第67話 嘉兵衛は、松平家に打診する
天文24年(1555年)6月上旬 駿河国駿府 松下嘉兵衛
松平家の屋敷に茶室を拵える件については、次郎三郎に話したところすんなりと許可を貰えた。
「えー!面倒臭いなぁ!来たら接待もしないといけないんでしょ!?」
「殿……!今川の二大巨頭の覚えが良くなれば、松平家再興への視界も良好となりましょう。ここは是が非でもお引き受け下され!」
……もっとも、その意義を正しく理解してくれたのは、次郎三郎ではなく、その側近の石川伯耆守(数正)殿だ。特に建設資金や工事の手配はこちらで行うと伝えたところ、涙を流して喜ばれていた。
「そうだ、ついでにおまえも茶の湯を覚えておくか?」
「い、いや、別に俺は……」
「松下殿。重ね重ねのご高配、誠にかたじけのうございます。……殿、折角の機会なのですから、しっかりと学ばれませ。よろしゅうございますな?」
「はい……」
まあ、次郎三郎は不満そうにしているけれども、これで松平家に恩を売ることはできたようだ。そこで……俺は瀬名姫様との縁談話を次郎三郎に切り出した。
「えぇ……と、瀬名姫様って、あのとわ姉が食べた饅頭を作った……」
「そうだな……」
「その瀬名姫様が……俺と結婚?」
「嬉しいだろ?あんな美人と一緒になれるのだからな!」
しかし、強引にこのまま押し切りたい俺の前で、次郎三郎の顔色は次第に青ざめていく。
「あの……兄貴。この話、断るわけには……」
「いかぬな。もっとも、おまえが家も武士の身分も放り出して、どこかに逃げるというのであれば、断る以前にどうしようもないが……」
だけど、そんな事をしても、一途な松平の家臣たちだ。きっと、地の果てに逃げたとしても追いかけて連れ戻すだろう。つまり、そもそもの話、次郎三郎と瀬名姫が結婚する話は、あちらが嫌だと断らない限り、決定事項であるのだ。諦めるしかない。
「そんな……俺は、毎日あの恐ろしい物を食べなければならないのか……」
「料理に関しては、関口様からも今後させないとお約束は頂いている……」
「その言葉を信用できると、兄貴は本気で思っておられるので?」
「信じたいと思うし、ここは信じるしかないと思う……」
本音で言えば、十中八九、また料理すると思うが、それを言い出したら次郎三郎は本気で逃走しかねない。だから、この件は大人の考え方ができる石川殿に後は任せる事にする。きっと、松平家再興の為にも、上手く説得してくれるはずだ……。
こうして、茶の湯の事と関口様から頼まれた縁談話という用事を片付けて、俺は屋敷に帰ってきた。なお、藤吉郎と左近は、松平家に茶室を作るために商家を巡っており、留守のはずであった。しかし……
「これは旦那様。お帰りなさいませ」
自分の部屋に入ったところで、俺は無人斎殿と鉢合わせする事になった。そして、何をしているのかと訊けば……掃除を行っていると答えられた。
「無人斎殿。この部屋は某の部屋にて、あまり出入りは……」
「おお、左様でございましたか。これは誠に相済みませぬな」
掃除をして頂くのは有難いが、この部屋には井伊家の方々や雪斎様、備中守様などとやり取りを交わした書状も保管してある。もっとも、知られて困るような物は今のところなかったとは思うが……流石に立ち入って欲しくはなかった。
「あ……そういえば、旦那様。寿とか申すおなごが訪ねて参りましたぞ」
「なに?」
「もしかして、愛人でございますか?」
「いや、それが俺の知る寿殿であれば……」
寿殿といえば、遠江で飯尾家に仕えていた頃の婚約者だ。弟の源左衛門と一緒になっているはずだが……一体どうしたのだろうか。
「今夜はこの駿府の宿でお泊りになられて、明日改めて訪ねてこられるそうですよ」
「明日かぁ……」
明日は明日で今川館に出勤して、午前中は五番隊の指導を行わなければならない。だから、会うのであれば、できれば休みである今日の方が良いと考えて、俺は再び外出する事にした。城下にある宿を巡れば、どこかに居ると考えて。




