第83話 弥八郎は、松下嘉兵衛と対峙する
天文24年(1555年)8月上旬 駿河国駿府 本多弥八郎
「やはりそう来たか!」
松下大蔵は、まるでこうなることを予見していたかのように、俺が投げたクナイを躱した。刃先にはたんまりと毒を塗っているから、かすり傷でもあの世に送ってやれたのだが……当たらなければ意味がない。
だから、あとは肉弾戦あるのみと、飛び掛かろうとした。クナイを手放した以上、手元には武器はないが、なければ奪えばいいのだ。押し倒して、大蔵の腰元に差している脇差を奪い、それでその首を頂く。
確率的には成功する見込みは乏しいが、それでもここから生きて帰るためにはやらなければならないと思って、俺は直ちに行動に移した。だが……
「させるかぁ!」
その前に俺は左近に取り押さえられて、ここで終了。それから縄で縛られて、大蔵直々の尋問を受ける羽目となったのだ。
「なあ……改めて聞くが、どうして俺を殺そうとした?今川の重臣でもなければ、三河に縁もゆかりもないが……」
「ふん!おまえ……三河を今川の都にすると、企んでいるそうだな?」
どうしてそれを知っている……と言わんばかりに大蔵は驚いているが、三河でこの話を知らぬ者は居ない。もちろん、「今川の下っ端家臣が勝手に言っている妄言だ」として、相手にしていない者の方が大多数であるが、少なくとも俺は違う。
この松下大蔵の構想は、今川家を中心にして考えたとき、非常に理に適っており、いずれ受け入れられるだろうと。そして、そうなってからでは遅いと考えたわけだ。
「もしかして、服部半蔵を動かしたのもそなたなのか?」
「ああ、そうだ」
父を通して将監様を動かして服部党に指示を下すように、全てを裏で操っていたのはこの俺だ。もっとも、伊賀忍を多数抱える服部党がしくじるとは思っても見なかったが……まあ、それも今更だ。
事ここに敗れた以上は、多くを語っても仕方がない。俺はその上で潔く、「さあ、首を刎ねろ」と大蔵に言った。我らの故郷が……今川の連中に好き勝手されるのを見るくらいならば、ここで死んだ方がマシだと思って。しかし……
「なあ……弥八郎殿。俺の話も聞いてくれないか?」
大蔵は俺の首を刎ねずに、そこから一方的に自分の考えを話し始めた。どうして、今川家が天下取りを目指すのかと。その過程でなぜ三河を今川の都にするのかを。
そうしなければ……今川家はいずれ滅亡しかねないから……と。
「冗談でしょ?だって、今川は……」
「現状、駿河、遠江、三河を支配して、石高はおよそ70万石。一見、盤石なように見えるが……実はそうではない。これからの世の中、小さき大名は淘汰され吸収されて、その後は大国同士の争いが始まる。それで仮に50万石と50万石の大名がぶつかれば、勝者は100万石の大名となる」
そうなれば、その100万石の大名と今川家70万石は戦うことになるわけで……勝ち残り、領国を他国の草刈り場にしないためには、現状に満足せずに最後の勝者となるまで戦い続けなければならないのだと、大蔵は俺に教えてくれた。それがこれからの戦国の掟なのだと。
俺は……その説明の一つ一つを聞いて、己が如何に狭き世界の中で生きてきたことを悟った。故郷を、家族を大事に思うのであれば……大蔵様の構想こそが最善であると理解する。
「さて……俺が言いたかったことは以上だが、これからどうする?」
「どうするとは……」
刃を向けたのだ。首を刎ねる以外の選択があるのかと思っていると、大蔵様は言った。こうして怪我も何もしていないのだから、それには及ばぬと。
「三河に帰って、将監と共に挙兵するというのなら止めないし、後は好きにしたらいい。もっとも、もし戦場で相まみえることになったなら、その時は容赦しないが……」
しかし、今の俺に最早そのような気持ちは全くなかった。縄をほどいてもらったところで両手をついて懇願した。どうか、家臣の列に加えていただけませぬかと。




