼みがあるんです」


 とうに冷めた紅茶を啜った。


「それはさっき聞きました」


 こんな微笑みは嫌いだ。まるで見透かされているようで。


「では、」


 針金細工は綺麗な白磁の器を取り出しテーブルの上に置く。口は広く底の浅い典型的なティーカップ。骨を思わせる白の器。


「これをあなたに」

「ダージリンでも淹れろと?」

「まさか」


 彼の笑みが深くなる。酷く帰りたくなった。気付けば周りに人はいない。まるで小説のようだ。人払いしました、とでも言いたげで。

 そう、謂わばファンタジだ。夢にまで見たフィクションだ。けれどこれは私が望んだフィクションじゃない。

 なんでもいいとは言ったけれど、少しくらい選ばせてくれたっていいじゃないか。寧ろ焦がれていたけれど望んでいたわけではないと言うかなんというか。


「これに、神秘を満たして欲しいのです」

「それは、紅茶の比喩ですか」

「いいえ、比喩でなく神秘を」


 贈られた器は空で、乾いた底が覗いていた。渇きを潤せというのか。


「申し訳ありません。私はあなたの求めているものがわかりそうもない。断らせて頂くほかないでしょうね」


 私には無理だ。神秘を知らない。神秘なんていう曖昧で素敵なものは暴かれてもう、何処かに消えてしまったのだから。私が知るものはない。かつての神秘は今や原理まで暴かれてしまった。私は、それを見たことがないのだ。そんなものをどうやって淹れろというのか。


「いえ、きっとあなたなら成し遂げて下さるでしょう」

「私の話は聞いて頂けましたか?私は断らせて頂きたいと言ったんです」

「何の話ですか、と言った点でもう遅いのですよ」


 更に目の前の笑みが深くなる。何故だか酷く嫌な気がした。言葉をそのまま受け取るのは嫌いなのだがそれでも、もう手遅れだ、というようなそんな気が。


 認めたくなくて急いで立ち上がる。


「失礼します」

「もう遅い」


 ざあ、と風が吹く。室内の筈なのに何処か青さを孕んだ香りのそれ。

 景色が塗り変わる。蒼穹と草丘。ぽつんと取り残されたテーブルがミスマッチだ。


「なに、これ」

「あなたの望んだ神秘ですよ」

「あんたに望んだ覚えはない。勝手なこと、しないで……!」


 寒気がした。神秘は確かに望んだ。けれど、それはこんなものじゃあない。もっと細やかなものでよかった。わがままと言われようが構うまい。

 ていうかこんなの神秘じゃねぇ。なんだこれどっきりですか。ファンタジですか。小説ですか。


「此処で、あなたには神秘を集めて頂きたい。世界を攫って、これに全て閉じて頂きたい」


 改めて針金細工の顔を見る。髪の隙間から紅茶色の目が覗く。ぞっとする程に綺麗な目だった。


「私に、暴君になれと」

「その通り」

「巫山戯てる」

「なんと言われようと構いませんよ」


 にこりと笑う、針金細工。


「何故、そんなことを」

「全部終わったらお話ししましょう」


 邪気の欠片もない顔だった。

 そして、まるでいなかったかのように彼は掻き消える。


 後に残ったのは茫然自失、私とテーブル。空の器。

 なんだこれ、私にどうしろと。

 柄にもなく叫びたくなってしまった。


 〆


 かくして私は神秘を攫い集める役目を賜った。まさか自分が白い悪魔と呼んでいた彼らと同じことをするようになるとは思いもしなかったのだが、人生とはかくも可笑しなものだ。


 けれど、一言言うなれば。

 これは神秘じゃない、ただのファンタジだ。

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