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銀色に輝く世界へ惜別を  作者: ゴールデン・ドア
第四章 名門魔導学院
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■4-5 太陽の子

「行ってきます」


 返事のない簡素な部屋に、形式だけの挨拶を落として、俺は扉を閉めた。

 木製の扉が枠に収まる瞬間、蝶番が小さく鳴き、澄んだ金属音が静かな室内に残響を落とす。


 石造りの宿舎は夜の名残をまだ溜め込んでいる。廊下の床はひやりとしていて、靴底越しでも冷たさがじんわりと足裏へ伝わってきた。白い壁は朝日を受ける前で、まだ青白く、わずかに湿った匂いを含んでいる。吐く息が、自分でもわかるほどかすかに白む。


 本日は一限目が空いている。二限目から先は、魔導学応用実験がぎっしりだ。

 ――基礎もできないのに応用とか、ほんとやめて欲しいのですが……。


 心の中で愚痴を転がしながら、校舎へ向かう道を歩く。朝の学院は、独特の匂いがする。どこか金属質で、鼻の奥をくすぐるような刺激。実験棟の方角から漂ってくる、魔導石を削った粉塵と、薬品が焼けたような匂いだ。それは清潔さと危険が混じった匂いで、吸い込むたびに今日一日の重さを先取りさせられる気がした。


 宿舎を出たところで、見知った顔が突っ立っているのが目に入る。

 笛吹きの女の子だ。


 石畳の端、日陰と日向の境目に立ち、彼女はぼんやりと空を見上げていた。両手は背中で組まれ、片足に体重を預けている。規則正しく揺れるつま先が、暇を持て余している証拠だった。

 俺の足音に気づいた瞬間、彼女はびくりと肩を跳ねさせる。その拍子に、長い髪がさらりと揺れ、陽を受けて一瞬だけ淡く光った。


「い!?……おはよ」

 一拍遅れて、慌てたように姿勢を正す。手を背中から外し、意味もなくローブの裾を直す仕草が、やけに落ち着かない。


「おはよ」

 オウム返しするシルヴィア。その声は朝の空気みたいに澄んでいて、耳に触れた瞬間、妙に残る。冷たいはずなのに、どこか柔らかい。


 ……いや、そうじゃないだろ。


「おいおいおい、昨日の話忘れたのかよ!?」


 思わず声が荒くなる。自分でも驚くほど、喉の奥に力が入っていた。

 あの晩。脳裏に、黒い影と、肌を刺すような緊張感がよみがえる。空気が張り詰め、少しの音ですら命取りになりそうだった、あの感覚。


 シルヴィアは一瞬だけ目を瞬かせ、それから首を傾げる。困ったように眉を寄せるが、すぐにその表情は緩んだ。


「わかるわかる、闇の組織に狙われているかもってことでしょ」


 軽い。

 あまりにも軽い。

 肩の力が抜けきった口調に、胸の奥で何かが軋む。


 俺たちは実験に遅れないよう、自然と歩調を早めながら言葉をぶつけ合う。石畳に靴底が当たる乾いた音が、朝の静けさの中で妙に規則正しく響いた。

 シルヴィアは歩きながら、無意識に指先で笛のケースの留め具を弄っている。癖なのだろう。集中していないようで、身体だけは落ち着かない。


「お前だって、あの晩は現場にいたんだぞ!?」

「うん、でもしっかり黒い服着ていたし」

 彼女はさらっと言いながら、軽く肩をすくめる。深刻さを共有する気配が、まるでない。

「そんな浅い問題じゃねーだろ! だいたい俺と一緒に行動していることが――」

 言いかけた言葉を、彼女は平然と遮る。

「そもそも危険だって言うの? じゃ、私はしばらく授業休んだ方がいいの?」


「なっ!」


 喉の奥で言葉が詰まる。冷たい空気を吸い込んだはずなのに、息がうまく回らない。

 反論はいくつも浮かんだ。論理も、感情も、正しさもあったはずなのに、どれも口に出る前に霧散していく。


 シルヴィアは立ち止まり、俺の顔を真正面から覗き込む。至近距離。探るような視線。だが、そこにあるのは恐れではなく、純粋な疑問だ。


 ――なんなんだ、この子は……。


 結局、そのまま実験棟まで着いてしまった。

 白い石壁に囲まれた建物は、朝日に照らされて無機質に輝いている。光を反射するその様子は、感情を拒絶するかのように冷たい。ここから先は、不穏な話はできない。


「でもよ」

「でもって?」

「いや、わかるだろ」

「わかんなーい」


 わざとらしく首を振り、彼女は小さく笑う。歩きながら、また笛のケースに触れる。その指先は、どこか落ち着いていて――だからこそ、余計に不安になる。


 そんな抽象的な言葉の応酬を続けながら、俺たちは第五実験場に出た。

 扉を開けた途端、空気が変わる。魔導具が稼働する低い唸り。金属同士が触れ合う乾いた音。微かに焦げた薬品の匂いが鼻を刺す。

 そして、すでに入場していた学院生たちの、遠慮のない視線。一斉に集まるそれらが、肌に突き刺さる。


 ――勘弁してください。


 本日の実験は、魔導力の伝達実験。積み上げられたレンガの指定箇所を、ピンポイントで破壊するという課題である。

 そもそもレンガを破壊すること自体ができない俺にとっては、難題もいいところだ。


 この実験は四人一組で行われる。そしてここで、俺とシルヴィアは別グループになった。

 その事実を告げられた瞬間、胸の奥で小さく何かが沈んだ。

 ――なんだよ。

 ――いざいなくなると、寂しいじゃねーかよ。


 自分でも驚くほど、感情が素直に浮かび上がる。ほんの数時間、同じ場所にいただけだというのに。あいつが視界から消えただけで、周囲の色が一段くすんだ気がした。


 我がグループは、俺とA君とBさん、Cさん。完全なる初対面の面子だ。

 互いに探るような視線が行き交い、誰が最初に口を開くべきか測りあう沈黙が場を支配する。机の上の器具を無意味に整え直す音や、咳払いだけが、間を埋めるために消費されていく。


 そこに、未知数だった――いや、もはや未知ですらない俺の魔導力の酷さが加わる。

 術式は反応せず、魔導石も沈黙したまま。結果だけが、誰の目にも分かる形で並べられていく。


 居心地の悪い空間が、あっという間に完成してしまった。


 実に効率の悪いものだ、と俺は今更ながら思う。

 努力は、努力した分だけ着実に結果へと繋がる。これは、俺でも知っている単純な因果だ。だが孤独は違う。孤独を経て一人の時間に耐えられるようになるかと言えば、そんなことはまるでない。


 反論があるなら、こう返そう。

 ――それはただの麻痺である、と。

 孤独に慣れるんじゃない。感覚が死ぬだけだ。


「神楽坂君、一番上のレンガは壊せる?」


 頭の中で一人演説をしていた俺に声をかけたのは、Bさんだった。

 声色は丁寧だが、わずかに躊躇が混じっている。期待と不安を、同時に抱えている音だ。


「いや、それはさっきもやったけどさ、無理なのよ。だって……」


 言いながら、俺は積み上げられたレンガに体重を乗せ、縦肘を落とした。

 ゴン、という鈍い音。骨に直接伝わる衝撃が、肘から肩、背中の奥まで走る。反射的に歯を食いしばる。


 上から三つ目までに、細かなヒビが入る。

 上出来だ。俺基準では。


「これはダメなんだろう?」


「……あー、そうだね……」


 Bさんはフリーズした。

 視線が宙を泳ぎ、口がわずかに開いたまま止まる。思考が完全に停止したのが、手に取るようにわかる。


 ――わかるよ。

 ――そうなるよね。

 ――でも俺にどうしろと?


「ばっかじゃないの神楽坂!」


 ランチタイムは、我が班とシルヴィア班の八人で囲むことになった。

 「いただきます」を終えるや否や、シルヴィアが俺の渾身の縦肘に強い非難を浴びせた。。


 どうやら彼女は、自分の実験をこなしながら、俺の悪戦苦闘をずっと観察していたらしい。


「じゃあお前、魔導石なしでレンガ三つ割ってみろよ。無理だろ?」


「そーいう物理的な話をしてるんじゃないの! あのね魔導力っていうのはそもそも精神エネルギーの流れから――」


 シルヴィアが呆れたように、しかし楽しげに文句を言う。その笑顔には棘がない。だからこそ、遠慮なく突き刺さる。


 釣られたように、周囲の学生たちもどっと笑った。

 さっきまで俺を腫れ物のように扱い、凍りついた沈黙を守っていたBさんまでもが、今は腹の底から楽しそうに笑っている。


 この、空気が一変する感覚。

 俺はこれを知っている。


 魔法なんかより、もっと強力で、もっと残酷な「現象」だ。


 シルヴィアは、太陽だ。

 彼女がそこにいるだけで、周囲の温度が上がり、影が消え、言葉が色彩を帯び始める。食堂のざわめきすら、どこか柔らかく聞こえる。


 彼女が笑えば、人は安心する。

 彼女が場を支配すれば、誰もがその光に身を委ねたくなる。


 そして――

 彼女と繋がっているというだけで、俺みたいな「魔導力ゼロの不純物」ですら、この眩しい光景の一部として許容されてしまう。


 ――ああ、デジャヴだ。

 脳裏に、埃っぽい日本の教室がフラッシュバックする。

 チョークの粉が舞う午後。窓際で笑い合う輪。そこから一歩引いた場所で、息を潜めていたあの感覚。


「……神楽坂? どうしたの、急に黙り込んで。お腹でも痛いの?」


 シルヴィアが身を乗り出し、俺の顔を覗き込んでくる。

 心配そうな、曇りのない視線。その眩しさに、俺は反射的に目を逸らした。


 まあ、舐めんなよって話だ。

 俺は俺の正体を、ずーーっと知っていたぜ。


 今、このテーブルを包んでいる温かな笑い声も、美味しいランチの匂いも、俺の実力じゃない。

 全部、シルヴィアという太陽が見せている「一時的な幻」だ。

 彼女がいなくなれば、俺はまた、あの息もできないほど静かな暗闇に放り出される。


「……いや、お腹っていうか肘が痛い。レンガ硬いよあれ」


 思った通り、場は盛り上がった。

 俺は冷めた気分のまま、肉料理を口に放り込む。噛むたびに広がるはずの旨味は、どこか砂が混じっているようにザラついていた。


 喉を通る感覚だけが、やけに生々しい。


 居心地がいい場所であればあるほど、俺の中のみすぼらしい自分が、静かに、しかし執拗に警報を鳴らし続けていた。

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