初出勤で、辞めたい。
扉の前でカラはごくりと息を飲んだ。
恐る恐る、と言ったように手を伸ばし、ドアノブを掴む。
一息入れてから、カラはそっとそれを回し、中を覗き込んだ。
ガチャリ…
「失礼しまー…」
「おい、酒切れちまったぞー!」
「しらねぇよ、買ってこいよ。」
「ああ、でさあの女がよ…」
「…失礼しましたー…」
静かに扉を閉め、深いため息をつく。
「入らないのか?」
扉の向かいの壁に寄りかかり、腕組みをして様子を見ていたサクヤが声をかけた。
「いや…部屋間違えたみたいで」
「ここだ。」
「いや…でもチンピラたちが酒盛りしてたんで…」
「あれが隊員だ。」
「いや…僕ちょっと用事を思いだし」
「ここに来たばかりなのに用もくそもないだろう?」
「…どうしてもここ、入らなきゃダメですか?」
あからさまに 入りたくない、という顔をするカラにサクヤは笑みを浮かべながら答えた。
「ダメに決まってんだろ?だってお前、今日からここで仕事すんだから。」
「って訳でこいつが新しく零番隊副隊長になったカラだ。」
サクヤが面倒くさそうに紹介する中、カラは1人戦々恐々としていた。
形ばかりの整列をした目つきの悪い男達に囲まれているせいである。
整列することでそこそこ隊らしく見えるものの、柄が悪いのは変わらない。
(ものっ…すごく胡散臭く見られてるよ…絶対…)
「なんだよ、ガキじゃねぇか。」
「こんなチビに命令されるなんてやってらんねぇよな。」
「話よりヒョロヒョロだな。」
(ってか実際言われてるー!
ってか、事前に知ってる情報がヒョロヒョロってどういうことだ…)
「あー、うるさい。」
騒ついた場は、独り言のようなサクヤの一声でピタリと収まった。
一気に注目を集めたサクヤは知ったことかというようにくあっとあくびをした。
「ねむい。ってことでわたしは今からねるから静かにしろよ。」
「えっ、ちょっ、まってくださいよ!」
部屋をでて行こうとするサクヤをカラは袖を掴み、小声で引き止めた。
「僕はこの状況、どうすればいいんですか…!」
サクヤは少し考え込ると一枚の白い紙とペンを机の上から取り上げた。
「お前、なんか字、書いてみろ。」
「え?字?」
「なんか文だよ。」
「文…。」
戸惑いつつ、筆を走らせる。
ぱっと思いついたものを書きつけ、とりあえず書けたものをサクヤに見せた。
「…できました。」
「今日は晴れです。私は元気です。
サクヤ隊長といます…子供の作文か。」
「なっ、なんでもいいって言ったじゃないですか!」
「まあいい、お前共通語は書けるみたいだし。」
(ああ、なるほど。それを見るために隊長はこんなこと…。)
共通語とは三国共通で通じる言葉で、各国特色があるものの大抵この言葉で通じる。
(でも、書けるからなんだってんだ…?)
「腕だせ。」
「?」
「いいから。」
「はぁ。」
おずおずと両腕を差し出すと、サクヤは机に近寄り置いてあった紙の束を腕の上に載せていった。
「あとこれと…これもか。」
「うわっ…ちょっと…」
慌てて抱えるように持ち直したカラの腕の上に載せて、載せて…つい自分の顔が見えなくなるまで積み上げるとサクヤは紙の山 (カラ)に向かって言った。
「じゃあ、この書類、頼んだ。」
「へっ?え?…えー!ちょっと隊長っ」
バタン!
紙で塞がる視界に映らないドアが無情にも閉まる音が聞こえた。
(うわ…針の筵…。)
カラはドアがしまった途端に騒ぎ出した周りの無数の視線を身に浴びながら、近くにあった椅子にそっと腰を落とした。
「ふぁ…あー、寝た寝た。」
(…腹減った、もう飯の時間か…。)
寝てから数刻は経っただろうか、窓の外はもう薄暗くなっている。
「…飯食いに行くか。」
また一つあくびをすると、サクヤはもぞもぞと寝台から立ち上がった。
ボサボサになった頭を掻きながら食堂に向かう。
と、廊下に1人の青年が立ち尽くしていた。
守衛兵ではない彼はサクヤに気づいて顔を上げた。
「やっと起きたんですか、隊長…。」
「カラか……ああ、そうか。」
「…ああ、そうか、って今僕に仕事させてたことさらっと忘れてたでしょ!?なんでここに居るんだ?みたいな顔してたし!」
「忘れてた。」
「〜っ…。まあ一応やったんで確認してください。」
全くなんて人だ…とぶつぶつ言いながらカラは自分が寄りかかっていた隊室のドアを開けた。
(ふぅん、綺麗になってんな。)
カラに続いて部屋にはいると今朝とは様変わりしていた。
散らかり放題だったゴミやビンがなくなり、こざっぱりとしている。
部屋の中は無人だった。
「他の奴らは?」
「夕飯…だと思います。」
「ああ、時間が時間だしな。お前は行かなくていいのか?」
「え?あ、いや…この部屋に1人ぐらい人がいたほうがいいのかなって…。」
「ああ、そういうことか。」
物が整理され少し広くなった机の上に腰掛け、サクヤは言った。
「別に居なくても大丈夫だ。
零番隊は出動が多いから逆にここには人が居ないことのほうが多い。」
「へぇ、そうなんですか…」
納得しているカラの声を聞きながら、サクヤは自分が腰掛けている机の上を見た。
机上に書類の山が二つできている。
「お前、これだけの量1人でやったんだな。」
大量にあった書き込まれていない紙の山が3分の1程度になっている。少し感心して言うとカラは不満気に抗議した。
「やったもなにも頼んだの隊長でしょうが!」
「まあな。」
「まあなって…あ、でも流石に報告書の内容は書けなかったんでそこは自分でやってください。ってか後のやつは印を押して隊長の名前書くだけだったんですけど!なんでこんなに溜まってるんですか…。」
「やるのがめんどいからに決まってるだろ。」
(僕が苦労するのはいいってことですか…!)
「ん?なんだこれ…。」
カラがため息をついていると、サクヤが机の上から一枚の紙をつまみ上げた。
渡した書類ではないようだ。
カラはそれを見て、あっ、と声を上げた。
「それ、書きかけなんですけど、辞職とど」
「却下。」
サクヤは最後まで聞き届けることも無くあっさりと破くと、近くにあった箱に丸めて捨てて、終わっていない書類をぺらぺらと捲りはじめた。
カラは箱から顔を上げて言った。
「っていうか、隊長!ほんと無理です、ここ!僕、受け入れられてないですよ!
ここに人がくるたび白い目を向けられるし、あの人達怖いし、なんでガキがこんなとこにいるんだ空気だし…。」
サクヤは顔を上げずにさらりと返事する。
「まあ、ガキだしな、実際。」
(ガキって…)
「でも、隊長も同じくらいじゃないですか…。」
「だから大丈夫だ。」
「…?何がです?」
訳が分からず、カラは首を捻る。
サクヤはトントンと書類を整えつつ、付け加えた。
「だから私が隊長やっててお前が副になれないことはないってことだ。」
「あ…。」
どうやらチェックしただけで書く気はないらしく、未処理の山の横に書類の束を置いただけのサクヤを見た。
どうみても自分と同い年か少し下にしか見えない。
(確かに隊長も僕も同じくらいの筈…。
なのに隊員たちはサクヤ隊長の言うことは聞くよなぁ…。)
「気づいたか?」
「へ?」
考えていたカラに不意ににサクヤが話しかけた。
「ここは他より若い奴が多いんだ。そして、圧倒的に数が少ない。」
「あ、確かに…」
言われてみれば…とカラはさっきまともに目を合わせられなかった彼等を思い出した。
パッと見、20代が多かったような気もするし、多くて15人程度だったかもしれない。
サクヤが話を続けた。
「ここは戦いが起きれば真っ先に突っ込んでくような奴らの集まりだ。若くて、血の気も多い。人数もそうだな…全部で40人いるかいないかだな。だから、認めさせるしかない。」
「認めさせる?」
サクヤが頷いた。
「アレイルの隊長格に年齢や、家柄なんてのは関係ない。使えるか、そうでないかだ。だからお前は副を出来ることをあいつらに見せつけろ。ただ私が言ったからって認めるような、一筋縄でいくような奴らじゃないからな。」
「あの…」
フッと笑ったサクヤにカラは躊躇いがちに声をかけた。
「なんだ?」
「…ほんとに辞職してい」
「却下。」
食い込みがちに返答したサクヤは立ち上がり
カラの肩にポンと手を置いた。
「まあ、そう心配すんなって。」
「隊長…。」
サクヤはカラの顔を覗き込み、微笑んだ。
「わたしだってこんな便利…有能なお前にはいてほしいからな。」
「…今ちょろっと本音出てましたよね!?
便利って言いましたよねぇ!?」
バンッ!
会話の差中、突然大きな音を立てて扉が開いた。
カラが振り向いた視線の先に1人の青年が息をきらせて立っていた。
「隊長!」
「デリクか…なんだ?」
茶色の短髪の青年…デリクはサクヤに向かって言った。
「うちの国の商人がやられたっす!」
(商人…?)
「早速仕事だな。」
サクヤはニッと笑った。