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婚約破棄された令嬢は精霊の愛し子でした

作者: 水曜
掲載日:2026/07/18

 王城の大広間には、祝宴の音楽が流れていた。


 王太子エドガーと、公爵令嬢リリアーナの婚約披露会。


 誰もが二人の未来を祝福するはずの夜――。


「リリアーナ・アストレア!」


 エドガーが高らかに声を張り上げた。


 楽団の演奏が止まる。


 貴族たちの視線が一斉に集まった。


「私は、お前との婚約を破棄する!」


 場内がざわつく。


 リリアーナは静かに顔を上げた。


「理由を、お聞きしてもよろしいでしょうか」


「理由など決まっている」


 エドガーは隣に立つ華やかな伯爵令嬢セシリアの肩を抱いた。


「私は彼女を愛している」


 セシリアは勝ち誇った笑みを浮かべる。


「あなたは真面目で退屈だ。王妃には華やかさが必要だ」


 貴族たちから失笑が漏れる。


「確かに地味なお嬢様だったな」


「王子殿下にはふさわしくない」


 リリアーナは反論しなかった。


 胸は痛んだ。


 幼い頃から王妃となるため勉強し、礼儀を学び、国のために尽くしてきた。


 それでも最後に残った言葉は一つだった。


「……承知いたしました」


 深く一礼する。


 その瞬間だった。


 誰にも聞こえない、小さな泣き声が響く。


『リリアーナが泣いてる……』


『どうして……』


『愛し子が傷つけられた……』


 無数の精霊たちが彼女の周りを飛び回る。


 だが、人間には見えない。


 リリアーナだけが小さく微笑んだ。


(大丈夫よ。私は平気だから)


 その言葉に、精霊たちはさらに悲しそうな顔をした。


 そして世界のどこかで――


 一柱の存在が静かに目を開く。


 精霊王だった。


 その黄金の瞳に、怒りが宿る。


「……我らの愛し子を、泣かせたか」


 世界中の精霊が震えた。


 翌朝。


「大変です!」


 城中を兵士が駆け回る。


「畑が全滅しております!」


「井戸の水が消えました!」


「鍛冶場の火が点きません!」


「風車が回りません!」


 異変は王都だけではなかった。


 国中で収穫は止まり、川は濁り、治癒魔法は一切使えなくなる。


 神官たちは祈るが、精霊は誰一人応えない。


 王は青ざめた。


「何が起きている!」


 誰にも分からない。


 神殿の大司祭だけが神託を受け、震えながら玉座へ駆け込む。


「陛下……精霊王が……お怒りです」


「何だと?」


「理由は……」


 大司祭は顔面蒼白で言った。


「精霊の愛し子が涙を流したから、と」


 王も王子も意味が分からなかった。


「精霊の愛し子?」


 その頃、リリアーナは荷物をまとめて王都を去ろうとしていた。


 もうこの国に自分の居場所はない。


 門を出た、その時。


 空が七色に輝いた。


 風が止まり、時間が止まる。


 空一面に、光の粒が現れた。


 初めて、人々は精霊を見た。


「な、なんだ……!」


「精霊だ……!」


 数え切れないほどの精霊たちが、リリアーナの周囲へ集まる。


 やがて巨大な光の柱が天へ伸びた。


 その中から、一人の青年が姿を現す。


 金色の長い髪。


 翡翠色の瞳。


 全身を神々しい光が包む。


 誰もが本能で理解した。


 精霊王。


 世界を司る存在。


 精霊王はリリアーナの前に跪いた。


「迎えに来た」


 王も貴族も息を呑む。


「我らが永き時をかけて慈しんできた愛し子よ」


 リリアーナは困ったように笑う。


「皆、心配しすぎです」


 精霊王は首を振る。


「違う」


 静かな声が世界へ響く。


「人は勘違いしている。我らがこの国を豊かにしたのではない。この娘がいたから、この国を愛したのだ」


 全員が凍り付く。


「豊かな実りも。澄んだ水も。穏やかな風も。癒やしも。すべて、この娘への祝福であった」


 エドガーは顔色を失った。


「そんな……」


 精霊王の瞳が冷たく細められる。


「その愛し子を、お前は涙させた。」


 次の瞬間。


 王国中の花が一斉に枯れた。


「これより我らは、この国を見放す」


 王が膝をつく。


「待ってください! どうかお許しを!」


 エドガーも必死に叫ぶ。


「リリアーナ! 頼む! 戻ってきてくれ! 私は間違っていた!」


 しかしリリアーナは静かに首を横へ振った。


「もう遅いのです」


 その時、一団の騎士が現れた。


 白銀の旗。


 隣国アルヴェイン王国の紋章だった。


 先頭に立つ青年が馬を降りる。


 皇太子レオンハルト。


 誠実さで知られる名君だった。


 彼はリリアーナへ優しく微笑む。


「精霊の導きにより、お迎えに参りました」


 彼は片膝をつく。


「どうか我が国へお越しください。以前よりお噂はかねがねお聞きしておりました。国と人を想う聡明な方であると」


 リリアーナの瞳に涙が浮かぶ。


 今度は悲しい涙ではない。


「……はい」


 その返事を聞いた精霊たちは歓声を上げた。


 リリアーナが国境を越えた瞬間――


 無数の精霊たちも一斉に彼女の後を追う。


 すると隣国の大地に奇跡が起こった。


 枯れた土地に花が咲く。


 川は透き通る。


 黄金色の麦畑が地平線まで広がる。


 病は減り、人々は笑顔を取り戻した。


 精霊術はかつてないほど発展し、隣国は「精霊の祝福を受けし国」と呼ばれるようになる。


 一方、王国は年を追うごとに衰退していった。


 飢饉、干ばつ、不作。


 かつて栄華を誇った国は、小国へと落ちぶれていく。


 数年後。


 アルヴェイン王国の王宮では、幼い子どもたちが庭を駆け回っていた。


「お母さま、見て!」


 花の冠を作る娘の周りを、小さな精霊たちが楽しそうに飛び回る。


 リリアーナは穏やかに笑った。


 その隣には、優しく寄り添うレオンハルトの姿がある。


 空の上では精霊王が静かにその光景を見守っていた。


「ようやく……」


 その表情は、初めて見せる穏やかな笑みだった。


「我らの愛し子が、心から笑っている。」


 その言葉とともに、国中の花々が一斉に咲き誇る。


 それ以来、この国ではこう語り継がれるようになった。


『精霊は豊かな国を祝福するのではない。愛し子が幸せに暮らす国を祝福するのだ』と。

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