婚約破棄された令嬢は精霊の愛し子でした
王城の大広間には、祝宴の音楽が流れていた。
王太子エドガーと、公爵令嬢リリアーナの婚約披露会。
誰もが二人の未来を祝福するはずの夜――。
「リリアーナ・アストレア!」
エドガーが高らかに声を張り上げた。
楽団の演奏が止まる。
貴族たちの視線が一斉に集まった。
「私は、お前との婚約を破棄する!」
場内がざわつく。
リリアーナは静かに顔を上げた。
「理由を、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「理由など決まっている」
エドガーは隣に立つ華やかな伯爵令嬢セシリアの肩を抱いた。
「私は彼女を愛している」
セシリアは勝ち誇った笑みを浮かべる。
「あなたは真面目で退屈だ。王妃には華やかさが必要だ」
貴族たちから失笑が漏れる。
「確かに地味なお嬢様だったな」
「王子殿下にはふさわしくない」
リリアーナは反論しなかった。
胸は痛んだ。
幼い頃から王妃となるため勉強し、礼儀を学び、国のために尽くしてきた。
それでも最後に残った言葉は一つだった。
「……承知いたしました」
深く一礼する。
その瞬間だった。
誰にも聞こえない、小さな泣き声が響く。
『リリアーナが泣いてる……』
『どうして……』
『愛し子が傷つけられた……』
無数の精霊たちが彼女の周りを飛び回る。
だが、人間には見えない。
リリアーナだけが小さく微笑んだ。
(大丈夫よ。私は平気だから)
その言葉に、精霊たちはさらに悲しそうな顔をした。
そして世界のどこかで――
一柱の存在が静かに目を開く。
精霊王だった。
その黄金の瞳に、怒りが宿る。
「……我らの愛し子を、泣かせたか」
世界中の精霊が震えた。
翌朝。
「大変です!」
城中を兵士が駆け回る。
「畑が全滅しております!」
「井戸の水が消えました!」
「鍛冶場の火が点きません!」
「風車が回りません!」
異変は王都だけではなかった。
国中で収穫は止まり、川は濁り、治癒魔法は一切使えなくなる。
神官たちは祈るが、精霊は誰一人応えない。
王は青ざめた。
「何が起きている!」
誰にも分からない。
神殿の大司祭だけが神託を受け、震えながら玉座へ駆け込む。
「陛下……精霊王が……お怒りです」
「何だと?」
「理由は……」
大司祭は顔面蒼白で言った。
「精霊の愛し子が涙を流したから、と」
王も王子も意味が分からなかった。
「精霊の愛し子?」
その頃、リリアーナは荷物をまとめて王都を去ろうとしていた。
もうこの国に自分の居場所はない。
門を出た、その時。
空が七色に輝いた。
風が止まり、時間が止まる。
空一面に、光の粒が現れた。
初めて、人々は精霊を見た。
「な、なんだ……!」
「精霊だ……!」
数え切れないほどの精霊たちが、リリアーナの周囲へ集まる。
やがて巨大な光の柱が天へ伸びた。
その中から、一人の青年が姿を現す。
金色の長い髪。
翡翠色の瞳。
全身を神々しい光が包む。
誰もが本能で理解した。
精霊王。
世界を司る存在。
精霊王はリリアーナの前に跪いた。
「迎えに来た」
王も貴族も息を呑む。
「我らが永き時をかけて慈しんできた愛し子よ」
リリアーナは困ったように笑う。
「皆、心配しすぎです」
精霊王は首を振る。
「違う」
静かな声が世界へ響く。
「人は勘違いしている。我らがこの国を豊かにしたのではない。この娘がいたから、この国を愛したのだ」
全員が凍り付く。
「豊かな実りも。澄んだ水も。穏やかな風も。癒やしも。すべて、この娘への祝福であった」
エドガーは顔色を失った。
「そんな……」
精霊王の瞳が冷たく細められる。
「その愛し子を、お前は涙させた。」
次の瞬間。
王国中の花が一斉に枯れた。
「これより我らは、この国を見放す」
王が膝をつく。
「待ってください! どうかお許しを!」
エドガーも必死に叫ぶ。
「リリアーナ! 頼む! 戻ってきてくれ! 私は間違っていた!」
しかしリリアーナは静かに首を横へ振った。
「もう遅いのです」
その時、一団の騎士が現れた。
白銀の旗。
隣国アルヴェイン王国の紋章だった。
先頭に立つ青年が馬を降りる。
皇太子レオンハルト。
誠実さで知られる名君だった。
彼はリリアーナへ優しく微笑む。
「精霊の導きにより、お迎えに参りました」
彼は片膝をつく。
「どうか我が国へお越しください。以前よりお噂はかねがねお聞きしておりました。国と人を想う聡明な方であると」
リリアーナの瞳に涙が浮かぶ。
今度は悲しい涙ではない。
「……はい」
その返事を聞いた精霊たちは歓声を上げた。
リリアーナが国境を越えた瞬間――
無数の精霊たちも一斉に彼女の後を追う。
すると隣国の大地に奇跡が起こった。
枯れた土地に花が咲く。
川は透き通る。
黄金色の麦畑が地平線まで広がる。
病は減り、人々は笑顔を取り戻した。
精霊術はかつてないほど発展し、隣国は「精霊の祝福を受けし国」と呼ばれるようになる。
一方、王国は年を追うごとに衰退していった。
飢饉、干ばつ、不作。
かつて栄華を誇った国は、小国へと落ちぶれていく。
数年後。
アルヴェイン王国の王宮では、幼い子どもたちが庭を駆け回っていた。
「お母さま、見て!」
花の冠を作る娘の周りを、小さな精霊たちが楽しそうに飛び回る。
リリアーナは穏やかに笑った。
その隣には、優しく寄り添うレオンハルトの姿がある。
空の上では精霊王が静かにその光景を見守っていた。
「ようやく……」
その表情は、初めて見せる穏やかな笑みだった。
「我らの愛し子が、心から笑っている。」
その言葉とともに、国中の花々が一斉に咲き誇る。
それ以来、この国ではこう語り継がれるようになった。
『精霊は豊かな国を祝福するのではない。愛し子が幸せに暮らす国を祝福するのだ』と。




