第65話 嘉兵衛は、叱られた帰りに僧を拾う
天文24年(1555年)5月下旬 駿河国駿府 松下嘉兵衛
三浦様とのやり取りから2日後、俺は朝比奈備中守様から呼び出しをくらい、散々叱られた。
「そなたはどれだけ人が良いのだ!三浦の要求など、儂の名前を出して突っぱねればいいものを!!」
「申し訳ございませぬ。それではご迷惑が掛かると思いまして……」
「勝手に接触を持たれた方が迷惑だ!まさかとは思うが、例の天下獲りの話はしていないだろうな?」
ギロリと睨みつけて問い質してきたその言い様に、そこまで信用していないのかと内心では少しカチンときたが、左京様が「父はそれだけ貴殿の事を買われているし、心配しているのですよ」と言われて、己の軽率さを恥じた。
そして、天下獲りの話はしていないことを申し上げて、今後は同様な事がないように気を付ける事を約束した。もちろん、今後何かと茶の湯で三浦様と一緒になる機会が生じるが、迂闊に漏らさないようにとも。
「……とは申しても、人の好いそなたの事だ。情に絆されでもしたら果たしてどうなるか……」
「やはり、信用なりませぬか?」
「そうだな……正直な気持ちとして、そなたの能力程は信用できぬ。いや……その人の好さは人としては美点だし、儂個人としても嫌いではないが……」
わかっている。平和な時代なら兎も角、この戦国の世を生き抜くためにはそれでは通じないという事は。しかし、だからといって今更断れば角が立つわけで、果たしてどうしたらよいのかと迷っていると……左京様が言った。「だったら、俺も同席します」と。
「左京様……それは、監視の為でしょうか?」
「それもないわけではありませぬが……某もこの機会に学んでおこうかと思いましてな。その茶の湯とやらを」
さらに左京様は、「この機会に三浦上野介殿の誼を通じておきたい」と言って、備中守様を驚かせた。
「誼を通じてどうするか?あれは阿呆ぞ」
「それは父上の御意見でしょう。某はあまり直接話したこともございませぬし、いずれ今川家の次世代を共に担う事になるのです。敵になるにしても味方になるにしても、その正体を知っておくことは悪い話ではないかと……」
「うむぅ……」
こうして、最終的に押し切られた備中守様の許可を得て、茶の湯の授業に左京様が加わる事が決まった。
ちなみに、左京様は初心者という事なので、朝比奈家の名誉のためにも個人レッスンをして貰いたいと備中守様に頼まれた。
「いや、父上……それはズルでは……」
「何を言うておるのだ。先程大蔵にも申したが、この世の中、人が良いだけでは生きていけぬのだぞ。朝比奈が三浦に負ければ、協力してくれている味方の敗北に繋がる……そう心しておけ!」
流石にそれは大袈裟なような気がするが、実力差があると教え辛いのは間違いないので、同レベルになるまでは個人レッスンを行う事に同意した。
「しかし……どこでやればよいのかな」
朝比奈家の屋敷から帰宅途中で、俺は藤吉郎にそう零した。
「朝比奈様のお屋敷ではないのですか?」
「左京様への個別授業はそれでもよいが、問題は三浦様を交えての本番だ。三浦様を朝比奈家にお連れするわけにはいくまい」
俺の住む世界よりもはるか雲の上の話だが、備中守様の言動の通り、朝比奈家と三浦家は現状犬猿の仲だ。その逆、三浦家の屋敷で開催すると申したら、きっと備中守様はお怒りになられるだろう。
「さて、どうしたものか。藤吉郎、何か妙案はないか?」
「そうですな……では、殿がご指導為されるのですから、我らが屋敷にその茶室とやらを作るわけには参らぬので?金なら用意できますぞ」
しかし、藤吉郎は俺の呟きにそう提案したが……何しろ、三浦家も朝比奈家もこの今川家では譜代の宿老たる家だ。その当主だの世継ぎだのが高々1,500石取りの一家臣の家に足繁く通っていると知れ渡れば、悪目立ちして無用な嫉妬を受けかねない。
その事を藤吉郎に伝えると、それならばと新たな提案をしてくれた。それは、次郎三郎の屋敷ではどうかという事だった。
「それはどういう……」
ただ、その理由を確認する前に、その前方で托鉢の僧が大きく体をふらつかせた挙句、路上で倒れ込んだのが見えた。
「殿、お待ちを……!」
何やら、後ろで藤吉郎が止め立てしていることには気づいていたが、放置するわけにはいかず、俺はその僧の下へと駆け寄った。
「大丈夫か!しっかりせよ!」
「は……はらが……」
「はらが?」
だけど、僧はその言葉を言い残して、力尽きた様に黙り込んでしまった。脈を触診して、生きている事は確認したが、このまま放置するわけにはいかない。駆けつけてきた藤吉郎に我が家へ連れ帰る事を命じたのだった。




