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初投稿です。

読むのが専門の飽き性の私ですが、何とか頑張って完結させたいです。

『う、受かったー!!これで日本でも働ける!!』

電話をきった私は、固唾を飲んで見守っていた両親に向かって叫んでいた。

それを聞いた母親が50代とは思えない高い声で「キャー」と叫びながらも、兄妹、親戚に電話やメールしたりするのを未だ信じられない気持とこれからの自分を考えながら眺めていた。



高校卒業後、周りの反対を押し切って、1人、海外留学を決め、遥か遠いイギリスでの学生生活を選んだ私。

今は花の盛りも終えかけたと言われる28歳、立石 美晴。


母親譲りの派手な顔立ちと小学校の高学年からほぼ変わっていない体つき、160cmの身長と今ではFカップの胸。

小学校6年生で大学生に間違われるような容姿は当時、コンプレックスにはなっても、決して嬉しいとは思えない物であった。

そのせいで恥ずかしい思いをした事の方が多く、いつの間にか猫背になり、何度母親に注意されても治らなかった。


昔から地元に続く名家の名士と名高い父の長女として、周囲からの注目を常に感じる学生生活で、両親と周りの期待に応える為に日々をおくっていたように思う。


そんな生活を少し窮屈に感じていた私は、しっかりしているように見られながらも、何処か夢見がちな、本当に「いつか王子様が・・・」と信じていた、ハッピーエンド小説が大好きな少女であったように思う。


高校卒業を目前に両親の反対を押し切り、1ヶ月後の4月にはイギリスへ飛び立っていた。

いつも誰かに注目されているような、見られているような日本での生活から、寂しさを感じつつも、親元を離れた身軽さと年相応に見られると言う生活を純粋に楽しんでいた。(残念ながらイギリスでも若くは見られなかった・・・。)


初めは単純に語学留学のつもりで、話せるようになりたいなぁと言うぐらいの考えだった。

でもそれじゃ「海外留学してましたぁ」何て言う夏休みに短期留学に来るような人達と同じになってしまう!

それまでの1人でやってきた苦労を考えると我慢ならん!と私はイギリスでの大学進学を決めた。


何とか語彙が増え、普通の会話が出来るようになってから、大学入学準備コースで1年。

専攻はビジネス経済学部と考え始めた、コースに慣れてきた頃、担当アドバイザーから勧められた学部が、何と医学部!!

「イヤイヤ無理です!」と拒否する私にアドバイザーのDr.リー(医者のDr.では無く、博士号を持っているからのDr.)が、「大丈夫!受けてみなさい!」のカル~イ一言で、それまでやっていた会計学、IT、macro,micro-economicなんかに変わって、急遽日本から高校時代の物理や生物の教科書も取寄せ、寝る間を惜しんで勉強漬けの日々をおくった。

そしてダメで当たり前!の気持ちで望んだ試験に何と合格!


これには私も両親も本当に驚いた。

理系が苦手な事を知っている日本の友人達には信じて貰え無い様な気がして、言えないまま・・・。

そして始まった私の大学生活、入学したのは9月半ばだった。



イギリスの医学教育が日本と異なっているのも私が受かった大きい要因だと思う。

イギリスの大学は鉄の女の呼び名で知られ、先日亡くなったマーガレット・サッチャーさんが創立した私大1校の他は全て国公立。

大学に入学するには統一試験を受け、必ず希望する大学の教授と“インタビュー”と呼ばれる面接を受ける必要がある。

学力もある程度重要だが、それだけでは無い。

統一試験の結果等の書類とインタビューで生徒の人間性、将来性、その学部に通づる考えなどを重視しているのだ。


私の時は‘医者として働くという事’の意味と私が母校となった大学の学生になったら、大学側にはどう言う利点があるか・・・。

日本では到底考えられない質問だと思うが、それは思慮深いと言われるイギリスでも日本との大きな違いだと思う。

「自分がここの学生になったら、こんなに学校の為になりますよ!」と言うアピールをみずから行う。


そして最後には長く厳しい勉強を乗り越えられる忍耐力があるか・・等だった様に記憶している。

医学部の学生の留年は認められていない!

留年=退学を意味しているのだ。


まさか医者なんて・・・と半信半疑のままだったが、成れるなら勿論成りたい!

派手な顔と大きな胸がコンプレックスで、日本を飛び立った私が誰かを救えるような仕事、

そんな有意義な職業に就けるチャンスが与えられるなら、勿論やってみたい!

そう思っていた私は、インタビューには可能な限り誠実に応えた・・・はず。

勿論、自分をアピールする事も忘れずに。


で、本当にまさかの合格。

5年間の学生生活を只ひたすらに勉強に費やし、専門を外科に絞った私は卒業試験合格後、1年間の有償病院研修、大学病院勤務をもう1年経て、日本への帰国を果たした。



母国、日本での洋々とした希望に満ちた医師生活を夢見ていた。

幸せに成る為の第二の人生のスタートをきった・・・・筈だった。



初投稿です。

つたない文章ですが、頑張りたいと思います。

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