003 ドキドキ! 聖メリエンヌ学園 ~バレンタインは乙女の決戦場~
本編とは関係のないパラレルワールド的なお話です。本編のイメージを損なう可能性がありますので、ご注意ください。
「シノブせんぱ~い! おはようございま~す!」
「……あ、ああ、おはよう」
背後から掛けられた声に、シノブは反射的に返事を返した。
「おかしなシノブ先輩! もしかして、学校に行きたくないな~、とか思ってます?」
シノブに声を掛けてきたのは、侍女のアンナ……に良く似た少女であった。良く似た、というのは、狼の獣人であるアンナが、人族のように見えたからである。頭上には狼のような獣耳はないし、尻尾もない。濃い茶色の髪のせいもあり、顔立ちこそ西洋人のようだが、一見、日本人のようにも見える。
それに、服装もいつもの侍女服ではなく、赤い制服のようなものだ。胸に大きな黄色いリボンを付けた、可愛らしい制服である。
「えっ、学校って?」
シノブは、アンナの言葉に、思わず返事を返した。
良く見ると、辺りは日本に近い近代的な町並みである。西洋風の伝統的な石造りの建物も多いが、メリエンヌ王国のものよりは近代的に見える。
それに、周囲を歩いている少女達はアンナと同じような制服を着ているし、同年代の少年達も制服らしいブレザーだ。大人達も、ジーンズやジャケット、スーツなどである。
「もう、とぼけないでください! 今日はバレンタインデーですから、チョコを貰いすぎると困る、と思っているんですよね?」
アンナの言葉に、シノブは驚きつつも、何となく状況を理解した。これは、きっと夢なのだ。日本でもなく、メリエンヌ王国でもない町並みに、アンナがいるのは明らかにおかしい。良く見ると、シノブ自身も周囲を歩く少年達のような、ブレザータイプの制服を着ている。
黒に近い、濃いグレーのブレザーとズボンに白いワイシャツ。深い青のネクタイも着けて、日本の学生のようである。しかし、すぐ近くの建物の窓に映るシノブの容姿は、金髪に青い瞳をしていた。
「……そんなことはないよ? それじゃ、学校に行こうか」
アムテリアの夢の訪れとは異なるようだが、おそらく夢なのだろう。そう思ったシノブは、素直にアンナと共に学校に行くことにした。
危険なことはないようだし、日本の学生生活のような雰囲気である。大学一年生であったシノブだが、久しぶりに日本の学生となるのも楽しそうだと思い、そのまま夢の世界を満喫することにしたのだ。
「はい! でも、そこのお店で紙袋を買っていったほうが良いですよ!
誕生日を口実にして、シノブ先輩にチョコを渡したい女の子は、沢山いますから!」
「それは、ちょっと大袈裟なんじゃない?」
シノブは、アンナの言葉に苦笑した。確かに、シノブの誕生日は2月14日、バレンタインデーである。だから、日本にいたときも妹の友達から誕生プレゼントとしてチョコを貰ったことがある。しかし、紙袋が必要になるというのは、いくらなんでも大袈裟ではなかろうか。
「そんなことはないですよ! まず、私から一つ目です!
さあ、早く買いに行きましょう!」
そう言うと、アンナはシノブに可愛くラッピングした包みを渡す。そして、彼女は、シノブの手を引っ張った。シノブは、アンナに手を引かれるままに、すぐ脇の雑貨店へと入っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「確かに大袈裟ではなかったね……」
大きな手提げの袋を二つも買わされたときには、それはどうかと思ったシノブである。しかし、早くも袋は二つ目も一杯になろうとしていた。ちなみに、まだ登校を終えて教室に入ったばかりである。
アンナに連れられて到着した学校は、聖メリエンヌ学園という幼稚舎から大学部まである巨大な学園であった。しかも、シノブは理事長の息子らしい。どうも、それもあって彼は絶大な人気を得ているようである。
意外なことに、彼は中学生二年生、つまり中等部の生徒であった。窓に映った姿は、メリエンヌ王国にいるときと変わらない背格好に見えた。しかし、どういうわけだか高校生でも大学生でもなく、中学生なのだ。もっとも、オランダ人やドイツ人は、14歳くらいでも170cm半ばの身長であるらしい。だから、中等部ではあるが180cm少々のシノブも少々背が高いくらいで、あまり違和感はなかった。
それはともかく、シノブは中等部の校舎に入る前にも、大勢の少女達からチョコを渡された。
王女セレスティーヌの友人である侯爵令嬢のうち、年少のジネットやオディル、リュシーリアなどは初等部の生徒ということになっていた。だから、彼女達を始めとする、まだあどけなさが残る少女達は、校舎に入る前のシノブを待ち構えていたようである。
「シノブのことだから、二つでは足りないでしょう。こんなこともあろうかと、用意しておきました」
隣の席に座ったシメオンが、さらに三つの紙袋を取り出した。彼も、シノブと同じ濃いグレーのブレザーを身に付けている。表情が少ないところは変わりないが、若く整った顔ゆえ、中学生になっても違和感はあまりない。
「……ありがとう。ところで、イヴァールっていないのかな?」
シメオンがいるならイヴァールは、と思ったシノブは、それを訊ねてみる。
「先生を呼び捨てとは感心しませんね。今日は、体育はありませんから……イヴァール先生がどうかしましたか?」
「いや、なんでもないんだ……」
どうやら、イヴァールは教師役らしい。流石に顔中を髭で覆った彼が中学生になるのは、無理があったということか。
「シノブ様! プレゼントをお渡しに来ましたわ!」
シメオンと話しているシノブの耳に、聞き覚えのある少女の美声が響いた。もしや、と思ったシノブが振り返ると、そこには彼の予想通り、王女セレスティーヌがいた。
もっとも、ここは夢の中の学園であり、彼女は王女ではないようである。周囲の少女達とは異なる、白い制服を着ているが、普段のようなドレスではないし、もちろんティアラなど着けてはいない。
「セレスティーヌ様……」
「イヤですわ、シノブ様。私のことは呼び捨てで構いませんのに」
シノブが無意識に漏らした言葉に、セレスティーヌは嬉しそうに頬を染めた。身分の差がないらしい夢の世界で、うっかり様付けにしたシノブは、失敗したな、と苦笑いをして頭を掻いた。
「それでは、シノブ様、私のプレゼントを受け取ってくださいませ!」
セレスティーヌは、背後に控えていたマルゲリットとイポリートから、巨大な包みを受け取ると、重そうに抱えながらシノブへと差し出した。
「ありがとうございます……」
シノブは、多少引き攣ったような笑みを見せながら、包みを受け取った。これで、三つ目の紙袋もほぼ一杯である。
更に、マルゲリットとイポリートも、シノブの誕生日を祝福しながら、包みを差し出した。
「シノブ! セレスティーヌ会長! 風紀を乱すのは許さないぞ!」
三人の少女からプレゼントを受け取ったシノブの前に現れたのは、シャルロットであった。なんと、彼女は白いガクラン風の衣装を身に付けていた。マントこそつけていないが、シノブがアムテリアから授かった軍服風の装備に良く似ている。
男装の麗人といった雰囲気の彼女だが、シノブと同じく、髪や瞳の色は普段のままだ。美しいプラチナブロンドに、深い湖のような青い瞳。シノブは、そんな彼女を見て、どこか安心していた。
それはともかく、男装のシャルロットは、同じ服を身に付けたアリエルとミレーユを従え、足早にシノブ達へと近づいてきた。そして、セレスティーヌへと向き直ると、彼女に厳しい表情を見せる。
「生徒会長ともあろう人が、校則違反をしないで欲しい! そんなことだから、兄上から譲られた、とか言われるのだ!
……それに、シノブも理事長の息子としての自覚を持つべきだ!」
なんと、セレスティーヌは、生徒会長であった。しかも、王太子テオドールが三年生で元会長のようである。
シャルロットは、出会った頃のような武張った口調でセレスティーヌを非難すると、シノブへも厳しい顔をして非難する。
「風紀委員長、これはバレンタインデーではなくて、誕生日のプレゼントですわ。誕生プレゼントを学校で渡してはいけない、という校則はありませんことよ!」
セレスティーヌは、どこか勝ち誇ったような表情で、シャルロットに言葉を返す。
「それに、校則違反と言うなら、後ろの方々はどうなのかしら?」
セレスティーヌの指摘にシノブ達が教室の入り口を振り向くと、そこにはミュリエルとミシェル、そしてアミィがいた。彼女達は、入り口からこっそり室内を覗いている。
「ミュリエル! 初等部の生徒が中等部に来てはいけないだろう!」
どうやら、三人は初等部の生徒らしい。制服も、少しデザインが違うようである。ミュリエルは、普段と容姿は変わらず、銀髪に近いアッシュブロンドに緑の瞳である。そして、狐の獣人であるアミィとミシェルは、アンナと同じように人族になったようで、狐耳や尻尾は見当たらない。
「すみません、でも、早くシノブお兄さまに、プレゼントをお渡ししたかったのです……」
「くっ、貴女達まで……」
姉が嘆く中、ミュリエルは遠慮がちに教室へと入ってくる。そして、アミィとミシェルも、それに続いて入室してきた。
「お~ほっほっほっ! さあ、ミュリエルさん、アミィさん、ミシェルさん、シノブ様にプレゼントをお渡しになって!」
ついに、セレスティーヌは高笑いを始める。元が王女様で、しかも金髪の縦ロールだ。そんな彼女の、片手を口元に添えた、お嬢様らしい仕草は堂に入ったものであった。
「シノブお兄さま、お誕生日、おめでとうございます!」
「シノブお兄ちゃん、おめでとう!」
初等部の高学年らしいミュリエルに、入学間もないようなミシェルが、それぞれ可愛いラッピングの包みを、シノブに差し出した。
「シノブさん、私からも……」
そして、アミィもオズオズと自身の手に持つ包みを差し出す。オレンジに近い明るい茶色の髪と薄紫の瞳はいつも通りだが、今日の彼女は従者ではないらしく、普段と違う呼びかけである。
「あ、ありがとう……」
シノブは、普段どおりの呼びかけのミュリエルと、いつもと違うアミィやミシェルの呼びかけに少々混乱しながら、プレゼントを受け取った。
「シメオンさん、私のチョコ、受け取ってください!」
「ありがとう。ミレーユさん」
そして、そんな彼らを他所に、ちゃっかりミレーユまでシメオンにバレンタインのチョコを渡している。
「ミレーユ! シメオンは誕生日でもなんでもないだろう!
……こうなっては仕方ない! シノブ、私からのプレゼントだ!」
妹達の様子を眺めていたシャルロットは、配下の裏切りともいえる行動に、思わず大きな叫び声を上げていた。
しかし、それが迷いを振り払うきっかけになったようである。彼女は顔を真っ赤に染めながら、綺麗に飾った包みをシノブへと差し出した。
「どうした!? 許婚の私がプレゼントを用意していてもおかしくないだろう!?」
押し黙ったシノブの様子に、シャルロットは動揺したようである。彼女は、不安そうな表情で、シノブの顔を見つめている。
「そうじゃないんだ……ありがとう。凄く嬉しくて、言葉が出なかっただけだよ」
夢の中でも、彼女はシノブの婚約者であったようだ。シノブは、愛する女性からの贈り物を、満面の笑顔で手に取った。
「そ、そうか。なら良いのだ。ところでシノブ、その大量のプレゼントは……」
シノブの輝くような微笑みに、シャルロットはますます顔を赤くした。そして、恥らいつつも嬉しげな彼女が何か言いかけたとき、外から異様な物音と、叫び声のようなものが聞こえてきた。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達の教室は三階である。彼らが窓から外を眺めると、なんと校庭には黒い影のような巨人が立っている。シノブ達のいる校舎は四階建てだが、それに匹敵する背の高さである。
「ザンネ~ン!」
黒い巨人は、通学中の生徒達に巨大な手を翳した。シノブは、まさか殴りつけるのでは、と血相を変え、窓から外に出ようとした。
「シノブ! 窓から飛び降りるのは無謀です! いくら君が運動が得意でも、無理ですよ!」
そんなシノブを、シメオンが押さえつける。ここは夢の中だから、死なないかもしれないが、どうやら身体強化などはないらしい。シノブは、背後から押さえるシメオンの手を振り払おうと思ったが、普段のように力が入らないことに気がついた。
「ザンネ~ン!」
「きゃ~、私のチョコが!」
「あっ、チョコが……」
謎の巨人が狙っているのは、少女達が持つチョコのようである。巨人は生徒に危害を加える様子はないが、次々に登校中の女生徒から、綺麗な包みを吸い上げていった。
何か、通常では考えられない力を持っているのか、巨人が手を翳すだけでカバンは開き、包みは勝手に宙を飛んで巨大な手の中に吸い込まれていく。
「そこまでよ! ベーリンゲンのザンネーン!
私達がいるかぎり、少女の夢は守り抜くわ!」
教室の窓から校庭を見つめるシノブに、凛々しい少女の声が聞こえてくる。どうやら、上の階か屋上から聞こえてくるようだ。
そう思ったシノブが反射的に顔を上に向けると、校庭に四人の少女が飛び降りてきた。
「高貴な白百合、ピュア・リリィ!」
白に薄桃色が入ったヒラヒラした衣装を身に纏った少女が、巨人を睨みつけると、高らかに名乗りを上げた。縦ロールの金髪は、シノブには、どう見てもセレスティーヌのように見える。彼は、ポーズを決めるセレスティーヌを眺めながら、唖然としていた。
「悪を貫く白銀の槍、ピュア・ランス!」
そして、二人目はシャルロットであった。こちらも似たような衣装だが、白地に青で、少し鋭角的なデザインである。青が入っているのは、ベルレアン伯爵家の色だからであろうか。
「平和を守る白き剣、ピュア・ソード!」
三人目は、ミュリエルだ。前の二人より、少し背が低く外見的な変化は見られないが、彼女も同じような衣装を身に付けている。こちらは、瞳の色から取ったのか、緑が配された衣装である。
シャルロットがランスで、ミュリエルがソードなのは、槍のベルレアンに剣のフライユに因んでなのか。シノブは、驚きに麻痺しつつある頭で、そんなことを考える。
「夢幻が見せる真白き刻、ピュア・ミラージュ!」
そして最後は、アミィであった。やはり白地の衣装だが、髪の色と合わせたのかオレンジ色をあしらった可愛らしい衣装である。彼女も、ミュリエル同様に、元の姿と背格好は変わらなかった。
「乙女の希望と未来の夢、守ってみせる四つの心、ピュア・カルテット!」
横に並んだ四人の少女は、それぞれ華麗なポーズを決めている。一人一人の個性を表すかのように、それぞれ違うポーズだが、全体としてバランスのとれたものである。
シノブは、妹の絵美が小さい頃に見ていた、幼児向けのアニメを思い出していた。
「……シメオン……あれって?」
黒い巨人ザンネーンに、人間とは思えない跳躍力で四人同時の飛び蹴りを決める少女達を見たシノブは、ようやく声を絞り出し、シメオンへと問いかける。
「知らないのですか? ピュア・カルテットですよ。謎の巨人ザンネーンを操るベーリンゲンという組織と戦う、正義のヒロインです」
羽交い絞めを解いたシメオンは、ごく当たり前のような口調でシノブへと答える。シノブは、シメオンの口から『正義のヒロイン』などという言葉が出ることに軽いショックを受けながら、彼の説明に聞き入った。
ベーリンゲンという組織は、正体不明らしい。更に、神出鬼没であちこちに現れるという。そして、謎の巨人ザンネーンを使い、人々が大切にしているものを奪ったり壊したりするらしい。
ピュア・カルテットは、そんなベーリンゲンと戦う謎の戦士ということのようだ。
「謎って……どう見てもシャルロット達じゃないか?」
「何を言っているのですか? 彼女達はピュア・カルテットですよ?」
シノブの言葉に、シメオンは困惑したような表情を見せた。どうも、彼女達をシャルロットやアミィ達とは認識できていないようである。
シノブは、そんなシメオンを不思議に思いつつも、これは夢なのだから、と思い直した。そして彼は、窓から戦いを見守るシメオンの気を惹かないように静かに離れた。
いくら夢の中とはいえ、愛するシャルロット達が戦っているのだ。せめて、応援くらいできないものであろうか。シノブはそう考えたのだ。
幸い、ザンネーンは直接人間に危害を加えないようである。彼は教室から出ると、足早に階段へと向かっていった。
◆ ◆ ◆ ◆
戦いは、ピュア・カルテットに有利に推移していた。ピュア・リリィことセレスティーヌが、白い百合のような形をした光弾を放ち、謎の巨人ザンネーンにダメージを与える。
そして、ピュア・ランスつまりシャルロットは、名乗りで告げたように光で出来た白銀の槍でザンネーンの肌を突き刺している。
ミュリエルのピュア・ソードも、姉と同様に光の剣を両手に持ち、ザンネーンと戦っている。小柄な彼女だが、宙を飛ぶように跳躍できるし、白く輝く光の剣は長大であり、体の小ささは問題となっていないようである。
アミィが姿を変えたピュア・ミラージュは、幻影を作り出して牽制したり、光の壁で攻撃を防いだりしている。どうやら支援役のようである。
一階まで降りたシノブだが、これなら問題なく勝てそうだと思い、安堵の表情を見せた。そして、そんな彼が見守る中、少女達は巨人ザンネーンから離れると、一塊になって手を繋ぐ。
「ピュア・カルテットの優しい心が!」
「妬みの心を浄化する!」
ピュア・リリィの叫びに、ピュア・ランスが続く。
「ピュア・カルテット!」
「レインボー・ハリケーン!」
そしてピュア・ソードとピュア・ミラージュも、更に続いて可愛らしい声を張り上げた。最後のピュア・ミラージュの叫びと共に、七色の光がザンネーンへと突き進んでいく。
まるで、全てを浄化するような光を受けたザンネーン。その巨体は眩い光に包まれると、呆気なく消え去った。
「ふう、何もなく終わったようだな」
夢の中だから、どうなってもいいような気もするが、シノブはそれでもホッとして表情を緩め、思わず独り言を漏らしていた。
「は~はっはっはっ! ピュア・カルテットよ! まだ戦いは終わっていないぞ!」
そんな彼を嘲笑うかのように、校庭に男の声が響き渡る。ハッと顔を引き締めたシノブが見つめる先には、黒い甲冑を着た男が立っていた。
「あれは、ベルノルト!?」
シノブが見つめる先にいるのは、どうみてもベーリンゲン帝国の大将軍ベルノルトであった。しかし、落ち着いた武人であった彼とは違い、いかにも悪役という表情で高笑いしている。
「いでよ、チョーザンネーン!」
ベルノルトの叫びと共に、校庭には、先ほどの何倍もの大きさの黒い巨人が現れていた。
「チョ~ザンネ~ン!!!」
三倍近い背の高さになったせいか、その叫び声も三倍近く大きくなっていた。文字で表現すれば、太字で感嘆符が三つくらい並んでいそうである。
もはや、四階建ての校舎を軽々と跨げそうな巨人である。流石のピュア・カルテットも、唖然とした表情でその巨体を見上げていた。
「シノブ君、変身だホリィ!」
「お前、ホリィか?」
彼女達と同様に、チョーザンネーンを見上げるシノブの前に、一羽の青い鷹が舞い降りた。外見は金鵄族のホリィのようだが、普段とは違い、直接声で意思を伝えてくる。
「さあ、シャイニング・ローズに変身するホリィ!」
「えっ、俺が変身!?」
シノブは、ホリィの言葉に絶句した。彼も、四人の少女が苦戦する姿は見たくない。しかし、妹が見ていた幼児向けアニメだと、こういうときに現れる助っ人は、やはり女性だったように思う。
「……ホリィ、もしかして俺も女性になるの? それで、ああいう決めゼリフを言ったりとか?」
だから、シノブはホリィに恐る恐る問いかけていた。
「当たり前だホリィ! ちなみに、シャイニング・ローズは『乙女を守る輝く白薔薇、シャイニング・ローズ』だホリィ!」
シノブは、あまりのことに愕然としていた。愛する女性や親しい女性を助けたい。しかし、ホリィが語る内容は、彼が躊躇っても仕方ないものであったのだ。
「さあ、シノブ君、早くするホリィ! 早く、早くホリィ!!」
ホリィは、シノブの近くを旋回しながら、彼を急かす。シノブは、至近距離を猛スピードで飛び回るホリィを見ていたせいか、思わず眩暈がしてきた。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ……シノブ! どうしたのですか?」
シノブは、優しい声と、僅かに揺さぶられる感触に、目を開いた。
「あ、あぁ……ベーリンゲンが……ベルノルトがザンネーンを……」
「確かに、ベーリンゲン帝国の大将軍を生かして捕らえられなかったのは、残念ですが……もう、過ぎたことですよ?」
ベッドから身を起こしたシノブを、シャルロットが心配そうな表情で見つめている。彼女は、寝汗を掻いていたシノブの額を、側に置いていたタオルで優しく拭った。
「ああ……夢か……」
「帝国との戦いは、私達にとって初めての戦争でしたからね。夢に見るのも仕方ありません。
……さあ、起きましょう。今日は貴方の誕生日ですよ。
シノブ……誕生日、おめでとうございます」
シノブを気遣うような表情をしていたシャルロットだが、暫くすると明るい笑顔になり、祝福の言葉をかける。
「ありがとう。そうだ、誕生日だったね」
19歳の誕生日を迎えたことに気がついたシノブは、彼女に柔らかな表情をみせ、感謝の意を伝えた。
そんなシノブに、シャルロットは安心したようだ。シノブに優しいキスをした彼女は、ベッドから離れて身づくろいを始める。そして、楽しげに髪を整えるシャルロットを見ながら、シノブもベッドから出る。
「誕生日か……それであんな夢を見たのかな……」
シノブは、シャルロットに聞こえないような小さな声で呟いた。
あまりにおかしな内容だったし、日本のアニメのことをシャルロットに説明するのも大変だろう。だから、彼は夢のことは自分の胸のうちに仕舞っておくことにしたのだ。
そんなシノブの内心はともかく、室内着に着替えた二人は、寝室から居室へと歩みだした。
「シノブ様! シャルロット様! おはようございます!
それに、お誕生日おめでとうございます!」
「アミィ、おはよう! それに、ありがとう!」
いつも元気なアミィの姿に、シノブも笑みを増し、快活な声で挨拶をする。
「さて、今日の予定は……」
「今日は、誕生パーティーですよ。王都や他の領地からも、沢山人が来ています!」
シノブの言葉に、アミィが嬉しそうな表情で答える。多くの人がシノブの誕生日を祝うのが、とても誇らしいようである。彼女の狐耳はピンと立ち、尻尾も元気良く揺れている。
「そうか。まあ、チョコや巨人じゃなければ、何でも良いけどね」
このあたりの国にはカカオはないようだし、巨人族などはいないようである。だから、双方とも縁がないだろう。シノブは、夢を思い出しながら呟いていた。
「チョコは無理ですね~。でも、お料理は頑張って用意しました! 驚くと思いますよ!
……ところで、巨人って何ですか?」
アミィは、溌剌とした表情でシノブに言葉を返したが、彼の言葉に少々疑問を抱いたようである。
「なんでもないさ。それじゃ、今日も一日よろしくね!」
シノブは、己の失言を誤魔化すようにアミィの頭を優しく撫でた。アミィは少し不思議そうな顔をしていたが、すぐに目を細め、穏やかな表情となっていく。
シノブは、不思議な夢のことは頭から追いやり、忙しい一日へと思考を切り替えた。フライユ伯爵領の領主となってから一月半、領地に到着してからまだ一ヶ月である。
奇妙な夢など振り返っている暇などない。やるべきことはいくらでもあるのだ。侍女のアンナ達が用意する朝食に目をやりながら、シノブはこの世界に来てから最初の誕生日へと思いを巡らせていた。
一応、最後の部分はフライユ伯爵領到着後、まだ現時点(2月14日公開の9章13話)より先の話となります。本編の今後の展開としては、ほぼ確定した描写のみですので、問題ないと思いますが(^^;