14 栄誉のため
「本当に来ると思わなかったよ。ジャンヌ、僕は宿舎へ遊びに行ってるわけじゃない。気持ちはありがたいが、今後は控えてくれないか?」
やれやれといった顔で首を横に振るイーサンの向かいから、大きな溜め息が聞こえた。
「あぁ、そんなことだろうと思ったわ。初めは献身的な妻としての意識が芽生えたのかと思って黙って見守っていたけれど、やっぱりただの自己満足だったのね。弁当作りなんて遊びは辞めて、先ずは屋敷のことを覚えなさいな」
「………承知いたしました」
ペチュニアは満足そうに笑って、隣に座る夫バッカスと別の話を始めた。
私が起こした小さな抵抗は終わった。
このままいけば同じことを繰り返してしまう。日中はヘルゼン伯爵家に囚われて、自由を奪われる。そして気付かぬうちに夫は他の女と愛を深めているのだ。結局、避けられないのだろうか?
いいや、まだ手はあるはず。
屋敷の外に出る何かもっともらしい理由を作らないといけない。クレモルンの屋敷を頻繁に訪問すると言うのは変だし、頼れる友人も居ない。
「それより、貴方。この冬に向けて新しい毛皮のコートがほしいのよ。どこか他の国から取り寄せてくれないかしら?珍しいのが良いわ、見映えがするから」
「あぁ、ペチュニア……困ったな。隣のエルバキア共和国は鹿やうさぎの皮製品が有名らしいが、なかなか契約まで進めないんだ。どうもどこかの公爵家が既に手を回しているらしい」
「公爵家が?商いにも手を出すなんて、卑しい……」
金には困ってないはずなのに、と顔を歪めて義母は不満を口にする。
ここ、ロゼリア王国は四方を海に囲まれた島国なので、国内で補えない物資は他国からの輸入に頼らざるを得ない。幸い、ある程度の軍事力を有しているおかげで攻め入られる心配は今のところないが、問題はロゼリア内部での格差だろう。
ロゼリア王国には、国王陛下から認められたいくつかの公爵家が存在する。昔は今より多かったらしいが、後継の不在や領地経営に失敗したことが原因で、いくつかの公爵家は消滅したと聞いている。
爵位は異なるが、母キャサリンの生家であるハンベルク子爵家も風前の灯火。祖父が残した二人の姉妹はすでに嫁いだ上に逝去したので、跡を継ぐ者は居ない。考えを巡らせていた私の前でペチュニアが「そういえば」と切り出した。
「近頃じゃあ爵位目当てで結婚する女も多いと聞くわ。既成事実を作って逃げ道をなくした上でねぇ」
「既成事実?なんだそれは?」
バッカスの声にペチュニアは心底嫌そうな顔をして見せた。
「子供よ、子供。バカな女に引っ掛かったら男も可哀想だわ。その点、イーサンは賢いから身持ちだけは堅い女を選んだのね。偉いわぁ!」
「当然のことですよ」
「あぁ、当たり前だ。アバズレの子供なんて出来てみろ、堕胎は法律で禁止されてるんだから目も当てられないぞ」
義父は恐ろしい顔で首を横に振って嘆く。
彼の言う通り、ここロゼリア王国ではいかなる理由があっても生まれて来る子供の命を奪うことは許されない。だからこそ令嬢たちは婚前交渉に慎重になるのだが、噂では望まぬ妊娠をした女たちから金を受け取って手術を請け負うことで儲ける医者も居るらしい。
バッカス・ヘルゼンは陰鬱な話題に飽きたのか、息子の方を向いて口を開いた。
「イーサン、騎士団にも公爵家の男は居るのか?上手く取り入ることが出来るなら頼みたい」
父親の頼みをイーサンは鼻で笑い飛ばした。
「まさか!公爵家に生まれてわざわざ騎士団に入るヤツなんて居ませんよ。騎士団は中級貴族が自身の栄誉のために滞在する場所です。今戦争が起こっても、きっと半数は逃げ出すでしょうね」
「世も末だな。しかし、確かに騎士団に所属しているのは聞こえが良い。国のために身を挺して励む、我が息子ながら立派だ!」
嬉しそうに胸の前で両手を叩くペチュニアを横目に、私は食事に集中した。彼らが一人息子のイーサンを猫可愛がりするのはいつものこと。
加えて、騎士団が名前だけの集まりであることにも変わりはない。家業を継ぐまでの数年間、金を貰いながら楽に自身の経歴に箔をつけるという上で、騎士団はこの上なく相応しい場所だった。
頭の片隅に先日会ったユーリの姿が浮かぶ。
彼もまた、どこかの貴族の息子なのだろうか。私のことを泥棒扱いしたけれど、名ばかりの騎士団の団長と思えば腹が立つ。
「ねぇ、イーサン。騎士団長は最近変わったの?」
どうして君がそんなことを、と目で問い掛ける夫に、私は宿舎での出来事を報告する。彼のために作った弁当をクリストフが貰ってくれたことに関しては割愛した。
「あぁ……ユーリ団長だな。あの人は変わってるよ。どんなコネで栄転したのか知らないけど、国外への派遣から戻って来たらしい。今時馬鹿真面目っていうか、正直言って煙たがられてる」
「そうなのね。確かに厳しそうな方だったわ」
「顔は良いから女どもは黄色い声を上げてるが、実力はないだろう。団長の器じゃない」
「それじゃあ、あれか!お前がその後釜を狙ってるってわけか!」
目を輝かせてそう叫ぶ父バッカスを見て、イーサンはニヤリと笑う。
「恐れ多いですよ、父さん。僕は人の上に立てるような人間じゃない。もっと経験を積まないと」
「我が息子ながら謙遜が上手だ……!」
私は視線を自分の皿に戻して、にんじんの欠片をフォークで突き刺した。
人心掌握という点においては、イーサンの方が優れているかもしれない。男女問わず、彼の人当たりの良さだけは評価出来る。
「そうだわ、イーサン。来週の週末はお母様のお墓に行こうと思うの。アマンダやお父様も一緒よ。良かったらヘルゼン伯爵も、」
「残念だわぁ!週末は教会でチャリティーのイベントがあるの。私たちは新しく取り扱うワインの売れ行きを見に行く必要があってねぇ」
誘いの言葉を言い終わらないうちにペチュニアが口を出したから、私は黙った。
彼女からしたら微塵も興味はないのだろう。分かりきっていたことだ。建前上声を掛けてみたものの、一度目の人生でも彼らが私の母の死を気に掛けたことは一度もなかった。
「………残念です。また別の機会に」
「えぇ、ぜひ!お母様によろしくね」
故人へどうよろしく伝えたら良いのか。喉の奥が渇いていくのを感じて、私は水を流し込んだ。




