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銀色に輝く世界へ惜別を  作者: ゴールデン・ドア
第四章 名門魔導学院
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■4-6 平穏な時間の締めくくり

 「では石油……いや、石炭による産業の発展は今後もあり得ないということですか?」


 自分の声が、講義室のやや淀んだ空気の中に落ちていくのが分かった。

 昼下がり特有の、意識が半拍遅れるような温度。暖められた空気は重く、呼吸するたびに肺の奥でゆっくりと沈殿する。窓から差し込む陽光が、舞い上がった微細な埃を照らし、黒板に残った白墨の跡をぼんやりと浮かび上がらせていた。


 講義室を見渡せば、学生たちの姿勢はどれも似たり寄ったりだ。背中は丸まり、頬杖をつく者、視線だけを必死に前へ向けている者、机に突っ伏す寸前で踏みとどまっている者。

 誰もが露骨に退屈そうな顔をしているわけじゃない。だが、全員がどこか「聞いているふり」をしている。集中しているように見せかけて、頭の中では別のことを考えている。そんな倦怠感が、湿った布みたいに講義室全体を覆っていた。


 俺の疑問は、たぶん前世の人間であったなら、誰もが一度は胸の奥で転がしたことのあるものだ。

 蒸気機関、産業革命、煤にまみれた都市――そんな言葉が、断片的な映像とともに脳裏をよぎる。


 けれど、それを口にした瞬間、自分でも分かってしまった。

 ここでこの話題を振るのは、場違いだ。

 講義の流れを乱すだけで、誰も得をしない。

 分かっていて、つい口を開いてしまった。その軽率さが、じわじわと自己嫌悪に変わっていく。


「石炭? 石炭ですって?」


 女講師はきょとんとした様子で小首を傾げた。

 髪がわずかに揺れ、黒板の端に置かれた魔導石へと、視線がちらりと流れる。淡く脈動するその光は、講義室全体の魔導具と共鳴しているかのように、低く、安定した振動を放っていた。


 学生たちの間に、小さなざわめきが走る。

 ――また神楽坂が変なこと言い出した。

 そんな空気が、言葉にならないまま伝わってくる。直接見られているわけじゃないのに、背中に無数の視線が刺さる感覚がある。


「うーん、まぁ使い方次第では便利な素材ではありますが……あの程度の動力源では、時代の変革を起こしえないわよ」


 断言する声には迷いがない。

 魔導力史学の講義室には、午後の眠気を帯びた空気が相変わらず漂っていた。羊皮紙の匂い、古木の机が放つ乾いた香り、魔導具特有の金属と薬品が混ざったような微かな臭気。それらが混じり合い、思考を鈍らせる。


 女講師は、話が本筋からズレてしまっていることに、露骨に呆れた顔を見せている。

 その表情が、胸にちくりと刺さった。


「もちろん木炭のような消費の仕方なら、その考えも分かるのですが、もっと、こう……画期的な生産方法があれば……」


 言いかけて、俺は言葉に詰まった。

 頭の中には、前世で見聞きした知識の断片が、ガラス片みたいに浮かんでは沈む。


 高炉。圧縮。蒸気圧。

 知っている「単語」だけが、意味を持たないまま漂っている。

 それをこの世界の理屈に落とし込むだけの裏付けが、決定的に足りない。


 ――結局、俺は専門家じゃない。

 前世の知識だって、かじった程度だ。

 「知っている気がする」だけで、「説明できる」ほど理解していない。


 先生が魔導石に知識が偏っていることと、俺の持つ知識が曖昧なことは、まったく別問題だ。

 資源工学のことなんて、正直、ほとんど知らない。

 考えれば考えるほど、自分の軽さが浮き彫りになる。


 ――まただ。

 俺はいつも、こうやって中途半端なところで口を挟んで、結局何も示せない。


「――いや、ありません。講義を進めてください」


 逃げるようにそう言って、俺はしょんぼりと席に戻った。

 木製の椅子が体重を受けて小さく軋む。その振動が、妙に腹の底まで伝わってくる。

 教室の空気が、ほんの少しだけ安堵に傾いたのを感じた。話が元の軌道に戻る。その事実が、俺を余計にちっぽけに感じさせる。


 隣のシルヴィアが、誰にも気づかれないよう、指先だけで音の出ない拍手をしてくる。

 からかい半分、励まし半分だと分かっている。

 分かっているからこそ、胸の奥がむず痒くて、居心地が悪い。


 ――やめてくれ。

 俺は褒められるようなこと、何もしてない。


 その瞬間、天井近くに設置された魔導石によって作られた拡声器から、校内放送が鳴り響いた。

 澄んだ音声が、講義室の空気を切り裂く。


「えー、留学支援室より連絡です。神楽坂さん、至急学院長室まで来てください。繰り返します。神楽坂さん、至急学院長室まで来てください」


 そう告げて、校内放送はプツリと切れた。

 余韻だけが、耳の奥でかすかに残る。


 ――最悪のタイミングだ。


 教室中の視線が、一斉に俺へ集まるのを、肌で感じた。

 倦怠気味だった学生たちの目が、ここぞとばかりに輝く。講義より面白いものが降ってきた、という顔だ。


「あー、先生。そういうことなんで……よろしいでしょうか?」


「もちろん。至急と言っていましたからね。寄り道のないように」


 女講師の声は淡々としている。

 ――内心、助かったと思ってるだろうな。

 俺が消えれば、余計な脱線もなくなる。


 それを聞いて、道具をまとめ始めた俺の手を、シルヴィアがぐいと掴んだ。

 細い指だが、意外と力がある。


「神楽坂、私も行った方が色々と手早く話が――」


「いいから! 講義聞いておけ!」


 必要以上に大きな声で、その申し出を押しつぶす。

 自分でも驚くほど、声が荒れていた。


 ――これ以上、巻き込めない。

 どうせ大した話じゃない。

 俺一人で十分だ。


「助けはまた俺がリンチにあいそうになった時に来てくれ――ってわけで先生、失礼します!」


 半ば逃げるように、俺は小走りで教室を出ていった。

 背中に残る視線と、教室に戻っていく講義の気配が、遠ざかっていく。


「すみません! 学院長室ってどこですか!?」


 そして秒で引き返したのだった。


中央時計塔の三階に学院長室がある。それより上は、巨大な時計の裏側へと続く螺旋階段が延々と伸びているだけらしい。

時計塔という名前に相応しい神秘性を期待していたわけじゃないが、実際に足を運んでみると、そこにあるのは権威の象徴というより、単に高い場所にあるだけの石の箱だ。


石造りの階段を一段上るたび、靴音が妙に大きく反響した。

音が壁にぶつかって返ってくる。その遅れが、無意味に神経を逆撫でする。

冷たい石の感触が、足裏から脛へと伝わり、じわじわと体温を奪っていく。その冷えが、緊張を煽るというより、嫌な予感を現実味のあるものに変えていく。


俺がこの学院の生徒として過ごすようになって、一週間ほど経つ。

だが、呼び出しをくらうのも、学院長室に足を踏み入れるのも、これが初めてだった。


――まあ、碌な用件じゃないのは、分かりきってる。


至急、という言葉が添えられた時点で、胸の奥に溜息が落ちていた。

重厚な扉の前に立つと、木と金属が混じった独特の匂いが鼻をつく。磨き上げられているはずなのに、どこか古臭い。権威と歴史を混ぜ合わせた結果、淀んだだけの匂いだ。


二度、裏拳で軽く叩く。


「どうぞ」


中から声が上がり、「失礼します」と口にして入室する。

中は広かった。無駄に広く、無駄に天井が高い。大きなガラス窓を背に、恰幅のいい男が一人、わざとらしく立っていた。


外光に縁取られたその姿は、逆光のせいで一瞬だけ威厳があるように見えた。

一瞬だけ、だ。


反射的に頭を下げる。


「こらこら、あんまり頭を下げ続けても逆に失礼だぞ、神楽坂君」


その言い方が、すでに上から目線のそれだった。

言われて、スッと頭を上げる。向こうは俺の顔を、最初から知っている様子だった。視線の動きが、観察というより、品定めに近い。


「えー……っとぉ、学院長……?」


「うん? なんだね?」


間延びした返事。声に張りはあるが、中身がない。

俺の胸の奥で、嫌な予感がはっきりと形を持ち始める。


「いや、至急ってことで飛んできたのですが……」


俺の言葉に、学院長は不機嫌な顔を隠そうともしなかった。

眉間に刻まれた皺が、くっきりと深くなる。その皺は威厳の証というより、ただ神経質なだけに見える。


「もうすぐ中等部は下校の時間だよ」


……ああ、これだ。

この時点で、話の主導権が俺にないことが確定する。


そして、まいったな。

どうにも、遠回りな話になりそうな予感がする。しかも、責任はきっちりこっちに押し付けられるタイプの。


「はぁ」


俺も学院長にならって、気のない返事をしてみる。

ギロリと睨まれたが、正直、なんとも思わなかった。

威圧しようとしているのは分かる。分かるが、怖くない。むしろ、余裕がないのが透けて見えて、冷める。


「三日前から、中等部から報告を受けていたのだ。正門前にゴロツキが待機していると」


なにそれ。

話の流れ、完全に見えちゃったよ。最悪。


「ゴロツキどもは特に何かするわけでもなく、ただ見ているだけだ。だが武力による排除、権力による排除、どちらにしても遺恨が残ってしまうだろう?」


……要するに、何もしてないから手が出せない。

責任も取りたくない。事を荒立てる決断もできない。

それでいて、目障りだから何とかしてほしい。


「そうですね。何もしていないわけですから。『何をイチャモンつけやがってテメエ』からの三倍返しは、全然あり得ますね」


軽口を叩いたつもりだったが、半分は本音だった。

学院長がキッと睨みつける。


「……やつらは五、六人で固まって、ぞろぞろと来ていたのだが、今日は一人だった」


「なんで、その一人がそのゴロツキ集団の人間だって分かったんですか?」


「名乗られたからさ。うちの者が威嚇していたようで申し訳ない、と」


へえ。

礼儀正しいゴロツキもいるもんだ。


「ありゃー、幹部登場ですか」


「いや、一番上と名乗っていたよ。鵜呑みにすることは出来ないが、団長という立場らしい」


ふーーーー。


俺は大きく息を吐いて、肩を落とした。

肺の中の空気を全部吐き出しても、気分はまるで軽くならない。むしろ、余計に重くなる。


――ああ、やっぱり俺か。


「心当たりがあるようだね」


その言い方が、妙に期待混じりなのが腹立たしい。

トラブルの種を見つけて、ようやく責任を押し付ける先が見つかった、そんな声音。


「一応の質問ですが、そのゴロツキ集団はどんな格好の連中でしたか」


「隊服……とまで立派なものは着ていなかったが、全身を黒一色でまとめていたよ」


「で、今日来た一人は、それまでの詫びの後、何と言っていたんですか?」


「神楽坂、という男を呼び出してくれとのことだ。中等部から研究生、用務員から特別講師まで、神楽坂という名は、一週間前に留学生として入ってきた君しかいないのだよ」


……ですよねー。


「……その他に何か?」


「出てくるまで、何日でも待つとのことだ」


待ちそーーーー。


俺は再び、深くうなだれた。

首の後ろが、じっとりと汗ばむ。冷たいはずの部屋の空気が、やけに重い。


「学院長」


うなだれたまま、俺は尋ねた。


「中等部の下校時刻まで、あと何分でしょーか?」


「……三十分弱だ」


「三十分でそいつと片がついたら、そんな幸せなこと、ないと思いません?」


「え? いや、まぁ……そうなるな」


ふー。今度は軽い溜め息。

諦観に近い感情が、胸の奥に広がる。


「それで学院長先生。俺を呼び出してさ、知らぬ存ぜぬでやられてたら、一体どう立ち回ってたんです?」


「うん? それは、まぁ……」


学院長はしどろもどろになり、視線を彷徨わせる。

結局、答えを出さない。

――いや、出せない、か。


「うん、もういいや」


俺は講義用バッグを、部屋のソファに乱暴に投げ出した。

布が沈み、鈍い音がする。


「それ、俺の部屋に戻しておいてください」


状況が状況だ。仕方がないとはいえ、胸の奥で沸々と湧き上がる苛立ちを、さっきまで威厳を装っていた弱気な初老男性にぶつけている自分がいる。


「えっと、返事は? 俺のバッグを戻すこともできないの?」


「あ、ああ」


「俺は返事を聞いてるんだけど」


「はい……私が責任をもって、神楽坂君の部屋に、戻す……」


「じゃ、お願いします」


そう言い捨てて、俺は部屋を出ていった。


ああ、カッコ悪い。

俺、カッコ悪い。


そう思いながら、石畳の道を激しい靴音で走って、正門を目指す。

冷たい空気が肺に刺さり、心臓が早鐘を打つ。


時間がないこともあるが、それ以上に――

とにかく身体を動かしていないと、落ち着かない気分だった。

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