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08 提案



 母キャサリンが逝去したとき、私は十五歳だった。


 湿度の高い夏のことで、母はアマンダと二人で北部の別荘地に出掛けていた。本来ならば母ではなく私が行く予定だった場所だ。委員会の集まりで私が学校に行くことになり、母に代わりを頼んだから。


 滑落事故だった。

 パニック状態に陥ったアマンダが病院で繰り返し話していたのは「小母様が足を滑らせた」ということ。曰く、母は崖に生えた花を取ろうとしていたらしい。花好きな母のことなので、私たちはみんな何が起こったのか容易に理解した。


 あれから五年。

 自分の選択を後悔しない日はない。


 私が参加していれば、母はきっと今も生きていた。考えても仕方がないことだけど、ずっと懺悔の言葉が胸の奥に沈んでいる。




「おはよう、ジャンヌ。もう随分とうちに慣れたんじゃないかしら?ゆっくり眠れたようで安心したわ」


 私が食堂に降りて行くと、義両親とイーサンはすでに着席していた。言われた時間よりは早く来たはずだが、明日からはもう少し早く来る必要があるらしい。


「遅くなってすみません。昨日の結婚式でたくさんの人に会ったので、緊張してしまったみたいです。おかげさまで疲れが取れました」

「そう。それなら良かったわ」


 言いながら義母はイーサンの隣の席へ座るように促す。メイドが椅子を引き、私は頭を下げて腰を下ろした。家族が揃ったため、食事の皿が運び込まれる。


 爽やかな紅茶の香りに頬が緩んだ。

 さすがヘルゼン伯爵家。いろいろとうるさい義母ペチュニアだが、彼女の味覚だけは本物で、取り寄せる茶菓子や茶葉は一級品だ。


「とても良い香りですね」


 素直な感想を述べるとペチュニアは満足げに頷く。


「そうなのよ。本当ならば数ヶ月待ちのところを特別に二週間で取り寄せてもらったの。夫の名前を出したら、商人も顔色を変えてねぇ」


 そうだった。この人はそういう人。

 夫バッカスの名前を使って自分の良いように物事を進めていくのは今世も同じようだ。


 だけど、それも長くは続かない。バッカス・ヘルゼンは私たちが結婚した翌年に心臓の病気が発覚する。入退院を繰り返して、ヘルゼン伯爵家はかなりの混乱に陥るはず。


「あぁ、そうそう。貴女にやってもらいたいことをノートにまとめたのよ。今週中に引き継ぎを終わらせたいから、分からない箇所があったら教えて」

「え?」


 聞き返す私の前でペチュニアはメイドの一人を呼び、離れた机の上に置いてあった数冊のノートを持って来させた。手渡されたそれらを私は受け取る。


「これは……?」


 驚きつつ尋ねると、義母は大袈裟に息を吐いた。


「だから、引き継ぎ書よ。嫁いで来た嫁に家事を教えるのは女主人の役目でしょう?ヘルゼン伯爵家では女たちも家の仕事をするの。男たちは外で働いてるんだから当然!」


 こっそりと夫や義父の反応を盗み見たが、二人とも各々の食事に夢中なようで気にする様子はない。これもまた、以前と同じ。


 私がこのノートを受け取るのは二回目だ。

 一度目のときはひどくショックを受けた。だって、部屋に帰って開いてみたノートには「排水溝の掃除方法」から始まって「パンツの洗い方」まで丁寧に小さな字でびっしりと書かれていたから。



「生憎ですけど、お義母さま……」


 私は慎重に言葉を選ぶ。

 そしてゆっくりと口を開いた。


「それではメイドの皆さんのお仕事がなくなってしまいます。彼らの仕事を奪うのは良くありません」

「………何ですって?」


 細く整えられた眉毛がピクリと動いた。カップを持ったままでペチュニアはこちらを見据える。ここで怯んではいけない。


「お義母様にいただいたノートはもちろん拝見しますが、やるべき仕事の内容は一度メイド長に相談させてください」

「ジャンヌ!」

「それに、私は取り組みたいことがあるんです」

「取り組みたいこと?」


 睨みを効かせた双眼が見つめる中、私は隣に座るイーサンに笑顔を向けた。



「これからは夫にお弁当を届けようと思って」

「えっ?」


 イーサンは面食らった顔で私を見た。そりゃそうだろう。騎士団の団員は昼食を食堂で食べる。よほどの偏食でないと弁当など持参しない。


「騎士団のごはんは肉料理ばかりだって前に言っていたでしょう?栄養がちゃんと摂れてるか心配で…… 毎日は無理でも、週に何回かは私がお弁当を持って行くわ」

「いや、ジャンヌ、それはべつに………」

「お義母様だってイーサン様の健康状態は心配ですよね?」


 私を睨み付けていた義母に質問すると、素早く三度ほど瞬きをした後で咳払いが聞こえた。


「まぁ……ええ、そうね。ヘルゼンの女としては良い考えじゃない。意外と気が利くのね」

「お褒めの言葉、感謝いたします」


 機嫌を良くした母親の前でイーサンはもう何も言えない。拒否権などもともとないのだ。ペチュニアさえ説得すれば、あとはこちらのもの。


「じゃあ、イーサン様。明日からお昼時に宿舎に伺うようにするわ。遠方で訓練することがあったら事前に教えてもらえる?」

「あぁ……そうだね」


 あまり良い気はしないだろう。

 イーサンは極力私を騎士団の宿舎に入れたくない。自分の予定を共有するのだって歓迎はしないはずだ。だって、それは彼の自由を奪うことになる。


 宿舎に弁当を届ける目的は二つ。

 先ずは義母から押し付けられる厄介な家事の割合を減らすこと。こんな雑用に時間を割いていたら一日はあっという間に終わってしまう。


 そして、もう一つの目的。

 私だって無駄に死に戻ったわけではない。私が死んだあの日、扉の向こうにはイーサンともう一人、女が居た。あの声の主は誰だったのか。暴き出して、願わくば私は夫に離縁を突き付けたい。


 死の淵から甦ったからには、本物の地獄を用意して。


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