第78話 嘉兵衛は、また口を割らされる
天文24年(1555年)7月下旬 駿河国駿府 松下嘉兵衛
「これからの……今川家の行く末ですか……」
いきなり、何でこんな質問をされているのか。全くもって訳が分からなかったが、氏真公は言った。いずれ名門・今川家の家督を継ぐ身として、同世代の家臣を見つけては同じ質問をしているから、そんなに難しく考えないでくれと。
「いや、しかし……備中守様から固く口留めされていて……」
「なに!?備中守とは、朝比奈備中守の事よな!それで、それで、固く口留めをされているような今川家の行く末に繋がる秘事とは何だ?」
あ……しまったと、またやってしまったと俺は頭を抱えるが、誓紙まで出して誰にも言わないと約束した事柄だ。これ以上の事を言うわけにはいかない。
しかし、相手は今川家の若殿様だ。言いたくないから言いませんが通じる相手であるはずがなく、廊下に控えていた供の者に何やら言葉をかけると俺に告げた。「では、備中守を交えて話を聞こうではないか」と。どうやら、呼び出しに走らせたようだ。
「若殿……」
「そう恨めしそうな顔をするでない。そなたが素直に口を割れば済むことではないか」
「実は誓紙を出しておりまして……」
「なるほど、つまり余人に知られると今川家が吹っ飛びかねない危険な話なのだな?あ……もしかして、先程の忍び共はその秘密を知ってそなたを殺そうとしたとか、かな?」
その指摘は十分にあり得る話であるだけに、俺はこの話を知る人物を思い浮かべた。備中守様、左京様、雪斎様に次郎三郎……と。もちろん、藤吉郎も知っているが、あいつが誰彼と話すはずがない。そうなれば、この中で最も疑わしいのはやはり次郎三郎という事になる。
「その様子だと、どうやら心当たりはあるようだな?」
「まあ……できれば、信じたいとは思いますが……」
それによくよく考えたら、三河に今川家の本拠地を移すにあたっては利害関係が生じる当事者だ。それに、雪斎様はあのとき「漏らしたら松平家を潰す」と言ったが、その雪斎様がもし本当に余命が長くないとなれば、『家康』だけに油断大敵だ。
ただ、そうこうして雑談に興じているうちに、屋敷の外から馬のいななきが聞こえた。どうやら、備中守様が到着されたようだ。
「若殿!お召しにより参上いたしましたが、これは一体どういう状況で!」
「実はな、備中守。余は大蔵と先程知り合ってな、それでいつものように『今川家の行く末』について、意見を求めたのだ。するとだな……」
「要は……某との約束があるからと、口を割らなかったという事ですな?」
「そうだ。だから、そなたを呼んだのだ。話しても良いと許可を出してもらおうと思ってな」
その瞬間、「なにをやっておるのだ」と言われて睨まれたが、それでも最終的には話しても良いと許可を下さった。
だから、俺はそれならと話し始める。今川家は天下を目指さず現状維持を図れば、20年もしたら滅ぼされるか、それとも他国へ従属するしかなくなると。そして、回避するためには尾張を取って本拠地を三河に移して、それから美濃と伊勢を切り取る必要がある事を。
しかし、訊き終えた氏真公の顔色は芳しくなかった。
「備中守……」
「はっ……」
「そなたが口止めしたのが正しかったと、余もつくづく思ったぞ。今の今川家でこんな事を言えば、確かに翌朝には川に浮いているな」
「御意……」
ただ、それでも否定はせずに、氏真公は最後まで聞いてくれた。時が来るまで改めてこれ以上広めるなと言われたが、きっと今後の方針として考えてくれるだろうなという手ごたえはある。悪い事にはならないだろう。
すると、ちょうどその時、部屋の外から寿が声をかけてきた。「料理と酒の準備ができたので、お持ちしてもよろしいでしょうか」と。
「構わぬ、入るが良い」
「はい」
だけど……藤屋の女将と共に膳を運び込む寿の姿を見て、氏真公の表情が変わった。俺も驚いたが、その姿はメイド服。一応ロングスカートにはしているものの胸元は広く開いていて、興味を引くにはこれ以上にない演出といえたのだった。




