第84話 嘉兵衛は、家臣を増やしたい
天文24年(1555年)8月上旬 駿河国駿府 松下嘉兵衛
俺としては本多弥八郎ほどの策士が家臣になってくれるのであれば、願ったりかなったりの話だ。それゆえに、即答で了承しようとしたのだが……
「家臣になりたい……だと?」
左近はどうやら反対のようで、怒りを滲ませながら「ふざけるな!」と弥八郎を怒鳴りつけた。
「さっきからな何なのだ、貴様は!我らに内通するからというから、わざわざ三河から連れてきたのに、俺を騙したのか!?……全部嘘だったのか!!」
「全部というわけではないさ。将監様が今川家に反旗を翻す話は真の話だ。しかし、うちの親父が本多家の安泰を計って裏切るというのは嘘で……だから、こうして大蔵様のお命を狙ったわけよ!」
「おのれ……よくも抜け抜けと!」
まあ……まんまと騙されて刺客をここまで連れてくることになり、赤っ恥をかいた左近の怒りは俺もわからないでもないが、やはりこの本多弥八郎を逃す選択肢は考えられない。
「左近……そなたの怒りはわかるが、そのあたりでな」
「殿、しかし……」
「まずは話を聞こうではないか。弥八郎……三河で起きている事、全て話してくれ。嘘偽りがなければ、そなたの仕官を認める事にしよう」
もっとも、その話が本当か嘘かはわからない。「真実はいつもひとつ!」とか言って、見破れるような、そんな便利なチート能力は持っていないし……。
「反乱は吉良三郎(義安)様を旗頭に将監様のみならず、足助城の鈴木殿、亀山城の奥平殿、田峰城の菅沼殿、さらに大給城の松平和泉守様も加わり、この秋から冬にかけての時期に挙兵する模様にて……」
だから、傍から見たら「またこのお人好しは」と思われるかもしれないが、ここはその話を信じる。それに事実ならば、今川家にとっては由々しき事態だ。
ひとまずその証言を書き記して、次郎三郎と備中守様に知らせる事にした。
「では、この書状は某が御二方に……」
「待て、藤吉郎。そなたが行くほどの事ではあるまい。無人斎に頼んで……」
しかし、そう口にしたところで思い出した。信虎公はすでにご自宅へとお帰りになられており、この屋敷にはいない事を。そして……使いに出す人手も不足している事も……。
「やはり、採用だな……」
「ええ、この際、埋伏の毒だろうが、暗殺者だろうが、当家の仕事を担ってくれるのであれば、文句は言えないかと……」
それでも左近は何か言いたそうにしていたが、背に腹は代えられない。藤吉郎の言葉通り、そもそもの話として我が家に人が居ないのだ。アットホームな職場であることをアピールして、口入屋に求人を頼んで久しいが、相変わらず応募は皆無だし。
だから、こうして仕えたいといっているのだから、弥八郎が未来の有名人だからとか関係なく、断る選択肢はなかった。
「なんだ、大蔵殿。人手が足りないのであれば、言ってくれたらいいものの。我らは親戚ではないか」
だが、そんな我らのやり取りを見て、それまで空気と化していた石見守殿がそんな事を言い出した。そして、それなら人を紹介するとも……。
「10人ほどいればよいか?貴殿が望むのなら、遠江から連れてくるが……」
「ありがとうございます。非常に助かります」
もちろん、わかっている。世の中ただより高い物はないということは。石見守殿はこの機会に俺との関係を改善し、何かしらの折にその縁を利用したいとでも考えているのであろう。この人とは昔から付き合いがあるが、そんなお方だ。
しかし、それならばと思った。石見守殿も俺に仕えてくれないかと。
「待て……俺は飯尾家の重臣だぞ。なぜ、その地位を捨ててそなたに……」
「わかっております。しかし、実は……寿が氏真公の側室にと望まれておりましてな」
「なに!?寿が氏真公の側室だと!」
まあ、驚くのも無理はない。だが、俺は構わずに強調する。これは俺を取り立てようとする氏真公の……今川家の意志だと。
「ですので、石見守殿にとっても、損な話ではないかと。今は1,500石の小身ではありますが、いずれ某は……」
「わ、わかった。そなたの言いたいことはよくわかった。しかし、少し時間をくれ……」
もちろん、飯尾家には話を通して置く必要はあるから、即答できないのは仕方がない。だから俺は、「いいお返事を期待していますよ」とだけ、石見守殿に告げたのだった。




