居場所はここです。
「うっわ…すごい…。」
何百人と収容できそうな大広間。
そこに初めて足を踏み入れた黒髪の少年は朝から感嘆の声を上げた。
サクヤに拾われてから二日目、カラはアレイル城内の食堂に来ていた。
この国の兵士の食事は基本、この食堂で配給される。
なのでカラが一目見て驚くほどに混雑するのも無理からぬ話だった。
席もほぼ満員だが、配給している場所もすごい。半ば奪い合い状態である。
「俺、パン食うわ。」
「おばちゃん、シチューくれ!」
(…と、とれないっ…まるで人が壁のようだ…!)
そしてそこに参戦できるはずもなくあっけなく弾き出されたカラは立ち尽くしているわけである。
と、カラは突然肩に衝撃を受けてよろめいた。
「うっ…」
「ってーな!どこ見て歩いてんだ、てめぇ!」
「ご、ごめんなさいっ…?」
ただ立っていただけのカラはぶつかることはできない。
実際隣の友人と話していた挙句前方不注意でぶつかったのは男の方なのだ。
…と冷静に考えれば分かるのだが謝りぐせがついているのかどちらが悪いのか考える前に反射的に謝ってしまったカラである。
そしてそんな反応をされるともっと言いたくなるのがこの手のゴロツキである。
やりとりを見ていた男の友人までもがニヤニヤ笑いながら口を開いた。
「は?謝る気あんのか、お前よ。」
「そうだよ、誠心誠意謝れ。」
(誠心誠意…やっぱあの謝り方か…?
でもあの時隊長さん爆笑してたしな…。
ここではあまり主流ではないのかも…。
…いや、心を込めてやれば大丈夫なはず…まごころ大事!)
「すいませ…」
「…い。」
負け犬精神丸出しで素早く前向きに土下座を決心したカラが体勢に入ったその時、後ろから声が聞こえた気がして、カラは動きを止めた。
「おい。」
今度ははっきり耳に届く。
ざわめきの中でも通る低い声はやはり自分か前の男に声をかけているらしい。
何かと思い、顔を上げたカラは驚いた。
「あ…あなたは…。」
さっきまで余裕の笑みを浮かべていた男が顔が引きつり顏でそう呟いた。
かと思えば、急に慌てて弁明し始めた。
「俺たちはなんにもしてないんすよ!な、なぁ?」
「そうっ…そうですよ。まっ、まあこの辺で許してやるよ!」
カラが何かを言う暇もなく、男2人はそそくさと逃げていってしまった。
あまりの素早い逃げ足ににカラがポカンとしているとトン…と肩に手が置かれた。
「大丈夫か?少年。」
「あ…。」
(そうだった、助けてくれたんだった…!)
「えっと…ありがとうございます。」
振り向いて助けてくれた人を見上げる。
赤茶色の短髪に引き締まった身体。
髪よりすこし茶色の強い眼は意思の強さが感じられる。
(凄い“戦士”って感じがする…。かっこいいな…。)
感動の目を向けるカラをよそに男は首を傾げた。
「お前、見ない顔だな。」
「あ、はい。二日前にここに来たばかりで…。」
「ふぅん。なんだ、お前兵士にでも志願したのか?」
男は意外そうな顔をして聞いた。
もしかしたらこの年で兵役につくのは稀なのかもしれない。
「いや、そのー、なんていうか…」
(女の子に拾われた挙句、副隊長に任命された…とか言えばいいのか、これ。言いづらっ!…というか僕、ほんとにそれでいいんだろうか…。)
もごもごと口ごもっていると男はニカッと人好きのする笑みを浮かべた。
「まあ、それはいい。とりあえずちょっとそこで待ってろ。」
「?」
男はそういって人混みに紛れた。
どうやら人が自分から避けているらしくどんどん奥へ入っていく。
そうして戻ってきた男は手にトレーを持っていた。
焼きたてのパンのいい匂いがする。
(パンとシチュー…こんだけで足りるのか、この人?)
倍は食べそうだ、とぼんやり見ていると男はトレーを差し出しカラに手渡した。
「ほら。」
「?」
おずおずと受け取り、カラは渡されたトレーと男を見比べた。
(えっと…助けてやった代わりに俺の朝食を持っていけ、ってことだよな…?でもどこの席に…?)
「えっと…?」
「遠慮すんなよ、食えって!」
「食う…僕がですか!?」
「なんだ、ここには朝食食いに来たんじゃないのか?」
「いや、まあそうなんですけど…」
最初からパシられる気満々だったカラは驚いて男を見た。
男は破顔してカラの頭に手を置いた。
「お前の為に持ってきたんだからお前が食べればいい。新入り弄りはどこにでもあるだろうからな。お前ひょろひょろだから気をつけろよ?」
「あ、ありがとうございます!」
男はぐしゃぐしゃと撫でるように髪をかき回すと人混みに混じってしまった。
(…いい人だ…。)
「ぷは、ひょろひょろだって。当たってるな。」
「うわっ!?」
急に隣で聞こえた笑い声にカラは我に返って声を上げた。
トレーー落っことしそうになり慌てて持ち直す。
(ふぅ…あっぶねー…ってか)
「何してんですか、こんなとこで!」
いつのまにか背後にいた銀髪の勝気そうな少女…サクヤは片手でトレーを持ち、もう一方を腰に当ててカラを見ていた。
「何って…朝飯食べに来たにきまってんだろ。それにしても久しぶりだな、お前。」
「ええ、“二日”ぶりですね。」
少し皮肉を込めて答える。
何故二日ぶりなのかというと例の“入隊試験”のせいで怪我が長引き(むしろ悪化し)、カラ自身が部屋に引きこもっていたからに他ならない。
何故怪我をしているのにそんなに過激な運動をしたんだ、と救護の人に怒られたのは理不尽なことにカラである。
「ところで」
(スルー!?皮肉に気づかなかった上に返事までしなかったよ、この人!)
「今朝、ふと気づいたんだけどな。」
あっさり話題を変え、背負った刃を閉まったままの鎌を下ろすこと無く空いていた側の席に着いたサクヤにショックを受けつつカラも向かいに座る。
「…何をですか。」
座った直後にパンに手を伸ばしたサクヤはもぐもぐと頬張りながら喋った。
「よく考えたらさ、お前が副隊長になること誰にも言ってない。」
カラは手を止め、サクヤを見た。
「それ、まずくないですか!?」
「さぁ。」
「さぁって…そんな無責任な…。」
そう言いかけてカラは口をつぐんだ。
(僕は何を言ってるんだ。そもそもサクヤ隊長には僕の面倒を見る義理も義務も無いってのに…。)
カラは目の前のトレーに目を落とした。
鈍く、ぼんやりと映る自分を見る。
(食事。居場所…名前。
僕のこれからはなんの保障もないんだな。
隊長がいなかったらここにもいれない訳で…。)
「…しろ。」
「へ?」
カラが顔を上げると、サクヤが眉を潜めて持ったスプーンを指で弄んでいた。
「ぼけっとしてないで早くしろっつの。」
「え、あ、はい!」
(てか早っ⁉︎もう食べ終わってるし…。)
慌てて手を動かし始めたカラを見ながらサクヤはカチャンとスプーンを置いた。
「まあ、とりあえず今日は私についてこい。
行くところがある。」
「…お前、食べんの遅いな。」
「あれでも急いだほうですよ!
隊長が食べるの早いんじゃないですか!」
性急に詰め込みすぎて調子の悪くなった腹をさすりさすり歩くカラは目の前を歩くサクヤに問いかけた。
「…で、どこに行ってるんですか?」
食堂を出て、広い城内を迷うことなく歩いているサクヤは振り向かずに言った。
「この国で1番偉いやつのとこ。多分。」
「1番ってそれって王ですか…うわっ!」
徐に目の前で立ち止まったサクヤにぶつかりそうになり、カラは急停止した。
「ここだ。」
「ここ、ですか?」
長い廊下でいくつも見てきた普通のドアに、カラが拍子抜けしている間にサクヤがドアノブをひねった。
ガチャ…
開いたドアの隙間をすり抜けるサクヤにカラも慌てて続く。
「入るぞー。」
「失礼、しますっ…。」
カラは反射的に部屋の中を見た。
最初にカラが寝かされていた部屋と同じようなつくりをしているがベッドはない。
(案外普通の部屋だな…。)
「だから入って来てから入るぞって言っても意味ないって言ってんだろ?」
「まあ、ダメって言われても入る時は入るけどな。」
「お前な…。」
(?あれ、この声どっかで…)
部屋を見回すのをやめ、サクヤと話す人物を見て、カラはポカンと口を開けた。
椅子に座った1人と寄り添うように立つもう1人。
椅子に座った男が歯を見せて笑う。
「よぉ!“朝ぶり”だな、少年!」
(朝ぶ…えぇぇぇえ‼︎
今朝の、助けてくれた…!)
口をあんぐり開けて凝視しているカラの目の前で赤茶色の髪の男はサクヤに尋ねた。
「なんだこいつ、サクヤの知り合いだったのか。」
「まあな。こいつはカラって言うんだ。」
サクヤがカラに向き直る。
「こいつはウィリス。
で、そのとなりにいる深緑の髪したやつがスヴェンだ。」
「おっ、おおお目にかかれて光栄です、陛下。」
きっかり90度腰を曲げてお辞儀するカラを見てウィリスはきょとん、としたあとハハッと声をあげて快活に笑った。
「王なんて大層な身分じゃねぇよ。
王族じゃあるまいし。」
「?違うんですか?」
顔を上げてカラが尋ねる。
「ああ、知らないのか?」
「あ、はい…」
ちらり、と目を逸らした先でスヴェンとサクヤが呼んでいた男が少し目を細めた気がしてカラは目を伏せた。
それに気にした様子もなく、ウィリスは喋り始めた。
「今から6年前、アレイルは隣国と同じで王族が国を治めていたんだ。王がいた頃のアレイルはそりゃあひどかった。税は重い。上は贅沢三昧。民が苦しんでても上級貴族は知らん顔さ。」
その頃を思い出したのか、ウィリスは精悍な顔をしかめた。
カラはちらりと他の二人を見た。
スヴェンは無表情のまま、
サクヤは近くの机に腰掛けトントンとリズミカルに鎌の柄で床を叩いている。
ウィリスが話し始め、カラは視線を戻した。
「で!とうとう俺らは立ち上がったんだ。
王は処刑され、俺らで国を作り上げて行くことになった。
だから今、この国は6人での合議制になってる。俺はその中でまとめ役みたいなもんになってるって訳だ。」
そこまで話し、ウィリスはカラに手を差し出した。
「っつー訳で改めて自己紹介すると俺は1番隊隊長、ウィリス。スヴェンは副隊長だ。」
「…よろしくお願い致します。」
「あ、どうも…。」
握手に握り返し、スヴェンに返事をする。
カラは改めてスヴェンを見た。
深緑の髪に深緑の眼、
背はすらりと高く、顔も整っているが始終無表情な為に冷たい印象を受ける。
ウィリスは手を離し、暇そうに足をぶらつかせているサクヤに尋ねた。
「…で、サクヤはカラとなにしにきたんだ?
この国のことをよく知らないってことは…商人か?」
サクヤはいや、とあっさり言った。
「いや。こいつ副隊長にするからウィリスには見せに来ようと思ってな。」
「あのっ、僕はっ…!」
(どストレート!こんなの許可が降りるわけが)
「ああ、そうか。」
「よかったな。いいってさ。」
「あんたも 隊長も軽っ!?
いいんですか、そんなんで!」
自分のことながらカラがつっこむもウィリスは肩をすくめた。
「まっ、いいだろ。こいつが信用してるっつーんなら。」
「そんな適当な…。」
呆れて二の句の告げなくなったカラを尻目にウィリスが隣に佇む男に呼びかけた。
「んじゃ、スヴェン。」
「…はい。準備してあります。」
「手回しいいなぁ。」
すっと静かに前にでたスヴェンが何処からか出したものをカラの前に突き出した。
「…これは…?」
陽の光に晒されキラキラと光っているのはエンブレムだった。
金糸に縁取られた中に狗鷲が雄大に翼を広げ描かれている。
「これをどっかにつけてろ。」
アレイルの隊長、副隊長の証だ。
「…。」
ウィリスは何も反応せず只々手の中のモノを凝視しているカラの顔を覗き込んだ。
「どうした?」
「あっ…なんでもないです!
ありがとうございました!」
ハッと我に返ったカラは慌ててお辞儀した。
「おう、これから頑張れよー?」
「はい!」
カラが勢い良く返事すると、サクヤが机から飛び降りた。
ひらひらと手首を振る。
「んじゃ、私達は行く。邪魔したな。」
「あっ、待ってくださいよ!
…失礼しました!」
構わずスタスタ歩いて行ってしまう少女と礼儀正しくドアをきっちり閉めて出て行く少年を見送ると部屋は一気に静かになった。
イスにどっさりと座りこんでウィリスは笑みを浮かべた。
「とうとう連れてきたなぁ、あいつ。」
「特攻隊…0番隊の副は空席のままでしたからね…。いいのですか?」
「あの少年でいいのかってことか?」
ウィリスは頬杖をついて笑みを浮かべた。
「いいんじゃないか?確かに見るからにひょろっちくて気も弱そうだったが動きは素早そうだった。それになによりあいつが…サクヤが初めて気に入った奴だしな。」
「…そうですか。」
スヴェンはそれ以上何も言わずに閉まったドアを見た。
そっとつやつやとした金糸で施されたイヌワシに触れる。
目の前を歩くサクヤの二の腕にも、古く擦り切れ鈍く光るそれが腕章のようについている。
「あの、隊長。」
「んー?」
「その…」
「?」
前を歩いていたサクヤが振り向き、目が合うとカラは首を横に振った。
「…いや、やっぱいいです。」
「改めて変なやつだな、お前。」
サクヤが怪訝な顔をしつつ、また歩き出す。
カラは一人、苦笑した。
(言ったら笑われるんだろうなぁ…“居場所”をくれてありがとうございます、なーんて…)
「ああ、そうだ。カラ。」
「はい?」
唐突にサクヤが振り返る。
胸を張ってカラを見上げ、指をカラに突きつけた。
蒼い目がまっすぐにカラを射抜く。
「お前はわたしの部下だ。だから私に黙ってついてこい!」
それだけ言って颯爽と立ち去るサクヤにカラは少し目を丸くして立ち止まった後、僅かに笑みを浮かべた。
「…はいっ!」
特攻隊副隊長はしかと応え、少し駆け足にその背中を追いかけた。
「んじゃ、これ書類処理よろしく。」
「え、いい話みたいな流れだったのにこれ?」
「だってその為の副隊長だしな。」
「雑用⁉︎」