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銀色に輝く世界へ惜別を  作者: ゴールデン・ドア
第三章 反社会的勢力の巣
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■3-2 正しい魔導力の使い方

 夜の街へ出ると、石畳に落ちる衛兵宿舎の灯りが、通りの一角だけを不自然なほど明るく照らしていた。足を踏み出すたび、昼間に溜まった湿気を含んだ石が靴底に吸いつくような感触を返してくる。その明るさの境界に近づくほど、影は薄く引き延ばされ、逆に闇は一層濃く見えた。


 昼間は人の流れに紛れて目立たないその建物も、夜になると様相を変える。規律正しく並んだ窓の奥から漏れる光は均一で、揺らぎがない。まるで人の営みではなく、決められた手順で稼働する装置か何かが点灯しているような冷たさを孕んでいた。

 湿り気を帯びた石畳は灯りを鈍く反射し、白く浮かび上がる部分と、闇に沈む部分の境界をくっきりと描き出す。夜気には鉄と油の混じった匂いが薄く漂い、鼻の奥に引っかかる。ここが「守る側」の拠点であることを、嗅覚にまで叩き込まれるような感覚だった。


 消灯時間を過ぎたはずの宿舎の窓から漏れる光が、いまも規則正しく続いている理由は分からない。夜警の交代だろうか。それとも、単に眠らない者たちが中にいるだけなのか。

 遠くで金属同士が触れ合う音――剣か、槍か、あるいは鎧の留め具か――が、乾いた余韻を引きずりながら微かに響いていた。その音を聞くたび、背筋の奥がわずかに強張る。別に後ろ暗いことがあるわけじゃない。だが、この街で「何もない」夜の方が珍しいのも事実だ。


 その光の縁、明るさと闇の境界線に沿うようにして、モニカの露店はあった。


 簡素な木組みの台に、使い込まれた布をかけただけの小さな店だ。角は擦り切れ、布には何度も洗われた跡が残っている。だが、並べられた魔導石の放つ淡い光が、衛兵宿舎の無機質な灯りとは明確に異なる温度をもって、周囲を照らしていた。

 紫、青、緑。石ごとに異なる色合いが、まるで呼吸するようにわずかに明滅し、夜の空気に溶け込んで揺れている。魔導石特有の、少し甘く、少し金属を思わせる匂いが漂い、さきほどまで感じていた油と鉄の匂いをやわらかく押しのけた。

 光は柔らかく、布の繊維や木目の凹凸を優しく浮かび上がらせ、露店だけが別の時間に取り残されたかのようだった。――ここだけ、街の規律から半歩外れている。


「神楽坂さん、こんな時間に制服の女の子を連れて歩いていたら捕まりますわ」


 からかうような声音。

 モニカは指先で魔導石を一つつまみ上げ、並びをほんの数ミリずらしてから元の位置に戻す。配置そのものはほとんど変わっていない。それでも彼女は満足したように、次の石へと手を伸ばした。動きはゆったりしているのに、無駄がない。

 こちらを見るその唇は笑っているが、目は相変わらず油断がなかった。視線が俺だけでなく、背後や通りの奥にも一瞬ずつ滑っているのを、俺は見逃さない。


「それはそうだけど……衛兵と追いかけっこしているお前が言うのかよ」

 思わず返すと、モニカは肩をすくめる。その仕草も大げさではなく、ほんの少し肩が上下しただけだ。

「商売人ですもの。捕まるのは困りますけれど、見逃す方法も心得てますわ」


 何でもないことのように言いながら、次の石へ手を伸ばす。

 石同士が触れ合うたび、乾いた音ではなく、低く澄んだ、どこか生き物の鼓動を思わせる微かな反響がした。その音が石畳に落ち、夜の静けさの中で意外なほど存在感を持つ。

 ……相変わらずだ。軽口を叩きながら、危険な話題には自然と距離を取る。深入りさせないし、されない。こういう女だからこそ、ここで商売が成り立つんだろう。


 俺は、綾瀬さんから頼まれている仕事の愚痴を、半ば流れるようにモニカへ吐き出した。

 危険度と報酬の釣り合わなさ、面倒な後始末、割に合わない役回り。口に出せば出すほど、自分でも分かってくる。――結局、断れないくせに文句だけは一丁前だ。

 どうせ最後は引き受ける。そうなると分かっているからこそ、愚痴になる。諦めと自己嫌悪が、舌の上で混ざり合う。その間ルディアは俺の隣で何一つ口を挟まなかった。


「――で、そのアゾットナイフの件ですけれど……たぶんただのナイフではありませんわ」


 モニカの声が、すっと低くなる。

 指の動きが止まり、今度は石をつまみ上げたまま、光に透かすように傾けた。その目が、石の内部を読むように細められる。冗談の余地が消え、商売人ではなく専門家の顔になる瞬間だった。


「お前の専門ってこと?」


「はい、恐らくは魔導石から作られたものかと……」


 そう言って、モニカは石を静かに台へ戻す。音を立てないよう、指先でそっと離す仕草が印象的だった。


「色です。どの石に近い色でした?」


 問いを向けられ、急に指名されたディアナは一瞬だけ視線を彷徨わせる。俺の方を見ていいのか迷ってから、露店の上へと目を移した。

 やがて、端に置かれた紫色の石を、恐る恐る指さす。その指先はわずかに震えていて、制服の袖口がきゅっと引き寄せられる。


 その瞬間、モニカの瞳から商人の色が消えた。

 値踏みをするように光を反射させていた目が、すっと一点に収束する。軽口を叩く売り子の顔から、研究者のそれへと切り替わるのが、言葉を挟む間もなく分かった。

 彼女は指先で魔導石を一つ引き寄せ、光源との距離を微妙に変える。角度を変え、影の出方を確かめるように視線を走らせる。その真剣な横顔に、魔導石の淡い光が斜めに落ち、頬骨のラインをくっきりと浮かび上がらせた。


「通信特化の魔導石、ですわね」

 断定。

 迷いのない声だった。


 ……通話、か。

 俺は思わず視線を落とす。石畳の隙間に溜まった影が、やけに深く見えた。

 そういえば、綾瀬さんも以前、石に向かって何事か話しかけていたことがある。ぶつぶつと独り言を言っているように見えて、正直その時は「変わった世界だな」くらいにしか思わなかった。


「じゃあ石に話しかけたら、ナイフが反応――」


「すごい! 私のアゾットナイフにそんな機能が!?」


 ディアナの声が一段高くなる。

 夜の通りには不釣り合いなほど、素直で弾んだ響きだった。跳ねるような声が、石畳と石壁に吸われず、そのまま空気に残る。

 衛兵宿舎の冷たい灯りの下で、その声だけがはっきりと温度を持って浮かび上がっていた。

 俺までつられて、少しだけ肩の力が抜ける。――ああ、いい反応だ。分からないことが分かる瞬間の、あの顔。嫌いじゃない。


 だが、盛り上がる俺とディアナに対し、モニカは露骨にため息をついた。

 小さく、しかしわざとらしく。

 そして、魔導石から手を離し、指を二本立てる。


「二つ問題がございます」

 指は揃えられ、角度も完璧だ。軽い仕草なのに、空気が引き締まる。

「なんだ、Vサインじゃねぇのかよ……」

「ひとつ、私が持っている石では純度が低すぎて通話は難しい」

 モニカは一本目の指を軽く折る。

「ひとつ、そもそも共鳴状態にありませんわ」

 二本目が折れ、指先が掌に触れる。

「ならばせめて、場所が分からなければ働きかけることは難しいですわ」

 言い終えると同時に、彼女は指を下ろし、また石へと手を伸ばす。

 その動きは冷静そのものだった。


 露店の周囲に、気まずい沈黙が落ちる。

 魔導石の微かな唸りだけが耳に残り、遠くで馬車の車輪が軋む音、誰かの足音が石畳を横切る音が、間延びした余韻を引きずって通り過ぎていった。

 期待が高まった分、落差もはっきりと感じられる。


「本末転倒だな、場所が分からないから困っているのに……」

 ディアナは肩を落とし、視線を足元へ落とす。

 灯りに引き伸ばされた制服の影が石畳に落ち、彼女の小ささを余計に強調していた。その背中が、さっきより少しだけ丸く見える。


 ……その瞬間だった。

 ひとつの閃きが、理屈を置き去りにして脳裏を走った。

 考える前に、答えだけが浮かぶ。

 胸の奥が、ぞくりとする。これは嫌な予感じゃない。――知っている、という感覚だ。


「ディアナ。そのナイフって、お前のお守りだったんだな?」

「え? はい……だから?」

「いつも持っていたのか? いつからだ?」

 言葉が、勝手に続く。止めようという意識すら湧かない。

「ええと、中等部に入学した際に貰ったので、二年ほどでしょうか」


 モニカが目を細める。

 商人の目ではない。魔導師が術式の可能性を測るときの目だ。

 指先が、無意識に石の縁をなぞっている。

「まさか……触媒に?」


 俺は答えず、ディアナの背後へ回った。

 夜風が一瞬、二人の間を抜け、魔導石の匂いと冷たい空気が混ざり合う。

 心臓の鼓動が、やけに大きく感じられる。怖さより先に、胸の奥が高鳴っていた。


「動くなよ」


 肩に手を置いた瞬間――

 身体のどこかが、やり方を思い出したかのように、勝手に動き出した。


 おいおい……俺は魔導力なんて知らないはずだろ?

 そう思うより先に、感覚が先行する。


 意識しないまま、微量の精神エネルギーが流れ出す感覚がある。皮膚の内側を、温度のない波が滑っていく。

 それはディアナを通り、足元の石畳を抜け、地中へ潜り――

 迷いなく、北へと走った。


 確かな反応。

 手応えがある。

 長いことナイフを持ち歩いたディアナが、有能なコンパスの役割を果たして――

 いや、それ以前におかしい。

 なぜ俺が、そんな仕組みを知っている?

 疑問よりも、胸の奥で燃え上がるような高揚感が勝っていた。――分かる。できる。やれる。


「……うん。だいたい分かった。ありがとう。痛くないか?」

 まずはディアナの具合を確認する。声が、思ったより落ち着いていた。

「へ? はい……なんとも……」


 無事と分かれば、細かい疑問はいったん棚に上げだ。

 今はいい。今は、この感覚を手放したくない。後で綾瀬さんに聞けば、きっと説明はつく。――つく、はずだ。


 ディアナは呆然と俺を見上げ、モニカは言葉を失ったまま、目を丸くしていた。

 魔導石の光が、その驚きをさらに強調する。


「まあ、魔導ってすごいね。身体の方がよく知ってるみたいだ」


 自分でも、どこか他人事のような感想だった。

 だが胸の奥では、確かに何かが目を覚ましている。


 夜がさらに深まり、俺はモニカにディアナを送らせた。

 露店の灯りが一つ、また一つと落ちていき、通りは元の静けさを取り戻す。

 ひとりになると、胸のざわつきだけが、やけに大きく残った。


 ……何を、俺は覚えているんだ?

 いや、俺じゃない?

 この身体か?


 マルセラの夜風が、いつもより冷たく、肌にまとわりついた。

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