第74話 嘉兵衛は、雪斎の余命を計る
天文24年(1555年)7月中旬 駿河国駿府 松下嘉兵衛
松平家の茶室が完成したため、俺は早速、朝比奈家の左京様に知らせて、茶の湯の席に招待する事にした。もちろん、家主の次郎三郎も参加だ。
「三浦様には8月の半ばにお誘いするから、それまでにそれなりに上達されますよう……」
「あはは……大丈夫かな?三浦殿は下手とはいえ、俺みたいな全くの素人ではないのであろう。いや、自分から参加すると言っておきながらではあるが、果たして追いつけるか、どうか……」
「何事も初めはありますし、それに最終的に肩を並べられたらよろしいでしょう。そう気負わなくても……」
そして、こうして始まった茶の湯の指導であったが……どういうわけか、次郎三郎はかなりの腕前であった。表千家の技を前世で教えてもらった俺にはまだ及ばないが、点数をつけるのであれば、85点といった所だろう……。
「何かへこむわ……ちょっと、外の空気吸ってくる……」
「左京様!?」
まだ始まったばかりだというのに、すっかり自信を喪失なされた左京様はこうして席を外されて、この茶室には俺と次郎三郎の二人だけとなる。
何とも言えない空気がこの完成したばかりの茶室に充満した。
「しかし、初めてではなかったのだな……」
「まあ、雪斎様から一通りは。これからの武士には、きっと必要になる教養だと申されまして……」
「そうか。そういえば、その雪斎様だが……」
近頃、体調があまりよろしくないように見える。夏風邪をこじらせていると聞いているが、それにしても長い。昨日などは結局急な見舞い客があるとかで、会えなかったし……。
「それは、某も心配していまして……」
ゆえに、もしかしたら、何か知っているのではないかと疑って、その表情を観察するが……今の次郎三郎の顔からは読み取ることはできなかった。
「おや、今探られましたね?」
「わかったか……」
「ええ……」
ただ、次郎三郎は本当に知らないと言った。雪斎様の命で、近頃は関口家に足繁く通って、寺に顔を出す回数も減っているらしく、従って情報量は俺とよく似たものだと。
「しかし……雪斎様の下には、近頃お屋形様が頻繁に訪れているらしいぞ」
「左京様……」
「すまぬ。立ち聞きは無作法であったな。許してくれ」
しかし、こうして戻って来られた左京様に茶の湯の指導をしながら俺は考える。今の話しが本当ならば、もしかしたら、雪斎様のお命はもうあまり残されてはいないのではないかと。
「大蔵殿、茶筅はこんな感じか?」
「ええ、そんな感じでよろしゅうございますよ」
何しろ、今川家の屋台骨を支えている大軍師なのだ、雪斎様は。
だから、もし、お亡くなりになったならと考えて俺は気づく。その時は果たして、三浦様は呑気に茶の湯を学びに来られるだろうかと。いや……おそらくだが、パワーバランスが崩れるこの機に権力を掌握するために動かれることを優先されるはずだ。
まあ……それが、歴史の本来の流れだから、仕方がないのかもしれないが、その先に待っているのが桶狭間の大敗戦となれば、今のうち何とかできないかなと欲が生まれてくる。そう……未来を知るアドバンテージを活かして。
「左京様」
「なんだ?何か変であったか?」
「いえ……そういうわけではなく……」
だけど、それなら何ができるのか。頭に浮かんだ言葉を迷いながら、俺は左京様に向かってそれでも口にした。即ち、三浦様を交えた茶の湯指導を前倒しで行いたいと。
「前倒し……?」
「できれば、8月の頭……いや、今月の終わり頃に」
「いや、ちょ、ちょっと待て!この腕前で三浦殿の前に出たら、流石に赤っ恥を……」
「あちらもそう大したことはありませんから大丈夫です。ただ、次郎三郎は、わざとヘタクソを演じろよ?」
今日のように本気を見せたら、三浦様がショックを受けて帰りかねない。だから、俺は次郎三郎には釘を刺す。
それでは、雪斎様がお亡くなりになる前に、この茶の湯を通して三浦様と左京様の間を仲介したいという俺の望みが叶わなくなるからと……。




