■4-10 打ち上げ、わっしょい!
鮮やかに仕事を済ませた俺たちは、一度ブルーノの家に集まることになった。
作戦後の余韻が、まだ身体の奥に残っている。
耳の奥に、銃声や怒号の代わりに張り付いたような緊張の残響があり、肺の奥には、深く息を吸ったときに吸い込んだ冷たい夜気の感触が、名残惜しそうに居座っている。それでも足取りはどこか軽く、石畳を踏むたびに靴底がわずかに跳ねるのを、俺は少しだけ楽しんでいた。
――ああ、ちゃんと生きて帰ったんだな。
そう実感するのは、いつも少し遅れてからだ。
ブルーノの家は、「情報屋ってそんなに稼げるの?」と思わず口に出したくなるほど広い。
玄関をくぐった瞬間、外の乾いた夜気とは違う、ほんのりと木と香草が混じった室内の匂いが鼻をくすぐった。
団長は玄関を通る動作一つにも無駄がなく、壁際に視線を走らせてから静かに室内へ入る。一方で綾瀬さんは、勝手知ったる様子でバッグを抱えながら、すでに棚の位置や椅子の数を把握している。
シルヴィアはと言えば、興味津々といった様子で天井を見上げ、くるりとその場で一回転しかけて、モニカに肘で小突かれて止められていた。
ブルーノは最後に入ってきて、ドアの鍵を二度確認してから、ようやく肩の力を抜く。
とはいえ、さすがに六人も集まればリビングもそれなりに手狭になる。
ソファにどっかり腰を下ろす綾瀬さん。
その背もたれに半身を預けて立つシルヴィア。
窓際で腕を組み、外の気配を探るように立つ団長。
テーブル脇で所在なさげに立ったままのブルーノ。
モニカは椅子を引き寄せ、脚を組み替えながら腰を落ち着ける。
そして俺は……一瞬迷ってから、壁際に寄りかかる。
グラスが触れ合うかすかな音、服が擦れる音、床板がわずかに軋む音。
六人六様の呼吸と動きが、リビングの中で微妙にズレながら重なっている。
――ああ、こういう雑多さは嫌いじゃない。
綾瀬さんの店よりは、どう考えても広々としているわけだし。
「あの~」
全員分のグラスを両手に抱えて戻ってきた家主が、恐る恐るといった様子で口を開いた。
グラス同士が触れ合わないように、肩に力が入り、肘が妙に浮いている。視線はあちこちに泳ぎ、誰に話しかけるべきか決めかねているのが丸わかりだ。
喉元がひくりと動くのを、俺は見逃さなかった。
「ん-? どしたのブルーノ」
シルヴィアがノンアルコール飲料を手に取り、気の抜けた声で応じる。
彼女はすでに緊張を完全に脱ぎ捨てていて、椅子の背に肘を乗せ、片足でリズムを刻んでいる。
グラスの中の淡い色が、灯りを反射して揺れた。
「いや、確認というか何というか……今回の作戦で一番頑張ったのは誰かな~ってことなんですけど……」
言い終える前から、ブルーノの声は尻すぼみになっている。
自分で言い出しておいて、どう転ぶかが怖い――そんな顔だ。
「なんだ、そんなことですの?」
モニカは当然のように甘めのカクテルを確保し、くるりとグラスを回す。
氷が小さく鳴り、柑橘の香りが一瞬だけ広がった。
その仕草には、どこか余裕がある。無事に終わったと、彼女なりに実感しているのだろう。
「じゃあいっせーので言い合おうか?」
綾瀬さんはハイボールを手にして、氷の音を立てながら提案した。
場をまとめるタイミングが絶妙すぎて、思わず感心する。
「いいねー! それじゃ、いっせーの!」
「「「ブルーノ!!!」」」
家主の名前が、何重にも反響してリビングに響き渡る。
壁に跳ね返り、天井に吸い込まれ、戻ってきた声が、まるで祝福の波紋のように空間を満たした。
ブルーノは目を見開き、次の瞬間、耳まで真っ赤に染まる。
「ですよねぇ~! それでは私の勇気を称えるということで……乾杯!」
「「「かんぱーい」」」
グラスがぶつかり合い、軽やかな音が重なる。
ブルーノは照れ笑いを浮かべながら、ビールを一気に飲み干した。
喉が上下に大きく動き、空になったグラスを置くと、ようやく息を吐き出す。
「いや! ほんっと怖かったですから!」
思わず本音が零れた、という顔だ。
今回の作戦。空に打ちつけたあの映像。
あれはブルーノの目を使ったものだった。魔導構造学で言えば視界提供者。前の世界でいえば、カメラ役といったところだ。
――言葉で説明するのは簡単だが、実際にやるとなれば話は別だ。
視界を共有する感覚。
当然その視覚の所有者は現場にいなければならない。
あの修羅場に放り込まれる恐怖。
「本当にヤバくなったら逃げればいいって言ったじゃん」
俺は、できるだけ軽く言ったつもりだった。
別に拉致して強制させたわけでもない。
選択肢は、最初から彼に委ねていたはずだ。
「いや、逃げられますか? あの状況から?」
ブルーノは部屋の隅で静かに水を飲んでいる団長をちらりと見て、涙ぐみながら訴えた。
唇が震え、声が裏返る。
団長は気にするでもなく、グラスを置き、壁にもたれている。
……泣くなよ。
悪かったって。
胸の奥で、小さな後悔がちくりと刺さる。
「でもまあ、なんだかんだで安全でしたわね」
それでもモニカは、あっけらかんと言ってのける。
「安全!? んなこたぁ、無いですって、モニカさん!」
「あら、意味ありげですわね?」
「意味しかないんですよ! 神楽坂さん!」
「うん?」
矛先がこっちへ向けられた。
「神楽坂さんも今日は戦う予定じゃなかったですよね?」
「そう。戦闘はぜーんぶアイツに任せて、俺は何かやった雰囲気だけ出す……ってのが当初の予定よ」
「そ・れ・が! いきなり戦ってたじゃないっすか!」
「あー、部屋に入ってすぐな。角材振り回してきたやつか」
不意を突かれたのが幸いだったのだろう。あの瞬間、以前と同じように身体が勝手に反応した。脳が状況を整理するより先に、筋肉が答えを出していた。考える前に動いていた。
正直、助かったと思っている。もし一瞬でも迷っていたら、結果は違っていたかもしれない。
「たしかに。あの時は驚いたよ」
フォローのつもりで口を挟むと、ブルーノは勢いよく頷いた。
「そういうことです! 想定外のことなんて、いくらでもあるものなんですって! 俺、あの時思いましたもん! あの部屋の誰にも勝てない。いや、それどころか殺されるって!」
――まあ、それは、正しい。
俺はグラスを傾けながら、心の中でそっと同意した。
そして同時に思う。
それでも、この六人は今、同じ部屋で笑っている。
恐怖も後悔も全部抱えたまま、こうして生き残っている。
……悪くない夜だ。
荒ぶるブルーノ。
吐き出される言葉の勢いと一緒に、さっきまで肺の奥に溜め込んでいた恐怖の残り香が、空気中にばらまかれていく。声は大きいが、芯はまだ震えている。叫ぶことでしか、あの時間を振り払えないのだろう。
「でも逃げなかったじゃねぇか。あんな雑魚ども、ただ潰していても何の意味もねぇ。お前が最後までいたおかげで、くだらねぇ掃除にも価値が生まれた」
淡々とした口調。
慰めでも、励ましでもない。評価だ。
それも、仲間に向けるそれではなく――同じ現場に立った“人間”としての、最低限の言葉。
団長はそう言って距離を縮め、ブルーノのグラスに自分のグラスを軽く当てた。
チン、と乾いた音がする。
軽いはずの音なのに、不思議と胸に残る。あれは乾杯じゃない。確認だ。
「お前はここにいた」
ただそれだけを刻む音。
「は……はぁ。ごっつあんです」
意味不明な返事。だが、それでいいのだろう。
ブルーノの肩が、目に見えて落ちる。呼吸が深くなり、指先の震えもようやく止まった。評価されたことで、恐怖が「無意味ではなかった記憶」に変わったのだ。
――やり方は荒いが、的確すぎる。
団長は、必要なことしか言わない。だから言葉が重い。
「そうそう、ブルーノが逃げ出してたら、私の渾身の魔導投影が無駄になっていたからね」
場を和らげるように、シルヴィアが軽く割って入る。
ソファに深く沈み込み、脚を投げ出すその姿は、限界まで精神エネルギーを使い切った後のそれだった。目の下に残る影が疲労の証だが、口元には確かな満足がある。
「それにしても神楽坂さんは、どうして私が増幅系の魔導石を譲ると思ったのです?」
モニカの問いかけに、俺は内心で苦笑する。
可もなく不可もない魔導石売りモニカから、今回は高純度の一品を引き出せた理由。
それは計算というより、観察の積み重ねだった。
「それは賭け。一週間前にシルヴィアに純度の高い魔導石を贈ってやったろ? だから存在はしてると思ったのよ」
言葉にすると軽い。
だが実際は、何度も頭の中で最悪の展開をなぞっていた。
「ええ、それは理解できますわ。だからといって――」
「純度の低い魔導石を使えば、負担がかかるのはシルヴィアの精神だ。嫌なんだろう? それは」
言い切る。
自分の得より、他人の消耗を嫌う性格。
モニカはそこを突かれると弱い。
「まぁ」
偽メイドはぽかんと口を開ける。
理屈が追いつき、感情が追いつき、最後に納得が来る。そんな顔だった。
「はー、大した魔導力も搭載していないのに、割と計算された計画だったのね。これ、呆れたらいいのかしら?」
「綾瀬さん、俺は名門ヒルデガルト魔導学院の講義を最前列で受け続けた男だぜ? しかも隣には常に解説してくれる留学生を置いてだ」
「一週間だけだけどねー。ねぇ、また――」
その言葉を遮るように、紫色ぼ輝きが放物線を描いて飛んできた。
反射的に胸で受け止め、慌てて両手でキャッチする。
ひやり、とした金属の冷たさが掌に残る。
「そういや魔導学院では渡せていなかったなぁ……あの空気の読めない門のせいで」
団長の声。
手元を見ると、それは鞘に収まったアゾットナイフだった。
この一件の始まりであり、終わりでもある品。
「じゃあな、場違いなようだから先に失礼するぜぇ」
気づけば、団長はもう玄関にいる。
背中すら見せない。存在が、薄れていく。
――いや、最初から、ここに“留まって”などいなかったのだ。
「おまえ――」
思わず声をかける。
だが、団長は振り返らない。
「いいか。今日の芝居はあくまで芝居。それ以上でも以下でもねぇし、これから先にも関係ねぇんだ。分かるな? 俺とお前が兄弟なわけもない」
線を引く言葉。
近づかせないための、明確な拒絶。
「……ああ。でも一個聞いておきたいんだけどよ――」
「だめだ。二度も言わせんな。じゃあな」
団長は、気配ごと消えた。
扉の音すら残さず、そこに“いなかった”かのように。
一瞬の静寂。
グラスの水面すら、止まったように錯覚する。
――あいつは、最後まで一人だった。
仲間でも、身内でもない。
ただ同じ現場に立っただけの存在。
だが、それでいいのだろう。
あれ以上踏み込めば、きっと壊れる。
やがて、空気が緩む。
笑い声が戻り、椅子を引く音がする。
「いいのかな? これで」
綾瀬さんに問いかける。
答えは、分かっている。
「良いも悪いも、他にどうしろって? 走って追いかければ間に合うわよ? でも、それからどうするの?」
「……そりゃまぁね」
俺はアゾットナイフに視線を落とす。
冷たい重み。始まりの象徴。
そして仲間たちを見る。
笑顔、疲労、安堵。
生きて帰った人間の顔。
――ああ、終わったんだ。
このナイフから始まった一連は。
「おーい、今日の主役! なーにぼーっとしちゃってるんですか!? こっちこっち」
上機嫌なブルーノの声。
「いや、主役はお前なんだろ」
そう言って、俺はナイフを懐にしまう。
今はまだ、答えを出す必要はない。
この温度と騒がしさに、身を委ねる。
それでいい。今は、それで。




