第92話 嘉兵衛は、岡崎に入る
天文24年(1555年)9月上旬 三河国岡崎城 松下嘉兵衛
引間城で遠江からの加勢を得て、俺たちは予定通り6千の兵をもって岡崎城に入城した。そして、早速ではあるが……城代である山田新次郎殿より相談を受けた。近頃、「反乱に加担したつもりはない」などといって、頭を下げてきた連中がいるとかで、どうしたらいいのかと。
「お屋形様から何か言われておりませぬか?許してよいとか、それとも許してはならぬとか……」
はっきり言って、三河における今川家の代理人ともいえる岡崎城代にその程度の裁量が与えられていないはずもなく、一々何を訊いているのだ、それすら判断できない指示待ち人間かと言いたくなったが、言っても仕方がない事も同時に理解した。
だから俺は、自分の都合の良いように代わって判断を下して伝える。即ち、今はどちらでもないと。
「どちらでもない?」
「一度叛いた連中ですよ?また叛かないとは限りますまい。ただ、ここで許さないと言えば、連中を反乱軍に追いやる結果となるだけで、こちらとしてはそれも不都合。それゆえに……」
そんな連中には、ただ「従うつもりがあるのならまず人質を出すように」とだけ命じる。
「まあ……今川家に対して後ろ暗い所がある連中なわけですから、人質を出せば本当に罪を問われないのかと疑う者もいるかもしれませぬが、訊いてきたりはしないでしょう?」
「そうだな。そのような事をすれば、我らの気分を害すことになるのは流石にわかるであろうからな……」
それでも訊いてくる者がいれば、その時は総大将である次郎三郎の名で安堵状を出しても良いと藤吉郎は言っていた。目端が利く者は、いずれ役に立つからと。本当にいるのかと訊いたら懐疑的であったが……。
「……そして、反乱を鎮圧した後に、そういった連中の事を駿府のお屋形様にご報告申し上げて、裁断をお願いすればよいのですよ」
場合によっては、形式的に詫びが必要だからと全員駿府に送ってみてもいいのかもしれない。後腐れなく処分されて、そうなれば三河における今川家の直轄地が増えて、この岡崎城に本拠地を移転しやすくもなるはずだ。
「どうです?これなら山田殿のお悩みも解決では?」
「なるほど……」
もっとも、感心している山田殿には悪いが、実行すれば他日別の悩みが生じる事になるだろう。何しろ、自分がこの程度の事もできない無能である事をさらけ出したのだから、「次の人事をお楽しみに」という話に必ず発展するはずだ。
しかし、ここでそれを口にすれば、また藤吉郎たちから「このお人好しが!」と言われかねず、俺は涼しい顔をして話を打ち切り、この場を後にした。向かった先は、ここまで連れてきた馬廻衆の待機場だ。
「あっ!これは軍監殿……」
「掃部介、何人か姿が見えぬが……どこへ行った?」
「そ、それが……」
四番隊の隊長を務める斎藤掃部介は言葉を濁しているが、連中がどこへ行ったのかはわかっている。この岡崎城下に設けられた今川家臣専用の女郎屋だろう。
「すぐに連れ戻してこい!俺が激怒していたと、半刻(1時間)以内に戻って来なければ、使えないようにへし折ると言え!」
「は、はい!」
ホント、少し目を離すとこれだから世話が焼ける。ただ、そんな連中を使ってこれから何をするのかと言えば、いわゆる土木作業だ。藤吉郎からの文では、吉良三郎がこちら側に付いたと記されていたので、次は決戦に向けて下準備を行うのだ。
「軍監殿!全員揃いました!!」
「ご苦労!!」
そして、半刻も経たずに集まった連中に、俺は満を持して指示を下す。即ち、この岡崎の北にある青木川の南岸沿いに落とし穴を多数掘る事を。
「落とし穴……ですか?」
「但し、敵に掘っている事を気取られてはならぬ。作業は交代で夜間のみに行え!」
もうじき吉良三郎は藤吉郎に見張られながら、青木川の北にある寺部城に入るはずだ。その地で足助城の鈴木兵庫や亀山城の奥平殿、田峰城の菅沼殿と合流してこの岡崎に向かうと……弥八郎から届いた文にも予定通りに言っていると書かれてあった。
つまり、決戦はその青木川を挟んで行われる……。




