51 マホーン姉弟
「数値が向上しています。食事の量も増えていますし、顔色も以前より良くなりましたね。ヘルゼンさんが健康になっている証拠ですよ!」
嬉しそうに私の手を握ってそう言う看護師に、私は笑顔を返した。適切な体調管理のおかげで、入院も二週目に入れば、随分と私の身体は回復に向かっているようで。
「そうそう、お見舞いの方がいらしていたんです!」
あたふたと検査器具を片手に出て行った看護師と入れ違いで、ひょろりと痩せた髭面の男が部屋に入って来る。その顔を見て、私は思わず声を上げた。
「マホーンさん……!」
立っていたのは、祖父母の家の裏手に住むセドリック・マホーンだった。
そこまで深い仲でなければ、たった一度しか顔を合わせたことがない相手が一人で見舞いに来たので、私は面食らう。驚きようが伝わったのか、セドリックは頭を掻きながら「ハンベルクさんに聞いて来たんです」と答えた。
曰く、病院に行こうと張り切って家を出発した祖母は玄関前で足を捻り、祖父が近くに住むセドリックに代役を頼んだとのこと。確かに、その右手には見覚えのあるバスケットが握られている。いつも祖母がパンや果物を入れているバスケットだ。
「すみません、お忙しい中でこんな場所まで……」
恐縮して頭を下げると、セドリックは首を振った。
「いいえ。僕自身、もう一度ジャンヌさんとお会いしたかったんです」
「え、私とですか……?」
社交辞令なのか、はたまた何か意味があるのか分かりかねるので、とりあえず着席するように勧めた。
ここ三日ほどは雨が降り続いていたけれど、今日は朝方から天気が良く、鳥の合唱が時折聴こえる。一人だとどうしても色々と考えてしまうから、誰かが来てくれるのは助かった。
「以前お会いした時、貴女は何かと戦っているような様子でした。僕は昔から人の顔色を読むことに長けているので、きっとこれは外れてないと思います」
「………、」
「べつに何かを語ってほしいわけじゃありません。だけど、貴女のような葛藤の末に、一人で生きることを選んだ人間を僕は知っているから」
柔らかな日差しの下で、セドリックは悲しそうに目を細めた。私と対話しているというよりも、自分に言い聞かせるみたいな話し方は、彼の中の後悔のようなものを感じさせた。
いったい、どんな経緯であの場所に流れ着いたのだろうか。まだ若いセドリックにとって、南部はそれほど魅力的ではないはずだ。王都ほど変化に富んでいないし、女性だって少ない。
「すみません、僕ばっかり話してますね」
困ったように笑うので、私は首を振った。
「とんでもありません。病院の中はつまらないですから、話し相手になってくれるのは有り難いことです。セドリックさんは……どうして南部に?」
「楽しい話ではないんですが、」
記憶を手繰るみたいに男は目を閉じる。
私は黙って続く言葉を待った。
以前聞いた話では、毛皮の加工はあくまでも趣味の範疇で、彼の本業は研究者だったはず。見張りがなんとやらという話もあったが、あまり進んで語る様子はなかったので追及はしなかった。
ふぅ、と短い息を吐いてセドリックが目を開く。
「二十年ほど前に姉が死にました」
私は言葉に詰まって固まった。
高い声で鳴く鳥たちの声がやけにうるさい。
安易に事情を聞き出そうとしたことを反省したし、辛い過去を語らせていることを申し訳なく思う。だけどセドリックは、私の反応など関係ない素振りで話続けた。
「僕たちはもともとエルバキア共和国の生まれなんですが、年の離れた姉は、すでに公爵家に嫁いでいました。公爵は姉より年上で、前妻との間に幼い子供がいました。姉は自分なりに努力して、子供との関係も良好だったと聞いていました」
だけど、と囁くようにセドリックは続ける。
「ある日、公爵の留守の間に子供の体調が急変したんです。駆け付けた医師によると中毒との診断でした。原因は姉が焼いたとされるケーキではないかと、」
「そんな………」
「暑い夏場のことでしたし、公爵の子供はまだ少年でした。大人では腹痛程度で済むことが、子供にとっては命取りにつながります。子供は三日ほど生死の境を彷徨いました。公爵は姉を責めませんでしたが……屋敷に居辛かったんでしょうね。その半年後に橋の上から飛び降りました」
私は口元を手で押さえて、しばらく目を閉じた。
セドリックが語った内容はあまりに悲しく、信じられないほど辛い話。無関係の他人ではあれど、亡くなった彼の姉の思いを考えると胸が痛む。
下を向いたままで黙り込む私の隣でセドリックは、彼がこの場所で暮らすのは公爵家の息子を見守るためであり、それこそが亡き姉の代わりに自分が出来る唯一のことなのだと説明してくれた。




